第1646話 過去にこぼした迂闊の種
塔から国境付近までやってきたハルたちは、問題の苗木の前へと辿り着く。
かつて『魚から生まれ変わった』その木は、あれから多少は成長し大きくなっていた。
……正直なにを言っているのか分からないが、これがれっきとした事実なのだから仕方がない。この世界も順調に狂ってきている。
「おっ。ちょっぴしでっかくなった! 色もついてんね!」
「そうですねユキさん! こうしてみると、もう普通の木と見分けがつかないのです!」
「中身パン生地なのにねぇ」
疑似細胞特有の灰色をした、枯れ木のような樹皮だったその木も今は、青々とした若木として擬態を完了。
その正体を知らなければ、ごく一般的な樹木を植えたようにしか思えない。
大きさも、魚と同様に自動で成長するらしい。いや、あの魚とは違い、こちらは誰の世話も受けていないのに、勝手に育っていた。これも噂の影響だろうか。
「それでそれで? こっからどーすん?」
「……さあ? どうすればいいんだろう?」
「ハル君もお手上げかー」
「こんな意味不明な物体を難なく制御しはじめたら怖いだろ。僕だってそこまでじゃあないよ」
「いえ別に、その程度今までと特に変わらないと思うのだけれど……?」
「はなはだ遺憾であるね」
ルナにまで言われてしまうということは、他の人からは更にそう思われているのだろうか?
これは少々、客観視が不足している、常識の基準がまだまだズレているのかも知れなかった。
「しかし、森に攻め込んだのが、いや別に攻め込んだつもりはないけど、それがトリガーになったってのもおかしな話だね。確かに、両方とも樹だけどさあ……」
「たしかに! 根拠が薄すぎる気もするのです! その程度で関連付けられて、イベントが発生してしまうのでしょうか!」
「うかつなことできないねぇ。ハル君お得意の裏工作が、ぜーんぶ裏目に出そうじゃん?」
「そうだね。地震を起こした時だって、他国にイベントが出ちゃったりね」
「……あれは、さすがに影響が出て当たり前だと思うのだけれど? 逆に何で影響が出ないと思ったのかしら」
それはまあ、『ゲームだから』油断したと言い訳する他ないか。
そもそも現実世界を舞台にしたこのゲーム。全てが地続きであり、そうした影響は簡単に領土を越える。
しかし今回のものは、それを踏まえても唐突すぎる。
確かに植物で共通してはいるのだが、それでもこの苗木とあの森の樹々はそれ以外の関連性は一切ない。
そもそも元が『魚』なのだ。出自から何から、関係などある訳がなかった。
「……これが、この木の出自があの森で、あそこから奪って来てここに移植したっていうなら、まだ分かるんだけどねえ」
「この子のふるさとは、海なのです!」
「あはは。いみかわらんよねぇ」
「ええ。頭が痛くなってきそうよ……?」
「ふにゃぁ~~?」
「ええ。大丈夫よメタちゃん? 実際に具合が悪い訳ではないからね?」
「にゃうにゃう♪」
頭を抱えるルナの足を、メタが前足で、ぽんぽん、と叩いて慰めていた。微笑ましい。
そんなルナに抱きかかえられたメタも、聞けば大抵何でも答えてくれるアルベルトも、この不思議すぎる疑似生物については、さすがに明確な答えを持ち合わせていないようだった。
そうして、頭を突き合わせて木の前で唸る怪しい集団の前に、今度は逆方向から、もう一人の人影が接近して来ているのであった。
「……揃ってどうした。お前達。今度は何を企んでいるんだ?」
「ああ、ソウシ君。いや別に、特に何も企んでなどいないよ。嫌だなあ」
「嘘をつけ嘘を。お前が何か企んでいない事などあったものか」
「はなはだ遺憾であるね」
「まー、正しいハル君評だねソウ氏。……ところで、なーんでそんな距離とってんの?」
「うるさい! 俺は、お前達とは慣れ合わんという意思の表れが距離に出ているのだ!」
「もしかして、この木が怖いのかしら?」
「ふなぁぁ……、ふみゃっふっふっふ……」
「黙れ! うるさいと言っている! 猫まで俺を煽るか!」
「まあ、みんなその辺で……、これに関しては僕が悪いから……」
以前、この木の顔見せをソウシに行った際、ハルがからかってしまった事が尾を引いているようだ。
