第1727話 歴史上初めての通信障害
花粉のようにばら撒かれた黄色い粒子が、エーテルの白い粒子と空中で交じり合う。
両者ともに、形態は違えどどちらも『有機ナノマシン』としての特性を持つ存在だ。
そんな新旧有機ナノマシン対決とでもいったこの二色の霧のぶつかり合いは、残念ながら敵側に軍配が上がってしまったようだ。
「……エーテルが無力化されている」
「この花粉の方が優秀ってこと!? 大変じゃんハル君!」
「それは、いつかは上位互換の技術が生まれるものでしょうけれど、まさかこんな形で生まれるとはね?」
「この花粉は、エーテルのナノさんよりも強いナノさんなのでしょうか!?」
「一概にそうとも言えませんねー。全体的に高機能というよりも、特化型と言った方がいいでしょうかー。エーテルを潰すことだけに、特化したナノマシンってとこですねー」
「そうなのですね?」
「さっきのがフレアだとすると、こっちはチャフってとこかねー」
実際の動きは違うが、散布したエリアの通信を妨害する装備という意味では電波妨害と似ているかも知れない。
正確な効果としては、空中に浮くエーテルの粒子と近づくと、静電気で引かれ合うように自動で吸着、その組成を崩壊させ無意味化してしまうという効力のようだ。
「言うなれば、新型の『反エーテル』ってところか。あの壁に塗って使うタイプの黒い塗料とは、また用途の異なるね」
「必要な時に、使い切りの言わば『結界』を張れるアイテムですねー。もし日本に持ってったら、案外こちらの方が重宝されるんじゃないでしょうかー?」
「秘密の会議をする時にだけ、これを散布すればいいということね? 合理的だわ」
「えっ!? こんな花粉まみれの中で秘密のあれやこれやすんの!? 絶対落ち着いて話せないっしょ! かふんしょーになっちゃう!」
「ばかね……、別に室内に散布しなくても大丈夫でしょう……? それに、現代で花粉症を気にする人なんてほぼ居ないわよ……」
「そうなのですか!? ゲームではたまに、『くしゅん』ってなってしまっているのです!」
「まあ、現代ではこれとは逆にエーテルが花粉から守ってくれてるからね」
そうしたアレルギー反応の抑制といった対処は、それこそエーテルのお手の物だ。
変な言い方になるが、今の日本においては人体には既にエーテルが完全に先約を埋めており、花粉が入り込む余地など無いともいえた。
「花粉症はさておき、確かに欲しがる人は多そうだ」
「特に有力者はね? もしかして、これも匣船の人達に向けられた『ご褒美』、この世界から持ち帰る事が出来る、ぶら下げられた餌の一部なのかしら?」
「さてね? ただ、確かにある程度の納得はするだろう」
「今の日本にはこんな物ないですからねー」
基本的に、エーテルネットを遮断するには密閉された室内である必要がある。
それを、期間限定とはいえ屋外でも行えるようになると聞けば飛びつく者もいるだろう。
この異星を開拓させるための報酬として、この新技術をぶら下げれば参加した匣船家の者も頑張って走ってくれるかも知れない。
……しかし、この技術を開発したのは果たして誰なのか。
まるで、あの研究所が今でも研究を進めていたら、こんな技術も生まれていたのかも知れない。そんなイメージをハルに抱かせる。
もちろんこの怪樹のコントローラーである翡翠が開発者である可能性はあるが、それもどうにもしっくりこない気がする。ただの勘にすぎないが。
それよりもやはり、裏でセフィが、かつて管理者として生み出されたもう一人のエーテルの申し子が、関わっているからこそだと思えてきてしまうのだった。
「……いかんいかん。今はこいつの開発経緯に思いを馳せている場合ではない」
「そうだぞハル君。いかにぶっ倒すかに、集中すべきじゃ」
「エーテルさんを、助けてあげないといけませんね!」
「というかアレキー? やはり騙しましたねー。お前の言うとおりにしたら、このざまですー」
「《知らねーってのオレも! てか知ってても言えないんだってば! あと『やはり』ってなんだよやはりってー。あと別にダメージ受けた訳じゃねーじゃん》」
エーテルを通してハッキングし、操作者である翡翠まで辿るという作戦は第一段階で躓いた。
ただ、作戦が完全に没案となった訳ではない。物理的な対策をこうして講じて来るということは、前回と同じ状況に持ち込まれたらマズいという思いが彼女にはあるという事実の裏返しでもある。
「どうしましょうか! やはりこういう時には王道の、『有線』、でしょうか!」
「アイリちゃんも分かってきたねー」
「言うほど王道かしら?」
「昔は王道だったんですねー」
「今となっては残念ながら、速度も通信強度も無線のエーテルネットの下位互換になってるけどね」
