第1663話 この先海お断り
チカチカと断続的に海面が輝き、海を激しく瞬かせる。
これは波頭が陽光を照り返す青春の輝き、ではない。物質が純粋なエネルギーへと転換される破滅の輝きだ。
一瞬の後に輝きは全て爆発に変わり、海は派手に水柱を上げてしばし逆向きに流れ落ちる滝の絶景を形作った。
「はははははは! なかなかいいね、これは! よし、この勢いで波を押し返して、もう一度海に平穏を取り戻してやろうじゃあないか」
「平和とは程遠い見た目なんですけどぉ。大丈夫なんですかハルさんー」
「だいじょびイシスさん! 地面が平らになれば、それが平和ってやつ!」
「それただの荒野っていうんだよソフィーちゃん」
「あなたの攻撃で、波打ち際の崖まで削れているじゃないの……」
「敵に壊されるくらいなら、自ら……、なのです……!」
「おおっと。いけないいけない。つい楽しくなっちゃって。まあ、このまま“前線”を押し返せば、地形は巻き込まなくなるから問題ないよね」
「攻撃は続けるんですねぇ」
海水を吹き飛ばした空間に奥の海水が流れ込む前に、ハルは続けざまに反物質を<物質化>して放り込む。
そうしてまるで兵士が怒涛の勢いにて敵の大軍勢を押し返すかのように、海水の前線は奥へ奥へと少しずつ後退していった。
「ははは! やれるじゃないか! このまま海を蒸発、いや消失させてしまったら、その後はどうなる? フィールドスキルは機能を失うのか、それとも無から海水を生み出し始めるか?」
「あの、ハルさん! とっても楽しそうなのですが、それをやったら、いけないのではなかったのでしょうか!」
「……うん、まあ、そうだねアイリ。つい楽しくなっちゃったけど。出来ないんだよねえ」
「そもそも、これはどうなっているのですか? 先ほどと同じく、水蒸気になっているのでしょうか?」
「いや、たぶん水蒸気ですらないね。プラズマ化して上空に飛んで行ってるんじゃない? なおさらダメか……」
「勝手に暴れて勝手に深刻な顔してるぅ。なんだこのひとー」
まだあまりハルの所業を直接見たことのないソラとミレ。さすがに顔を引きつらせてしまっている。
まあ、ハル自身も最初から海を消滅させようなどとは思っていない。
ただあまりに敵がやりたい放題にするので、こちらも少々暴れてみたくなってしまったのだ。
「水素がゲーム外に逃げてちゃったら回収もできないぜハル君。おイタはここまでにして、堅実にいかんか?」
「むしろ宇宙にまで行ってしまいそうね……」
「堅実にいくなら、どうするのでしょうか!」
「うん。やっぱ海をぐつぐつじっくりと煮詰めるのがいいと思うんだアイリちゃん私はな?」
「水蒸気ならばなんとかなるんです? 私には、大して違うようには見えないんですが……」
「いや考えてもみぃイシすん。雨にして回収できれば、あとはデビリッシュアークって便利な箱がある。そこに全部ぶちこんで、好みの物質になるまで核融合させりゃよくね?」
「いや考えてもそんなぶっ飛んだ発想は出て来ませんけども……」
「ねーいけるよねハル君ー?」
「理論上はそうだけど、さすがにエネルギー消費が掛かりすぎるかなあ……」
「だめかー」
確かに強制核融合炉である『悪魔の玉手箱』ならばユキの言ったようなリサイクルも出来るだろう。
しかし、この海の水をまるごと一杯陸地に戻すには、いったいどれだけのエネルギー消費があるか分かったものではない。現実的とはいえないだろう。
「では、いったいどういった考えで今も海を『破壊』し続けているんです? さすがに、ただの憂さ晴らしでやっているのでは、ないのですよね?」
「まあね」
さすがにそこは信じさせてくれといった表情で、恐る恐るソラが尋ねてくる。もちろん、ハルにはきちんと考えはあった。
……まあ、憂さ晴らしでやっていることもそれはそれで、一切否定のしようがない事実であることは口には出さぬが吉だろう。
「では、ここから何を?」
「まあ見ていてよ。海の『前線』を後退させたのは単にギミックのゴリ押し突破チャレンジじゃない。理由はある、一応。その理由を、これからお見せしよう」
火魔法による沸騰蒸発では、ここまでの勢いでスペースを開けられない。この空間を確保するために、海水を根こそぎふっ飛ばす必要があった。
ハルはその確保したスペースに向けて、体内から膨大な魔力を放出し、隙間を埋めるかのように流し込んでいくのであった。
*
「堤防を<物質化>する」
「おお! すごいですー! これはとっても、頑丈そうなのです!」
「なるほどね? 単純に浸食しにくい素材で、防御すると」
「真っ黒で見るからに強そうな見た目してますねぇ。これ、あの貯水塔の建材とおんなじですか?」
「イシスさん正解。ちょっとやそっとの水圧で、壊れる構造はしてないよ」
ハルは艶のある光沢をした巨大な黒い壁を一面にわたって<物質化>し、海の侵攻ルートに防壁を、いや防波堤を生み出す。
なんとなくモノリスにも見えるその非現実的な一枚板は、生み出された位置から微妙に自然落下しポジションを微調整しただけで、ズン、と鈍く迫力のある振動を響かせて大地に根を下ろした。
「これで、しばらくは安泰ってことか」
「それだけじゃないよユキ。こいつに対してこの海がどう対応してくるかで、敵の能力の性質が読めてくる。かも知れない」
「どゆこと?」
「うん。見ての通り、これは僕が<物質化>した物だ。そしてこのゲームでは、<物質化>で作ったアイテムは何故かシステムが認識してくれない」
「あからさまな対策だわなぁ。ま、運営としては封じておかないと、ハル君がやりたい放題だもんね」
「それを逆手に取る」
「なーる」
魔法で生成した物は、このゲームのシステムに認められない。ならば、それは使い方を工夫すれば、ゲームの進行を妨害できるのではないだろうか?
