第1694話 海から離れて
ハルたちは異世界の地よりログアウトし日本に戻り、真夏の日本の日差しの中を実家へ、ルナの家へと歩いて行く。
異星の夏も暑かったが、夏真っ盛りの日本の気候はまた一味違う。
ギラギラと照り付ける太陽、うだるような熱気、陽炎でも出そうなほど、とそんな表現がぴったりな、なんとも過酷なものとなる。
「んー。あっつい。やっぱ夏は、引きこもって家でゲームしてるに限るよね」
「ユキは別に夏じゃなくても、家でゲームしてるじゃないの……」
「それでもさ。特にだよルナちゃん。ゲーム中は暑くても、気になんないし」
「そりゃ、ゲームキャラの体では気にならないでしょうに。というかあなた、そう言いながら『大して気にしてません』みたいな涼しい顔しているじゃない」
「そっかな。よくわかんない。私こうなると、にぶにぶなので……」
「体のユキさんは、おしとやかですもんね!」
「お清楚ですよー?」
「それはなにか違うわね……」
別行動だったカナリーも合流し、皆で並んで日本の街を歩く。
この暑さであっても人通りは絶えず、通りがかる店はどこも賑やかだ。むしろ暑さを活気に変えて、こんな夏だからこそ皆いっそう商売に励んでいるようにも見えた。
そんな炎天下の中をゆくハルたちだが、自他ともに認める引きこもりであるユキよりも、夏の暑さに参っているのはカナリーだ。
ユキは肉体に戻り大人しい性質に切り替わった、感覚がそもそも鈍くなったというのもあるが、それを差し引いてもカナリーがバテ気味。
まあカナリーはカナリーで、肉体を得てからさほど時間の経っていない物質界初級者というハンデはあるのかも知れないが。
「しっかりなさいなカナリー? これでも街中は、まだマシな方よ?」
「確かに! 日本の街は、夏なのに何故か涼しげですよね!」
「それはですねー。エーテルである程度制御されてますからねー。この時代は人が多い方が、むしろその土地は快適になりがちですよー」
「変な話だよね。人口密集地の方が、温度上がる、気がする」
エーテル制御により、街の空気全体に空調が、冷房が効いているようなものだ。状況としては、常に自動で目に見えないレベルの『打ち水』がされている状態に近い。
それに加えて路面や建物自体も前時代と比べれば熱が篭もりにくく、快適に過ごせるように調整されているという理由もあった。
「ハルさんー。私の周りだけ特別に冷房強くしてくださいー」
「カナリーちゃん、その気になれば体内のエーテル制御で体温コントロールくらいできるでしょ?」
「面倒ですー。ゆで上がった頭では、あんな処理なんてする気になりませんー」
「この子は……」
「あはは。カナちゃん、もしかしてまた太った? 脂肪でぽよぽよだから、私たちよかずっと暑いのかもね?」
「なんと! カナリー様! ぽよぽよさんなのでしょうか!」
「ユキさんが容赦もデリカシーもありませんー」
「この機会にヨイヤミちゃんと一緒に運動でもなさいな?」
「こう暑いと身体をうごかしたくなんてなりませんよー。あの子はほんとに、元気ですよねー」
「ヨイヤミちゃんはそれこそ、体内制御が完璧だしね」
子供らしく元気というべきか、子供らしからぬ天才的な制御能力ゆえというべきか。ヨイヤミはこの夏の暑さの中でも気にせず元気にいつも走り回っている。
まあ、彼女は今まで、ずっと病棟の中に閉じ込められるように過ごしてきたという部分があるので、それを取り戻す意味もあるのだろうけど。
「まあいいですー。体が火照ってればその分、食べるアイスの味も格別ですからねー」
「流石はカナリー様! 転んでも、ただでは起きないのです!」
「そういう問題なのかしら……」
「また太るぞー、カナちゃんー」
そう言いつつも、ユキは楽しそうに近くの店へと入ると、手際よく人数分のアイスを買ってきてくれた。
それを食べながら、ハルたちは月乃の待つ実家へと歩いて行く。
最近は異世界にかかりきりだったので、こうした何でもない季節らしいイベントをこなすのも、なんだか新鮮だ。
ヨイヤミのためにも、出来ればなにか夏らしいイベントにでも連れて行ってやりたいところだが、正直その時間が取れるかどうかは微妙なところであった。
「どこかあの子を連れて行ったら喜ぶ場所とかあるかなあ」
「ハル君と一緒なら、どこだって喜ぶよヤミちゃんは」
「ふおおおおおお! そ、それは伝説の、『あなたと一緒なら何処でも嬉しい』、でしょうか!」
「そうそれ」
「またユキは適当ねぇ……」
「じゃあプールなんてどうでしょー。楽しいし、涼しいですよー?」
「プール……」
「んー。水辺はちょっち……」
「水はもう一年分浴びたわよね……」
「今年は海は十分、なのです!」
