第1695話 始まりはずっと以前から
「それで、奥様は結局どうしてこのようなことを? 別に、ティティーの力がどうしても欲しかったってことはないですよね?」
「ええ。そっちはむしろ、あの子への報酬代わりね? まあ、とはいえ貰っておいても損はないし、引き抜くことで匣船に対する嫌がらせにもなるなぁ、とは思ったけれど」
「相変わらずですね……」
行動ひとつで、同時に複数の盤面を動かすのは月乃の得意とするところだ。本来ならばそちらが、主目的として動いていてもまるでおかしくない。
しかし彼女はあくまでそれをただのオマケのように扱っている。ついでに達成できるなら儲けものだが、本質的にはそんな事はどうでもいい。そんな態度に見えた。
ティティーの悲壮な決意も、報われないものである。
「つまり、お母さまの目的はあくまでハルへの嫌がらせだったということね?」
「いやねぇ美月ちゃん。嫌がらせなんてする訳ないじゃない。お母さんも心をとっても痛めつつ、鬼にして仕方なくやっていたの!」
「鬼なんだから痛まないでしょう?」
「そんなことないわよ。鬼だって、微妙に人の心は持っているの!」
「あはは。びみょーなんだ」
「微妙ですねー」
ユキたちは笑うが、やはりどうにもハルは腑に落ちない。わざわざ月乃が、コストをかけてまで異星の環境に介入した理由、そこが分からない。
仮に何か決定的な情報を手にしており、ハルたちの国家運営に問題ありと気付いていたのだとしても、それならば直接ハルに言えば済むことである。わざわざこんな回りくどい手を打つ必要はない。
「つまり奥様は、僕と彼女を戦わせる事、それ自体を目的としていた。そういう訳なんですね?」
「そうよ! もっと言うなら、ハルくんを苦しませる事が目的だったわ!」
「は、はあ……」
「最低ねお母さま。見損なっ、てはいないわね? 最初から見込んでないもの」
「そ、そんなっ! 美月ちゃん、そんな酷いこと言わないで! お母さんは、ただ心を鬼にして……!」
「それはもういいから……」
「……なんでそんな事を」
まあ、言いつつ理由は想像がついているハルだ。そこには月乃が、ハルに求める振る舞いが大きく関わってくるのだろう。
段階的に自身の影響力を減らしてゆき、徐々に表舞台から身を引こうと考えているハル。対して月乃は、ハルにはより一層影響力を増していく事を望んでいる。
そうした思惑を持つ彼女から見れば、ハルたちの受け身の姿勢は気に入らなかったのではなかろうか。
「だって、ハルくんたちのやり方は退屈だったんだもの! だめよ? のんびりと内政ばっかりしていちゃあ。能力もぜんぜん育っていないんでしょう?」
「まあ、そうなんですが。しかし、まずは安定した地盤を固めるのが重要で……」
「嘘おっしゃい。地盤を固めても、そこから改めて他国と争う気なんて無かったでしょうに。いけないわ? 実戦を経てこそ、人ははじめて成長するんだから!」
「月乃お母さんの“じっせん”は、なんだかとっても激しい気がするのです!」
どう考えても、『実践』で済むことはなさそうだ。
まあ、確かに月乃の言う通り、今回の相手は一味違うのはハルも感じている。手にした既存の力に甘え、余裕に構えすぎていると痛い目を見るかも知れない。
ティティーのあの海のような力を使いこなす相手が、これからも出てくるかもと考えれば、ハルたちも積極的に同種の力を求めて戦うべきという理屈も納得はできる。
「……しかし、とはいえです。やっぱり解せませんね奥様」
「あら、なにかしら? 分からないことは、お母さんに何でも聞いていいのよ!」
「奥様がティティーのあの力、圧倒的な海の脅威をどうやって知り得たかについてです。恐らく接触したのは、彼女が『海』に目覚める前ですよね」
「それは、自分で考えなさいハルくん! 聞けばなんでも、答えてもらえるほど世の中甘くはないわ!」
「はあ……」
「何でも聞いてって言ってたでしょー?」
「大人は嘘つきなのよカナリーちゃん」
「この人が特別嘘つきなだけよ。カナリー」
「ですかー」
まあ、まともな回答が返ってくることを期待していた訳ではなかった。とはいえ、確認は出来たといえよう。
いかに月乃とはいえ、匣船家の、しかも裏の人間を昨日今日で気軽に動かすことは不可能だろう。
一般の人間とは違い、ただ大金を積んでそれだけで動かせるような相手ではない。
そこには時間をかけて折り合いをつける、細かな調整作業が必ずあったはず。
しかも、その作業はハルに察知されぬように秘密裏に行われなくてはならない。余計に、手間がかかる。
連絡自体は例の『ブラックカード』を使って行っていたとして、それでも時間は必要だ。もしかすると、それはゲーム開始以前にまで遡るのかも知れない。
……それとも、月乃の手にかかればその程度の工作などハルの想定を超えた朝飯前の作業なのであろうか?
