第1693話 海はどこに消えた?
地上の海は消え去り、後には削り取られた大地だけが残った。
いや、正確にはそれだけではない。その水の抜けた大陸棚のような断崖の階下には、見覚えのある灰色の物体がびっしりと敷き詰められていた。
取り残された疑似細胞。元は海を泳ぐ魚や、あの攻撃兵器だったモササウルスの補修材料として海中を舞っていたそれら。
それだけを置き去りにして、海水だけがどこかしらに消えたのだ。
「……消えるなら陸地に戻ってくれれば楽でいいのに」
「どでかい大渓谷だけが残ったねぇ」
「谷っていうか、一段下がっただだっ広い平地って感じだよね!」
「むむむ……! そう考えると、開発向きなのかも知れませんが……」
とはいえ、このままでは水も植物も無いただひたすらの荒野。まあ、水はそのうち流れ込んでくるかも知れないが。
建物を建てるには向いているかも知れないが、人間の生活には絶望的に向いていない。
自動化工場をひたすら広げて行く訳でもなし。都市を発展させて人間型NPCの繁栄を目指すゲーム目的としては、大幅な後退というしかないだろう。
それに、資源の面でも問題だ。削られた大地からはそれだけ、大量のリソースが流出したことになる。
もし限りなく単純化して、全てが土だったと考えたとしても。それもまた貴重な資源である。無くなっても問題ないとは口が裂けても言えない。
現実には、その内部には他にも多種多様な資源が眠っている。人類にとっての損失は計り知れないものだった。
「まあ、ある程度は僕の方で何とかするけどさ。これについて、運営の神々はどう考えてるんだろう」
「補填を求めんとな!」
「お詫びだね! やったー! 大量配布だ!」
「なんと……! 来てしまうのですか! 伝説の、『お詫び』が……!」
「来ないと思うよ?」
そんな殊勝な運営ではない。不具合も不都合も、それにより生じるユーザーの不満も彼らが気にすることはないだろう。
ただ、これが彼らの目的にそぐわぬ結果を齎すのだとすれば話は別だ。
彼らも、なにもこの惑星を使ってただ遊んでいる訳ではない。その目的は惑星開拓と環境の正常化。
今の状況はその目的から見れば非常にマイナスでしかなく、ただ単にこの状況を良しと考える者達ではないとハルには思えた。
「マゼンタ君、シャルト! 観測出来てる?」
「《ほーい。ボクも状況は一応把握してるよー》」
「《自分も当然、見えてはいます。しかし、自分は自分で忙しいんです。あまり仕事を押し付けないでよねハルさん》」
「《そーそー。こっちはこっちで、やる事多いんだって》」
「《あなたはもっと働いてくださいよマゼンタ。さっきも無駄なことして遊んでただろ、知ってるよ》」
「《はぁ!? ハルさんが大変そうだから、ボクも呼ばれたら参戦できるように準備してたんだっての! むしろ勤勉極まりないよね、ボク》」
「はいはい。シャルトが働き者なのも、マゼンタ君が実は素直になれないだけで勤勉なのも知ってるよ」
「《勤勉じゃないっての! 怠け者がアイデンティティなんだから、否定しないでよねぇ》」
「《どっちなんですかね……》」
まったくである。まあ、今はマゼンタの面倒くささにツッコんでいる時ではない。
「それで、この消えた『海』の行方はサーチできる? さすがにこの量だ。無視は出来ない」
「《そう言われてもなぁ。なんでボクら?》」
「《セレステとモノが、今は軌道上に居ないからでしょう。まったく、何処で何をしているんだか》」
「まあまあ。宇宙の何処かに潜んだ彼らの本拠地、あのアンテナ要塞を探すのも重要な仕事だから」
本来なら、宇宙からの監視はモノ艦長と彼女に任せた『天之星』の領分だ。
しかし今は、セレステの頼みでモノ共々宇宙の彼方まで探索の旅に出掛けている。
そのため、地上で待機している意外とマメなこの二人に、ハルは手助けを頼んだのだった。なんだかんだ仕事が丁寧な彼らだ。
「《しょーがないなぁ。まっ、任せてよね。ボクにかかればこの程度、ものの数にも入らないってね》」
「《調子に乗らないでくださいよマゼンタ。あれだけの質量が動けば、どんな無能だって気が付くってね》」
「《はぁ!? さりげなくボクのこと無能扱いするんじゃないっての!》」
「《怠け者なんだから無能でしょう? 当然の帰結だよね》」
「いいからさ、既に何か分かったのかい? その様子だと」
「《まあね。分かったっていうか、もう目に見えて異常が出てる。調べるまでもなかったね》」
「《だからこいつの手柄ではないですよ。評価には値しないねハルさん》」
「《うるさいなぁ》」
緊急であり効率化のためを思い二人同時に呼び出したが、そのせいで喧嘩が始まってしまった。
まあいつもの事なので軽く流しつつ、ハルはマゼンタから送られて来たデータをウィンドウに表示する。
