第167話 二つの降臨体
「今日はまた、何時にも増して仏頂面だね」
「フン、そうもなろう。本来オレが仕掛けるとしたら、確実に勝利が見込める時のみだ」
「やっぱり。……でも、君の契約者は勝てると見込んだみたいだよ」
「やめろと言ったのだがな」
思った通り、ウィストは勝てる戦い以外は避けるタイプだった。
そこを押して彼を<降臨>させたのは焦りによるものか、それとも『やめろ』の使いすぎで言葉の重みが薄れたのだろうか。
そんな冗談を振ってみようかとハルが思っていると、どうやら相手はその猶予を与えてくれないようだった。構えろと態度で促す。
「ちょっとくらい雑談に乗ってくれてもいいのに」
「契約者の意向だ。手早く済ませろとな。会話に興じるのは次の機会にしろ」
処置なしと両手を挙げ、ハルもまたソファーから立ち上がる。だがその内心では、密かに笑みを浮かべていた。
雑談での引き伸ばしを、依り代であるセリスが嫌った。
──これは悪手だよねカナリーちゃん。
《ですねー。少しくらいはあいつに任せておくべきでしたー。時間に余裕が無いと、宣言してしまっているようなものですー》
セリスの能力、他人に無いユニークなスキルは、恐らくMPの過剰回復。それによる回復薬の過剰在庫も併せて、<降臨>のデタラメなコストを賄うつもりだ。
だが、それがどの程度の強度なのか、ハルにはまだ推測するしかない。
短時間で切れてしまうのか、長期戦にも耐えられるのか、はたまた半ば無限に続けられるのか。それによって取るべき戦略も変わってくる。
──短期戦だと知れてしまえば、こちらは単にエネルギー切れを待つだけで良くなるんだけど。
《減少速度を実際に見て慌てちゃいましたかねー。そもそもー、<降臨>で長期戦をするという発想そのものが無いかも、ですねー》
カナリーの言うことも一理ある。<降臨>のコストを常時賄えてしまうハルが異常なのだ。普通は、そんな事が可能だとは考えない。
「待たせたね。じゃあ、始めようか」
「かかってこーいオーキッドめー。返り討ちですよー」
カナリーが神剣をぶんぶんと振りまわし、ウィストを挑発する。彼のしかめっ面が、更に渋くなった。
どうやら先手は譲るようだ。この周囲、神域の魔力は全てカナリーがロックをかけており、ウィストには使用不可能になっている。その状態でどの程度の魔法を撃ってくるか探るのだろうか。
「おいカナリー……、仮にもお前の神殿だろう。外に出るくらいしては」
「えーい先手必勝ー」
殊勝にも室内での魔法行使を避けるよう提案しようとしていた彼に向けて、カナリーの神剣から先制の一撃が無遠慮に放たれるのだった。
*
近距離からウィストを捉えた光の刃は、そのままカナリーの神殿を吹き飛ばして半壊させ、彼方の空へと吸い込まれていく。
今の光は首都からも見えただろう。多少混乱になるだろうが、上手く収めて欲しい。
「やったか?」
「やってませんねー」
「だよねえ。あいつ、今は『本体』なんでしょ? カナリーちゃんと同じで、セレステの時よりも強い」
「マゼンタよりもですねー。流石に直撃したとしても、一撃で終わる事は期待できませんー」
その通りであり、彼は空の彼方へは消えていなかった。
自らを空間に固定して踏みとどまったか、それとも芯を外れるように光の奔流から泳ぎ出たか。神殿からさほど離れない位置に飛行していた。
その場から、響かない抑揚の薄い声で、しかしはっきりと聞き取れるように語り掛けてくる。器用なことだ。きっと魔法で音を効率的に飛ばしているのだろう。
「カナリー、貴様、契約者に似てきたのではないか? 姑息なマネを……」
「えー、戦闘中に隙を見せる方が悪いんですよー?」
「そういう所がだな……」
「私とハルさんの、ラブラブな所を見せ付けてしまいましたねー」
「まあ、隙を見せる方が悪いよね」
何もそんな事で見せ付けなくても良いと思うが、ごっそりとHPを削れたので良しとする。隙を突いたと言うよりも好意を踏みにじったと言う方が近い気もするが、それも良しとする。
その削ったHPも、裏で回復を管理しているセリスによってすぐに塞がれる。この戦い、いかに相手の魔力を削りきるかの勝負であった。
「後はいかにこの神域を壊させないかの勝負ですねー」
「……むしろカナリーちゃんがいかに壊さないかじゃない?」
「神殿には興味がなかっただけですー。景観は壊しませんー」
