第1660話 海底人の生活事情
海中で呼吸が可能。それはファンタジーやら魔法やらというよりは、もはやおとぎ話の世界の話。
どう違うのかと問われれば難しいが、理屈を気にする段階になればなるほど『あり得ないよね』となりがちだった。
そのためゲームなどでそうした状況を実現するには、多くの場合、理屈付けに苦労している。
ハルのように、周囲に地上と同じ環境を泡のように身に纏ったり。酸素ボンベに変わる魔法の道具か何かを開発したり。対応は作品によって様々だ。
「……そうやってプレイヤーの周囲の環境だけを対応させるのは分かる。まだ分かる。僕もそうだし」
「そもハル君のそれだって、十分にあり得んレベルの奴なんでしょ?」
「ああ。魔法が無ければ、この『装置』の維持コストは決して賄えないだろうね」
かつて地球で研究され、そして理論のみで放棄されることになった環境固定装置。
発動中は溶岩の中だろうと涼しい顔で潜っていける優れものだが、その消費エネルギーも非常に膨大となるのがネックだ。
携帯できねばそもそも意味がなく、しかし携帯するにはエネルギー貯蔵量があまりに少なすぎる。
どれほどエネルギー密度の高い電源を接続しようとも、一分と持たずに効果時間は切れてしまうだろう。そうなれば中の人間はマグマの中。そのまま脱出する術はない。
ハルたちはそれを<物質化>により常に新鮮なエネルギーを供給し続けることで解決しているが、それだって有事に限る。
常用し個人的な遊びになど使ったら、シャルトに小言を言われそうな魔力消費だ。
「言うなれば、それをこの海底の街全体で常時発動しているようなものだ。どうなっている……?」
「うんうん! すごいすごい! 強敵の『格』を感じるね!」
「まあ、戦闘能力が強いとは限らないけどさ」
「それって理屈はイシすんと似たようなもん?」
「どうだろうか……、まあ、水の物理的性質を弄る、という意味では類似しているが……」
「きっと同じ魚を使ったから、兄弟能力だね!」
そうなのだろうか? イシスの願いを汲み取ってあのような力が生まれた訳ではなく、元々、水の性質変化を促す力が魚には備わっていた?
……いや分からない。あまりに情報が無さ過ぎるし、それにあまりに規模が違いすぎた。
「ねーハル。結局それってさ、どういう理屈なんだと思う?」
「ああ、そうだね」
魔法の理屈に疎いため実感が湧かないのか、それとも単にひたすらマイペースなだけか。ミレが水中呼吸の理屈を聞いて来る。
まあ、それについては特に難しいことはない。いや達成難度という意味では非常に難しいのだが、理屈に関しては明白だった。
「これは恐らく、海水の中の水分子が、空気に触れると非常に激しく反応するように法則をバグらせてる。弄っているのが分子間力か、それともお決まりの重力で水圧の方に働きかけてるのか、それは分からないけどね」
「へー。お決まりなんだ」
「最近はなにかと」
「私には、まるで理解が及びそうにありませんね……」
「安心して欲しい。僕だって実はまるで分かってないんだ」
あくまで、ハルの知り得る知識で現状を無理矢理再現するには、という視点で語っているだけだ。
もちろんそれを再現するには、イシスの『蒸発しない水』以上のコストが掛かるのは言うまでもないだろう。
「水を吸い込もうとすることで、水分子中の酸素が分離して供給され、吐き出す時は、どうするんだ?」
「さー?」
「わかんない!」
「私はてっきり、海水を肺いっぱいに飲み込んで、そこから直接呼吸できるように成分を弄ってるのかと思った。なんかあったよね、そーゆーの」
「話せるねミレ」
「想像しただけで、私は苦しくなってきましたよ……」
胎児も呼吸はしないので大丈夫、らしいのだが、肺の異物感は凄そうだ。ハルも遠慮しておきたい。
しかもそれでいうと、海底人が地上に出るその度に毎回『産声』を上げながら肺の中の特殊海水を吐き出さないといけないのだろうか?
そんな事になったら、それに恐怖して海底人は地上との行き来を怖れて引きこもってしまうだろう。悲劇である。そんな思いはさせてはいけないのである。
「……うん。そんな仕組みじゃなくてよかったね」
「お二人さん、気にしてはならんぞ? ハル君は、勝手に変なこと考えて勝手に納得しただけだから」
「いつものことだね!」
「は、はあ」
それにそんな仕様だったら、水の粘性で呼吸も何倍も疲れそうだ。
それに見れば、彼らは海底の水圧も気にしている様子はない。やはり手を加えているのは、圧力で正解か。
「しかし理屈は分かっても、目的が分からないな」
「えっ? 海の中に街を作るためじゃないの?」
「そーだけどさソフィーちゃん、こいつら結局、呼吸は必要ないわけじゃん。してるフリしてるだけで」
「確かに」
「そうだね。ユキの言う通り、NPCの為ならこんな凝った仕組み作る必要はない。ゲーム的に海底都市を再現するだけなら、そのまま配置も出来たはずだ」
なのにわざわざ、あり得ぬ手間をかけてまで人間基準で環境整備したのは何故だろうか。
いずれ本当に、この地に人間を住まわす為なのだろうか?
