第1731話 怪樹の織りなす森の体内
覆いかぶさって来る枝を押さえつけ、ハルたちは枝で編まれたドームの内部に収まる形になる。
その中でルシファーは翼から出た無数のワイヤーを上に伸ばして、ドームの天井を支える支柱の役割となっていた。
上下左右、天井から床に至るまで、全てが敵。
そんな中でも、ハルたちはその地形となった敵の身を扱いやすい形に改変し、最後の攻略を図る。
「足元は任せろ! といっても、ちょーっとグラグラして不安定になるかもだけど!」
ルシファーが立つのは、この奇妙に曲がりくねった怪樹のそのうねる幹の上。敵の身体に直接乗っている状態だ。
その身は変幻自在であり、どこからだって攻撃用の新たな枝を生やす事が可能。魔法だって発射できる。
そんな自由自在に変身可能なはずの敵の細胞を、ユキはルシファーが掴む巨大な剣により『足の踏み場もない』ほどに切り刻み傷だらけにしていった。
「この先揺れますのでご注意くださーいっ!」
その傷は、邪悪な見た目の黒剣により『バグ』を付与された敵の細胞は本来の命令系統を無視して爆発的に増殖し始める。
それはもはや比喩とはいえず、本当に足元の床が爆ぜることによりその上に立つルシファーの機体も非常に不安定な姿勢を強いられた。
「よし! これで下からの攻撃はひとまず安全じゃ!」
「ら、乱暴な防御なのです!」
「ですがー、枝で思いきりぶっ叩かれるよりマシですねー」
そう、暴れ狂う泥となった疑似細胞だが、そこに攻撃性能は無くなっている。
それらが今可能な事は、ただひたすらに増えようとするだけ。
傷を塞ぐという本来の目的も忘れ去り、とにかく『増えなくてはいけない』という最優先命令をユキの振る剣によりインプットされてしまった。
「天井の方はどーだいハル君!」
「今のところ、すぐに力負けする感じじゃない。ただ、向こうも最大限力を込められる環境だ。いずれは押しつぶされる」
「だから、その力を込められなくしてやりますよー?」
細く頼りないワイヤーが、太く逞しい枝の触手をなんとか押さえている。見た目以上に耐えてはいるが、見た目通りの力負けはこの先必然。
だからこそ、その力を十全に発揮できないようにしてやる。ハルとカナリーはその介入を開始した。
「足元はやわやわになってますからねー。こっちは逆に硬くしてやりましょー」
突き刺さったケーブルが、更に枝の奥深くへと侵入していく。
周囲の細胞圧により握りつぶされてしまいそうだが、不思議とそうはならなかった。
何故ならば、このケーブルはそもそもハッキング用の専用装備。敵に絡みつき拘束するための武器ではないのだから。
接続部から疑似細胞へと送られる信号は、ユキの振るう邪剣と同様にその活動を狂わせる力がある。
そして剣とは違い、こちらの命令はより自由。ハルとカナリーによる、いわば手動での何でもありな侵食だ。
「元は魔力侵食もとっても得意だったってところを、見せてやりましょー。そーれ、どんなもんですー?」
細胞一個一個が自在に動く事で、鞭のような自由な可動を実現していたその枝たち。
しかしそれらは、先端からピキピキと音を立てるようにして、硬く鋭い形状へと次々に硬質化していった。
疑似細胞は樹としての擬態を保っていられず、その見た目はもはや鉱物。
カナリーにより結晶化され再配列された細胞組成は、機能を維持していながらもこれ以上自由に動く事がままならない。
「押すも引くも、一切無理な構造にしてやりましたよー。これで、とりあえずぬるぬる動く心配はなくなりましたねー」
「すごいわね? 端から凍り付くように、根元に向けて侵食が進んでいるわ? なんだか綺麗ね?」
「はい! まるで、結晶のお花が咲いたようなのです! セレステ様の槍のようですね!」
「んー。構造のチョイスミスりましたかねー。セレステはともかく、なーんかアメジストの水晶怪獣思い出してきましたよー? アメジスト、なんか仕込んでないでしょうねー」
「《言いがかりですわ? いえ、それだけわたくしのセンスが、理にかなっていたという事かも知れません》」
「こいつはまたー」
まあ、このワイヤーはアメジストの作った『通信ケーブル』だ。そうした彼女の趣味が反映されているということもあるかも知れない。
「とりあえず、今はどっちでもいいさ。それよりカナリーちゃん。この隙に本体へのハッキングを進行させちゃうよ」
