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エーテルの夢 ~夢が空を満たす二つの世界で~  作者: 天球とわ
4部2章 翡翠編

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第1670話 荒海の人魚姫

 北の空からわき立ち迫りくる雨雲。それは瞬く間に規模を拡大し、青々と澄み渡っていた夏の大空をハルたちの視界からかき消していった。

 先ほどまでは海の間近に居るにしてはからっとしていた肌に当たる風も今はじっとりと張り付くようで、迫りくる黒い雨雲の先触れを成していた。


 荒れ狂っていた波の音に加え、吹き荒ぶ嵐の風音かざおとが不安を煽り、更に雷鳴が遠く響き渡る。

 その音は暗雲あんうんの接近と共に更に更にと迫力を増してゆき、募る一同の不安とは裏腹に、足元の波は歓喜に震えるかのようにいっそうその激しさを増していっているのであった。


「満を持して、海のヌシのお出ましか。ログアウトしているうちに、全てを済ませてしまいたかったけどね」

「汚いぞーハル君。そんな、空き巣のような不完全な勝利がお望みかー」

「ユキは嫌いかい? 空き巣の勝利は」

「うんにゃ。大好きだけどね」

「そうは、させてくれないのです! 察知されてしまったのでしょうか!」

「そうね? 自らの仕込みが完全に潰されそうになっているとなれば、さすがに無視はできないでしょう」


 だが、それはそれで、『どうやってその危機を察知したのか?』という事が気がかりではある。


 サコンが言うにはどうやらアラートが設定出来るようだが、それなら既に先ほどからアラートは鳴りっぱなしのはずだ。

 そんなに細かく条件付けて設定できるのだろうか? まあ、このタイミングで都合よくログインしてきたということは、きっとそういう事なのだろう。今はそう思っておくハルだ。


