第1730話 彼女の作るもの守るもの
「恐らくは、翡翠はこの樹の根元に、あの花畑に植わっていた花たちの細胞を保管してる」
「あの吸い取っていたものね?」
「このおっきな樹の、材料なのです!」
「それって今も生きてんの?」
「まあー、いわば生命維持装置に入ってる状態ですねー。細胞は完全にバラバラでしょうけどー、この怪樹の細胞が間を埋める事で、今もきちんと花としての身を保ってると誤認させてるんでしょー」
だからこそ、その保管部分を攻撃されると困るのだろう。
細胞そのものが破壊されてしまうのはもちろん、その周囲の生命維持を担っている疑似細胞が機能不全に陥るのもまずい。
それ故、無茶は承知のうえで過剰な反撃をこのハルたちの乗るルシファーに向けくり出してきたのだろう。
「それで、どうするのかしら?」
「……まあ、僕としても、あの花たちをこれ以上攻撃しなくて済むのは助かる。その点では、翡翠と利害が一致してるとも言えるさ」
「翡翠様は、お優しい方なのですね!」
「んー、優しいかどうかは、なんともー」
「優しい人は遺伝子改造しなくないかなぁ~」
「とはいえー、用済みになったら容赦なくポイ捨てする、そんな根っからのマッドサイエンティストではないのかもですねー」
「そう感じるよ」
倫理観などまるで無視して生み出され、本人たちも普段から少々倫理の欠けた部分のあるハルや神様たちだが、それでも何となく安心する。
ハル自身としても、嬉々として自然破壊をして楽しむヤバい奴という訳ではないのである。無益な殺生は避けたい。
「という訳で、この根元部分は攻撃しないが、この状況そのものは使えるね。翡翠との“交渉”が、少し楽になりそうだ」
「流石ハル君じゃん。優しいようなこと言った直後に、人質作戦を提案するなんて」
「してません! ゲームじゃないんだから、そんなことしないよ」
「ゲームならするのね……」
「敵陣の資源貯蔵庫周辺を占拠して、その状態で『平和的交渉』を迫るのです……!」
「外道ですねー」
「戦略家と言って欲しい」
今回もまあ、花たちを傷つけない程度に、しかし守らざるを得ない範囲で攻撃を継続するとか、疑似細胞へのハッキング方針を変更して、花たちの生命維持が困難になるように改変するとか、そうした有効な策は存在する。
しかし、いかに有効だからといって、そんな手段を講じれば翡翠との今後に影を落とすことになるだろう。関係の悪化は免れない。
「だから、利用するのは、この根元には手を出さないという安心感だ」
「安心感、でしょうか?」
「なるほど、無言の協定という訳ね?」
「どゆこと?」
「『別に怒ってないですよー』って態度で示して、奴を安心させてやるんですねー」
「まあ、そんな感じよね? 怒ってないかどうかは別として」
「いや実際に怒ってないが……、ルナは怒ってるのか……」
「そりゃ、急にこんな騒動を起こされれば多少は腹が立つでしょうに……」
既に有力者同士の駆け引きに慣れているルナにはピンときたようだ。
もし闘争に敗北したとしても、その相手が己の会社や財産を根こそぎ奪うことはないという保証を見せれば、ある程度抵抗は薄くなる。
こちらとしても、死に物狂いで抵抗されては労力が掛かりすぎる。なので、最初から敵の守りたい物に対する安全を提示してやることで、逆に争いを優位に運んだりもする。
これはルナというよりは、彼女の母月乃がよくやりがちな戦法だった。
……別に、全てがそうした策略というだけではない。ハルも純粋に、花を攻撃したくないだけだ。
しかし、それを態度で示してやることで、翡翠の抵抗が薄まる可能性があるのも事実。ハルがそうするように、彼女もまたハルの戦い方からその内心を読み取るだろう。
「ユキ、一度幹から離れてゆっくりと上昇して。あえて頂上付近まで接近。しかる後に全力で最接近して攻撃再開」
「あいさーっ!」
ハルの指示に従い、ユキは攻撃を止めてルシファーの機体速度を抑えて高度を上げる。
すると、翡翠の方も、怪樹からの攻撃は停止してじっとハルたちの動向を見守っているようだった。
「おお! 本当に、言葉なく通じ合っているのです! ……このまま、戦いが終わったりはしないでしょうか?」
「それは出来ないよアイリ。この樹を、そして花の道を放置する事はできない。そして翡翠側も、このまま引けないだろう」
しかし、いうなれば『負けても財産は保証される』という実感を得たことで、命がけの抵抗をしてくる事はなくなったと思いたい。
恐らく彼女の心中には、『ハルに喧嘩を売った』、『ハルを怒らせた』という意識があったのではないかと思っているハルだ。
あの対アレキ戦の際に介入してきた魔力侵食。あの時から、翡翠はハルと決別したと勘違いしている可能性があった。
それ故にもう後がないと焦り、一か八かこんな大規模な事件を引き起こしたという部分も、事件の要因のひとつとしてありそうだった。
要するに、半分はハルのせいということである。反省、すべきだろうか?
