第1708話 増殖する外来種の脅威!
蝶たちはその肢に抱えた種を地中に埋め終えると、続いて自らの身体をドロドロに溶かして再構築し始めた。
灰色の粘液のように変質したその身はそのまま地面へと流れ込み、先ほど自らが植えた種を包み込む。
そうしてまるで一瞬で種が芽吹き茎を伸ばして行く場面を高速再生しているかのように、虫から植物へとその姿かたちを変貌させたのだった。
「もう芽が出ちゃった! すごいすごい! 水やり要らずだね! 一瞬で自由研究も終わっちゃう!」
「……これを自由研究で提出して、大丈夫なのかしらねぇ?」
「うんまあ、研究するのは自由だし? きっと大丈夫っしょルナちー」
「教師が信じるかどうかだね。まあ信じたら信じたで、それこそマジモンの研究機関が動きそうだけど」
「“かんさつにっき”ではないのですか?」
その場合は、日記のページ数が埋めきれないのでダメそうだ。
そんな与太話はさておき、成長の過程はすっ飛ばして既に花を付けようとしている植えられたばかりの種たち。
しかしそれは、もちろん本来の生育を終えた訳ではない。疑似細胞による、見せかけの花が顔を出しているだけだ。
「……こうやって花の形を作りたいだけなら、別に本物の種なんて要らないはず。だというのにわざわざ種を植えているって事はつまり」
「あれですか? ハルさんが以前、アメジストちゃんと調査に行った森で見た、輪切りの高速育成でしょうか?」
「そうだと思う」
イシスの言っているのは、以前ハルたちが見た高速培養されたと思しき成木の事。
それらはプレイヤーの開拓速度に追いつくべく、疑似細胞を使って通常あり得ない速度で成長していた。
まるで年輪のように細かく薄切りにされた若木の間を埋めるように、ペースト状の疑似細胞を流し込む。
それを成長の補助輪として用い、次々と本物の細胞へと置き換えてゆく。
そうすることで何年もの時間を圧縮し、この地を彩る森として、また建築のためのリソースとして高速で提供できている。画期的な翡翠の仕事であった。
「まあ、きっと貢献度もかなり高いことだろう。見返りの報酬が欲しいのも分かる。ただ、だからといってこれは少々やりすぎじゃないか、翡翠?」
「にゃっ!」
「うん。メタちゃん、この花もさっそく、中身がどんな感じになっているのか見てみよう」
「にゃぁーおっ!」
高らかに頼もしく鳴き声を上げると現地のメタが花へと近づき、ふんふん、と鼻を鳴らす。
その可愛らしい動作に合わせ、内蔵された各種センサーが高速稼働し始めた。
「にゃにゃっ! にゃおーんっ!」
そんなメタの分身たちが各地で一斉に同じように花へと近づき、次々とこの場の本体へとデータを送信する。
送られて来たデータをメタがまとめ、それをハルたちにも分かりやすく空中のモニターへと表示してくれた。
「こ、こりは……! なんだろな……?」
「分からないならそれっぽいリアクションするのはお止しなさいなユキ……」
「お花の、断面図のようですが!」
「これはですねー、あの“花の形をした何か”の内部がー、今どんな割合の細胞比で構築されているかを示した図ですよー。このように灰色の大多数がまだ疑似細胞ですがー、既に一部は本物の花の細胞がぽつぽつ混じってますよー」
「分かるのか! カナちゃんのくせに!」
「まあー、これでも元は神だったものでー……」
最近の様子から単なるポンコツ扱いをされている事に、カナリーも少なからずショックを受けたか。この機会に、生活習慣を改めてくれれば幸い。
そんな、実は優秀なカナリーの面目躍如と、カナリーはメタのデータの解説を続ける。
「このぽちぽち見える赤い光点が、種から出た本物の細胞ですー」
「……種から、出てるんですか? 吸ってるんですか!?」
「そうですよー? 吸い出さないと、上の方まで来ないじゃないですかーイシスさんー」
「いやそうじゃなくて、怖いことするなぁー、って」
「まあー、神の倫理観なんて大概ズレてますからねー」
「発芽を待たずに、強引に叩き起こしたという訳ね?」
「翡翠様はああ見えて、スパルタだったのです!」
「あんなおっぱいしよってからにー」
「胸は関係なくないかな……」
まあ、デザイン的な共通認識として、大きな胸は『のんびり』な属性設定をされがちだ。
そして神の体型は自身の自由に決められる物であるがゆえ、性格設定もそうした標準に引っ張られる事は多い。
とはいえ、それが研究内容にまで影響するかといえばそんな事はない訳で。
……まあ、あまりこの話を広げても得るものは無いということだ。むしろハルの立場が危険になるだけである。
「なうなう! ふみゃっ!」
「そうですねー。本来こんな細切れにされた細胞は個々では生きてなどいけず、すぐに死滅するはずなのですがー。ここには周囲に疑似細胞がありましてー」
