第171話 夏
ウィストとの戦いの翌日、ハルはルナと共に、いくつか駅を挟んだ少し遠くの街まで来ていた。
日本の、街である。時刻は学園も終わり放課後、家に寄らずに制服のまま足を伸ばしている。ルナは寮なので、帰る手間を惜しんだというよりは、あえて制服のまま出てきたと言ったほうが良いだろう。
別に、『外出時は制服で』、という規則があるわけではない。制服のまま行こう、というのはルナの薦めだった。
ハルの通う学園は、その性質上、良家の子女が通う場所という認識が強い。故に、その制服も一種のステータスとなる。
その制服を身に着けている者は、高い確率でお金持ち、という具合にだ。
もちろん、ハルは違う。特待生として入学しており、家柄はまったく無い。だが隣に並ぶルナは紛れも無いお嬢様。
地味で露出の少ないこの制服を、本人の気品で纏め上げ、非の打ち所なく着こなしていた。お嬢様オーラのようなものがあったら、全身から溢れ出ているだろう。
「どうしたのかしら? ……分かったわ。体のラインを透視しているのね?」
「結構ぴったりと張り付くよねその制服」
「ええ、デザイナーは変態に違いないわ?」
「……淑女たるもの常に体型に油断するなかれ、っていう気の引き締めらしいよ。デザイナー女性だし」
だがしかし、口を開けば割とこんな言葉が出てくる。むっつりお嬢様なルナさんだった。当然、ハルと二人きりであるか、アイリの屋敷に居る時くらいだが。
……その時間を合計すればだいぶ長いので、常にこうだと言っても良いのかも知れない。
「女性であっても、変態性が無いとは言い切れないわ?」
「君のように?」
「ええ。今日も、ユキにどんなえっちな服を着せようか考えていた所よ?」
「……肯定しちゃうし。ユキは恥ずかしがりやさんだから、お手柔らかにね」
「甘いわねハル。そんなだからユキとの関係がなかなか進展しないのよ? 押し倒してもあの子は抵抗しないわ」
「君のように?」
「ええ。私のように」
往来でする会話ではない。ハルは<音魔法>でさりげなく会話を周囲と遮断する。
ルナがこんな事を言い出しているように、周囲には通行者の影がほとんど無くなっていた。
閑静な住宅街、と言ってしまえば簡単だが、そんな一言で片付けられる話ではない。道と家を隔てる塀はどこまでも続き、それが全てひとつの家である事を示している。
古い様式の日本家屋。平たく言えば日本版の豪邸だ。
由緒正しい、という訳ではないだろう。そういった物を模して、新時代に入ってからレプリカ的に作り上げた物だとエーテルが教えてくる。見た目には全く分からなくても、細部を覗いて見ると全くの別物だ。
なんにせよ、お金持ちの家には変わりない。
ルナが制服で行こうと言ったのも、このあたりが理由として大きかった。服装に余計な気を使わずに済み、かつ、学園の制服はこちらも一定の格があると保障してくれる。
まあ、別に高そうな衣装を身に纏って訪れても構わなかったのだが、『ゲーム友達に会いに来るのに、そういった面倒でわずらわしい部分に意識を割くのも嫌だ』、といったハルの心情をルナが汲んでくれたのだった。
そう、この家はあのゲームで知り合った、ミレイユとセリスの実家であった。
*
「いきなり住所を送ってくるから無用心だと思ったけど。家自体が用心の塊なら問題無いのか」
「大ありよ? 普通、リアルの住所を教えたりはしないわ」
「そうだね。流石はセリスだね」
「大物ね。ある意味で感心するわ?」
ウィストとの戦い、プレイヤー視点で語れば、彼を<降臨>させたミレイユとの戦いの後、フレンド登録したセリスから連絡があった。
『急に姉が迷惑をかけた』と。そのお詫びとして家に招いてご馳走してくれるらしい。
ミレイユは姉であった、というのにも多少の驚きはあるが、自分は迷惑をかけているという自覚が無いのも驚きである。いや、皮肉を言っても仕方ない。
本人としては、ゲーム中で仲良くなった人を家に招く、程度の認識なのだろう。この辺りの判定は人により様々だ。
気が合った人ならば、すぐにでもゲーム外で会いたいと思う人。よっぽど長期の信頼関係で結ばれた戦友としか、外で会う気は無い人。そもそもゲームとリアルはきっちりと分け、会うという選択肢が存在しない人。
セリスはその障壁が、非常に低いタイプなのだろう。あまりゲームをやらなそうな事からも、何となく納得できる。ゲーマーであるほど、その辺りの警戒心は高くなる人が多い。
