第1698話 湖底に沈んだ灰色の泥
月乃のこと、そしてセフィのことも気にはなるが、そればかりを追ってもいられないハルたちだ。
今は皆で異世界へと戻り、再び開拓の大地と向き合っている。
幸いというべきか不幸にもというべきか、ティティーの起こした海騒動の影響で、今はサコンの森をはじめとしたどの勢力もいったん周囲の動きを警戒する様子見モードに移っており、大きな動きは抑えていた。
そのため少しの間は、ハルたちもまた他国への対処を気にせずのんびりと内政に集中することができるだろう。
「……とも、言っていられないのが現実なんだよねえ。……これ、どうしよ」
「これはまた、ずいぶんと派手に穴を開けましたわねぇ。過酷な環境のこの星ですが、これほどまでの大規模な自然災害はまずありませんわ?」
「あはははは! アメジストちゃんへんなかおー! そんな顔もするんだね!」
「そう言わないでくださいなヨイヤミちゃん。わたくしも、想定外の事があればびっくりしますわ?」
「なんでも知ってた訳じゃないんだねぇ~」
「いいですかヨイヤミちゃん。何でも知ってるようなフリをすることが、良い女としての第一歩ですよ?」
「ほーいっ!」
「ヤバい女の第一歩の間違いじゃない?」
「あーん、そんなぁ」
ハルの傍らには、幼い容姿をした少女が二人。
そのうち一人は、実際に幼いヨイヤミ。もう一人は、実際は幼くもマトモでもないアメジストである。良い女であることは、残念ながら否定できないかも知れない。
「でもすっごいねぇ。おっきいねぇ。ハルお兄さんと一緒に居ると、こんな景色ばっかり見れてとっても楽しい!」
「僕としては、もっと普通の海にでも連れて行ってあげたいと思ってるんだけどね……」
「退屈ですわハル様そんなの。ヨイヤミちゃんは今さら、そんな普通のレジャーじゃ満足できない体でしてよ?」
「そんなことないと思うけど……」
「そうだね! どこだってきっと、一緒に行けば楽しいよ!」
そんな微笑ましい事を言うヨイヤミの髪の毛を、ハルは優しく撫でてやる。すると彼女も気持ちよさそうに、『ごろ♪ ごろ♪』と喉を鳴らす真似をしていた。
……周囲の家族たちを色々と真似るのはいいのだが、メタの真似までしなくてもいいのではないか。
何だって取り込みたがる、そんなお年頃のヨイヤミだった。
そんな愉快な三人が覗き込むのは、ティティーの海が削り取った跡地の大渓谷。
彼女の影響が全て無くなった後でも、その消え去った大地までは元には戻らない。広大な面積に穴が広がって残り、空から見ればまるで巨大なクレーターでも開いているかのようだ。
「ぶっちゃけどうすればいいのコレ……、埋め戻すことは可能かな、アメジスト……」
「まあ、出来なくはないです。方法も、いくつか考えられますが」
「<物質化>は無しね。あれは、このゲームとは相性悪いから」
「そうですわね。魔力消費の観点からも、この規模の<物質化>は推奨しませんわ。明らかに使いすぎです」
「なら、他から持ってくる?」
「でしょうね。幸いこの星には、余っている土などごまんとあります。いくらでも、拝借して来ればいいでしょう」
「またメタちゃんと一緒に、パイプラインでも通すか……」
「無駄ですわ」
アメジストにすらばっさりと切り捨てられてしまった。パイプラインはロマンなのだが。メタもがっかりだ。
まあ、外の地獄のような環境で、洗い流された土砂をまた転送してくればそこそこのスピードで埋め立て工事は進むはずだ。
ハルはなんとなく、脳内でそのように計画を立て半ば決定をしていく。
しかし、そのハルの決定に、真っ向から異を唱える存在が現れたのだった。
「えーっ!? もったいないよー! 残そうよハルお兄さん、せっかくなんだもの!」
「……ヨイヤミちゃん? せっかくっていうと?」
「だってめっちゃファンタジーっぽい地形になったんだよ? これを活かした方が、ゲーム的に楽しいって!」
「まあ確かに、現実ではそうそう見られないダイナミックな地形ですわね」
「それはそうなんだけど、利便性が……」
どう見ても人の暮らす環境には適さず、開拓は大幅に遅れることは間違いない。
自然環境の面で見ても問題だ。川の水はこの窪地、というには大きすぎる盆地に一方的に流れ込み、そこから外部に戻る事はない。
川の流れは寸断され、水不足になる地域も出るのではないか。海があった時は、水分だけは潤沢だったが。
地下水の流出も同様に問題だ。それこそパイプを途中で切り飛ばしたに等しく、断崖の壁面を見れば、今も凄い勢いで高圧の漏水が起こっているエリアが散見される。
