第1682話 泡と消えし人魚
イシスの、もしくは天空魚の持つ、『水を蒸発させない力』。
本人も嘆く特殊能力としては微妙なそれが、何故この圧倒的に強大な海を消し去っているのか。そこには、ティティーの海が持つある特性が影響していた。
ハルたちが海底で見たように、彼女の海の底には人の住む街があり、そこでは住人NPC達が潜水服も付けずに活動している。
呼吸も正常に行われており、ハルはその原理を、水から酸素が非常に分離しやすくなっているのだと推論付けた。
つまりイシスの力とは真逆だ。いってしまえばあの海の底では、水が非常に蒸発しやすい。
まあ、正確には蒸発とは違うのだが、ここでは簡略化してそう語ろう。
「その呼吸機能をここにも持ってきたからこそ、ソラの防災フィールド内でもこの『深海』は存在を許されていた。しかし、イシスさんが蒸発を否定してしまえば……」
「なるほど! 空気の全く出てこない、『呼吸の出来ない海』になってしまうのですね!」
「まあ、普通の海よねぇ……、それ……」
「そ、そうだね。もうなんだか、普通が分からなくなってきているけど……」
だが、そんなただの『普通の海』が陸上に在る危険極まりない状態を、防災フィールドは許さない。
今までは呼吸が出来ていたことで、『安全ですよ』と規制をすり抜けていたこの海も、強制的にその正体を白日の下に暴き出されたという訳だ。
「よし、イシスさん、そのままやっちゃって! 海の蒸発を全て禁じることで、逆に海を蒸発させるんだ!」
「え、えぇ~~っ。なんだかよく分からないですが、はーいっ」
イシスとイシスを乗せた黄金の天空魚は、何らかの儀式でも始めるように二匹で円を描くように上空をくるくると旋回しはじめる。
互いが互いの尾を追いかけるその様は、まるで無限の円環を表現でもしているようだ。やはり色が白と黒でないことが悔やまれる。
そんな黄金魚の戦況に似つかわしくないのんびりとした空中のダンス。その輝きに曝された周囲の海は、次々と有害判定を受けてこの世から消失していった。
「海がつぎつぎ、防災されていくのです!」
「アイリちゃん? 『防災』を何か恐ろしい行為の隠語みたいに語るのはやめましょう?」
「まあ、でも『防災』されてるとしか言いようがないしねえ……」
「普通に『消滅』しているでいいじゃないの……」
「うわぁー、なんだか自分が凄いことしてる感覚がすごいですねぇ。なんというか壮観で凄いんですけど、目が回りそうなのはなんとかなりませんかねぇ」
「イシスさん、すごいですー!」
空から舞いおり大災害を消し去る。まるで神にでもなったかのようなイシスである。
そんな彼女はあくまでマイペースで、そのこの世の物とは思えない絶景を、目を回しそうになりながらも特等席で楽しんでいた。
「よっしゃ! よーやったイシすん! 時間制限さえ無くなりゃ、あとはこっちのもんよ!」
「うんうん! 国が水浸しになる心配がないなら、じっくりゆっくり追い詰められるものね!」
「……まさか、こんなことが」
「おうおーう! そうだぞぉ、恐れおののけぇ! イシすんはお主以上の、水の使い手なのだー!」
「なのだあ!」
「あのぉ……、適当なこと言って今後のハードル上げるのやめてもらえますかぁ……?」
あとは逃げ回ってさえいえば、戦略的勝利は堅いと確信していた所に、その前提を覆すイシスというまるで予期せぬ鬼札が飛んできたのだ。
ティティーを攻略プレイヤーの立場として見るならば、『何だこのクソゲー!』と感じてしまってもおかしくない。
そんなティティーを更にクソゲー展開に追い込むべく、ハルたちの攻撃も苛烈さを増して彼女を追いこんで行く。
「どうだどうだ! 追い込み漁だ! よーし、追っかけろー!」
「逃げ場がどんどん減っていくねぇ人魚ちゃん! 心細いねぇ~~、ぐへへへへ」
「……あの。何だか怖いというか、不快、なのですが」
「ごめんなさいね? でも、貴女を煽って冷静さを欠かせているのなら、私からユキたちを止めることはないわ?」
調子に乗って煽りを交えつつ、ユキとソフィーの両名はそれこそ人魚のように、徐々にこの水地形にも順応し更に更にとそのスピードを増していく。
不規則にうねる追撃の曲線が、ティティーの回避方向を惑わせ必要以上に混乱させる。
加えて、ルナによる<近く変動>の効果さえも、ここにきて再び彼女の前へと立ちはだかった。
海を真っ二つに引き裂くその奇跡。片側に追い込まれてしまったティティーには、もうその断崖を越えてもう一方へと戻る手段がない。
「ルナちー! ナイスモーゼ!」
「ないすないすー!」
