第1683話 立ち上がる海!
ティティーを撃破し、地上に現れた『深海』からその身を脱したハルたちは、彼女を倒しても未だそこにあるこの海を“見上げ”ながら、その事後処理について頭を悩ませる。
なんとなく皆の共通認識に、ティティーを倒せば海は引くものだと、そう無意識に考えている部分があった。
だが現実はご覧の通り。海は引かず、主を失った状態でなお、こうして地上に君臨し続けている。
「まいったね。どうもこれは。消えないの、海?」
「いや、当たり前じゃないですか? 実際に地形を砕いてここまで流れ込んできてるんですから。消えたらそっちの方が怖いでしょう」
「イシスさんの、ゲーマーに対する正論なのです!」
「イシすんさぁ。そういう残酷なこと言うのやめん?」
「えっ、ええぇ……、私が悪いんですかねぇ……?」
「まあ、水平ラインの水はさておき、こっちの地上にまで溢れた『深海』は、片付けて帰って欲しかったわね?」
まるでガラス張りの無い水族館でも開園したかのように、巨大な水の壁が今もハルたちの前に立ちはだかっている。
まあ、これ以上、この壁が国の内部に迫って来ることはなくなったのだ。それだけで、状況は幾分かマシになったのは間違いない。
「まーまー。見ててくださいって。私とお魚ちゃんがぱぱっと、解除してあげますからねぇーっと」
「イシスぅ~~。それ実際に消してるのは、あたしたちの防災施設なんだからぁ。自分の手柄みたいに言うなぁ」
「あっ。すみません」
とりあえず、その厄介な地上の深海はイシスとソラたちの連携で消し去ることが出来る。
あとはその奥に残った、広大に広がり切ってしまったあの海。それを何とかする方法は、その後に改めて考えていくしかないだろう。
「むっ? むっ? おおっ?」
「イシスぅ~~。どうしたのぉ? 早く処置してくれないと、消せないよー」
「いや、おかしいんですよ、なにか。本当、おかしいですね? さっきと同じようにやってるはずなんですが、今は何の手ごたえもなく……、バグでしょうか……?」
「うーん。このゲーム自体、この世のバグみたいなもんだしねぇ」
ハルがそんなこの後に待ち受ける事後処理の面倒さに辟易していると、横目に見える女性陣はなんだかのんびりと不具合に苦しめられているようだ。
まあ、そもそもが法則すら不明の謎技術。何か問題が出て急に力が使えなくなっても、術者にすらなにがおかしいのか分からない。
とはいえ、曲がりなりにも神の組んだこのシステム。そんな安物の家電が壊れるかのように、急に動作しなくなることがあるだろうか?
「……イシスさん。ちょっと離れようか。どうにも、嫌な予感がする」
「あっ、はい。お魚ちゃーん。戻るよー。バックバック」
「……いったい、どうしたのですかハルさん。ティティーは倒したようですが、まだなにか?」
「うん。なんというかこれは、ゲーマーの勘のようなものなんだけど。どうにも、まだ終わりじゃない気がする」
「はあ。水は確かに、残っていますが……」
言葉にするのは、なんとも少々難しい。強いていうなら、ティティーの消え方が少々引っかかる、といったところか。
通常のプレイヤーの死亡エフェクトと比べ、どことなく演出過剰であった。そんな風に感じたハルだ。
それだけ、といえばそれだけなのだが、残念なことに今回に限り、そんな歴戦のゲーマーとしての直感は悪い方に冴えてしまっていたようである。
「むっ! なんか来るぞみんな! 備えろそなえろー!」
「ぷるぷるしてる! やっぱスライムだったんだ!」
突然、イシスの能力を受け付けなくなった地上の海。その巨大な水の塊がまるでゼリーか寒天かのように、突如としてその全体を震わせだす。
見た目が小さければ愉快で愛らしいだろうその様子は、ここまでの見上げる程の体積ともなるとまるで笑えず、もはや恐怖しかその姿からは感じ取れない状況だ。
その海水たちはこちらを攻撃してくる事はなく、逆に、ハルたちから離れるようにして海の方へと向けて収縮する。
ただし、そのまま海へと流れて帰っていく訳ではない。海水はその手前で停止すると、とある一点へと向けて流れ込むように、徐々に徐々に凝縮されていくのであった。
「や、やっぱり撤退するのではないですかね? なんだか、あそこに排水溝でもあるような動きですが」
「馬鹿か、お前」
「バカソラ。そんな都合良い楽観的な希望、抱いた瞬間に致命傷だよ。分かってるでしょ?」
「変なとこで意気投合しないでくださいよ……」
