第1723話 これよりこの先の道路はお使いになれません
「このノイズについても勿論気になるが、それより今問題なのはノイズが発生しているセクターだ。以前と違って、特定の一か所に集中している」
以前、エリクシルが数文字のメッセージを送るために、ノイズにのせて馬鹿みたいに大きなデータを送信してきた時の事をハルは思い出す。
あの時は、何の暗号かと皆で頭を悩ませたものだ。その正体がただの『あまりに巨大すぎる文字』だった時は脱力した。
それは、虫メガネで見るように細部をいくらじっくり眺めても解決しないはずである。
今回も、一応念のためその照合もかけつつも、ハルはそれよりもデータ発生の集中する領域に注目する。
エーテルネットワークに、データの所在の概念はない、いや、薄い。
全体で一つの大きな処理装置にして記録装置であり、常に全体で補間し合っている。
しかしそれは、『どのデータがどの位置にある』という絶対的な座標を否定するものではなかった。
絶えず空気と共に対流しているとはいえ、ある時間ある場所だけを切りぬけば、その位置は前時代の『サーバー』のように見る事ができる。
「その位置に、神の設置したと思われる穴がある」
「データの発生位置にある『穴』が、その“のいず”さんたちを吸い込んでいるのですね! これはもう、決まりだと言っていいのです!」
「そうね? そのアクセスポイントを作った人が、犯人ないしは協力者なのでしょうよ。誰なのかしら、アルベルト?」
「《そ、それが……》」
「んー? どーしたんですかー? 珍しく歯切れが悪いですねー、アルベルトにしてはー」
「まさか、正体不明なのですか!?」
「《いえ。設置者ははっきりしています。見間違うはずもありません。ですが、その方がその……》」
「ああ、分かった。セフィだろ」
「《はい……》」
もう一人の管理ユニットにして、ハルのかつての『同僚』ともいえるセフィ。
今はハルと同じというよりも、神々に近い精神のみの存在となっている。
とはいえ、神たちにとっては同僚というより上司のような扱いで、ほとんどの者が一線を画している。あまり、誰とも積極的な交流はないようだった。
「……またセフィか。ここでも出てくるとなると、いよいよもって怪しくなってきたね」
「翡翠たちの後ろに居るのは、セフィさんなんでしょーかー?」
「そうなのかも。しかし、動機が見えんが……」
まあ、セフィも不思議で考えの読めぬ人物だ。なにかハルたちには考えも付かぬ突飛な動機を持っていても驚かない。
そんなセフィは何やら最近、この件に関わっているのではないかという疑惑が浮上していた。
この発見により、その疑惑はより濃く、ほぼ確信レベルに移行したといってもいい。
アルベルトが口ごもったのも、そうしたある意味で上司を犯人扱いする後ろめたさからだろう。
「……とはいえ、決めつけるのはまだまだ早いし、それは今する事じゃない」
「《んっ、そーだよぉ。今はそのノイズを、どーにかしなきゃ!》」
「単にセフィさんがアクセスポイントを貸し出してるだけって事もありますもんねー」
「そうなのですか? 誰でも、使えるのでしょうか?」
「誰でもって事はないだろうけど、あいつ無頓着そうだし頼まれれば断らないかも……」
その辺りが更に、判断を難解にしている。
セフィはカナリーたちを含め、全ての神々の為に裏方の情報処理を買って出てくれている。その量は膨大。
ハルであっても彼の処理するデータ量を視覚化して見れば、空間全体を真っ黒に染め上げるように映るくらいだ。
そんな中に、怪しげな案件が一つや二つ紛れ込んで来ても、彼なら一切気にせず流す可能性すらあった。故に、今考えすぎては泥沼にはまる。
「だからここは、セフィが犯人だととりあえず断定する。その上でこのゲートは封鎖……、出来ないのか……?」
「まあー、困る人多いかもですー。どっかで無関係の別神が、割を食うかもー?」
「前時代でいえば、いきなり大規模ネットワークサービスを強制停止するようなものか……」
関係ないサービスや、もしかすると重要な社会基盤すら止まるかも知れない。経済的損失は計り知れない。
こちらも似たような状況の可能性を思うと、おいそれと強制停止に踏み切れぬハルだった。
「じゃあノイズの消去はどーしますー? この規模なら、ハルさんが漂泊できるでしょー」
「そっちもねえ……」
「何か、問題があるのかしら?」
「いや、意識データを送り込んでるんだろう、花に? となるとこのノイズを消すってことは、そのまま誰かの意識をふっ飛ばす事になったりしないかなあ、って」
「それは、こわいですね!」
「《考えすぎだと思うぅ~~》」
ハルもそう思う。きっと本体はエリクシルネットにあるままだ。
