第1692話 戦いの後に残った物は?
そして、ついに彼女の海は底をつく。
ティティーが海水を供給するよりも、ハルがその波のバリアを切り開く速度が上回った。その奥に身を隠す海水を固めた本体の身体。それが次第にあらわとなっていく。
「まだです。まだ、私の海は尽きていません」
「ってまだ補充できるのか!」
それでもなお、彼女は背後に控える海水を引き寄せ、波のバリアを補充しようとあがき続ける。
本当に、最後の一滴までもを絞り尽くし、全ての力を出し尽くさんという気概が見える。
しかし、そんな彼女の悪あがきに、ここにきて海は応えなかった。
「……っ? ……なぜ」
「それはねっ♪ マリンちゃんが、こうして防いでいるからなのだぁ~~♪」
自らの海が招集に応えぬその異変を訝しんだティティーが背後を振り向いてみれば、そこにあったのは巨大な壁。
高くせり上がった波の壁ではない。その波さえも覆い隠すように更にうず高く持ち上がった、高すぎるその防波堤の上に立つのはマリンブルー。
海水に漂う大量の疑似細胞をより集め、支配下に置きこの圧倒的な土建事業の材料とした結果がこの姿。
その壁はティティーを目指そうとする波の進行を全てせき止めて、防災フィールドと合わせここに災害を完封する。
「人類の技術が、大自然に勝利だぁ♪」
「言うほど、人類の技術かしら……?」
「ルナさん! 今は気にしては、いけないのです!」
「そうだぞ♪ そんなことよりぃ? ハルさん、トドメを刺しちゃえー!」
「ああ、そうさせてもらうよ! ナイスだマリン!」
最高のタイミングでのファインプレー。マリンブルーはいつも、完璧に仕事をこなしてくれる。
そんなマリンブルーの期待に応えるためにも、この戦いにはここで終止符を打たねばならぬ。ハルもまた、自分の仕事を完遂するとしよう。
攻撃を封じられ、その身を守るバリアも失ったティティーに、ハルは容赦なく続けざまに切りつけるように、神剣の輝きを解き放った。
「ううっ、あっ……!」
「さすがに、もうこれで終わりだティティー!」
「……まだ、です。私はまだ、契約を」
「執念が過ぎる!」
その落ち着いた覇気のない雰囲気からはまるで想像もつかないその根性。それとも、不定形な水のボディの特性の本領発揮か。
神剣の光でその身を細切れに切り裂かれても、ティティーは再び人魚の姿を取り戻す。
見れば多少は再生速度を取り戻しているようで、その意思の強さが、彼女のスキルを底上げしていることは明らかといっていいだろう。
何がそこまで、彼女を突き動かすのか。それは、彼女の語るその契約、ハルを倒しハルの国を滅ぼすというその任務に他ならない。
謎の後ろ盾の人物と交わした、もう後には退けぬその約束。それを違えては、それこそ待っているのは絶望への道。冗談ではなく死に等しいのだろう。
「……安心しなよティティー。君の事情は、僕がなんとかしてあげるから。もう、そんなに頑張る必要はないさ」
「本当……、に……?」
「ああ、本当だ。約束しよう。いいや、『契約』しよう。『神』に誓ってね」
「ハル? そんな、安請け合いしてしまっていいの?」
「そうです、ハルさん。我々を取り巻く問題は根深い。そうそう安易に、首を突っ込むのは早計かと……」
「自分達で言うのもなんだけどねぇー」
ある意味ティティーと同じ立場であり、少なからず彼女の事情も知るであろうソラとミレも、ハルの安請け合いに警告をしてくれる。
だが、これはもう決めたことだ。この戦いの行く末がどうなろうとも、この人生の迷子になった人魚姫は保護しようと決めていたハルだ。甘すぎるだろうか。
「だからといって、僕が原因になって誰かが路頭に迷う様なんて見たくないからね」
「しかし……」
「まあ、安心しなって。こう見えて僕、大抵の事は出来るから」
「すっごい自信~」
「わりと事実だぞ♪」
「それに、ティティーを僕にけしかけた黒幕、おおかたの予想は付いてるしね……」
それを思えば、例え直接的に責任が無いといっても無視できるものではないだろう。
また厄介ごとを背負いこむ事にはなるが、寝覚めが悪くなるよりは幾分かマシだ。まあ、ハルは寝ないのだが。
「だから君は、安心してお休み。ああ、戻ったら実際に、睡眠を取るといい。その状態随分と、脳に負荷がかかっているはずだ」
「……ええ。安心、しました。ならば後は、お任せ、します」
「うん。任せて」
緊張の糸が切れたのか、ついにティティーは全ての抵抗を止め力を抜く。