ただ、こうしてエーテルの散布が封じられた現状では有効なのは間違いない。というかそうするしかない。
その巨体の大半を高濃度のエーテルの雲で占められた、エーテルの化身ともいえるルシファー。
その身を直接接触させれば、いかにこの花粉が優秀といえど関係ない。確実に翡翠への道が開けるだろう。
もちろん敵の猛攻に常に曝され続ける事にはなるが、その分得られるメリットは非常に大きかった。
「よっしゃ! 突っ込むか!」
「お待ちなさいなユキ。この状況、どう考えても接近戦を誘われているわ? 相手の術中に飛び込むことになりかねないわよ?」
「んじゃどーする? このまま遠距離戦で何とかする作戦考えっかね?」
「むむむむ……! 良い作戦が、あるでしょうか……!?」
「そうね? 相手は高機能のナノマシンといえど有機物、生物のようなものでしょう? なら、氷漬けにしてしまうとかどうかしら?」
「確かに超低温なら、どんな生物だろうと例外なくその活動を停止しますねー」
「《んー。それはどっすかね。だってこいつら、宇宙空間でも平気で飛び回ってた奴らっすよ? 低温、真空、あらゆる極限環境に対応してるはずなんすよ。そこで地上で再現可能な低温環境に叩き込んでも、果たして止める事は出来るっすかね?》」
エメの言うことも尤もだ。宇宙を悠々と泳いでいたこれら疑似細胞が、その程度で凍り付くとは思えない。
まあ、今は植物のような身体に最適化しているので、新たにそうした低温が弱点となっている可能性はまだあるが。
「だめかー。ワンチャン、露草ちゃん連れて来れば解決じゃね、って思ったが」
「土地ごと全て、氷漬けなのです!」
「そもそも呼んで来てくれるものなのかしら……」
「それこそワンチャン敵の一味なんじゃないですかー、あいつー」
「《いやそもそもって言うならさ。そもそも、この土地で気軽に新たな地獄を追加しようとしないでくれよ!》」
永久凍土の氷結地獄、この荒れ続ける試練の土地に第三の季節がめでたく追加だ。アレキもたまったものではないだろう。
そんな事情もあり、やはり地上では好き放題に火力を出せる訳ではない。あの宇宙での勝利をそのまま再現は出来なかった。
「そうなると、やっぱ接近戦しかないよね! よっしゃ行こうぜぃ!」
「そうだね。腹をくくるしかない。行け、ユキ!」
「あいさー!」
「《わたしからも、とっておきの新情報でバックアップするっす! 伊達に、疑似細胞サンプルをずっと解析してないっすよ! ちゃんと仕事してたってトコを、今こそ見せてやるっす!》」
「《んあー。エメが自分だけの手柄にしようとしてるぅ》」
「《抜け駆けはいけませんわね。わたくしがお伝えして、わたくしがハル様に褒めてもらうはずですのに》」
「《アンタも抜け駆けしようとしてんじゃないっすかあ!》」
「いいからさっさと教えなさいー」
エメたちからの新情報とやらが届く前に、当然ルシファーの猛スピードにより機体は怪樹の分厚い樹皮へと一瞬で肉薄する。
ルシファーは再び羽を変形させて作った武器を、今度は剣をその手に握ると、その樹皮を一切の抵抗を感じさせずに切り裂いた。
「はっはぁー! やっぱ防御は大したことないねぇ!」
「はい! まるでパン生地を裂くように、さくさくすっぱりです!」
だが、その防御の脆さを補って余りあるような回復力が、この敵の厄介なところ。
易々と切り裂いた傷は、やはり易々と回復されてしまう。逆にいえばこの無敵の再生力があるからこそ、防御を捨てても問題ないという訳だ。
「《その再生っすけど、ある程度抑える事が出来るっす。敵はもちろん、全体でDNAのように設計図を共有して持っていて、一部が破損してもそれに沿って元通りに修復されちゃうんすけど、それに介入する手がない訳じゃないっす》」
「傷痕を残せるってことか?」
「《はいっす。傷というより、癌化が近いっすね。言ったように、もちろん全体で設計図は共通なんすけど、一方で細胞ひとつ一つから全体に向けて逆にフィードバックも行ってるみたいなんすよ》」
「それは、なんとなく分かるわ? 『ここが傷ついたから、ここを修復しよう』というような信号を送るのね?」
「《その通りっす! なので、その信号をバグらせてやれば! その部位はしばらく再生できないってことっすね! そのバグを植え付けるための武器を今から送るっすよ!》」
なんともまあ、また悪役のやりそうなおどろおどろしい作戦になってきたものだ。しかし、有効そうなのは間違いなさそうだ。
さて、研究室組がこれまで疑似細胞を観察して得られた研究成果、その威力のほどを確かめさせてもらうとしよう。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




