第1690話 ここで終わるならせめて
雨のように大地を濡らす、無効化したティティーの攻撃の残骸。それが徐々に水溜りを作り、次第にその面積は拡大していった。
それはこれだけ、彼女の肉体となっている海の体積を削り取れた事を意味しており、故にその水溜りが動き出した事には、この場の誰もが過敏に警戒の反応を示す。
「こいつ、切り離されてもなお動くかっ!」
「あっ、大丈夫ですソウシさん。それ、この子たちがやってると思うので」
「ふ、ふっ……、まあ、察してはいたが……」
だがその警戒には及ばない。その水の操作はイシスと天空魚により制御されており、水は既に味方となった。
深く見通せぬ海の色だった水も今は、美しいガラス細工のように透明に透き通り生まれ変わっている。
その濁りの一切ない清浄な湖。小さなその湖内から、背景を透かすこれまた透明な氷細工の鎖が姿を現す。
「おお! 氷の鎖が、伸びて行くのです! 綺麗ですー……」
「氷のように見えるけれど、これもやっぱり水のままなのかしらね? 絶対に溶けないのなら、便利そうだけれど」
「もう溶けてるから、決して溶けないってか? トンチかねー、ルナちー」
見た目は氷の鎖、ガラスの鎖のように見え直感的には非常に脆そうに映るが、決してそんなことはない。
むしろ天空魚により形態変化を否定されたこの鎖は、どんな金属よりも頑丈に出来ている。
鎖はしゅるしゅると静かに伸びて、しかしそれでいて容赦なく、ティティーの巨大な人魚の体へと巻きついていった。
よくよく見ればその一部はティティーの体内へと埋没しており、まさに食いこむように同化しているようだ。
……水を水で縛っているので、一見して非常に分かりにくい。
「こ、これは……! 意味があるのでしょうか……?」
「ソラー。余計な茶々入れないの。意味ないことなんてしないよ。たぶんね?」
「しかし水なのですから、通り抜けてしまうのでは?」
「う、うーん……」
ソラとミレはその効力に疑問を持つが、その疑念に反し鎖は実に顕著な効果を発揮する。
深い海の藍を透明の鎖でラッピングされたティティーの体は、一気にその動きの勢いをなくしていった。
先ほどまで狂乱し暴れ回っていたその大きな身体は、今は地に縫い留められたかのように大人しい。いや事実、鎖により大地に縫い付けられている。
イシスの力はどうやらこうした静かな攻撃を主体としているようで、しかしそれでいて海を押さえ込むほどに力強い。
「やるじゃあないかイシスさん。完璧にティティーを完封したかね、これは」
「しかし、大丈夫なのでしょうか!? お水が体内に、戻って行ってはしまわないのでしょうか!」
「淡水が混じったら毒なんじゃないのん?」
「またユキはそんな適当な……」
「あっ、はい。気を抜くと、お水を持ってかれちゃうかも知れません」
「やっぱり!」
「で、でも大丈夫です! お魚ちゃんは水を固定できますから。そう簡単に吸い取られたりはしませんって!」
「つまりは、ここからは互いのフィールドの押し合い、狂った物理法則の押し付け合いか」
「狂ってるとか言わないでくださいよぉハルさん~~」
情けない声で抗議するイシスだが、その能力の発動にはまだまだ余裕があるようだ。
一方のティティーは動きが非常に苦しそうで、その水で作られた表情にもこころなしか苦悶の色が窺える。
ティティーはうわ言のように、焦点の定まらない視点で周囲を見渡し自由にならぬこの状況への苛立ちを口にする。
「……邪魔を、しないでください。……私は、行かなければ、そう、行かなければならないのですから」
「こうなってまで固執するとは、ずいぶんと執着されたものだ。誰の差し金か、はなんとなく分かるけどね」
「そうなのですか?」
「ああ。まあ、その辺は終わった後で説明するよソラ。説明できる内容だったらだけど……」
「は、はあ」
「そうです、今は早くやっつけちゃって下さいハルさん!」
「よーし、みんなでオクトパシー殴りだ! だって海だもん!」
拘束から逃れようともがくティティーだが、その全ての行動を封じられた訳ではない。
彼女が身をよじるたびに周囲には危険な水滴がまき散らされ、時には不自由な姿勢のまま、あらぬ方向に水圧カッターが放射される。
それをイシスの雨は今も捕らえつづけ、ハルもレーザーのような水流の射線上に<転移>で割り込み受け止めていた。
「……っと。確かに、まだまだ呑気してらんないね」
「私には攻撃力がありませんから。トドメはお願いします!」
そんなイシスの号令に合わせ、皆は一斉に、この罠にはまった巨人へと総攻撃を開始する。