「逆に、ハルくんが何であの子の才能に気付かなかったのか疑問だわ? 海はともかく、突出して優秀な子なのは理解できたでしょうに」
「いえ別に、僕は特に超能力者の強い弱いを察知できるノウハウを持ってる訳じゃないので……」
「リアルでも<目利き>スキルを鍛えないとねハルくん!」
「またお母さまは人を物みたいに……」
「『人材』って言うでしょう?」
人は社会を構成するためのただの材料に過ぎないという意味である。嘘である。
「本当になにも気付かなかったの? あの子の裏に居るのは私だって、そこは読み取って見せたじゃない」
「……まあ、何となく引っかかっていた部分はあります」
「そうなのですか?」
「そうだよアイリ。最初に僕らが顔を合わせた時に、ティティーは何故かイシスさんに意味深な視線を送っていたろう?」
「はい! 確かに、イシスさんをじっと見ていました! お知り合い、だったのでしょうか?」
「そんなはずはない。接点があったとは思えないんだ」
確かにイシスは今、ハルたちの会社の窓口として世間に顔を出し活動してくれているが、それだけで有力者の目にとまったとも思えない。
ソウシのように、直接彼女を通して取引を行っている相手でもないのだ。
もちろん、何かがティティーの琴線に触れて記憶に残っていた、なんてレアケースも存在する。
しかし彼女のあの態度は、そんな反応ではなかった。そこを、見間違うハルの洞察力ではない。
「ならば、ティティーは何処でイシスさんを知ったのか。簡単だ。というかそんなの一つしかない。エリクシルのあの、夢世界以外に存在しないさ」
◇
夢を舞台としたエリクシルのゲーム。イシスと出会ったのはあの世界がきっかけであり、また彼女はあの地において特別な才能を発揮していた。
つまり、ティティーは夢世界のイシスの活躍を知っていたからこそ、こちら側の現の世界で再会した際につい、まじまじとその姿に視線を寄せられてしまったのだろう。
「あれ? でもさでもさ? あの夢の世界に参加したひとたち、起きたらそこの記憶は失うんだよね? それってつまり……」
「ああ。ティティーは、あちらの記憶を引き継いでいる。そう思われるね」
「ハルさんが、あっちで培った感情を引継ぎしてあげたからじゃないんですか?」
夢世界を崩壊させる際、そちらで得た記憶、そして培ったかけがえのない絆を忘れることに抵抗を覚えた者は多い。
その救済のためハルは、彼らの育てた感情を現世に引継ぎ、そしてその人間関係もまた改めて再現するためのサポートを約束したのだ。
その対象に入っていれば確かに、ティティーもまた既視感に襲われるように無意識で、夢の記憶に引っ張られてしまったという可能性も考えられる。
「いや、それはないよ。引継ぎ対象については、さすがに全員僕は把握してるさ」
「ですねー。リスト化して、いつでも確認できますー。少なくとも、引継ぎ希望した中にはティティーさんは入ってませんよー」
「……つまりは、ハルの呼びかけを拒否していながら、あっちの記憶を引き継いだ。それはイシスさんと同様に、自力で記憶の継承を行えたプレイヤー、ということね?」
「そういうことだね。僕の把握していない人物が、まだ居るんじゃないかとは思ったけど……」
まさか、こんな形で出会う事になるとは思っていなかった。しかし、そう考えると確かに納得する部分はある。
「……イシスさんもこの戦いで、その『龍脈の巫女』としての力の片鱗を見せていた。ならば、ティティーが同種の才能を持つと仮定すれば、あの海の強すぎる力も納得か」
「そう! 正解よハルくん! 何を隠そうあの子とは、当時から連絡を取り合っていたんだから!」
「だったら僕にも報告してくださいよ……、何でそこで秘密にするんですか……」
「イシスさんのことは教えてくれたじゃないですかー」
「イシスちゃんは、事実を広く公開しようとしていたから仕方なくね?」
ならば、もしイシスがパニックにならず自分の中にだけ抱え込んでいれば、彼女のことも月乃だけが知る運びになっていたというのだろうか?
……いや、さすがに、そこまで月乃も万能だとは思えない。その時は、ただ誰にも知られることなく事態が過ぎ去っていただけだろう。
「一応、納得はできました。彼女の力の強さについても、奥様と知り合った経緯についても……」
ただ、それでもまだまだ、腑に落ちない部分は正直多い。
特に、月乃が何故こんなにも異世界で行われているゲームの状況に明るいのか。そこについてが不可思議だ。
これは、匣船から情報を得ていたというだけでは収まらない。彼らにだって、システムは謎であるに違いないのだから。
ならば、他にも内通者が居ると思うのは必然。そしてそれは、どう考えても運営側の神であると思われるのだった。




