第1713話 大地の力を接続する花
まるで重力に逆らうかのように、地に落ちた蝶が再び浮上を始める。
元々蝶は飛んでおかしくないものだが、今はそのための浮力も、ハルが周辺の大気に満たしたエーテルにより強引に奪い去っている。
その環境下でも構わず飛び始めるというのは、また物理法則が書き換えられていることをハルたちに予感させた。
「……羽ばたいていないわね? 飛んでいるというよりは、浮いているのかしら?」
「見るからに『やめろ』って言われてんのに、厚かましいやつらめ!」
「所詮虫ケラに人間の論理は分からないんですよー。という体で、押し通す気でしょうかー」
「やはり“ふるおーと”ではなく、操っているのは翡翠様なのでしょうか!?」
その可能性は高い。オート操作で、ここまでの対応力を見せられたら大したものだ。
全てがそんなオート制御であれば、まだ『知らぬ存ぜぬ』で責任の追及を回避する事も可能かも知れないが、もはやその気もないらしい。
まあ、翡翠は既に例のゲームエリア拡張作戦の際、ハルの魔力を奪うため魔力侵食を行ってしまっている。であるが故に、もう取り繕う気はないのかも知れない。
他者の魔力を侵食し奪い取るということは、神々の間において宣戦布告に等しいためだ。
「しかしこれは……、翡翠様はなにをされているのでしょう……?」
「そうね? 確かにゲーム内では次々とおかしな現象が起こりはじめているけれど、ここはゲームエリアの外よね?」
「魔力もないしねー。あっ、いや、魔力はゲームから引っ張って来てるんだったな?」
「その魔力を使って、フィールドスキルの発動を?」
「いえー。この花には、そんな複雑な機能は付いてないはずですー。確かにまだ謎の部分は多いですがー、さすがにそれは無理な気がー」
「でしたら、ちょうちょの能力でしょうか……!?」
その可能性もあるが、やはり難しいのではないかとハルは考える。
そもそも物理法則を歪めるフィールドスキルというものは、プレイヤーの、人間の秘めたる超能力が元となり発現している奇跡であった。
それを翡翠が、神々が自由に扱えるというならば、こんなゲームを開催してプレイヤー達を招致する必要がない。
それが出来るというならば、最初からその力を用いて惑星開拓すればいいのだから。
「……っと。そんな蝶がエーテルの雲を抜けて『最前線』の外に出ちゃったね」
そんな話をしているうちに、その身を強引に浮遊させてナノマシンの雲を突破した蝶の群れは、『最前線』、現状の花畑の最北端到達ラインを跨ぎ外に出る。
灼熱の太陽に炙られカラカラに乾いた大地に、蝶たちは次々と力なく投げ出されて行った。
ぼとり、ぼとり、と飛ばされるがままに再び地に落ちる蝶の様子を見るに、やはり浮力が回復した訳ではなさそうだ。
「んー。これはやはりー。謎の浮遊効果があるのは花畑の内部のみ、みたいですねー」
「蝶のスキルではなかったかー!」
そのようだ。花畑の範囲から投げ出されると、途端に蝶たちは浮力を失っていく。
しかし、だとしても問題ない。既に彼らの目的は達せられている。
地に落ちた蝶はその身をよじりながら、抱え込んだ花の種をガチガチに乾燥し固まった地面へと突き立てる。
その身を溶かして変形し、ドリルのように硬い地面に穴を開けると、その中から割り砕くようにして無理矢理に地中に根を這わせていった。
「うへぇー。生命の神秘ってやつ?」
「“あすふぁると”を砕く、植物の神秘なのです! ……“あすふぁると”とは、何なのでしょう?」
「ウチもよーしらん。なんか、古い作品に出てくるやーつ」
「主に道路だと思えばいいですよー」
まあ、それだけ植物の生命力が強いことを示した前時代の例えだ。ユキたちは過去の名作でそうした表現を見たのだろう。
ただ実際は、そこまで硬い地面に種が芽吹く事はなく、元々隙間などに土が入り込んでいたという条件が必要だ。目の前の現象は異常の一言。
だがこうして疑似細胞により環境を整え、それを連続して耕してやることで、その後は安定して生育を続けられる。考えたものだ。
「……とりあえず、僕らをガン無視してでも北の海を目指したいらしいね。次々に道を伸ばしている」
「いいんかハル君? 舐められたままで」
「良くないわね、当然ね?」
「ぶっ殺してやりましょー」
「例えお花やちょうちょでも、容赦はしないのです……!」
「まあ、そうだね。これ以上、やりたい放題にさせてはおけない。気は乗らないが焼き払うことも視野に……」
ハルたちを無視し、浮力を奪われてでもひたすらに『道』を伸ばし続ける蝶の群れ。そのゴリ押しを止めるには、甘い対応では駄目そうだ。
