第1657話 海の拓く日
海の日記念ということで、海開きです。海開き?
その後は大きな問題もなく、また一方で大幅な進展もなく、いうなれば平和にハルたちの国家運営は進んでいった。
いや、もはや国家運営ではないのかも知れない。国家そのものの舵取りは、今回新たに生まれた王族NPCに完全に委託された。
これからは彼らが自動的に、他のNPC達を導いていってくれるだろう。
既に都市計画もほとんど図面通りに完成し、残るは微調整のみといったところ。
もちろん、その調整段階になってからが長くなるのもお約束なのだが、さりとてそこは大した波もなく、平和に進行していくに違いない。
とりあえず、農業がこう米ばかりではさすがに人間的な食卓が成り立たないので、今後は夏らしい野菜などを中心にのんびりと畑仕事を進めて行くか。そうハルが考えている、その矢先であった。
「海と森が拡大している?」
「ええ。どちらも、この我々の国のある南方面に向けて拡大しているようですよ。まあ我々というよりも、手前のソラやソウシの国が目当てかも知れないけどね」
「ソウシ君がなんかしたの……?」
「そうらしいですよ。海は知りませんが、森の方にはしきりに挑発を行っているとか。事実上の宣戦布告だよね」
「……何をやっているんだ彼は」
とはいえ、これはハルの責任というか影響があるのは間違いない。
ハルたちが目の前で、あの大樹の成長とそれに伴う街の大規模な変異を見せつけた。加えて、森の国の主であるサコンとの関係を語ったことで、何かしら彼にとってのヒントを与えてしまったのかも知れなかった。
そんな国際情勢に関しシャルトから報告を受けているハル。
聞けばどこも、最近は『空き地』がほぼ無くなってきたことで小競り合いが頻発しているようだった。
「……しかし、『海』もかい? 森はともかく、海は異常さでは上だけど拡大はせず大人しいんじゃなかったけ?」
「さて? 個々のユーザーの事情には自分は詳しくありませんので。でも事実として、むしろ海の方が元気に勢力拡張を続けてるよ」
「ふむ……?」
何か心境の、いや取り巻く環境の変化があったのだろうか?
確か海の主は所属派閥の中では比較的立場が弱く、自分本位な領土拡張が出来ない事情があったはずだ。
その問題が、解消を見たのであろうか。派閥の盟主から正式に承認を受けたか、それとも、派閥に縛られる必要がなくなったのか。
「普通に考えれば、ゲーム内の立場程度で家同士の関係に軋轢を生みかねない行動をするとは思えない。しかし……」
「このゲームは単なるお遊戯とも言えませんしね。何か、そう派閥内の力関係なんかよりも重要な『何か』を見つけたならば」
「そういう思い切った行動に出ることもあり得るか」
「もしくは、うちの魚が呼んでるとかですかね。ほら、元はあの海に泳いでた魚だし。はは」
「笑い事じゃないが、無いとも言えない……」
その場合は、迷惑をかけて申し訳ないと言う他ない。責任を取り、早々に魚を始末するとしよう。
いや、それはそれで、せっかく安定した国内の権力構造にヒビを入れる事になるのでよろしくないか。
あの魚を頭上に戴いたことで、この国内の派閥もまた落ち着きを見せた。
王宮派と大樹派の勢力図は均衡を見せ、どちらが大きく押しているということもなく拮抗している。
制度上、法律の上では、国民たちは王宮の定めた決定に従うことで纏まっている。そこで無駄に反発を見せることは今のところは無さそうだ。
「あの魚、イシスさんの能力かな? 詳細は謎のままだからね」
「そこは、『水を蒸発させない能力』でいいんじゃないですか? 十二分におかしい力だよねそれだけでも」
「まあねえ。本人は『こんな程度じゃいやだー』って憤慨してたけど」
「どれほどヤバい事してるか理解してないからですよ。見れば見る程、そんなこと言ってられなくなるよ、アレは」
とはいえ、ゲーム的にはメリットの薄いスキル効果であるのも事実であった。
せっかくの貴重な特別覚醒枠を消費して、アルベルトの言うようなポンプを取り付ければ解決する程度の効果を生み出して終わりとなれば、プレイヤーとして文句の一つも言いたくはなる。
「いわば、『ハズレスキル』ってやつだ。一方で、『海を作る』だの『スキルを全て禁止する』だの見せられていれば、嘆きたくもなるさ」
「結局、『海』の方は同様のスキルだと思ってるんですかハルさんは? まあ、他に適当な候補も無いけどさ確かに」
「今のところ、そう思うしかないって感じかな。まあ、実はあの海の水が全て疑似細胞っていうオチもあるけど……」
「うわあ……」
周囲の土地を原料にして増殖し、その細胞が水そっくりに擬態している。
そう考えると、あの大地を食らい削る浸食性にも説明がつく。まあ、ほぼない可能性だが。
「まあとりあえず、そんな海の方が進軍? 速度は速い訳だ」
「ええ。このままのペースを維持した場合、こっちには先に海が到達するはずですよ」
「なんとも夏らしくて結構なことで……」