「あっ! 来るよ来るよ! ハルさん来るよ! 敵さんの登場だ!」


 ソフィーが嬉しそうに叫び指さす先には、こちらに向け急速に迫る大津波。

 そしてその波に乗るようにして、優雅に接近する一人の女性の姿があった。


「楽ちんな移動手段だね!」

「いやよく考えようソフィーちゃん。ただ移動するだけのために、これだけの自然現象を引き起こすのは果たして楽なのか?」

「体を動かしてなければ何だって楽なんだぜハル君」

「そうそう!」

「君らは、体を動かすのをまったく苦にしないだろうに……」


 まあ、楽か楽じゃないかはともかく、彼女のたたずまいは非常に優雅でまるで必死さを感じさせない。

 事態の対処に来たというよりは、庭に散歩にでも来ているかのような雰囲気だ。

 なにせ日傘をさしている。いや、雨雲の真下なので、あれは普通に雨傘なのか。


 そして、そんなまさにお嬢様然とした女性の姿だが、一か所だけ明らかに普通とは異なる箇所が存在した。

 接近しその全身像が皆の目にも明らかになるにつれ、口々に驚きの声が上がるのだった。


「おお。人魚だ人魚!」

「魚だね!」

「まぁ。すてきですー……」

「メルヘンチックね?」

「ねぇソラ、あの人って、ああいうシュミだったの?」

「知りませんよ。私が知る訳ないじゃないですか、そんなプライベートなことまで……」

「ふっ。子供っぽいものだな」


 ……一部、なんだか自分の事を棚上げしている人物も居るようにハルは思えたが、今はそこを突っ込んでいる場合ではない。

 姿が見えるようになった時には、波のスピードからすればもう彼女の接近は目前も同義。一気にハルたちの目の前にまで至る。


 ハルたちはそんな高波の衝突を警戒するが、奇妙なことに、波が堤防を越えてこちらに押し寄せる事は起こらなかった。


 まるで波が急ブレーキでもかけたかのように、それは堤防の直前の位置で停止する。

 そして更に奇妙なことには、その海水は高く巻き上がったまま、海面へは落ちてはいかずに重力を無視して、その高い位置にて停止しているのであった。


「……ここまでくると、もうこれが自然なように思えてくるよ」

「お水のソファー、なのです!」


 まるで豪華な水のクッションに腰かけるように、あくまで優雅にハルたちと対峙する人魚姫。

 流れる水を思わせる青い髪をなびかせて、彼女は落ち着いた口調でハルたちに語り掛けてくるのであった。





「ごきげんよう。私は、この海のあるじのティティーと申します。どうぞ以後、お見知りおきを、ハルさん?」

「ああ、ハルだよ、よろしく。僕の事は知ってるんだね」

「ええ当然。かねてから、お会いしたいと思っておりました。ですが、派閥の方針にて、そうもいかず」

「はっ! 人の顔色を窺ってばかりで、臆病なことだ」


 そういうソウシは勇敢というか怖いもの知らずである。

 一応、家の格のようなものはこの人魚姫の方が上のはずだが、彼にとってはただお金を持っているだけの家などまるで評価には値せず、またおそるるにも値しないのだろう。

 ソウシの価値基準は、いかにビジネスを拡大しようとしているかのみに集約されていそうだ。


 ティティーはといえば、そんなソウシのことはつまらなそうに無視し、一瞥いちべつしたのみでそっぽを向いてしまった。

 ソウシも特に気にしたようには見えず、鼻を一つ鳴らしたのみでもう興味を失ったようだ。


 ソウシから離れたそんな彼女の視線はといえば、何故か、まさに臆病そのものといった態度でハルたちの後ろへ隠れる、イシスの元へと注がれている。


「えっ? えっ? な、なんでしょう。お会いしたこと、ありましたっけ……? お取引先の方、ではないです、よねぇ……?」

「いいえ」

「わ、私がなにかご迷惑をかけちゃったとか……」

「いいえ」

「ならよかったのですが……、ど、どうしましょう……」

「なんでも、ありません。どうぞお気になさらず」


 何でもないはずがないのだが。しかしティティーは何一つ語ることなく、イシスからも視線を外す。

 イシス本人はほっと息を吐きだして安心しているが、ハルとしてはこの彼女の態度が強烈に引っかかった。


 確かに、イシスが対応したハルたちの会社の取引先ではないようだが、その一方で初対面とも決して思えない。

 だが、『どこで?』という部分を考えると実際また妙なのだ。言っては悪いが、イシスと彼女では会社以外での接点がまるで見出みいだせない。なので口には出さないハルだ。

 まさに庶民と貴族。行動半径は一切交わらず、『住む世界が違う』という言葉そのものだ。


 もちろん、ネット上で目にしていたという事がこの時代ごく当り前にあり得るのだが、それにしても思い当たらない。

 イシスはハルたちの中におけるまさに一般人代表といった立場であり、ネット上の活動においても今まで特に目立った注目を浴びる機会は無かったはずだ。


 ……実に気になる。気にはなるが、とりあえず今は、そこばかり気にしている訳にもいかないだろう。ハルは、その疑問を脳の後ろ側に押し込んで目の前の脅威の方へと集中した。


「派閥内での合意は取れたのですか? ティティーさん。それとも、暴走したこの海を引いていただく為にわざわざ足を運んでくれたのでしょうか?」

「いいえ。私がこうして姿を現したのは、貴方がた海を荒らす脅威に対抗するため」

「それはおかしいですね。ティティーさんにはそもそも、このエリアまで領地を拡大することが許可されていないはず。良くないですよ? 派閥内の輪を乱すのは」

「フッ。どこの派閥にも入れてもらえない男が、よく言うものだ」

「うるさいですよ……、ソウシさんも……」

「ソウシ、生意気だぞー本当。お前にソラの立場が分かるかってのー」

「……お前も面倒な女だな。普段は率先してソラを揶揄やゆしているくせに」


 まあ、ソウシのそんな揶揄は置いておくとして、ハルとしてもそこは気になる。

 派閥の方針でこの海の優位性を十分に生かせていなかったはずのティティーが、どうして今になって大胆な侵攻に出たのか。


「いくらゲームとはいえ、方針無視は禍根かこんを生みますよ? ここは大人しく……」


 ソラはそこを指摘し、なんとか穏便に引いてもらえないかと考えているようだが、どうやらそれは期待できそうにない。

 空中に優雅に渦を巻く波の玉座に座した人魚姫は、まるでこの位置から下がる気はないようで、のんびりとこちらを睥睨へいげいするのみだ。


「……はぁ。やはり、なにがしかの後ろ盾を新たに得た、という私の予測は合っていそうですね」

「それは、どうでしょう。ただ私も、いつまでも発言権の薄い今の立場に、甘んじていたいとは思っておりません。それは、貴方の方も同じでしょう?」

「まあ、そうですね。だからこそ、この世界でそのための何かを、手に入れようとしているんです。必死に」

「では、その『何か』を実際に手に入れたならば、当然行動を起こしますよね。このように……」


 ティティーの言葉と共に、今まで大人しくしていた足元の海が、にわかに活発に波を巻き上げ始める。

 どうやら、悠長に話を聞いてくれる気はないようである。


 もはや重力どころか、通常の波の動きすらも無視して鎌首かまくびをもたげていく海流。

 さて、対『海』の第二ラウンド、いやここからが本当のこの海との戦いの始まりのようだった。

※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
海の主(魚)が来ましたかー。つまりここからはぬしの攻略、ぬし釣りの始まりですねー? 見た目優雅に登場しているようですが、お貴族様特有の見栄を張っている可能性もありますし、水面下で白鳥のように必至に足を…
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