「この細胞達に守られて、安全に成長出来るって訳ですね? これって、周囲の灰色部分を、本物の細胞も自分の一部だと“誤認”してるって事であってるでしょうか?」
「合ってますよーイシスさんー。ここから一粒一粒が全方位に向け分裂することで、通常の何倍も何十倍も効率よく成長出来るんでしょうねー」
「にゃうにゃう!」
見れば、画面内の光点もこの瞬間にも増殖し、成長を続けているようだ。
そうして作り出された新たな細胞もまた切り離され、適切な位置へと配置され直す。
その繰り返しによって恐ろしいまでの効率、ハイスピードにより成長を果たした花は、いつの間にか全てが本物の細胞へと入れ替わっている。
そこには、疑似細胞による言うなれば『ズル』の痕跡も消えてなくなるのだった。
「……翡翠も、ずいぶんと便利な技術を手に入れたものだ。これなら、より都合よく遺伝子を弄り放題だろう」
「それってどゆことかな、お兄さん? 元からやりたい放題、弄りたい放題じゃないの?」
「そうもいかないよヨイヤミちゃん。もし完璧な完成系がデザイン出来たとしても、その種がその完成系にまで辿り着けない欠陥品なら意味がない」
「てゆーと?」
「芽が出ないとか、出たとしても成長過程でほぼ確実に枯れてしまうとかね。元々無理矢理なんだ、確実にどこかでバグが出る」
「なるほどー! 『理論上は完璧』ってやつだね! ロマン砲ってやつだ!」
「そう、なのかもね……?」
成功すれば非常に高いダメージを与えられるが、成立条件が非常に厳しく、現実的にはほぼ考慮に値しない技構築、といったゲーム用語である。
翡翠の植物もその点苦労しているようで、その様子の一端は例の重力異常地帯で顔を合わせた時に聞き及んでいる。
その越えがたい研究の壁をショートカットし、今後も気にする事なく済む技術と彼女が出会ったならば? 飛びつくことも、容易に想像出来るのだった。
「……となると、この花はよりぶっ飛んだ構築で織られている可能性が高い。これは、ただ『光るだけ』じゃあ済まないかもね」
「えっ!? 綺麗な夜景が楽しめないんですか!?」
「……イシス? ここで気にするのが、それなのかしら?」
「あはは。ある意味大物だ、イシすん」
「この程度、大した問題ではないという事ですね!」
「その意気だねイシスさん! ブルジョワ気分を味わうためなら、立ちふさがる障害なんてどってことないもんね!」
「些事ですよー?」
「あはははは! お姉さんやっるぅ~~」
「いやー、そのー……、どうか、そのへんで……」
ある意味マイペースで呑気なイシスの発言に救われ、ハルたちも深刻な空気を吹き飛ばせた。
確かにこの花の持つ性能がどうなっているのかは気になるが、あまり怯えすぎていても仕方ない。
どのみち花だ。詰め込める容量には限界がある。
そんな杞憂にふけるよりも、今は各地に文字通り飛び散って行ったこの種の、対処をどうするか考えるべきであろう。
*
「……まあ、ひとまず、敵は逃げないんだし。徹底的に観察かな」
「よし! メタ助! サンプルを咥えて帰って来るのだ!」
「!! にゃうにゃう!」
「『むしゃあっ!』って引っこ抜いちゃえー!」
メタが地面からえぐり取るように、勢いをつけて思いきりその花の茎へとかぶりつく。
そうして飛びついた勢いのまま、『むしゃあっ』と花を引っこ抜くと、そのまま<転移>し分身はこの部屋へと飛び込んで来た。
「よーしよしよし! よくやったぞーメタ助!」
「にゃんにゃん♪ ごろ、ごろ♪」
ユキに褒められ撫でまわされて、ご満悦のメタ。メタはひとしきり撫でられ満足すると、その足で部屋の外へと飛び出して、屋敷の別の部屋を目指し去って行った。
「後は、エメに任せておくか」
「《はいっす! わたしに何でもお任せっすよ! 前回の魚の世話で、こいつら扱うのも慣れてきてますからね! 植物なんか、もうお手の物っすよ。目をつぶってても観察日記書けるっすね!》」
「頼むから目は開けておいてくれ? まあ、実際目を閉じてもいけるんだろうけど……」
「今度はマジモンの細胞入りですからねー。油断すんじゃないですよー?」
「《わかってるっすよー。心配性ですね、カナリーは》」
メタによりサンプルを届けられたエメに解析は任せてハルたちは現地の花をどうするかに着手していく。
もしこれが何か危険な物であった場合、対処の準備をしておかねばならない。
しかし、これだけの物量、これだけの広範囲。抜き取るとしても枯らすにしても、どうにも苦労しそうである。
まさか、大地全てを焦土とする訳にもいかない。何か、いい方法はあるのだろうか?
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




