第17話 戦果を確認すれども報酬は無し
愛すべき喧騒が戻ってきた。
喧騒、といってもここに居るのはアイリやユキも含めて基本的に落ち着いた者ばかりなので、そう煩いことはないのだが。
しかしあの神殿と比べると、ここは音に溢れているとハルは実感する。それが心地良い。
あるいは、このような状態の事を静寂と呼ぶのであろうか。騒がしくない、ある程度の音があり心地の良い世界。
自身の心音すら聞こえないあの無音の祭壇は、落ち着きよりも不安が勝った。
「ハルさん、お帰りなさいませ。ご無事でなによりでしゅ……です」
「ただいまアイリ。アイリも無事でよかったよ」
「はい! こちらは何事も無く」
どうやらかなり心配をかけてしまったようだ。噛んでしまったアイリを笑顔で流す。
それも仕方ないだろう、敵の大将といきなり対峙する事になったのだ。いくらハル達が死なない体とはいえ心配になる。
「聖印は取り戻したよ、はいこれ」
倉庫から取り出し、アイリに渡す。
アイリはそれを大事そうに胸に抱くと、なおも心配そうな瞳で見上げてきた。
「ありがとうございます……。でも、それよりも、ハルさんの身には何も無かったでしょうか……?」
「うん、殴り飛ばしてぶんどってきた。相手には影も踏ませなかったよ」
殴り飛ばしたとの発言に一瞬顔が輝くアイリ、わりとおてんばである。だが不安の色はまだ消えない。
いや、この場合は当事者のハルよりも待ってるだけの身の方が心労は大きかっただろう。ハルが逆の立場だったら絶対に送り出したりはしない。
「ってハル君、戦ったの? ずるい。制限は?」
「カナリーに解除してもらった。正当防衛だから」
「へー、ずるい。私もやりたかった」
「二回も言った……」
なので知らせなかった。
先手必勝で全滅させてしまうかも知れない。
「配信しておけばよかったね。こういう時くらいしか使い道無いし」
「そんな機能あるんだ。でも外に繋げないのに配信機能あっても微妙じゃない? ぜんぜん人居ないんだし」
「だよね」
メンバー限定で、いわゆる生放送をしておけば少しは不安も消えただろうか。
とはいえ結果論だ。それなりに平和に収まったから問題無かったものの、場合によってはショッキングな場面が映る事だってありえた。なのでハルはその選択は取らなかった。
「録画はしてあるのかしら」
「うん、それはした。見る?」
「ええ」
ただし動画は撮っておいた。
見逃した重要情報があるかもしれない。いかにハルの観察眼が優れているとはいえ、視点は一つしかない。全ての把握が出来ている事はありえない。
──そういえば録画すれば自分の俯瞰が出来るんだよな。いや、わざわざそれやるのは微妙に変な感じだ。
例えるなら、ちょっとメイクの確認で鏡を見たいだけなのに、わざわざカメラで撮影して見るようなものだろうか。
◇
「おお、イケメンだ」
「イケメンだよね」
「ハルさんの方がかっこいいです!」
「そうね。私も好みではないかしら」
「ハル君愛されてるねー」
「いやあっちの方がかっこいいよ。じゃなくて、敵を見よう」
大き目のソファーに四人並び、鑑賞会と洒落込む。ウィンドウを大きく広げてモニターと化し、気分は映画鑑賞。
お茶とお菓子もある。完璧だ。
ただ、メイドさん達はちょっと不思議な表情をしている。彼女達にはウィンドウが見えないので仕方がないのだが。何か彼女達にも見せる事ができる方法は無いだろうか。
彼女達の着眼点はそれぞれだった。
ルナは王子との駆け引きの様子、ユキは戦力に注視している。
まあ、駆け引きと言っても王子自身はそれをする気などなく、誰かに言われた事を実践しているだけなのだろうけれど。
「名乗らないわね」
「僕らの存在を図りかねてる雰囲気があったね」
「あの、もしや勝手に名前を読み取るのは無礼に当たるのでしょうか……? だとすればわたくし、お二人にとんだ失礼を……」
最初の出会いの時だ。
あの時はお互い名乗りを上げなかった。ハルは雰囲気に呑まれて全く気にしなかったし、そもそも現代では当然になっている。
「気にしないでいいんだよ。僕ら人の名前が見える事が当たり前だから」
「でも自己紹介はするべきだったわね。こちらこそごめんなさい、アイリちゃん」
「そうだね。あの時は僕の方が、この王子と同じようにアイリを試してた。その方が失礼だったよ」