「はーい。結晶化した部分の枝も、情報伝達には問題なしですー。むしろ、生物としてのノイズが減ったぶんやりやすくなってるかもー」
沸き立つ泥となった足場に、結晶の森となった天井。
四面楚歌の窮地だった状況は一転、周囲に敵なしの安全地帯と化した。
その時間で、ハルは操作者の翡翠へ繋がる経路を探す。彼女を逆探知し神としての存在へと辿り着ければ、ハルの力により翡翠を支配してこの戦闘を終わらせられる。
「だが! そうそう簡単にいかせてくれないよーだぞハル君! 隙間から新しいのが襲ってきた!」
「一部がやられても、お外にはいくらでも補充要因がいるのです!」
「むしろ、逆にこのまま強引に押しつぶす気かしら……?」
結晶のドームの隙間を縫って、いや力任せに自分自身の体であるその結晶を砕きながら、新鮮な枝がこの場へと補充される。
隙間の外でも、上から押しつぶすように大量の枝が覆いかぶさり、その圧力によって、パラパラと頭上からは砕けた結晶の欠片が飛び散り降り注いで来た。
「もう逃がさんってことか!」
「逆に都合が良いわ? これだけ密集していれば、最大効率で光輪のレンジに収められるもの」
ルナの制御するルシファーの光輪。その黒い追加武装のうちの一つが、奇妙なノイズを波打たせながら輝きを放射する。
敵のエネルギー源であるダークマターの利用を妨害するこの装備。その力は、この密閉空間でこそ最大の威力を発揮した。
周囲全て、何処を見渡しても敵、敵、敵。その射程の内に収まった細胞数は、当然のようにこれまでの最大記録を達成する。
「ギシギシが、止まりました!」
「今のうちだ! ハル君やっちゃえ! ……まだか!?」
「そう急かすなユキ……、まだだよ……」
「隙を突いて致命の一撃、という訳にはいきませんからねー。こうした解析作業はー」
まるでこの樹の道管に張り巡らされた、広大な迷路を慎重に進むようなハッキング作業。
それは物理的に敵の身に隙が出来たとて、一気に決着が済む類のものではない。
「……しかし、光輪のジャミングによって何となくセキュリティも薄くなってる気はする」
「なのでルナさんー、ばしばしやっちゃってくださいー」
「そうね。そうするわ? そのぶん、物理的な安全性も得られることだし」
黒い円環の発する輝きの波動。その再照射時間が明ける度に、ルナは次々と全力でその黒い輝きを放射する。
それにより、周囲を取り囲んだ敵の身体は弛緩し、同時に電脳の迷宮においても壁に綻びが浮かび上がる。しかし。
「ダメだルナちー! そんなに常時全力でやったら……」
「……!! 下から来ます!」
全力でハルたちの助けになろうという、その気持ち。一秒でも早くこの戦いを終わらせたいという焦りが仇となった。
いうなれば、決まったパターンの攻撃を繰り返すボスモンスター。翡翠はそれを攻略するプレイヤーとして、タイミングよく隙を突いて来たのだ。
足元のドロドロに溶けた細胞の生れの果て。その沼の中から、超高速で鋭い棘となった枝がロケットのように突きあげてきた。
「まずっ! しまった、避けきんない……っ!」
「大丈夫です! わたくしが、対処するのです! ルナさんはそのまま、全力サポートを続けてください!」
「わ、わかったわ!」
「攻撃は最大の防御ですよー」
貫かれ、破損した装甲板がルシファーの体内へと潜り込むように吸収される。
かと思えば次の瞬間には、無傷の新品の装甲が内部を満たしたエーテルの雲より浮き出てくる。
そうして一瞬で、こちらの『再生』も完了。高速再生はなにもあちらだけの得意技ではない。
「体内に残ったトゲも、食べてしまいます! ルシファーの体の中は、最強の溶鉱炉に入るのと同じなのです! その覚悟をして、攻撃してくるのです……!」
ルシファーのエネルギー源でもあり、あらゆる物質を自由に改変するこちら側のナノマシン、エーテル。
雲のように濃密に満たされたそのエーテル内へ飛び込むことは、敵対存在にとっては自殺行為だ。
そのエーテル制御をハルと二分し担当するアイリが、攻撃をあえて身体で受け止めることで翼のケーブルを守ってくれる。
そうして、仲間たちの全力の時間稼ぎのその末に、ハルはついに、翡翠へと繋がるセキュリティの迷宮を突破したのであった。




