第1658話 海中環境のお約束
「という訳で入ってみようと思う」
「えっ! 危険なんじゃ……」
「そうだね。だからイシスさんは、ここで待っているように」
「えぇー、それはそれで、仲間はずれみたいで嫌だといいますかぁ。どうなってるのか私も見に行きたいなぁといいますかぁ」
「面倒な人だな……」
とはいえ、イシスは生身でここに来ている。万一のことを考えると、海中に連れていく訳にはいかない。
環境固定装置があるので連れて行けるには行けるのだが、それでも万全とはいえない。例のフィールド能力があるからだ。
もし海中で、前回の戦いのようにあらゆる魔法を封じられでもしたら。その時は装置のエネルギー供給が断たれてしまう事になる。
海中という逃げ場のない場所でそんな事になれば、命の危険に直結するからだ。
「わたくしたちと、波打ち際で遊んでいましょう!」
「そうねアイリちゃん。それも十分楽しいかもねぇ」
「私はいくよ!」
「まぁ、ソフィーちゃんはそーだよなー。んじゃうちも行くかねー」
「いつもの切り込みメンツだね」
とりあえずは、直接戦闘力の高いソフィーとユキ、この二人を連れて海の内部調査を行う事にしたハルだ。
この二人であれば例え水中の環境下であろうと、何かあっても問題なく窮地を脱する事が出来るだろう。
「あの。私も一緒に、行ってはいけませんか?」
「どうしたのソラ。そんなガラにもないこと言い出して。海の中だよ。死んじゃうよ」
「うるさいですよ。分かっていますって、ガラにもないのは……」
「ん? まあ、いいけど? 君たちの場合、死んでも強制ログアウトされるだけだしね。ただ、水中は大丈夫なのかな?」
「ええ。それは問題ない、とは思います……」
「とりあえず、息する必要はないもんねー。でもソラ、泳げるの?」
「と、飛べるのでなんとか。そういうミレこそどうなんですか」
「あたしはよゆー」
「まあ悪いけど、無理そうだったとしても面倒は見ないよ。自力でついて来るように」
「ええ。御迷惑はおかけしません」
そうしてソラとミレも交えた五人体制で、ハルたちは海中に足を踏み入れて行く。
この『海』は通常の海岸のように浅瀬が海岸からしばらく伸びているタイプではなく、切り取られたようにすぐにガクリと深くなる。
まるで深すぎるプールが、大地の途中に突如として顔を出しているような状態だ。
その突入は『踏み込む』というよりもむしろ足を滑らせて落ち込んで行くかのように、ハルたちの姿を一気に飲み込んで地上から消し去ってゆくのであった。
「お気をつけて!」
「無理はしないでくださいねー?」
「ああ。アイリたちも、何か異変を感じたら素早く避難するように」
「はい! お任せください!」
「足手纏いにはならないわ? こちらは気にせず、行ってらっしゃいな」
「うん。行ってくるよ」
そうしてルナたちに見送られ、顔だけ出していたハルたちの姿は今度こそ完全に海中に消える。
あれだけ夏の日差しが照り付けていた地上、いや海上とは一変し、この海の内部は既にもう日の光がずいぶんと緩い。
残念ながら『透き通った夏の海でダイビング』という雰囲気はなく、海遊びの観光気分とはいかなかった。
それどころかこの底の見通せぬ深く昏い世界は、覗き込むとなにか根源的な恐怖すら呼び起こさせる。
そんな不気味な海をハルたちは、徐々に深度を下げて奥へ奥へと下降していく。
「ソラ、平気? 海洋恐怖症でてない?」
「勝手に私を海洋恐怖症にしないでください。ただ、しかし、この感覚はそうでなくとも、なにやら不安にさせられますね……」
「おうおーう。ブルっちゃったかぁ? ビビったなら引き返してもいいんだぜぃ?」
「ユキ……、同盟相手を煽らないの……」
「大丈夫です。行けますよ」
「無理は禁物だよ! 私たちは、慣れてるからね!」
「というと、お二人はダイビングか何かの経験が?」
「えっ? まあジャンルによったら、そういうのもあるけど……」
「ソラっしー。うちらが慣れてると言ったら、それはゲームの話じゃ。『海中マップの攻略に』、慣れてる」
「ああ……」
「しかしまあ、馬鹿には出来ないよ。とはいえ、ソラたちのその泳ぎも、なかなかにスムーズだね」
「泳いでるというより、あたしらは飛んでるー」
「そうですね。地上を飛ぶ時と同じ要領で、水中でも移動できるようです。助かりました。とはいえ勿論、抵抗は大きいですね」
ソラとミレはこのゲームの正式プレイヤーの基本能力として、水中でさえも自在に全方向へと移動できるようだ。
これならば、慣れも特殊な訓練もほぼ必要ない。むしろ、ハルたちの方が移動スピードに遅れをとる恐れがあるくらいだった。
「ずーるーいぞー。こっちがこの技術を習得するのに、どれほどの努力を重ねたと思うー」
「そう言われましても……」
「いいやユキちゃん! 実はこの中で一番ズルいのは、ハルさんだよ! だってハルさん、一人だけ“水中に居ない”もん!」
「あっ。バレた? まあほら、僕はこうしないと、呼吸も出来ないしさ」