「これで逃げ場は一気に半分じゃ!」
「ならば、後方にまで引き返せばいいだけのこと……」
流石の<近く変動>も、流れ込んだこの深海全てを割り開く事は叶わなかった。
そんな、切れ目の入ったゼリーのまだ無事な部分。そちらへ逃げ込もうとするティティー。いや更にそれを越え、通常の海にまで一時撤退を行おうとしている。
既に、深海によるハルの国制圧は選択肢の中から除外したと見える。その見切りの早さは、流石の一言。
せっかくの力の覚醒ではあるが、対策されてしまったのならばもうそれに拘る必要はない。
どのみち、彼女にはまだまだ取るべき手段は用意されている。そちらに切り替えればいいだけのこと。
「まあ、別に退くというなら見逃しても良くはある。ソラの処理の方も進んでいるしね」
「都合のいい覚醒が、再び! なのですね! 今度はこちらの番なのです!」
「でも、相手もまた次の手に目覚めるのかも知れないわよ?」
「うん。だから、やっぱり黙って見逃してやる手はないね」
「とーぜんよ!」
「でも、ガン逃げされたら追いつけないよ!」
「その心配はないよソフィーちゃん。ほら」
ティティーが逃げる後方、そちらは地形的に彼女に不利に働いている。
何故ならこの地に至るその直前までは、ハルが地面を直線で掘り道を作っていたのだから。
彼女の海が浸食するよりも、その掘削範囲は狭い。しかしティティーは自身で浸食するまでもないので好都合と、その『運河』に海水を走らせることで対応してしまった。
なので、彼女の逃げ込むための出口は急激にその口をすぼめて、逃走経路を限定させてしまっているのだ。
「『ボトルネック』だ! これぞまさにだね!」
「あっ! 知ってる知ってる! 私知ってるよユキちゃん! 川にかける魚の罠だね! ビンを投げ込んどいて、つかまえるの!」
「うーむ。流石は田舎育ちのソフィーちゃん。さすがに、私も実体験はない……」
「そんな、間抜けな魚と一緒にしてもらっては困ります。通り抜けられないとでも?」
「だったら、『蓋』をしちゃうぞ♪ どーん! そぉれ♪ ビンに栓しちゃえぇ♪」
そんな細く限定された『ビンの首』の方からは、深海には入らずに準備をしていたマリンブルーが、元モササウルスを伴って待ち受けている。
彼女の乗る改造恐竜は、この海に漂う疑似細胞の群れを従えて航路をびっしりと灰色に埋め尽くしていた。
ティティーはそれを強烈な海流にて強引に洗い流そうとするも、元がこの海に順応していた存在であり、今は海の神であるマリンに操られた存在。
強力な海流にも抵抗し、いや、ソフィー同様にその海流さえ利用してそこに乗って身を任せるように、細胞は防壁としての機能を失わない。
「これが、『細胞壁』ってやつだね♪」
「うん。違うと思うよマリンちゃん」
そしてマリンブルーは駄目押しとばかりに、使役するモササウルスから再びビーム砲を発射する。
それは当然、ティティーの作った水の膜に屈折させられ彼女の体には届かないが、その防御を行う対処のぶん、彼女の逃走を一瞬だけ停止させた。
前方に水のレンズを形成させねばならない関係上、直接そちらへは逃げ込めない。
そんな、ささいな方向転換。本来なら賞賛されるべき、全く無駄のない美しいターン。しかしそれすら、『大きすぎる隙』として、許さぬ恐るべき狩人が迫っていた。
「つーかまえた!」
「観念せい人魚ちゃん! 八方ふさがりだ!」
「ここまで、ですか……」
前後から包囲されてなお、ティティーは水中の利を生かし巧みな泳ぎで攻撃を回避しようとあがく。
しかし、近接戦闘の経験値では、残念ながら圧倒的にソフィーたちの方が上手。
「甘い! <次元斬撃>!」
そうして最後はあっけなく、ティティーは<次元斬撃>により海水ごと切り裂かれる。その身は人魚姫らしく、泡となって海水の中へと消えて行くのだった。
*
「うん! 成敗!」
「……んー? しかーし、倒したってのに海が引かないねぇ?」
「えっ!? 私、今回は『やったか!?』言ってないよ!」
「いやいや、言ったかどうかだけで結果変わらんてソフィーちゃんよ」
「そっかぁ」
ソフィーの<次元斬撃>が直撃し、ティティーの本体はあっけなく倒れ去った。
しかし、彼女を倒せば収まると思われていたこの海は、依然としてこの場に残ったまま。
ハルたちは何となく、喉に骨の引っかかった感覚を覚えながら、それでも事後の処理を進めんと動き始めることを決めた。
さて、果たして、これでめでたしめでたしといくのであろうか?
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