カナリーが制限無く暴れたら、それこそセレステの神域の二の舞だ。彼女はあれを直すのにかなりの苦労をしたようだ。
加えて言うならば、後方にあるアイリの屋敷まで攻撃を届かせないよう気を配る必要もある。
そう、思考を纏めているうちに、ウィストから反撃が飛んで来る。
流石の魔法神であっても、周囲の魔力を全てロックされていては遠隔での魔法は発動させられない。必ず、手元から飛ばす必要があった。
小さな光の弾が、輝く尾を引いてハルへと向かってくる。
「弱そうですねー? なんなのでしょうー?」
「まるでミサイルみたいだね。……嫌な予感がする。黒曜」
《はい、ハル様。反物質反応を検知。光子魚雷と思われます》
「初手からそれか! 知ってたよ! パーティーで興味津々だったからな!」
「切り飛ばして大丈夫ですかー?」
「待ってねカナリーちゃん。……黒曜、AAフィールド起動。保護膜の開放前に介入しろ」
《御意に。展開より先に、反化合物の生成を行います》
AAは、反・反物質。今はミレイユも会話を聞ける位置に居るので、技術の秘匿が少々めんどくさい。
光弾のように見えるのは、ハルに届く前に対消滅反応を起こさないようにするための保護だろう。
それが解ける前に、内部に追加で反物質を<物質化>してやり、爆発しにくい状態に変えてやる。
ハルの周囲まで飛んできた光弾が解除されるが、その発動は不発に終わった。何かの拍子に反応してしまう前に、マゼンタの転換炉まで<転移>させてしまう。
「ついでだ、反陽子砲!」
反物質の生成用に調整した空間を展開したついでとばかりに、ウィストへ向けての攻撃用の物も至近距離に生成してやる。
威力は押さえ、設置も最適でないため直撃とはいかなかったが、これもそれなりのダメージを神相手に叩き出した。
「ふん、なるほど。この分野では貴様に敵わぬか。世界の壁の厚さを実感するな」
「……君らの得意分野っぽいんだけどね、印象としては」
魔法の神様は、科学実験が苦手なようだ。
そう言うとなんだか当たり前のように聞こえるが、その実彼らはAI。本来ならハルよりも得意としていても良いはずだ。
ハルも細かい部分は、自身のAIである黒曜に任せている。
反物質による攻撃は諦めたのか、続けて通常の魔法が飛んでくる。通常、と言ってもそこは神の魔法だ、凄まじいの一言。まるでレーザー砲の乱射だった。
カナリーがこちらも神剣の乱射で迎撃するが、向こうの方が手数は上だ。運動性の乏しいカナリーでは、どうしても腕の振りに限界がある。
そこを突くため、威力は重視せず速度を重視したようだ。
「僕を狙ってるね」
「全部を防ぐ必要はありませんよー。後ろに流しちゃいましょー」
「それも気分悪いんだよなあ。飛んで見に来た一般人に当たっちゃうかも知れないし」
「いませんよぉー」
実際の所は、狙いが正確すぎて回避も難しい。先置きで移動経路を塞ぐ物は流石に流すが、本命は必ず防ぐ事を前提に対処しなければ、一撃で吹き飛ばされるだろう。
ハルはマゼンタの防御フィールドを身に纏い、魔法を全て転換炉へと送り防御する。
「お返しだ!」
そのチャージも十分に貯まり、赤いエネルギーとなって出力される。ビームのようにウィストを襲ったその光は、しかし届くと同時にかき消された。
対処のために魔力を消費させた様子も見られない。
「ほう。マゼンタの防御フィールドだなこれは。貴様もこちらから学んだか」
「……今度はそっちの専門分野で、僕が未熟って事?」
「いかにも」
「これはちょっと腹立つね」
そしてそれ以上に、困った事がある。エネルギーの放出が無ければ、いずれあの空間は満タンになってしまう。それ以上の防御が行えない。
ハルを狙う以上、防御は行わないとならないので困ったものだ。
──まあ、僕を狙ってくれるなら囮になれるから良いんだけど。
《解せませんねー。このハルさんを倒しても何も変わらないのは、あいつも分かってるはずなんですがー》
──クライアントからの指令なんでしょ。『ハルを倒せ』ってさ。
《確かにハルさんはお強いですけどねー。神を降臨させる事の意味、よく分かっていないようですねー》
それに関しては、ハルもきちんと分かっているとは言い難いが、この状況ではカナリーを倒さなければならないのは分かる。
とはいえ、このハルは分身であり倒してもなんら損害は無いと、一目で理解しろというのも酷な話か。ハルを倒せばカナリーも消えると思ってしまっても仕方ない。