そんな答えの出ぬ問いを頭の中に巡らせながら、ハルたちは今は、このいかにもゲームらしい不思議な街を純粋に楽しむ事にしたのであった。
*
全体的にドーム状をした丸っこい家が海底に連なり、人々は主にその内部で生活している。
いかに呼吸が出来るとはいえ、外に出ている人間は地上程は多くないらしい。
家の形が丸いのも、やはり制御されているとはいえなるべく水圧を分散させるためだろう。
とはいえ『外仕事』をしている者の姿も普通に見られ、そのたびにハルたちは不思議な感覚を抱かざるを得ないのだった。
「堂々と歩いてるけど、敵対はされないね!」
「そこは安心しましたね」
「ソラ、ビビりすぎー。あたしたち戦ったって、負けないよぉ」
「勝った所で国際問題でしょうに……」
「んー。既に『海岸線』が侵攻してきてるんだし、既に国際問題じゃないかなぁ」
「そうそう。ユキの方が良く分かってる」
まあ、ユキは売られた喧嘩は買うタイプというだけかも知れないが。
そんな物騒な話をしつつも、ハルたちは平和に観光気分で海底の街を歩く。
遠くからも見えた魔法の街灯が水に揺らめきながらもしっかりと街並みを照らし、太陽の代わりに暗黒のはずの海底を輝かせている。
今までの道中とはうって変わり、海底都市はまるで七色の珊瑚に飾られた竜宮城かのように、非常に色鮮やかで目に楽しい。
その頭上を泳ぎ横切る魚も、かつての灰色のボディが嘘だったかのように、今は色とりどりに染め上げられていた。
「これならあれだね! 海底生活でも、鬱になって落ち込むことはなさそうだね!」
「んー、まあ確かに。道中みたいな景色の中で生活してたら、気が滅入るのかも知れないね」
まあ、ハルはそれとそう大差のない環境で、長年ずっと過ごしてきたので、その状況に実感は湧かないが。
いや、当時は鬱というのも違うが正常な情緒でもなかったので、単純に現在のハルに当てはめて語ることは出来ないか。
「あっ、見てみてハル君、みんな、あっちでなんか集まってやってるよ」
「邪悪な儀式だ! やっつけろ!」
「これ、剣を抜くでないソフィーちゃんや」
「がるるるる……!」
「でも何をやっているのでしょうね? あちらはより一層、光が強いようですが」
「獲物の魚を持って集まってるみたいだねぇ」
「生贄だ!」
「やはり邪悪な儀式が!?」
「ユキも乗るんじゃあない」
「わんわん!」
狂犬二人を抑えつつ、ハルたちは好奇心につられてNPC達の集まる広場のような場所へと近づいて行く。
そこはカラフルな装飾から次第に赤褐色のような赤一色で纏められたエリアとなり、広場の中央は台座のように盛り上がっている。
こうして見ると、確かにまるで生贄の祭壇に獲物を捧げようと集まったようにも見えた。
「なんか熱いぞ?」
「強大なエネルギーを感じる! 神の召喚だ!」
「こっちの世界の神様、おなじみのメンツだけど大丈夫そ?」
「戦闘になるなら大丈夫!」
「いや全然大丈夫じゃないからね?」
戦闘狂のソフィーの首筋をつまんで引っ張り上げるように、ハルたちは水中を浮上し上方からその集団の様子を窺う。
集まった彼らが行っていたのはやはり邪神降臨の儀式、ではなく、どうやら食料の調理であるようなのだった。
「海底火山、みたいなものか?」
「天然のものではなさそうですね。あれも、魔法の一種でしょうか」
「ソラは天然の海底火山なんて知らないくせにー」
「いいでしょう、別に。さすがに常識で分かりますって」
赤々と煮えたぎる海底のマグマは、その火口の中にかなりの熱を発生させているようだ。
人々はその内部に槍のような串に刺した魚であったり、カプセルのような見た目の、恐らくはナベを放り込んで、そこで食材を熱加工していた。
「なるほどね? 空気のある家が存在するとはいえ、いわば地下洞窟と同じ扱いだ。室内で火器はなるべく使いたくないってことか」
「ほー。それで、こんなキャンプファイヤーみたいにして共同で調理してるんだ。なーんか楽しそうだねぇ」
「でも、毎日となると、面倒そう……」
「そうだよねミレちゃん! 不便な田舎暮らしがいいなんて、最初だけだよね!」
「いやぁ、実感はないけどー」
「箱入り娘がなにを分かったようなことを言ってるんです」
「なにおうっ」
そんな、見ようによっては楽しそうな一風変わった海底の調理風景を見守り、ハルたちは次の観光に、いや調査に赴くのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。また、一部ふりがなを追加しました。




