第1740話 賢者の石のその残滓
「キミらが疑似細胞と呼んでいるこれを、ボクたちは『ヘルメス・スラグ』と名付けている」
スイレンはテーブルの上のヒヨコを一度泥の状態に溶かすと、今度はそれをクワガタの状態に仕立ててみせる。
その変身はまさに生命を生み出す魔法のようにしか見えず、その瞬間を見ていなければヒヨコもクワガタも本当に生きているとしか思えない。
しかしその本質は命なき泥の擬態。しかもそのネーミングから察するに、これ自体は彼らにとって切り札ではない。不用品、とまではいかないが副産物である可能性まで出てきていた。
「……スラグ、工業廃棄物だっけ?」
「鉱石を精錬した残りカスですねー。どろどろしたのはスライムとも言いますー」
「やはり、スライムだったのですか!」
「パン生地じゃなかったんかー」
「そりゃそうでしょうよ。食べる気でいたのかしら、ユキ?」
「いんや。でも可愛いじゃん。パン生地の方が」
「パン生地は可愛いのかしら……」
可愛いかはともかく、パン生地の方が愛着は湧く。鉱滓は本来不用品だ。もちろん、用途がまるで無い訳ではないが。
「しかし副産物ということは、本当は何を作っていたのでしょうか!? 鉱石なのですよね?」
「そりゃあアイリちゃん。アレよ。そりゃ賢者の石さね」
「なんと!」
「そこんとこどうなんですかー。ほれー、吐きなさいー」
「残念だが、ボクからは他の研究は明かせないな。名付けについてもセフィくんだしね」
「まあー。我々は名前つけるの苦手ですしねー」
「とはいえボクは気に入っているよ。可愛いじゃないか、『スラグ』も。それに能力も非常に多機能だ」
「それは嫌というほど実感してるよ……」
恐るべき自己増殖力、自己再生力を誇り、その様はまさにSFに登場するナノマシン生物そのもの。
あらゆる理屈も物理的制限も、『ナノマシンなんだから出来て当然』で押し通し強引に奇跡を再現する。
それは現代の非力なナノマシン、『エーテル』よりもよほど理想の形に近いといえた。
その物理限界を超えた出力を支えるのが、宇宙よりもたらされる不可知のエネルギー、ダークマターであるとハルたちは考えている。
「……それ、ここでもいくらでも出来るの? 近くで見ていたが、一切魔力も何も消費していなかったように見えたけど」
「ああ。こいつらは無から生み出される、ように、見えるだろ? その自己増殖力は時と場所を選ばないが、とはいえ、ここでは少々やりにくいのも確かかな?」
「“だーくまたー”さんが、薄いのですね!」
「ここの国々は周囲をシールドで外の世界と遮断されてますからねー。とはいえシャルトー? どーやら完全にダークマターをカット出来てはいないみたいですよー」
「《仕方がないでしょう、検出方法が無いんですから! とはいえ最初にやられたような、高出力の干渉波はもう通さないはずだよ》」
事の発端、この地から匣船のエージェントたちを連れ去られた時は、その不可知のダークマターの特性を利用して初見殺しのように出し抜かれたハルたちだ。
あの技術も未だに謎だが、さすがに二度も同じ轍は踏まないとシャルトは語る。
「《いずれ更に技術は成熟し、より小さな力も、より少ないコストで遮断してみせますよ。はっ、ざまぁないな。そうなればお前たちは終わりだよ》」
「とはいえ、それでも安全なのはこのエリアだけだろう? ボクたちはその外で活動をすればいい」
「《ふんっ。いずれこの惑星全体を覆うバリアが実現するでしょう。ハルさんの手でね!》」
「いや僕に丸投げすんのかーいっ」
まあシャルトも、恐らくは本気ではないだろう。軽口の一環、冗談のはずだ。そのはずだ。
現実的には、いかにシャルトがその節制の力を活かして高効率のバリアを実現させたとしても、惑星を覆うシールドとなると魔力の絶対量が流石に足りないだろう。
「まあ、そんな感じで確かに、ボクたち自慢のスラグも完全に『種も仕掛けもない』ということはないんだ」
「無から有を生み出す、夢の技術なんて無かったんですねー」
「逆に安心したわ?」
「未来を背負って立つ立場の者が、そんな小さく纏まっていてはいけないよ、お嬢さん。無限の力、果てなきエネルギー、欲しがらないでどうする」
「そーだぞルナちー。夢はでっかく持たなきゃ。ひっすんのおっぱいくらい! ちいさい、ちいさいぞルナちー!」
「それは、確かにお母さまなら欲しがりそうな力かも知れないけど。あと小さくないわよ別に。ないわよね……?」
「そこで僕を見られても困る」
「わたくしから見れば、じゅうぶんに大きいのです!」
胸の話はともかく、スイレンとしてはそう易々とこのスラグとダークマターの力、封じさせるつもりはないらしい。