「気にしないでください!」
アイリはそう言ってくれるが、こちらは気にした方がいいだろう。
当時は“人と接する”という意識ではなく“ゲームの攻略をする”という考えであった。
「おっ、始まる」
映像の中の二人が戦闘態勢になり、いつ戦いが始まるか待ちわびていたユキが反応する。
アイリのようにキラキラした瞳を向けているかと思えば、戦闘になった途端に一気に真剣な表情になった。元気にもぐもぐしてたお菓子も置いている。ちなみにアイリはまだ持っている。
トッププレイヤーとしての顔だろう。その様子は、彼女がいかに普段から真摯にゲームに向き合っているかを感じさせる。
一つも見逃さない、という気概だ。後できっとリプレイを要求される。
「ハル君ちょっと止めて。開始のとこまで戻して」
「あい」
「……これ悪手じゃない? これだと二歩目まで見えてるでしょ。何歩か近づいてから振ったほうがよくない?」
「これで見えるのそれこそユキくらいだよ。視界には入ってても普通はこのくらいで認識できなくなる」
「小バエをすぐ見失うようなもんかー」
「ハエ言うな」
「わたくし、ここで見ていても見失っちゃいそうになります」
注視しているものにいきなり視線から外されると、どんなに注意していても、いや注意しているからこそ、それを認識できなくなる。
いつでも全力投球のユキは、絶対に追うのが不可能なタイミングで死角を侵略するが、ハルはある程度追えなくなればそれで良いという考えだ。
それに相手が認識しているのか、いないのか、飛びながら観察出来るのがハルだった。
なお、ニンスパはゲームシステムからの補助によって“全員が”この軌道で飛び回る。
盲点に入られる感覚を味わえるのはニンスパくらいだ。みんなもやろう。
「ハル君これ本気出したね」
「うん、ちょっと頭痛い」
「!! 大丈夫なのですか……?」
「大丈夫だよ、ありがとうアイリ」
「休憩無しでやり続けるからよ? 気をつけなさい、ハル?」
「あはは、どっちかというと気圧差で膨張した感じでしょ」
もちろんずっとダイブしている事もあるが、ユキの言うことが近いだろうか。休ませておいた脳の領域をいきなり叩き起こした反動だ。
暖気無しで機械をフルスロットルさせたようなものか。
戦闘は客観的に見れば、ほんの短時間で決着がつき、王子が白旗を揚げた。
「瞬殺ね」
「ふゎぁ……、ハルさんはとってもお強かったのですねー」
「僕が長期戦やると、すごい見栄え悪くなるから……」
「うん。あれはウザい」
相手の方が数字的に数段上であるような場合に取る戦法だ。
ちくちくと、ひたすらちくちくと。
自分が有利で、相手が不利な立場をキープしながら削り続ける。勝ちは勝ちに違いないが、ハル自身も出来ることならやりたくない戦い方だった。
となりに約一名、何度かその被害にあった哀れな犠牲者が居た。
◇
そうして話が王子の想い人の事になったあたりで、上映会はお開きになった。
彼に悪かろうとハルが止めたのだが、皆も特に興味は無かったようで、あっさり終わりになる。お嬢様方は下世話なお話にはご興じになられないようである。
『その方と結婚すればいいのです』とはアイリの言。ハルも同感だった。
ただ、王子が女性陣に弄られるのを少し楽しみにしていたハルは、内心ちょっと残念がった。
「でもハル? 彼に感情移入しすぎではない?」
「そうかも。でもあそこで敵対しすぎてもね」
「カナリーちゃんの言うように、あの場で全滅させちゃった方がよくない」
「そうね、後顧の憂いは断てるわ」
「死人に梔子の国なのです!」
「おぅ、黒アイリちゃんぬ」
自国の名前を弄ってネタに出来るのはその国民の特権であるのだ。
……国への不満もちょっとありそうなのだ。
「まだ覚悟が出来てなかったみたいだ。ごめんね」
「そうね。仕方のない事だわ」
「ハルさんはお優しい方です。誇る事はあれど悔いる事はありません」
「でも逃がした相手に後ろから刺されないようにはしないとね。ハル君、考えはあるのかな」
ユキの言うとおりだ。逃がしたユニットは自陣に戻り、補給を済ませ、そしてまた攻めてくる。
そこに見逃された事による手心など入らない。
手広くダメージを与える事よりも、多少効率が落ちても確実に一体を仕留める事がゲームでは重要だ。まして相手は指揮官ユニット。