しかし、データの正体が不明であるので、おいそれと踏み切れぬハルなのだった。
ちなみに、ノイズを消す事自体はカナリーのいう通り簡単だ。意識拡張を行い、エーテルネットを完全にハルの一部として掌握する。
その際に、使いやすいように余剰領域をまっさらに『漂泊』する。そのクリーンナップに巻き込めば、この意味を成さないノイズデータなど跡形もないだろう。
普段は、その作業を『残留思念を消す』と呼んでいるハル。単なる偶然かも知れないが、残留ではない『思念』そのものを消す事になりはしないか、どうしても不安を感じてしまうのだった。
「《んじゃあ、最初の予定通りにいこー? そこにバイパス通して、迷える思念を誘導していく。私に任せてねぇ》」
「そういえば、コスモスはそういうの得意だったっけ」
「《ん。ずっとやってた》」
開催しているゲームの裏で、人魂のようになったプレイヤーや視聴者の意識を、ゲームの裏側に存在する自らの領域に誘導していたコスモス。それを思い出すハルだ。
まるで大通りを行き交う人混みのように、無秩序でありながらも整列していた光の群れの姿がよぎる。
その意識データの流れから、自動で適切な新イベントやスキルを彼女は作り出していた。
今考えると、エリクシルネットを使って翡翠たちのやっていることそのままだ。
「《ん~~。むつかしい……》」
「コスモス様でも、無理なのでしょうか!?」
「《アイリ。そんなことない。私は天才で、さいきょー》」
「はい! コスモス様は、とっても天才なのです!」
「《でもそんな私も、管理者相手だと分が悪い……》」
「ああ確かに、セフィの作ったルートだっていうなら、そっちが優先されても不思議じゃないか」
「《むぅ……》」
先ほど上司だなんだという話が出ていたのは、何も当人間の意識の問題だけではない。
管理者は明確な上位存在として、元は補助AIである神よりシステム的に優先される。
「確かに、当時の名残りがあなたがたは色濃いみたいだものね?」
「《魂に、刻まれてるとも言えるぅ……》」
「じゃあ、ここはやっぱり僕も手を貸すよ。その理論で言えば、今も現役の僕の方が更に優先されるに決まってる」
「おー。かっこいいですねー。がんばれハルさんー」
「……君もやるんだよカナリーちゃん。現役だろ、君も」
「私は新入社員ですのでー。研修もまだですー」
もはや研究所は存在しないので、今後もう研修が行われる事は決して無い。もしや無限にそれで乗り切る気だろうか?
「なに。結局は異世界側から無理矢理通した穴だ。現地から塞げば一発さ」
「釘でばんばん、板を打ち付けちゃいますよー?」
「……封鎖してはまずかったのではなくて?」
そんな、何となくセフィと張り合うかのような気分でもって、ハルたちは作業を開始する。
予想外の人物の登場に面食らったが、早期に原因を特定できたのは朗報に違いない。
あとはこのデータを予定通りにハルたちの散布したエーテルを通した直通経路に、誘導してやるだけなのだった。
*
「つ、疲れた……」
「ですねー……」
「《おおぉ~~。おつかれぇ》」
結果からいえば、ノイズデータの、エリクシルネットから流れて来る意識達と思われるデータの誘導には成功した。
今この花畑には、無理矢理に通した次元の穴ではなく正規のルートを通り、悠々と意識がダウンロードされている。のだと思う。
しかし、その過程は実に面倒な対処をさせられる事になったハルたちだ。
単に管理者としての強権を振りかざせば、一発でデータの『交通整理』など済むと高を括っていたハルとカナリーであったが、そんな思い通りにはいかなかった。
ノイズ達は頑としてルートを変えず、ひたすらにセフィの通した穴へと流れ込む。
そこには複雑に記された、ある種の『通行証』を読み解く必要があったのだが、まあこれが複雑だったのだ。
まるで宇宙人が書いたとしか思えない通信要項。それを解読しないことには、ハルという大本営よりの指示であっても例外規定ですり抜けられる。
まったく、書いた者の精神性が普通ではないことをよく表しているようだった。変な所で疑いを深められてしまったセフィなのであった。
「……ともかく、あとはこの新たな経路を遮断してやることで、花畑は本当にただの花畑へと戻る。はず」
「結局原理は分かってませんものねー」
「後で、エリクシルにでも聞いてみた方がいいのかもね」
そうなれば魔法禁止フィールドは消え、花畑を焼き払うのに何の障害も残らない。いや、そうなればもう花畑を焼く必要すら無くなるのではないか?
密かな期待を込めて、ハルはそのためのコマンドを実行する。再びセフィの穴に逆戻りもせぬように、対策も入念だ。
「よし。停止、実行」
そうして、苦労させられたこの奇妙な植物たちとの戦いも、ここで終止符が打たれる。そのはずだった。