「《見なよハルさん。この土地、急激に海水が増加している。奴らはここを目掛けて、海水を転送したに違いないね》」
「《元々、かなり荒れていた海岸ですね。ここならまあ、海の一つや二つ流れ込んだところで、環境破壊を気にしなくてもいいかもね》」
「《敗者はこうして『島流し』して、僻地の開拓でもやらせる気なんじゃないのー?》」
「なるほど?」
戦争での敗北はゲームオーバーでも属国化でもなく、マップを移転して再スタートということか。
確かに、そう聞くとすんなり納得する部分はあるハルである。何故ならば、そういったゲームはそこそこ多いからだ。主にネットゲームに。
攻め込まれ滅ぼされると、土地を改めてその新天地で再スタートする。なぜかといえば、同じ位置で復活すると、繰り返し何度でも同じ相手に叩きのめされてしまいがちだから。
一度負けた相手には、基本的に二度目も同様の結果となる場合が多い。
このゲームも、その点は同様のシステムを採用しているということか。
しかもこちらの場合は、ある程度育ったプレイヤーを使って新たな土地の開拓をさせる事が出来るというメリットまである。
「なるほどねぇ。どーりで、参加人数に対して箱庭が狭いと思ったんだ」
「確かにですね! アレキ様の土地だけを分け合う形ではなく、最初から必ず誰かが追い出される事が前提であったのですね!」
「ならむしろ狭い方が、すぐに殺し合いになって好都合だよね!」
「物騒な話だなあ……」
ただ確かに、最初からその想定だったと思えば納得だ。魔力はどうするのかという問題は残れども。
ハルは当初ソラの防災施設のような物を使って徐々に円を広げて行く気なのかと思ったが、どうやら実際はもっと遠方まで見据えた計画のようだ。
確かに、星全体の環境をどうにかしようというならば、この一地域でチマチマやっていても仕方がない。
「……ん? それって、もしかしてあの海底都市も一緒? ねえ二人とも。そこには、ティティーの作った海の底の街も付いて行ってるのかな?」
「《んー? どーだろ? 海の中までは見えないや》」
「《ちょっと待ってくださいね。……ああ、見えました。さすがに詳細は把握できないけどね。確かに海の底に、人工物が確認できるよハルさん》」
「《えっマジで? 見えるのかよぉー》」
「なるほど。ありがとうシャルト」
「おお! 海のひとたちは、無事だったのですね!」
「うんうん! これで安心して、ゲーム再開だね!」
「再開するかなぁ? 引退すんじゃね? ちっちー」
「まあその辺の彼女自身の話は、戻ってからルナも交えてすることにしよう」
ひとまずは、消えた『海』の行方を確認できたハルたち。
事後処理は終わったとはいえないが、とりあえず戦争はこれで完全終結といえるだろう。
残る気がかりは、ティティーがあそこまでハルの国を沈める事に固執した理由と、その彼女自身の現実での行く末。
それに関しハルが推測している情報を、落ち着いた今改めて共有していくことにしよう。
*
「まあほぼ確実に、ティティーの後ろ盾となった人物は奥様だと思う」
「まぁ! 月乃お母さんが!」
「あー。確かにルナちーママなら、それだけの権力持ってるかぁ」
「そうね? お母さまなら、匣船の家を相手にしても渡り合えるだけの力はあるでしょうね? ただ、それでも簡単な事ではないわ? お母さまに、それだけのメリットはあるのかしら?」
「ふっ。奴もリアルで超能力を使えるのだろう? 有力者ほどそこに価値を見出しても無理はない」
「残念ながら、お母さまが今更微妙な超能力程度に価値を見出すとは思えないわ? 最後の最後でふっ飛ばされた、超能力者の卵さん?」
「くっ……! おのれぇ……、相変わらず高慢ちきなこの女がぁ……!」
「落ち着きましょうソウシさん。悔しいですが、確かに特異能力ひとつで何かが動くほど、世界は単純ではありません」
「世の中甘くなーい。てか出来るなら、あたしたち既にやってるって」
ソウシには悪いが、ハルもまた同意見だ。確かに雷都征十郎たちのように、超能力を血眼になって追い求める有力者も確かに居る。
しかし、ソラの言うように能力一つで世界は動かない。それにルナはあえて言わないが、月乃自身もまた超能力者。その判断は誤らないだろう。
「……まあ、正直理由は僕にもハッキリとは分からない。自分で言うのはなんだけど、奥様には僕がいるしね」
「んー、確かに! 何か特殊な力が必要なら、ハル君におねだりすればいいもんね!」
「おねだりって……、あのお方がハルさんに、ですか……?」
「……あまり、お母さまに過度な幻想は抱かないのが吉よ?」
まあ、おねだりは置いておいて。それでも、ハルは裏に控える存在が月乃であると確信している。
ならばここからは本人に、その是非と理由を、直接問いただしていくとしよう。