放置しておけば、そのうち影響が離れた地上にも及ぶだろう。
「そこは、お兄さんの頭脳でなんとかすればいいじゃん! きっと出来るよ!」
「いや埋め戻す方が楽。考えなくていいから」
「ものぐさですわねぇ……」
「最近は、考える事が多すぎるんだ……」
かわいいヨイヤミのお願いだ、聞いてあげたい気持ちもある。
しかし、流石に難度が高すぎるのと、影響が大きすぎるだろう。まあ、地下水の流出防止工事くらいは、すぐにでも対応可能だが。
「……まあ、最終的にどうするかはともかく、今すぐどうこうはそもそも無理だね」
「ですわねぇ。この底に溜まった物体を、どうにかしませんと。このまま埋め戻すのは、憚られますわ?」
「あはははは! どろどろだね!」
崖の下を、元海底を灰色に染め上げる泥のような物体。ティティーの海が残して行った副産物。
この大量の疑似細胞をまずは回収しなくては、なにも始まらないのであった。
*
「どうしよっか? うちの木に、吸い取らせちゃおっか?」
「めっ! ですわヨイヤミちゃん。うかつに餌を、与えてはいけませんよ?」
「はーいっ」
「何が起こるか分からないしねえ。それこそまた、世界樹レベルに巨大化するかも知れない」
「それはそれで、面白そうですけれど。ただわたくしの制御下にない世界樹なんて、やはり生まれても困りますわ?」
「また王侯派と、大樹派のバランスも崩れるかも知れないしね~~」
「まったくだ」
せっかく、城の頭上に天空魚を戴く事によって拮抗状態に持ち込めた権力バランス。
ここでまた大樹信仰の一派が勢力を盛り返しては、国の管理が面倒になる。
国境の大樹に吸収させるという案は、安全面を考えても承認できそうにないのであった。
「じゃあどうするお兄さん? いっそ、派手に焼き払っちゃおうか!」
「それもいいね」
「ヨイヤミちゃんも物騒な子に育ちましたわねぇ。お父さんの影響でしょうか?」
「誰がお父さんだ」
「お兄さんだもんねぇ~~」
別に兄でもないが。まあ、あまり深掘っていっても危険な話題な気がする。
これ以上、穴を掘る必要はないのである。大穴は目の前の物だけで十分だ。
ハルは腕に楽しそうにしがみつくヨイヤミの物騒な提案を、割と真剣に検討する。これだけの量、回収も保管も面倒なので、いっそ焼き払ってしまうのはありだった。
埋め戻しを抜いて考えたとしても、放置はあり得ない。どこでどんな風に、厄介ごとを引き起こすか分かったものではないのだ。
「……また、新たな所有者を見つけて動き出さないとも限らないしね」
「次は何になるんだろう! わくわくだ!」
「ヨイヤミちゃんは元気だねえ。僕は、頭痛しかしてこないよ……」
「お歳ですかハル様?」
「黙ってろ……、お前も似たような歳だろアメジスト……」
「ハルお爺さんに、アメジストお婆さんだ!」
「止めましょうかハル様。この話題は」
「そうしてくれ」
天真爛漫な子供の無邪気さは、時に残酷なのだった。
「そういえば、僕らが不在の間、『泥』の回収は既にされちゃった?」
「ええ。いくらかは。何人かのプレイヤーが、戦闘後にこの地を訪れているのが確認されていますわ。偵察程度のことでしょうけれど、その際、泥を回収し持ち帰ったと思っておいた方がいいでしょう」
「珍しい資源だもんね。ゲーマーなら、持って帰るよ」
「だろうね」
まあ、ぱっと見では量が減ったようには見えないので、回収したとしてもごく少量のはずだ。調査資料といったところだろう。
それでもどうなるかは分からないのがこの物体の怖いところだが、いきなりまたこの海レベルの事件が起きる事はなさそうだ。
そうならない為にも、これ以上プレイヤーの手に渡らぬうちに早めの処分が妥当であろうか。
「よし、やはり、焼き払っちゃおうか!」
「おーっ!」
「有機物ですからね。完全に焦がして細胞構造を崩壊させてしまえば、もう再生はせず土に還るはずですわ」
「あはははは! パン生地を焼いて、コゲコゲパンだ! あっ、薄く伸びてるから、ピザ生地かな! あはははは!」
「食べられないからねー」
見た目から、便宜上『パン生地』などと呼称しているだけで、実際は肉に近い。焼肉である。
そんな焼肉を完成させるため、ハルは思い切って眼下の疑似細胞に向けて魔法を放つことにした。
しかし、その瞬間。危険を察知したのだろうか、今まで何の反応も示さず溶けたままでいた疑似細胞の群れが、一斉に動き始める。
それらはおびただしい数の美しい蝶の群れと化し、その全てが、一斉に大空へと向け羽ばたいて行ったのだ。