古今東西、どんなゲームでも『敵をスタンさせる』、『敵をブレイクする』といった行動不能に追い込んだ先に待つのは、爽快感あふれる一斉攻撃。
剣に魔法、そして空間振動。その身を地形扱いし直接引き裂く<近く変動>。それらが一度にティティーを襲い、HPそのものである彼女の海を削り取る。
「この、ままでは……」
「うんっ! このままだと、あなたの負け!」
「……いいえ。このままでは、終わりません」
「わっ! 『ばしゃっ』てなった!」
そんな容赦のないタコ殴り、もとい『オクトパシー殴り』状態のまま全てが終了する。そんな期待も束の間、ティティーはこうなってもまだ諦めない。
引き裂かれたその身が縮小し、一回り小さくなったその瞬間を利用し、するりと鎖の拘束から抜け出してしまう。
「あっ、すみません……! でも、すぐにもう一度捕まえちゃいますから……!」
「……一瞬で、十分です」
「……? ……何を?」
拘束から抜け出たその一瞬。貴重な自由と天敵の隙を使ってまで、ティティーの起こしたアクションは奇妙なものだった。
その予想外の行動に、イシスの鎖もつい軌道を上手く合わせられない。
彼女はなんと誰も居ない後方にその手を伸ばし、手に持った傘の先から水流のビームを発射したのだ。
「どこを狙ってるんでしょう……?」
「あっ、まっずいかもこれ」
「かもねえ……」
ゲーマーとしての勘が、『これはただのミスではない』と告げる。ユキとハルは敏感に、その危険信号をキャッチしていた。
そして、その危惧の通りに、一瞬の静寂の後、今度は一気に耳をつんざくような轟音が後方から叩きつけられてきた。
「うみだーー!! うううおおおおおお! また海が来たー!!」
「楽しそうに言っている場合じゃないわよソフィーちゃん!?」
「そんな! 海は、もうこちらへ入って来れないはずなのです!」
「ソラ、どうなっている。最後まで能力発動の気を抜くな。たるんでいるぞ!」
「いえソウシさん。防災施設は発動したままです。今もきちんと、海は封じ込めているはずなんです」
「では何故……」
「多分だけどぉ、許容量オーバー……」
防災フィールドは正常に働いており、波の被害はしっかりと防がれている。しかし、その力にも限界はあったようだ。
ティティーが自身の領地たる海の被害を無視すれば、圧倒的な物量でその許容値を強引に突破することも可能。
事実、後方のマップを確認してみればもの凄い勢いで彼女の海の海面が下がり続けている。
「最後の、悪あがきですか! これが、ファイナルアタックというやつなのです……!」
「戦後のリソース気にして、負けてたら意味ないもんね」
「落ち着いてないでユキさん! なんとかしてくださいよぉ……」
「君はむしろ落ち着けイシすん。こんなのはもう、何も手札が無くなったって証拠じゃ」
「ですけどぉ……、あの膨大な海の水全部使って攻撃されたらぁ……」
「……まあ、ハル君がなんとかしてくれる」
「他力本願だなあ」
まあ、ユキは近接戦闘特化なので仕方がないか。環境を、自然環境の方を相手に戦うには向いていない。
そんな、無理やりカップから溢れさせた水をかき集めて、人魚姫は波の玉座を強引に身に纏っていく。
最初に比べれば随分と小さくなったとはいえ、巨体の周囲を周回する波のバリアは、実に圧巻。
「ですが、イシスさんの能力も負けてません! 水の鎖は、この波にだって負けてないないのです!」
「そうだねアイリ。水を完全に固定する力だ。そこにどれだけ波が来ようが、あの優雅に泳ぐ魚たちにとってはそよ風にすらならないんだろう。まあ、風じゃないけど」
「『そよ波』、なのですね!」
だがイシス以外の人間にとってはそれは脅威のまま。
彼女は対策された反物質攻撃を諦め、その波の純粋な潮汐力によって抵抗する道を選んだようだ。
これは、ハルの敷いた重力フィールドの中でもその力を減じさせない。それどころか、ハルの重力すら利用しその全てを砕く力を増しているようだった。
「対応が早い。頭が良いね、やっぱり」
「しかし、ハル? これって、放っておけばソラたちのフィールドで消えてしまうのではなくて?」
「た、確かに! じゃあ、もう何もしなくても、私たちの勝利でしょうか!?」
「いや。最後はきっちり、勝負をつけるよ。そうじゃないと、締まらないしね」
長かったこの『海』との戦い。それもようやく『底』が見えてきた。
最後は気持ちよく、互いに全てを出し切って、この海を地上から消し去って締めとしよう。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