「残念ですねー。水着イベントですのにー」
いかにヨイヤミのためと思っても、あの『海』に苦しめられた直後では、どうにもそんな気分にはなれない情けないハルたちなのだった。
*
そんな談笑を挟みながらも、ハルたちはルナの実家へと辿り着く。
邸内は当然のように快適温度に保たれて、夏も冬も関係ない。ハルも今は周囲の温度制御を切っているため、真夏の太陽の下から帰って来るとこの空気感が心地いい。
改めて人間は、環境の変化に弱い生き物だと実感するかのようだ。
それは、神々も強引な手法を用いてでも異星の環境改善に乗り出すだろう。神の加護に守られた世界の外には、今のこれどころではないまさに地獄の環境が広がっているのだから。
「あ~~。生き返りますね~~。今日もよく運動して、いい汗をかきましたー」
「あはは。ただ暑くって汗出てるだけじゃーん」
ハルたちは奥の間に通され、今は留守にしているという月乃を待っている。
忙しい彼女だ。急に来て都合よく家にいる訳ではない。
それでもハルたちが帰っていると知れば最優先で戻って来てくれるようで、そこは本来あり得ない特別扱いを感じる。
家族とはいえ、そのような優遇はしてこなかった月乃だ。ハルたちの優先度を、最近は傍目にも分かりやすくことさら上げているようだった。
……それとも、それにかこつけて、気乗りのしない商談から抜け出してでも来るのだろうか?
そんな失礼な想像をしていると、当の月乃がだらしなく、きっちりと決まったスーツ姿で室内へと入って来た。
……いや、既に『きっちり』とはしていない。使用人の目が届かなくなってからここまでの短時間で、半ばはだけた、よれよれのスーツに変貌させての登場だった。
「あ~~っ。暑っついぃ、疲れたぁ~~」
「……お母さま? だらしがないわよ?」
「ルナママ、カナちゃんと反応が一緒だ」
「つまりこれが、上に立つ者の振る舞いってことですねー」
「そ、そうなのですね……!?」
「……アイリ。納得しちゃダメだよ?」
冷血女帝と怖れられる彼女の姿はそこには一切なく、むしろその反応はイシスを思わせる。この言い方は、果たしてどちらに失礼なのか。
「だって、美月ちゃん? 外はとっても、暑いのよ?」
「何処の暑さを感じているのよ。寝言は寝ておっしゃいなお母さま。お母さまはずっと、贅沢な車移動でしょうに」
「車内から出て、家に入るまで暑いじゃない!」
「この人は……」
今日はずいぶんと、ルナの反応もとげとげしい。ルナもまた、この日本の夏の厳しさに参っているのだろうか。
いや、月乃に対しては、もともとこんな感じだった気もしないでもない。
しばらく、月乃はそんな風にだらけて遊んでいたが、しばらくすると真面目な顔を取り繕って、居住まいを正してハルたちへとしっかり向き直った。
「……こほん。さて、こんなに突然ハルくんたちが帰ってくるなんて、なにかあったかしら? お盆」
「いえ、別に僕ら、お盆に帰省する習慣とかないですけど……」
「冗談よ」
「そろそろ真面目にしてちょうだいなお母さま」
「だって、ねぇ。なんだかみんなピリピリしてるんだもの、お母さん緊張しちゃう」
「嘘おっしゃい。する訳ないでしょう。お母さまが」
「いえ、別にピリピリしてた訳ではないですが」
「でも、お母さんを問い詰めに来たんでしょうハルくん? さてさて、なーにがバレちゃったのかしら?」
「そんなにいくつも裏で何かやってるんですか……」
「冗談よ」
どうだろうか。本当に冗談とも思えぬのがこの月乃である。
とりあえず、ハルたちが呼び出した理由は察しているようで、そこはとぼける気はないらしい。
かといって開き直っているというようにも見えず、むしろいずれ気付かれる事は予定調和であった。そんな余裕の態度にも見える。
……ハルにも、月乃の態度はどこまで本気なのか、読み切れない部分がある。
彼女は体内に埋め込んだ特殊な装置による制御で、内心を一切表出させないという究極のポーカーフェイス能力を備えている。
ハルの洞察力も、それを使われるともう一切が察知不能となりお手上げだ。
「人魚ちゃんの事ね? あの子を焚きつけたのが私だって、気付かれちゃったのね?」
「やっぱり、奥様だったんですね」
「ええ」
本当に冗談であり、企みは一つしか無かったのか。それとも数ある陰謀の中から、発覚したであろうものを的確に導き出したか。
今のところ、ハルの目には月乃は全てを正直に語っているように見えているが、さて。
この猛暑の中ではあるが、奥の間はゆっくりと、室温以上に冷え込んでいく錯覚をハルは感じた気がするのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