広い庭を横切り家に入ると、お手伝いさんに案内され、ルナと二人で和室に待機する。ミレイユがメイドさんに驚かないと思ったが、こうしてこちらで慣れていたようだ。
自然、居住まいを正してしまう趣があるが、ルナはそんな中でもぴっしりと背筋を伸ばして正座する姿が、非常に様になっていた。
「……足にお肉がついてきた気がするわ? ……ハルの仕業よね?」
「うん。……美しい姿と、喋る内容の不一致がひどいね」
「お黙りなさい? ハルの好みで足を太くされてしまったから、正座するのに邪魔なのよ?」
「これは申し訳ない。……いや、そんなに太くしてないよ」
「女の子はお肉の付き方に敏感なの」
ルナに体型の管理を任されたハルは、少しすらりと細すぎた彼女のふとももに、少しお肉を付けさせてもらった。逆におなかは希望通りすっきりと減らしてある。
正座の時に邪魔になる事は考慮していなかった。迂闊だったと言えよう。
……いや、話の種を見つけたルナが、ここぞとばかりにハル弄りに精を出しているだけかもしれないが。
そうして他愛ない話をしながら待っていると、ここでようやく家の主が姿を現す。
最近は貴族生活で当然のような感覚にもなってしまったが、友人の家に遊びに来て、登場がこのタイミングというのも一般的ではないはずだ。
ルナが現代版貴族だと揶揄するように、そうした所に共通点が生きているのだろう。
「ごきげんよう、ハルさん。ルナさんも、ようこそいらっしゃいましたわ」
「お邪魔しているわ? ハル一人では心配だったもので。保護者よ」
「……ごきげんようミレイユ。こんなに早く再会するとは思わなかったよ」
現れたのはミレイユ。ハル達を呼んだセリスの姿はまだ見えないようだ。
ハル、ルナ、そしてミレイユと、プレイヤーネームで呼び合うのに彼女は慣れないようで、ミレイユの頬にうっすらと朱が差す。だが本名を聞くのもマナー違反かと思っているのか、そのままで通すようだ。
「……あら。実はセリスかも知れませんわ? 家では、こうして過ごしているのかも」
「それは参ったね。僕らはこちらでは初対面だ、確かめる術は無い。まあ、君はミレイユだけどね」
「随分な自信ですこと。……喋り方なんて、いくらでも変えられるわ!」
「言ったでしょ、双子の入れ替わりトリックは通じない体質なんだ」
観察眼に衰えは無い。リアルとゲームの差異のある人間は珍しくもなけれど、他人を演じている場合の演技ならばすぐに分かる。
まして、セリスとはそれなりの時間、剣を交えた。ハルに向ける感情の動き、そのパターンは詳細に把握済みだ。
もし本当にセリスならば、ハルへの対抗心はまだ消えていない。対抗戦ではハルに倒された訳ではないし、もし倒されていても、次は万全で挑むという熱がまだ残っているはずだ。
対してミレイユがハルを最初に見た時に漏れ出た感情は、苦手意識。
恐怖、とまではいかないが、昨日の敗北は相当堪えたようだ。無理もない。誰だってあの状況ならば勝てると思う。
「ヤマ勘、という事でもなさそうですわね。……がっかりですわ。少しは戸惑ってくれると思いましたのに」
「そんなに似てるの? 君たちは」
「ええ、似ていましてよ。私、髪を伸ばしておりますので、セリスをやるには少々工夫が必要ですけどね」
「セリスは髪が短い、っと。そういえば道場の主をやってるんだったね」
「ヌシって……、確かに、そうなるのですかね。ええ、その関係ですわ。お嬢様向けの武道ですので、髪の毛の長さに指定などは無いのですが」
だがやはり日ごろからやる物は、動きやすい方が良いとのこと。ならばミレイユは伸ばしているのは何故かと言えば、彼女は随分前に怪我で引退したらしい。
継承システムがどうなっているのか定かではないが、道場を継ぐのはセリスだということだ。
ミレイユの顔はゲームと変わらず、髪も紫ではないものの、ゲーム中と同じようにロングに伸ばしてふわふわだ。やや、ふわふわ感はゲーム中の方が強調されてウェーブが掛かっているように思う。
要は、こちらの彼女は少し落ち着いたミレイユ。印象はゲーム内とそう変わらない。
「で、そのセリスはどうしたの? 僕を家に呼んだのは彼女だったけど」
「ご心配なく、実際にお呼びしたのは私ですわ。その、連絡手段が無かったものでして……」
「ミレイユともフレンド登録しておけばよかったわね、ハル?」
「まったくだね。戦う事しか頭になかった」
