第1715話 天国と地獄の境界線上
花畑に入り込んだ攻撃は全て、都合の良い物理法則の改変によって無効化されてしまう。
炎であれば物の燃焼を抑えるような世界の法則だったり、電気であれば電磁気力の弱い世界の法則だったり。いずれも想像に過ぎないが。
「厄介なのは、ソラたちの『防災施設』も含まれているんじゃないかってことだ。あれは防御力と、応用の幅が広すぎる」
「でも、コストがかかるのでしょう?」
「運営の特権で踏み倒しているのかも知れん!」
「んー。例え神であっても、コストをどうにか出来るとは思えませんがー。それが出来るなら、自由にスキルを作れているはずですしー」
「きっと、神の力で頑張って作っておられるのです!」
アイリの言ったその可能性が高そうか。ソラたちのフィールドだって、アルベルト謹製の『悪魔の玉手箱』により製造供給されている。
似たような設備を運用すれば、必要資材の確保も十分に可能である。
「んじゃどーすん? 敵の資材切れまで、ひたすら攻撃を撃ち込み続けるか」
「現実的ではないのでなくて? あの施設は、ティティーの海さえ抑えてみせたのだから」
「そうですねー。それに、悠長に時間稼ぎしている場合でもありませんよー」
そうなのだ。むしろ時間稼ぎによって得をするのは、翡翠の側。
そのティティーの海に花の回路が接続されてしまったら、今度は何が起こるか分かったものではないのだ。
今も攻撃の合間を縫って蝶の群れが、次々と新たな花を地面に植え付けている。
そうして高速に芽吹いた花は新たなフィールドをその場に延伸し、そこもまた鉄壁の守りによって固められてしまうのだった。
「どどどど、どうしましょう! このままでは、翡翠様の手に入れた土地は、二度と切り崩せないのです!」
「このまま惑星全土を花畑で覆ってしまえば、完全支配の完了ね? 世界征服の目途が立ったからこそ、彼女は行動を開始したのかしら?」
「したたかなおっぱいさんだなぁ」
「まあ無理でしょうけどー」
そうなればあらゆる神を敵に回しての総力戦となる。今の仲間でさえも。
さすがに、それに耐えきる程の圧倒的な力という訳ではないように思う。今度は時間稼ぎも、翡翠にとって向かい風になることであるし。
しかし、そうならない程度の土地を抱え込み、その権利を主張し占有するくらいは、現実的に可能そうなのだった。
「やはり早よ何とかせんと。そだ、フェイントとかどうだろ? どの事象改変で対応すればいいか分からないように、花畑に入るギリギリまで手札を隠しとくのだ!」
「確かに! 適切な防御カードを選ばないと、きちんと無効化できませんものね! ですが……」
「はいー。人間相手ならともかく、神である翡翠に通用するでしょうかー」
「レベルを最大に上げたCPUを相手にしているようなものなのよね……」
異常な反応速度により、こちらの攻撃を全て的確にカウンターしてくるような調整ミスNPC。ルナの想像したものはそんな相手だろう。
入力の猶予時間がシビアなのをいいことにジャスト防御や反撃が強いゲームでそんなキャラクターを投入すると、もう目も当てられなくなるのだった。
当然神である翡翠の反応速度は、そうしたやりすぎCPUに匹敵する。判断ミスは期待できない。
「……とりあえず不本意だが、これ以上“感染”が拡大しないよう対症療法で乗り切るしかない」
「新たな種を植えるのを、阻止するのですね!」
「そうだよアイリ。幸い、芽吹く前なら事象改変は行えない。ただの雑魚さ」
「ここぞとばかりに雑魚狩りですよー?」
「叩ける相手を徹底的に叩く!」
「基本ね?」
花畑が広がってしまえば、そこはフィールドの一部となる。
逆に広がる以前なら、単なるか弱い植物の種。葬り去るのは容易であった。
翡翠のこの能力は、植物の遺伝子に刻み込まれた魔法の式が、その成長を完了させることで効果を発揮する。
種の状態では、まだ魔法として成立させる事は出来ないのはエメの調査により証明済みだ。
ならば、そこを叩いてしまえば、少なくとも膠着状態には持ち込むことが可能であった。
「幸い、フィールドの中に入らなければやりたい放題だ。悪いが弱いものいじめさせていただく」
「いけいけハル君ー! ぶっ殺せー!」
「……そこで肯定されると、僕が凄い嫌な奴に見えるからやめてねユキ」