ソウシとミレにダブルで詰められているソラには悪いが、ハルもまた同意見だ。これが撤退してくれる状況にはどうしても見えない。
そんな大方の予想を裏付けるように、ユキの発した一言がトドメとなった。
「ああ、あそこ、ちっちーをぶっ倒したポイントだ」
その言葉をトリガーとしたかのように、収縮していた水流は反転。爆発的に周囲に拡散を開始したのである。
*
海水はただ野放図に広がるだけでなく、明確な意志を持ちその拡散方向を制御する。
特に、水量が最も膨大であるのは上方、天に向けての放出だ。
巨大な間欠泉でも吹き上げるかのような水柱が、回転を加えつつ放たれる。
それは、重力に逆らいそのまま空へと留まり、その場で集まりとある存在を形作り始めたのだった。
「あっ! 人の顔だ! 巨大化だ!」
「むっ! 怪人の奥の手か!」
「わ、わたくし、知っています! 悪あがきで巨大化した怪人は、決してヒーローには勝てないのだと! ですがこれは……、だ、大丈夫なのでしょうか……!?」
その水流は高速に寄り集まり姿を形成し、作り出すのはティティーの顔。あまりに巨大なそのサイズは、先ほどまでとの対比を比べるのも馬鹿らしい。
当然、作り上げるのは顔だけではない。腕も体も、彼女の最大の特徴である長い人魚の尾までも、全てを海水のアートで彫り出していくのであった。
「なるほどね。まだ死んでないから、海も引かなかったと。うん。納得だ」
「……冷静に言っている場合かしら?」
「見かけだけでも冷静に振る舞わないとまた現実逃避しそうだ」
「している場合か。おい、どうにかならないのか、これは?」
「私に振らないでくださいよ……」
「そういえば、ソラ。体調はいつの間にか良さそうだね? どう? 何か現状を打開するような都合の良い新スキルは、閃いたりしたかな?」
「ええ、その……、出るには出ましたが……」
「つっかえないよー、こいつー。ただフィールドの有効範囲が拡張して、素材の消費効率が向上したくらいー」
「ミレの力でもあるでしょうに。そう辛辣な言い方をしないでください」
「うん。平時なら、実に喜ばしい向上と言えるだろう」
「使えん」
「仕方ないでしょう、制御できないんですから!」
一応、この世界に今最も求められている最重要スキルなのは間違いない。
ただ、このままだと困ったことに、その『平時』が訪れる機会がこの先完全に失われてしまう可能性すらあった。
巨大化した海水のティティーは、その目を虚ろとしながらも、視線の先はハッキリとハルの国を見据えている。
あの視点の高さからならば、もう既にソラの国を飛び越えて、その目標地点の全容が視界に入っていることだろう。
「ハルの国……、襲撃します……、契約……」
「おや? 何やら言っているようだが」
「正気には見えんな? 大丈夫なのか、これは?」
「うん。どう見ても大丈夫じゃない。強引に人間が動かす想定をされていないボディに叩き込まれたんだ。意識が混濁してしまったとしても、無理はない」
「ねぇハル? それって……」
「うん。どう考えても法律違反だね。普通のゲームでやろうものなら、即座に営業停止だよ」
「はっ! 俺たちにはどうせ通報など出来んと、モルモット扱いという訳か! 慣れている!」
「なんでそこに慣れているんでしょうか……」
アメジストのゲーム参加者だからである。ソウシにとっては、法律ガン無視のゲームはもう二度目だ。
しかし、法の手が及ばないからと、見過ごしておけるハルではない。単純に、ティティーの身が心配だ。
もし人が動かす想定を超えた肉体を無理に動かし、そのフィードバックが脳に無理矢理叩き込まれたとすれば、その後遺症は決して軽視していいものではない。
ハル自身、普段から意識拡張によりそれに似た症状を経験しているので、危険性は良く分かる。
いや、後遺症どころではない。最悪の場合、ハルがエーテルネットに意識を拡散させてしまう危険があるように、ティティーの意識が、この海水の中にそれこそ溶けだしてしまう恐れがあるかも知れないのだ。
「止めないと、彼女の為にも」
「はい! ティティーさんを、助けるのです!」
「お優しいのは結構だがな? このままだと、それ以前に国が亡びるぞ? 普通に」
「……それも、なんとかしなきゃねえ」
巨大化したティティーは、既に何の躊躇もなく移動を開始、その速度は、肉体の大きさに比例し非常に素早い。
まずはなんとかして、その突進を止めなければ、体当たりのみで国の全てが更地と化してしまいそうなのだった。