「……まあ、何にせよ一度決着を付けない事には始まらない。さあ、行くよ!」
*
「っしゃああっ! 突っ込むぞーっ!」
「緊張します! ど、ドキドキなのです!」
「……もうこのスピードにはついて行けないわね。モニターはオフにしておこうかしら」
「目が回りそうですねー?」
上空に、花をつけた怪樹の枝が密集するエリアへと到達したルシファーは、そこから一気にトップスピードにまで加速し異様な軌道で怪樹に迫る。
空中に青白いジグザグな軌跡を描き、モニターへと映し出される光景は次から次へと90度以上の角度で方向転換を繰り返した。
そんな、数多のフェイントと回避行動を入り混じらせつつ、ルシファーはついに蠢く触手の一本と再び接触する。
「おそいっ!」
「よし、そのまま接近と離脱を繰り返せ。全ての枝を相手にするなよユキ」
「あいさー! さすがに一気に来られたら、ルシファーの機動性でも相手にはならんからね!」
「あまり怖がりすぎてもダメよユキ。ある程度の本数までなら、光輪の波動で封じられるから」
「誰にもの言ってるルナちー。私が怖がるって? ギリギリのギリまで、掠り続けるに決まってるっしょ!」
「そこはもっと安全度を確保なさいな……」
「わたくしも魔法で牽制します!」
まるでルシファーを自らの身体同然に扱い、ユキは怪樹の頭上で一撃即離脱を繰り返す。
ルナもモニターを見るのを諦め、代わりにホログラム投影されたこの空間の簡易モデルにて戦場を俯瞰。黒い光輪の力により襲い来る触手攻撃を制止していた。
「こころなしか、先ほどよりも効きが良いわ? この上空という位置が関係しているのかしら?」
「《そかもー。ダークマターが上空から降って来てるとすれば、上からジャミングしてやるのが効果的ぃ》」
「妨害の傘を作ってやるんですよー。とはいえ、あんまり離れすぎないで下さいねー。あくまで、ワイヤーの接続範囲をキープしてくださいー」
「注文が多いぜ! けど、だからこそ燃えて来るってもん!」
攻撃してきた敵の枝の一本に、ハルの放った翼から生える黒いケーブルが突き刺さる。
それを接続したまま、まるで枝ごと振り回すかのように、ルシファーは怪樹の上空を目の回るような軌道で高速飛行し続ける。
「《あまり、ケーブルの強度を過信しすぎないでくださいまし。ユキさんの操るルシファーの全力に、ついて行けるほどの強度はございませんわ?》」
「そこは、僕がなんとかするさアメジスト。あとユキを信頼しろ。強度限界はちゃんと分かってその範囲で飛んでる。きっと」
「そのとーりよ! ついうっかりケーブルぶち切るような真似、私がする訳ないってね! きっと」
「《ふ、不安ですわ……》」
千切れる寸前までピンと張ったワイヤーに、次なる触手が襲い来る。
それにより叩き切られると思われたその瞬間、ワイヤーは外れ、逆にその攻撃してきた枝を絡め取ってしまった。
ハッキング用の有線ケーブルであるこのワイヤーは、その瞬間に枝の内部へとデータ的に侵入。コントロールを奪い取る。
枝を構成している疑似細胞は攻撃のための動きを停止し、そのまま力無く垂れ下がってしまった。
「チャンスだ! 枝の中に突入する!」
「無茶するわね!」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、怪樹に入らずんば翡翠様を得ず、ですね!」
「一斉に襲ってきますよー」
「ある程度なら僕も止められる」
ちょうど、高速で移動するルシファーを追い枝が複雑に絡まったその瞬間を見計らい、ユキはその枝たちの根元へと突撃。
当然あらゆる枝がルシファーを襲うが、角度的に全ての枝は届かない。
光輪がそれを纏めて抑制し、ハルの操る無数のケーブルが逆に打ち上げるようにそれらに突き刺さり押さえ付けた。
そうして、まるで樹のドームに閉じ込められるような格好のまま、その全てのケーブルを使い、ハルとカナリーは全力のハッキングを決行するのであった。
※誤字修正を行いました。「有意」→「優位」。普通これ間違えるなら逆ですよね……。誤字報告ありがとうございました。連日ご迷惑おかけしています。