スキルだってもちろんこのゲームに合わせて専用調整されている。そこでも勿論、<物質化>関連の存在は避けるよう定義づけが成されているはず。
そしてこの海もまたプレイヤーによるスキルの一種。規模が大きすぎて忘れそうになるが、その大原則に変わりはないのだ。
「……例えば、『海』の能力に土地を削って海水の一部に変換する、なんてものがあったとして、その際に異物を取り込むわけにはいかないはずだ」
「天然ものしか、食べてはいけない縛りがある訳ですね!」
「そうだねアイリ。大変だね? そういえばアレキも、最初に会ったときオーガニック嗜好だとか言ってたっけ」
《言ってねーってば! せっかく手下になったんだからさー、もっとハル兄ちゃんたちの食ってるような、美味いもん食べさせてくれよぉ~》
それは、アレキの今後の働き次第といったところか。今はなるべく、簡単に希望に沿うことはしないと決めているハルたちだ。
……いや、虐待ではない。そもそも神は食べなくても問題ないので、決して虐待ではないのである。
「ともかくだ。天然ものしか口にしないグルメどもは、この100%合成品に対してどう出るか。そこを観察することで、能力の正体に近づけるかも知れない」
「なるほど。いえ正直よく分かっていないのですが、色々と考えられているのですねハルさん」
「ソラー。分かってないなら、発言は慎んだほうが身の為だぞぉ」
「うるさいですよ」
一応、急造品のため穴はある。文字通り。
そこまで地面としっかり噛み合っている訳ではないので、その下側から海水が浸透し、壁の奥へと染み出し始めた。
ただ、そこはハルが手動で適宜その水を蒸発させ、排出してやればいい。
むしろ迂回して染み込んで来ようとしているのは、やはり<物質化>品には手を出せない証明だといっていいだろう。
「……ふむ? 多少面倒だが、これでしばらくは押さえ込めるかな。もちろん、東西からぐるりと回り込んで来ようとしたら、また面倒だけど」
「その前に、根本的な解決策を見つけるのですね!」
「まあ、この様子なら、しばらくは時間が稼げるのではなくて? 波は荒れているけれど、堤防を破壊は出来ないみたいだし」
「んー。んん~~? いやルナちゃん、そうは安心していられないみたいだよ!」
「……どうしたのかしら? まったく、次から次へと面倒なものね?」
「それが楽しいんだよ! ほら、見てみて、あっち!」
ソフィーが刀の切っ先で指し示す海の彼方。ぱっと見にはただ波が大きく荒れ狂っているようにしか見えぬその先に、彼女は新たな驚異の存在を見逃さなかった。
しぶきを上げる巨大な波に紛れて、その波を更に大きく巻き上げる巨体が、猛スピードでこちらへと接近してくる。
その姿は明らかに敵意に溢れ、堤防の手前で止まるようなスピードには全く見えない。
「おおっ! なんだなんだ!? 怪獣か!」
「うんうん! モンスターだモンスター! やっと出て来たね! このゲームには、モンスターが足りないと私ずっと思っていたんだ!」
「いやぁ……、別に出ないままで、平和な開拓ゲームでいいじゃないですかぁ……」
もはやリゾート地としては完全に使用不可能になったであろうその海を、イシスは遠い瞳で哀愁を漂わせて見つめている。
そんなイシスに現実を突きつけるように、その生物としてあまりに大きすぎるあり得ない巨体を持つ怪物は、ついに波をかき分けてその姿をハルたちの前に現した。
「モササウルス!!」
「そうなのですか!?」
「んー! わかんない!」
「ですか! とにかくとっても、強そうです!」
「わくわくするね!」
そんな、まるで巨大な海洋性の恐竜じみた見た目をしたモンスター。
そのモンスターはその身体を勢いよく、頑丈に築きあげたハルの防波堤に向けて衝突させてきたのであった。