「めんどくさい奴だなー君も」
ハルは先ほど失敗した、極高温の火炎放射を再び装填する。
フィールドに炎が入り込まねば、この地獄の業火はその内部にて生命の生存を一切許さない。
それをハルは美しい蝶とそれらが持つ可能性の塊である花の種に向けて、情け容赦なく放出していった。
「真っ黒こげです! いいえ、灰も残らないのです!」
「……相変わらず、境界を跨いだ炎は一瞬でかき消されていっているわね?」
「この状態で別の攻撃を撃ち込むとどうなるか、見てみたいですねー」
確かに、一つの事象改変を行っている間は、別の法則へと切り替えられない可能性はある。
その状態で例えば電撃を放てば、炎は消せても電気は防げない世界なら攻撃が通るかも知れなかった。
しかし今は、蝶の排除が最優先。とにかくその数が多いので、応用を試している暇はない。
「!! ハルさん! ちょうちょが、広範囲に広がりはじめました!」
「奴ら、対象を絞らせない気だなー」
「一部でも抜け出れば、フィールドが拡張できるって寸法ですねー?」
「だがそうはいかない。ルシファーの兵装を甘く見ないでもらいたいね」
何も、直線状に火炎放射するだけが能ではない。その範囲は、前方広範囲に向け扇状にも展開可能。
眼前が視界一杯の炎で埋め尽くされるような終末の景色に包まれ、そして花畑に吸われそれは一瞬で消えて行く。
地獄と天国を高速で行ったり来たりとしているようで、温度差で頭がおかしくなりそうである。
しかし、その両の世界の狭間を飛び交う蝶は、その温度差の前には耐えきれずに全てが蒸発して消える。
種は一粒たりとも、この地に落ちて芽吹く事はないのであった。
「むむむ! 今度はまた、もっともっと広範囲に飛び散るようです!」
「無駄なことをー。そもそも分散しすぎたら、大してエリアを広げられないじゃないですかー」
「こちらの攻撃限界を探っているのかしら?」
「舐められたものだ。このルシファー。視界内なら、いや例え有視界外に逃れようとも、その程度で獲物を逃す事などあり得ない」
宇宙における戦闘すら想定した決戦兵器だ。そもそも惑星上での運用は過剰な戦力。
その力の前では、例え蝶がどれだけ遠くに飛び去ろうと、決して逃げおおせるものではない。
ハルは天使の腕を引くと、火炎攻撃システムを収め停止する。当然、撃破を諦めた訳ではない。
代わりにその背に輝く十二枚の翼を大きく広げると、その羽の一枚一枚に力を集中させはじめた。
「入らなければ、魔法も使い放題だ。このルシファーは、そもそも魔法の増幅の方が得意でね」
「なんと羽だって、切り離せちゃうのです!」
ノリノリなアイリが、その兵装のトリガーを引く。
輝ける天使の翼はその一つ一つが本体から分離し、蝶を追うように遠方へと向け高速で射出される。
更に、その翼に備えた羽状の魔法増幅器の一つ一つから、まるで羽を弾丸とし撃ち出すように次々と光弾が射出されていった。
「うわ、圧巻だねぇ!」
「高笑いはしないの、ハル?」
「いや、さすがにやってることただの自然破壊だし……」
ここで高笑いでもしようものなら、それはもう完全に悪役の行動そのものだ。
しかし、確かに気分はつい笑ってしまいたくなる程に、戦果は圧倒的。
蝶がどれだけ分散しようとも、一匹たりとも生存は許さない。
ここまでやっても状況はまだまだ拮抗であろうとも、見た目の上では明らかにハルたちのルシファーが優勢に見えた。
「んー。このままさ、ハル君。火炎放射で地面黒焦げにすれば、種がこぼれても目を出せないんじゃん?」
「それは、どうかしらユキ? あの蝶は自らを溶かして、土その物の役目も担うのでしょう?」
「ですねー。例え不毛の大地でも、問題なく芽を出すはずですー」
「んー。そっかぁ……、良い案だと思ったんだけどなぁ……」
「それにほらー、見てくださいー。あっちもあっちで、もうなりふり見た目にもこだわらなくなって来たようですよー」
カナリーに言われ、ハルたちは地平の彼方から迫りくる“それ”を見る。
それはもう優雅な蝶の姿などしておらず、まるで灰色の泥が花畑を飲み込み埋め尽くすように、ドロドロに溶けたままの疑似細胞が波となりその内部に種を抱えて運んで来ているようなのだった。