全身を縛る透明な鎖に身を委ね、それに吊られてだらりと脱力する彼女。ハルはそこに、正真正銘の最後の一撃を叩き込んだ。
元々超重力がのしかかっていた周囲の空間。その“場”が更に、重さと力を増していく。
その重力に引かれるように、水で作られたティティーの体はゆっくりとその人の形を崩して、中心の一点を目指して流れ込んでいく。
徐々に徐々に強くなるその力場は、次第にまるで空間に空いた排水溝のように、いや最早ブラックホールのように、水の体を吸い取り押しつぶす。
そうして最後には、内部に保管された彼女の反物質が極限の圧縮により強引に反応し切るかのように爆発で照らし、ここに、ティティーとその海との戦いは決着を迎えたのだった。
*
「……はあ。……ああ、疲れた」
「お疲れさまでした! ハルさん! 最後は鮮やかな、終幕だったのです!」
「演出もグッド。やっぱボスは爆発して消えんとねー」
「いや別に演出じゃないんだけど……」
「それにしても、いきなり驚いたわ? これから本当に彼女の、面倒を見るのハル? それとも、戦意を折るための出まかせかしら」
「いやそんな鬼畜じゃないってば……、ちゃんと約束は守るよ……」
「ハルさんが私たちに誓ったんだから、絶対だぞ♪」
「……それに、実はこの話。大して深刻な話題でもない」
「そうなのかしら?」
「まあ、全部終わったら話すよ」
ハルのその発言に、一同は『今全てが終わったのでは?』と首をかしげる。
しかし、まだもう一つだけ決して無視しては帰れない大きな問題が残っているのだった。
「マリンちゃん。あの壁を解除して。奥の海の様子を、見ないとね」
「はーいっ♪」
「あっ。確かに、そうですね。彼女は倒れましたが、あの海は結局どうなるのでしょうか?」
「後でよくなーい?」
良くはないのだ。あの海の反応それ如何によって、もうひと仕事の必要だって出てくる。
極論、ティティーがもう一度ログインし、『死に戻り』し普通に戦闘再開とでもなれば、今までの苦労が無に消える。
まあ、その海の海面も今は驚くほど下がり、リソース的にはかなりの部分を消費させる事が出来たといえるが、それでも、もう一度こんな戦いを繰り返したくはない。
全てを元通りには出来ないが、少なくとも元の範囲くらいにはこの海も押し戻して本当の終わりといえるだろう。
「さて、それでどうするかなんだが……」
「いえ、ハルさん。どうやら特に残業することなく、なんとかなるっぽいですよ?」
「本当? イシスさん?」
ハルが直視を避けていたのか、それともイシスはやはり水に関して何らかの強力な直感があるのか。イシスの方が先にその異変に気付いた。
イシスの指さす方を釣られて見てみれば、その言葉の通りに、ハルたちが手を下すまでもなくその海水は引いていく様子が確認できる。
それは沖に、いや元々彼女の領地があった北方面へと向けて、少しずつスピードを上げて波を引いて戻って行く。
「引き潮ってやつだね! これが!」
「違うと思うぞ♪」
「追いかけろ! おいかっけろー!」
「元気ねえ……、私はもう、ここで眺めているだけでいいわ……」
「……僕もそうかな。と言いたいが、見届ける義務はあるよねえ」
駆け出すソフィーを追うように、ハルと、やはり元気なユキやアイリたちでその波の進路に沿って追跡する。
それは次第に<飛行>でも追いつけぬ凄まじいスピードとなり、ちょうど先ほどのハルの作った排水溝でも開いたように何処かへ向かって吸い寄せられて行くのであった。
一気に肉眼では確認出来ぬ距離まで逃げてしまったその波の行方を、ハルは密かに上空、遥か宇宙の先から確認する。
衛星軌道上から見えるその地形には、もう既にほぼ海は存在しない。元通りの、内陸の箱庭が戻って来ていた。
そして、波はついにあのティティーの作った街である、海底都市のあった範囲にまで縮小する。
そのエリアまで戻って、そこで収縮は終わるのだろう。ハルたちは言葉に出さずともなんとなく、皆がそう予感していた。しかしだ。
「……えっ?」
「なんと!!」
「ありゃー。これはこれは」
「海が完全に消えちゃった! 街はどうなったのかな! 海底都市は!」
「無いね……? 街もない……、海底都市ごと、完全に消えてしまったみたいだ……」
あまりに強すぎる海流により砕かれたのか、それとも作った全てを消去するのが敗北ペナルティだとでもいうのか。
ティティーの領地と彼女のプレイ履歴たる成果物は、その敗北と共にこの地上から痕跡ごと削除されてしまったのだった。
ただ、大地に刻まれた深い深い傷だけを残して。