だが直接攻撃による撃破も辞さぬことを決意し、ハルが登場するこのルシファーの武装を解禁しようとした瞬間、それは起こった。
「!! ハルさん、“あらーと”です! ルシファーの出力が、急激に低下しています!」
どうやら、強制排除のその気配を察知したのか、翡翠もまた、強制力を持つ対抗手段を持ち出したようなのだった。
*
「どうなってる? 侵入でもされたか?」
「いえー。ハッキングって感じじゃないですねー。単に、エネルギー不足で機体が維持できないみたいですー」
「大問題じゃない……」
「足元から、どんどん力が抜けていくのです! 『無尽増殖』、正常に機能していません!」
「確実にこいつらのせいじゃん!」
「だね」
まるで花が足からルシファーの力を吸い取ってでもいるかのように、急速にこの巨大な両足が動かなくなっていく。
ハルは不気味なこの兆候から逃れるため、機体上部がまだ動くうちに翼から光の帯を引かせながら飛びのくように花畑を高速離脱した。
そうして乾いた大地に着地すると、先ほどの不具合が嘘のように急激にルシファーの力が回復していく。
「あぶないですねー」
「ほんとだよ! なんなん、あの花は!?」
「侵入者のエネルギーを吸い取る力も持っていたのかしら……?」
「人食い花の畑なのです! ……ですが、恐らくは違います!」
「そうだねアイリ。この現象は、エネルギー吸収ではなさそうだ」
「じゃあなんなん?」
「無効化です! ルシファーのエネルギー生産を、無効化されていたのだと思います!」
このハルたちの乗る天使型巨大メカ、『ルシファー』の構造は外部からの想像よりずっとシンプルだ。
白く美しい、流線形の装甲板の下は呆気にとられるほどスカスカの空洞が広がっている。
その空洞の内部には、先ほど翼から放出したような超高密度となったエーテルの雲が詰め込まれており、それを贅沢に使い潰すことでルシファーは動作を行っている。
その『使い潰す』の言葉の通り、体内のエーテルは常に高速で再生産を繰り返しており、名付けられたそのシステム名が先ほどアイリの語った『無尽増殖』なのであった。
「突然、『無尽増殖』が機能しなくなりました。それにより、ナノさんのごはんが作れなくなってしまったのです。しかしわたくしにも、原因までは……」
「……まあ、原因は一つしか思い浮かばない。魔法行使を停止されたんだろう」
「まあー、それしかないですよねー」
「なんと! それは……、あの……!」
「サコンの使っていたフィールドスキルね?」
「魔法禁止フィールドかぁ」
そうとしか思えない。そうであるなら、説明がついてしまうのだった。
ナノマシンの雲を過剰増殖させる『無尽増殖』。エーテル技術の粋を結集したようなこの技術だが、その根幹をなすのは実は魔法だ。
魔力を用い<物質化>により増殖の為の餌を確保しなければ、この暴走じみた過剰生産サイクルを賄えない。
ある意味で現代科学の敗北であり、いうなれば二つの世界の共同作業なのだった。
「だから魔法を封じられると、ルシファーは途端に脆い。とはいえ、想定はしてないよね、そんな状況」
「まあー。私たちの世界で、魔法を封じられたらその時は負けですからねー」
「しかし、わたくしたちは自身も皆、魔法を使って戦います。魔法禁止に、メリットもそこまでありません」
「だから、普通はやる人が居ない。想定する必要もなかったのね?」
「というかやろうと思っても出来ませんしねー」
もちろん、魔力を奪い合ったり魔法を構成する式にハッキングのように介入する戦術は当然のように行われる。
しかし、それもまた魔法を用いての攻防なので、魔力を根っこから否定されるというこの現象とはまるで違う話なのだった。
「……けど、これでハッキリしたかな」
「ですねー」
「翡翠様は、ゲーム内で“ぷれいやー”の皆様が生み出したフィールドスキルを、ここまで“引っ張って来て”使うことが出来る、ということでしょうか……!」
「だよね。状況見てっとさ?」
「ずいぶんと高度な力ね? まずいのではなくって……?」
「いや、別にマズくはなくねルナちー。花畑を出りゃ、効果消えるんだし」
確かに、花畑を離脱した瞬間、ルシファーのアラートは消え正常に戻った。
ならば、この安全圏から、遠距離攻撃をし花を焼き払って行けばそれで済む。
……しかし、さて、ここまでやりたい放題の力を得た翡翠が、果たしてそれを許すだろうか。
そして、この力が例の『海』に到達し、そのフィールドスキルを得てしまったら、一体何か起きるというのだろうか?