ハルが応戦しているのは負けず嫌いだからで、効率を考えるならばこのままウィストの一撃を受けて退場するのが一番良いだろう。満足して<降臨>を解いてくれそうだ。
だがここで<降臨>を解除されては、せっかく向こうから神をつれてきてくれたのに勿体無い。何より勝ち逃げは許さない。
ハルにとっての勝利条件を満たすには、分身の維持、神域の保護、そして何よりお屋敷の防御と、やることは山積みであった。
*
そしてハルは一旦、意識をそのお屋敷の方へ。こちらではプレイヤー組とアイリがドレスに着替え、メイドさんも全員が戦闘用メイド服に完全武装。最大の厳戒態勢を取っていた。
「第一種戦闘配備ってやつだねハル君。……出撃はしないの?」
「出し惜しみしている場合ではないのではないかしら? それは、私では足手まといでしょうけれど」
「いや、出し惜しみって訳じゃないんだよね。むしろ逃げようかとすら思ってる」
ハルの勝利条件のうち最優先事項は、彼女らの身の安全だ。それは自身の勝利よりも更に上位に位置する。
「そか。メイドさん達は、スーツ着てるとは言え流石に危ないよね」
「ユキ、忘れてるみたいだけど、僕の最大の懸念事項は君なんだよ?」
「えっ私? 私、自惚れじゃ無く結構強いと思うんだけどな!」
「ユキ、あなた、ハルに浚われてきたのを忘れてるわね?」
「あっ! 私の体か!」
あの時、ルナが冗談めかして言った事が実現してしまった事になる。物理的な脅威はこの世界の方が大きい場合がある。
日本でミサイルが飛んでくる事はまずないが、この世界では魔法が飛んでくる事が考えられる。
「一旦、日本のユキの家に非難させようかね」
「えっ、ヤダよハル君! のけ者にしないで?」
「いやメイドさんも含めて送ろうかと思ってるんだけど……」
「うお! 私んち、一気にメイド屋敷だ!」
それでも抵抗があるらしい。最初はこちらの世界に肉体で来る事を嫌がっていた彼女とは思えない変わり様だ。
メイドさんも、それは同じようだった。自分たちの家の危機に、自分たちだけ逃げ出すのは許容出来ないようだ。
「仕方ない。ルシファーに取り込むか……、アイリ」
「はい! ……無尽増殖、なさいますか?」
「一先ず筐体だけ作っておく。防御力はそれなりにあるだろう」
「ですね!」
今は、屋敷と戦闘を並列で処理出来た方が都合が良い。並列思考を統合しての意識拡張は保留だ。
お屋敷の庭に、ルシファーの体を生成して、ユキの肉体をその中へと<転移>させる。
「いざとなったら皆でこれに乗るよ」
「ウィスト神の視界は、プレイヤーの方が共有しています。なので出来ればルシファーを出さずに終わらせたいですね」
「切り札を抱えて負けてもしょうがない。思い切りも大事だよアイリちゃん!」
ユキが拳を打ち鳴らしてそう意気込む。確かにその通りだ。今は善戦、いや膠着状態であり、膠着しているのであればいずれ相手の魔力が尽きる。
だが、状況が傾かないとは言い切れなかった。どんな手を打ってくるか分からない。
「……今、ユキは裸で完全にハルの支配下にあるのね。……えっちね?」
「ルナちーはすぐそゆことゆうー」
ルシファー、天使型の巨大兵器の体内は、ポッドと同じような溶液で満たされている。
いざとなれば、全員を体内に収容しての行動も可能だ。だが、何となくその必要は無いのではないかとハルは思う。
「ウィストの魔法、このお屋敷を避けてるというか、射線上にここが入る時は攻撃しない気がするんだよね」
「どしてなんハル君? 優しいのかな、見掛けによらず」
「まあ、その可能性もあるけど、プレイヤーによる<降臨>だから、制限が加わってるんだと思う」
「……未必の故意のため制限は不発、ではなかったのかしら?」
ミレイユはそれを狙って、この場で神を呼んだ部分がある。自分は呼んだだけ、あとは神のやる事なので自分は感知しない。
だが実際は、ミレイユの意思はまだ残っている。
「<降臨>中は意識あるんだよね。回復役のためにさ。だから、『殺人依頼』の方になっちゃうんじゃないかと」
「良い策と思ったら、思わぬ制限を神に加えただけだったのね?」
周囲の魔力は全てロックされ、行動にも一部枷が嵌められている。だが、初めて戦う事になる神の『本体』だ。
いかにホームグラウンドとはいえ油断をして良い相手ではない。ハル達はその後も、万全の体制で警戒に当たるのだった。