しかしまさか家に呼んでくるとは思わない。仕方のない事と言えよう。用事があればまたミレイユが徒歩で神域まで来れば済む話だ。
敗北の後となると、少々気まずいかも知れないが。
「まずはお話の前におもてなししますわ。お菓子の好き嫌いはありまして?」
「無いよ。おかまいなく」
「お茶は何がお好きかしら。……あ、外は暑かったですわよね? 冷たい飲み物がよろしいですわね」
「そう……、ね? 暑かった、はずだわ?」
「そのはずだね。ちょっと対策しすぎちゃって、汗ひとつかいてないけど」
「……貴方がた、普段からそのように高級な環境補正を?」
日本の季節は八月になった。夏真っ盛り、外はうだるような暑さ。なのだろう。
ハルもルナも、体内のエーテルによる完全な体温調整が利いており、真夏の暑さの中でも常に快適に過ごせている。
特に、ルナは最近その管理をハルに全て任せているので、ハルの処理能力により今までに無く快適な夏を過ごせているとのこと。
これはハルが自前の能力でやっているのでコストはかからないが、普段から常用するとなると、お嬢様のミレイユですら『高級』と称する金額がかかる。
また、四季の変化を肌で感じられなくなると、使用に批判的な声もある。
残念ながらそんな風情は、この日本の夏の暑さの前には天秤の対として軽すぎた。ルナは秒もかからずに、完全な制御をハルに命じたものだ。
夏は苦手なルナだ。普段は涼しげに、ぴくりとも動かないその表情も、真夏になると流石に堪えるようだ。
常時、ジト目になっている。……何時もの事だろうか?
「流石はルナさんですわ。常に優雅で居るために投資を惜しまない」
「……なんだか勘違いしているようだけど。これはハルのおかげよ? 彼の仕事」
「ミレイユはルナを知ってるんだ。お嬢様仲間?」
「いえ、私が一方的に存じているだけでしてよ。仲間、などとおこがましいですわ」
「そうなんだ。ルナ、有名人だね」
反論は無いが、微妙に困った顔をする。普段は見れない貴重な彼女の表情だが、あまりさせたい顔ではない。ルナも色々と複雑だ。
そうして少しばかり会話の止まった隙間に、お手伝いさんがお茶とお菓子を運んでくる。
和菓子と、冷たい緑茶。家と同様に、和風で統一しているようだ。ミレイユは一般的な洋服だが、お手伝いさんも皆和服だった。
緑茶といえば熱いもの、という固定観念も特にないようで、恐らく水出しで抽出したもの。えぐみが出ないように、しっかりと研究された専用の物を使っている事がうかがえる。
お菓子も同様にすっきりとした味わいでまとまっている。くず餅がハルのお気に入りになりそうだ。
「和菓子も美味しいね。お土産に買って帰ろうか」
「そうね。最近は、パイやケーキばかり食べていたものね?」
「そんなに食べて、よくそのスタイルを……」
「ハルに手伝ってもらっているわ」
「ですの?」
「ルナ、意味深なこと言わないの」
何をどう手伝っていると想像したのか、ミレイユの頬が再び赤くなる。とはいえ、実際の事を明かす訳にもいかない。他人の身体制御を手伝ってしまうのは、同意があっても違法である。
「そういえば、お土産ですの? どなたに……、あ、もう一人の、ユキさんでしょうか?」
「ミレイユも結構目ざといよね」
「流石は普段から暗躍しているだけはあるわね。ハルが評価するのは中々無いわ」
「全部叩き潰されているので、複雑ですの……」
土産と言えば、普通は家族や何かだと思うだろう。そこで違わずユキにたどり着くあたり、彼女の論理も優秀だった。
ルナの事を知っているあたり、家庭環境にも明るいだろう。今は一人で生活している事も知っているはずだ。
そして、会話からハルと深い中であると何となく察しがついただろう。二人で共に生活していると推測できる。
ならば、そんな二人が土産を持っていく相手は誰か、という思考だ。アイリまで含めていれば満点だが、そこまでは流石に無理だろう。常識というフィルターが邪魔をしすぎる。
「ユキさんも、同じ学園の生徒でして?」
「いや、ユキは違うよ。家も少し遠く」
「でも二人ともハルの嫁よ。一緒に住んでいるわ」
「ですの!?」
今日のルナは、中々どうして攻めるものだ。ミレイユに何か思うところがあって牽制しているのか。はたまた何かの仕込みなのか。
ハルはその辺りの駆け引きは苦手としているので、そこは全て彼女に任せる事にするのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/6/30)