実際彼は、自ら支配されてまでその力をもってハルたちと交渉する為に来た。雑談はさておき、その内容に踏み込んでいかねばなるまい。
彼もどうやら、おどけながらもそのために話を組み立てていたらしい。次第に本題へと、流れが切り替わっていく。
「そう、結局、スラグの種はダークマターであり、ダークマターを封じられては無力だ」
「あっさり認めちゃうんですねー」
「いまさらボクがはぐらかしたところで、キミらは既に辿り着いているんだろ? それにボクとしても、話が同じレベルでスムーズな方がやりやすいから」
「なーんか上から目線ですねー。囚われの身のくせにー。まあいいでしょー。続けるんですよー」
「仰せのままに。カナリーお嬢さん?」
「はぁー?」
「カナリーちゃん。いいから……」
馬鹿にするように大仰な、わざとらしすぎる身振りでカナリーに向き合うスイレンに尚も食って掛かろうとするカナリーをハルは押さえる。
ハルの腕の中でようやく大人しくなったカナリーを、スイレンも再度挑発することはしないでくれた。
「そのようにいくらか欠点はあるにせよ、このスラグはご覧の通り非常に扱いやすい。でしょう、ハルくん?」
「まあね。実際、僕らの国でも便利に活用させてもらってるのが現実だし」
むしろ、いま最もスラグ量が多い場所がハルたちの国だろう。大樹と天空魚に守られた魔法国家。スラグを活用しすぎである。
「繰り返しになるけれど、これはダークマターさえあれば何処でも扱える。それが例え、地球でも」
「……何を言い出すんだい、急に君は」
「このスラグを地球に持って行く気はないか。そう聞いているんだ、ハルくん」
それが、彼らがハルに求める提案だとでもいうのだろうか?
正直な話到底、受け入れられる内容とは思えない。それほどに荒唐無稽だ。
そんなハルの内心をお構いなしに、スイレンは自らの力の売り込みを続けていくのだった。
◇
「当初、ボクたちは自らの力のみで、この計画を実現させるつもりだった」
「けど無理だったんですねー? 異世界同士を隔てる次元の壁は、思った以上に高かったからー」
「悔しいがその通り。神の中でその障壁を越える事ができたのは、今のところ君だけだよカナリー」
「ふーんだ。這いつくばって崇め奉りなさいー」
「流石はカナリー様なのです!」
「アイリちゃんが平伏してどーすんじゃーいっ」
まあ、それは最初からハルたちにも予想されていた。神の力をもってしても、いや彼らが彼らである限り、世界の壁にどうしても阻まれる。
だからこそ、彼らはプレイヤーを、人間であり超能力者でもある匣船の者を使って、なんとかその偉業を達成しようとしていたのだから。
「自分でやったらいーじゃん? 無理だったからって、ハル君が手伝う理由とかある?」
「……あるわよユキ。ハルが手を貸さなければ、今参加しているプレイヤーに、更に安全性を無視した実験を行う、なんて脅す事も可能だわ?」
「なにぃ! 卑怯なやつらめ!」
「別に、そうネガティブにばかり考える必要はないんじゃないかな、お嬢さんたち。これを持ち帰ることを、全てハルくんの功績にしてしまえばいい。そう考えれば、良いとこもあるだろ?」
「……いや別に、いらないけどね、そんな功績。ただでさえ最近は、目立ちすぎてるし。やるのだとしても、匣船とか、あっちの三家の功績にしてあげればいいさ」
「押し付ける気ですねー」
「まあ、喜ぶでしょうね? あの人たちなら?」
「欲がないんだねハルくんは」
……というより面倒なだけである。
確かにこんなもの日本で発表すれば、正規の大発見になるだろう。いや、なるからこそ、そんな渦中に立たされたくないハルだ。
願わくば少しずつ、フェードアウトしていきたいハルである。これ以上目立ってどうするというのか。
「まあ、そこは今はいいとしよう。問題は功績じゃなくてだね、むしろ報酬の話なんだ」
「報酬。どなたの報酬、でしょうか……?」
「プレイヤーへの報酬ね? あなたがたは、ここ異世界の資源を報酬に約束したはいいけれど、未だにそれを実現する手段を得られていない」
「だからハル君に泣きついて、ハル君の<転移>の力で分かりやすいご褒美としてそのパン生地をプレゼントにしようって訳かー」
「その際の安全保障として、制作者であるスイレンを支配させたって訳ですかねー?」
「見返りとして、キミたちもこの技術を手にできるよ?」
「技術だけもらっちゃえばよくね?」
「こらこら……」
とはいえ、なんとも都合の良い話である。それに、正直額面通りには受け入れがたい。
それだけが、彼らの目的とは思えない。
果たして彼らは疑似細胞、ヘルメススラグを日本に送って、何を成そうとしているのだろうか?