そんなゲーマーなら誰もが無意識に苦手意識を植え付けらえれている『水中マップ』。その環境を一人だけ、ハルは完全に無視している。
先も語った環境固定装置。これはその名の通り、自らの身の回りの環境を常に『固定』する。
例え水中だろうが溶岩の中だろうが、それこそ宇宙空間であろうとも、平均的な地上一気圧。地球人にとっての安定し快適な活動を、そこに約束してくれるのであった。
……最近は、便利なバリアとしてしか使われていなかったが、むしろ本来の用途がこちらなのである。
「……どういうことです?」
「まあ、単純に言うなら、僕の身体の周囲に薄い空気の泡でも纏ってる感じだね」
「超技術~。欲しいなぁ」
「こら、ミレ。我々には必要ないでしょう、現状」
「まあ、状況に応じて、ね? ユキとソフィーちゃんは、欲しいなら付けてあげるけど?」
「んーん! それは邪道! 私はこの鍛えた泳ぎで、乗り気ってみせる!」
「そだねぇ。せっかくのマップギミック、チートで乗り切るだけもゲームに失礼だしねぇ」
「まあ自由にすればいいけど……」
どうにも調査に来たというよりも、この特殊環境そのものを楽しんでいる二人であった。
まあ、そんな姿勢が頼もしいのも確かなので、やりたいようにやらせておくハルだ。もしかしたら何か、それにより新しいスキルも生まれるかも知れない。
「……とか言いながらユキも、魔力で足場作ってるじゃないか」
「ん。そらそーよ。使える物は、使う。当然のこと」
「その基準が分かりませんね、私には……」
乙女心よりも複雑なゲーマー心理だ。一般人が無理に理解しようとするものでもないのかも知れない。
そんな、環境無視と環境押し付けの海に喧嘩を売るような一行は、本来人の容易に到達しえぬその深部へと、構わず一気に沈降していくのだった。
*
「おっ。底だ。見えてきたぜハル君」
「そこが底だぁー! 一番乗り!」
「そこそこ深かったね」
元気なソフィーを先頭に、ハルたちはこの地上に現れた海の底へと到着する。
魔法の光で照らさねば、既に太陽の光もほぼ届かぬ暗黒の世界。普通に掘削するならば、かなりの苦労が必要となるだろう深度まで、この『海』の浸食は進んでいた。
「……何も、いませんね? 海草なんかも、無しですか」
「ソラ。深海ってもともと何も無い感じだよ? 知らないの?」
「うっ。ミレだって、見た事なんてないじゃないですか」
「それはそうだけどね」
「まあそれを除いてもこの海は、元々死の海といっていい。なにせ本当の海と繋がってないんだ。ちゃんと生き物が居た方がある意味おかしい」
「そういえば、今回はあの変な魚居なかった!」
「そだねー。どーしたんだろ?」
確かに、ここまでの間、例の真っ白な魚にさえ出会わなかった。
以前とは状況が変わったのか、それとも、海の拡大に魚の供給スピードが追いついていないのか。
なんにせよ、ハルたちの国の天空魚や大樹の元となってくれた事を考えると、魚の居るうちに訪れておいて良かったといえるだろう。
その貢献を考えると、この地の魚たちに感謝するしかない。
「私が捕まえすぎて、怖がられちゃったかな!」
「まあ、多分それとは無関係だろうけどね」
「……しかし、なんというのでしょう。少し殺風景で、その、つまらない気がしますね?」
「ん? まあ、確かにねどちらを向いても同じような光景で、面白みに欠けるのは確かだねソラ」
「ソラは海に、なーに求めてるんだかぁ」
「んー。でもさ? 気持ちは分かるよね。ねぇソフィーちゃん」
「うん! ゲームの海はこう、もっと華やかで鮮やかだもんね! お魚もいっぱい泳いでて、他にもギミック満載!」
まあ、現実の海などこんなもの、といってしまえばそこまでだが、一方でこれはゲームでもある。
そんなゲームをプレイするプレイヤーのスキルで生み出された海なのだ。確かにそういった、『面白さ』がそんざいしてもおかしくない。
「サコンの森には、そうした見た目で分かりやすいファンタジー感があったしね」
「こっちにも、きっとあるよハルさん! よーし、探検してみよう!」
「ここはあくまで、拡げたばっかでまだまだ未整備なだけかも知れんな?」
「……あの。適当に言ったまででして。あまり間に受けられませんよう」
「いーやソラっしー。『あるはずだ』という前提で探す! それがゲーマーの楽しみ方ってもんさ!」
「……もし何も無かったら?」
「『なんだこのクソゲー!』って切れ散らかして、八つ当たりする」
「最低だなあ」
などと言いつつもハルも、以前はユキと共にそうして暴れ回っていた。今はソラたちの手前、否定にまわっているだけなのだ。
「……そしてね、残念なお知らせだ。ちょっと先行してサーチしてみたんだけどさ。残念ながら、何かあるよ」
「えっ? 朗報じゃん!」
「たのしみ!」
「……今回は、ただのつまらない海で終わってくれた方が助かったんだけどなあ」
そんなハルは、方角も分からぬ海の中で、北の方を指で指し示す。
そちらから、まだ肉眼では見えぬが、なぜか海の底で、強い光を放つ存在があるようなのだった。