戦闘だけのゲームではないので、そう単純には影響が読めない、という考えも勿論あっての事ではあるが。
「彼の狙いはアイリではなく、そして国そのものでもなくこの土地らしい。まずはそこを考えてみよう」
「なぜかしらね。確かに北には多少近いとはいえ、そんなに重要な拠点とは思えないけれど」
「アイリちゃんは何か知ってる?」
「そうですね。考えられるとすれば、この地から生み出されるエーテルでしょうか。この地は神域です。魔法を使うにはとても適しています。農業で言えば、肥沃な大地、と例える事が出来るでしょう」
「なるほど、龍脈の方か」
龍脈とは、気や魔力などの流れが集まる土地として、色々な物語に出てくる概念だ。
ここも、どうやらそうらしい。
「それってアイリには見えてるのかな」
「はい、見えていますよ。見えるというより、感じられると言った方がいいでしょうか。わたくしだけではなく皆も見えています」
どうやら常識のようだ。アイリはメイドさん達を見渡す。
主人達が虚空を見上げて何かを語る儀式が終わって、心なしかホッとしている様子の彼女らが、控えめに頷いて肯定を示す。
プレイヤーにも初期設定で感覚器官を付けておいてほしかった。
「それは生まれつきなのかしら」
「一般的にはそう言われていますが、実際は後天的なものです。ごく幼少期に開花するため気付き難いのですが、それには個人差があります」
──なるほど、エーテルに晒される事でそれに対応した感覚が花開くって事か。僕らにも自然にスキルが出てこないかな。
リアルのエーテルも似たようなものであろうか。現在はどこであっても常に空気中のナノマシンと接しているが、生まれた直後からネットが使える訳では勿論ない。
「つまり国同士の戦争ではなく、ここだけで抑えられるって事かなハル君」
「そうだね、それに、王子は国の問題として威圧してきたけど、どうやら彼個人の思惑が大きいようだ」
「なおさら始末してしまえば良かったね」
「このバーサーカーめ」
それで騒動が治まるなら、それが一番良かったのだろうか。
だが王子が居なくなっても瑠璃の王国そのものが無くなる訳ではない。出来る事なら、王子には王国に対する防波堤となってもらいたかった。
◇
「この土地の事だ。カナリーちゃんに聞いてみようか。<神託>」
「はいはーい。何でしょうかー」
「カナリーちゃん、王子はこの土地を欲しがってるみたいなんだけど、例えば武力で制圧する事は可能なのかな」
「無理ですねー。一応ここは私が常に監視してますし、今はハルさんが居るので余計ですね。呼んでくれればすぐにでも全員無力化できますよー」
どうやら聖域の守りは思った以上に硬いようだ。
ここだけ不可侵の誓約が切れていないようなものだろうか。
「なら全部無視して引きこもってていいかな……」
「だねー。無害なユニットなら一々潰すのも手間だもんね。目障りだけど」
挑発に本隊を動かすのは資源の無駄だ。それが相手の狙いの事もある。
「ならさっきもわざわざ出向かずにそうすれば良かったのではないかしら」
「一応ほら、正面から鍵開けて入って来たし?」
直接会えるのならば一度会ってみたかった。敵を知るという奴だ。
それに彼の行動はハルの思惑にも、そしてカナリーの思惑にも都合が良かった。ハルとしてはもうしばらく後ならなお良かったのだが。
カナリーの目的は杳として知れないが、まだハルの方針とそうズレてはいない。詳細を語ってくれれば協力するのだが。神は多くを語らなかった。
「それで済むのであればそれが良いのではないでしょうか。確かに手間ではありますが、わたくし何度でも断りますよ?」
「ハルの精神は持つかしら? 三度目あたりで切り伏せてしまいそうね」
「違いないね」
「まあ」
流石にそこまで短気では無いが、根本的な解決法を探った方が良いだろう。
ただ、深刻になりすぎても仕方ない。とりあえず今は、皆でお菓子を食べることを優先した。
「そういえば鍵を取り返した時に称号が出たけど、あれなんだったの?」
「倉庫に入れると出ますよー。私の家の鍵を個人所有した証です。管理人さんですねー」
「へえ。お給料出るのかな」
「出ませんー」
アイリが聖印を取り出して、きょとんと小首をかしげながら差し出して来た。
ハルも笑顔で首を振って断った。