「それなら、森だって夏らしいんじゃありませんか? よかったねハルさん。どっちだろうと夏のアウトドアを満喫できるよ?」
「なにも良くないわ……」
敬語の続かぬ口調の通りにふてぶてしく語るシャルトにツッコミを返しつつ、さすがにこの事態は無視できないと、今回は自身が動くことを決めたハルなのだった。
*
「という訳で、我々は再び問題の海を調査する事にしたのである」
「おーっ! 了解であります、隊長どの!」
「何の隊長なのソフィーちゃん?」
「わかんない! 探検隊? とにかくハルさんは、隊長さん!」
「えっ? 探検? 海に遊びに来たんじゃないんです? 水着着て来ちゃったんですけど……」
「君たちイシスさんには何て言って連れて来たんだい?」
まあ、変に緊張させるよりは良いだろう。相変わらずのバカンス気分のイシスは別として、ハルたちは今、再び例の地上に現れた海の調査に来ている。
確かに、以前に訪れた際に比べて『海岸線』が、より南方へと浸食を進行しているようだ。
数日前まで普通の地面が続いていたはずのそこは、突如としてぶっつりと土地が途絶え、海に飲まれて消えてしまっていた。
「……とりあえず、この水は普通の水だ。例の細胞の擬態じゃない」
「ですねー。さすがにそんな状態ならば、すぐに分かりますー」
「あれだね! 湖かと思ったら、スライムのやつ! 飛び込んだら、丸飲みにされちゃうの!」
「わたくし、知ってます……! 服だけ、溶かされてしまうのです……!」
「えっちねぇ。普通溶かすなら、肉だけでしょうにね?」
「確かにそーだ。考えたこともなかった」
「さすがに疑問には思いなさいなユキ……」
これがゲームに常識を侵食されたゲーマーの思考である。
……いや、一般的なゲーマーもそうであるかのように語るのは良くないだろうか。
「あの、どういう反応すればいいんでしょうか……」
「むしろ反応したら負けだよソラ。スルーしときな」
「ソラ。なに想像してんの? へんたい」
「していませんよミレ……」
なお今回はお隣さんの国の“本当の”領主、ソラたちにも同行してもらっている。
ソウシばかりが大きい顔をしているが、実際はこのソラの方が盟主であり今でも雇い主であるのであった。
「ソウシ君が、こっちの海にもケンカを売ったってことは?」
「いえ、今のところ聞いていませんね。ご迷惑をおかけしています」
「いやむしろ紹介した僕の方こそ申し訳ない……」
「しかし、ソウシさんをあまり責めないであげてください。彼の行動も、あながち向こう見ずとも言えない訳でして」
「この箱庭の鼻つまみ者であるサコンなら、敵対しても誰からもヘイト買わない。むしろ、ソラが率先してそう動くべきだった」
「そう言わないでくださいミレ。ソウシさん抜きでは敵対して勝てる見込みもないんですから……」
「その時は、ハルがなんとかしてくれる」
「またそんなご迷惑かける事を言って……」
「いや、もちろん協力はさせてもらうよ。ただし、君らがあまりに無茶な事をしてた場合は除くけどね」
「ちぇーっ」
さすがに何でもかんでも、責任は負いきれない。ソラやミレが暴走し先走った際は、面倒を見きれないことだってある。それは理解しておいて欲しい。
「うわ。見てくださいよハルさん。この海、今でもじわじわとこっちに向かって来てますよ? だいじょうぶですかね? それこそ入ったら、私たちも溶かされちゃうんじゃ……」
「試してみよう! どぼーん!」
「ってソフィーちゃん!?」
「まあ、平気だとは思うよ。安心してイシスさん」
イシスの言う通り、海は今この瞬間も南へ向けて海岸線を押し上げている。
それはまるで強力な酸で、触れる全ての物を溶かし飲み込んでいるかのようだ。
しかし、実際はそんなことはない。ハルが水に手で触れてみても、その手が酸で溶けるようなことはない。
どういう理屈か知らないが、この海は『服だけ溶かす』ならぬ『地面だけ溶かす』都合の良い特性を持っているようだった。
「ソウシ君がこっちには何もしてないなら、やはり領主を取り巻く事情が変わったか」
「以前にも言った通り、その者は派閥内では立場が弱い人物であったはずです。もし承認を受けたのでなければ、どこか他に新たな、後ろ盾を得たのでしょうか?」
「私たちも欲しいねソラ、後ろ盾」
「ないものねだりをしても仕方ありませんよミレ。いったいどこの誰が、こんな面倒な世界に好んで関わると言うのですか」
「ソウシくんを取り込むとか」
「……それはそれで、制御できる気がしません」
「ソラのヘタレ」
「あっ、じゃあこれはどーかな? ルナちーのママ。ハル君が言えば、後ろ盾になってくれんじゃね?」
「それは、確かに、強力極まりない後ろ盾ではありますが……」
「さすがにそれはちょっとー……」
「ミレちゃんまでお断り反応!?」
「当り前よユキ……」
さて、果たしてどのような事情で、心境に変化があったというのか。
海は凪いで何も語る事はなく、その奥底をまるで見通せずただ佇むのみなのだった。