何をしたかといえば、この木がいずれ世界樹のように巨大化し、ソウシたちの国の日照権を脅かすと宣告した。
……事ではなく、その後ハルがこの木の枝を操って、触手のムチのように不意打ちで襲い掛からせたことを根に持っているらしい。
「安心してよソウシ君。もうしないと約束するからさ」
「……フンッ! 当然だ。いい歳して、子供じみた奴め!」
「あはは。ハル君けっこーいたずらっ子だもんねぇ」
「おちゃめさんなのです!」
「言っておくが、シャレでは済まなかったからな……?」
未だ警戒心を消しきれぬそんなソウシの姿を見て、彼には悪いがハルはあることを思いつく。
それは、その例のお茶目な悪戯が、知らず知らずのうちに重大な意味を持ってしまっていた可能性だ。
それを確かめるべく、ハルは再び苗木に向けてエーテルを、ナノマシンの粒子を飛散すると内部にしっかりと浸透させていった。
中身は今も均一な疑似細胞の集まりだ。その木は再び、容易にその身の制御をハルの下へと置かれる事となる。
すぐに幹も枝も動物であるかのように、うねうねと自在に律動を始めるのであった。
「!! おいお前ぇ! やらないと言ったばかりだろうがっ!」
「いや、大丈夫大丈夫。もう人は襲わないから」
「そもそも動かすなって言っているんだよっ!」
「あっははー。ソウ氏、ビビりすぎぃー」
「情けないわね? 男の子でしょうに。ねえメタちゃん?」
「ふにゃぁーご」
「ご安心くださいソウシ様。ハル様は決して、お客様に危害を与えるようなお方ではありませんので」
「……いやしかしソウ氏ではないが、確かにこれは十分にキモいぞハル君。結局なにしてん?」
「む、すまない」
別にハルも、キモい動きで驚かせたい訳ではなかった。単に、関連性があるかをチェックするため、適当に動作をさせただけなのだ。
うねうねと不気味なダンスを踊る若木を、元の大人しい植物へとハルは擬態させ直す。
この、植物らしからぬ動作を使った悪戯が、今回のイベントの発生要因を担っている可能性があると、ハルは気が付いたのだった。
◇
「なるほど! つまりエーテル、ナノさんをしっかり潜り込ませたことが、この木と森を繋ぐ“とりがー”となった。そういう事なのですね!」
「そうだねアイリ。本当にただのイタズラだったから、頭から抜け落ちてた」
まさに、ユキの言ったように下手な事はできはしない。何がきっかけになるか分かったものではないとはこの事だ。
「いや、もし予想が正しければ、ソウシ君のおかげだよ。感謝しないと」
「勝手に納得していないで、分かるように説明しろ。俺には未だにさっぱりだ」
「おっと、すまない」
ハルは改めて、ソウシも交えて例の森、サコンの領地に調査に行った際のことを説明していく。
元はといえば、別に森の脅威を抑えに行った訳ではなく、本当に生態調査のために出張したのみ。そこでたまたま、サコンと出くわしてしまっただけなのだ。
そんな調査の折、ハルは今と全く同様に、樹木の中にエーテル粒子を深く浸透させてサーチを行った。
それは、今のように枝を操って触手のようにするためではなく、純粋に内部構造を調べるため。
その結果、疑似細胞を使った植物の驚異的な高速育成だったり、疑似細胞の中に埋め込まれた新種の改造植物といった、翡翠たちの仕込みを発見するに至った。
「……なるほどね? それと、以前あなたがやったイタズラが偶然に、文字通りリンクして、関連付けられてしまったと。そう考えているのね?」
「うん。共通点があるとしたら、それかなって。エーテルの粒子は、ご存じエーテルネットの必須パーツだ。意図せぬうちに、ネットワークを形成して、それがイベントトリガーになった。そう考えると今回の唐突な噂の発生にも説明がつく」
「フンッ! 迂闊な奴め。くだらん遊びをしているからこうなる」
「いやあ、申し訳ない」
「ビビった照れ隠しかソウ氏?」
「ビビってなどいない! そもそも、なぜ当たり前のようにこちらでエーテルネットを使えているのだ……」
「そりゃまあ、ハル君だし」
「ハルさんですからね!」
「まあ、そうね? 答えになっていないけれど、そうとしか言えないわ?」
とはいえ今のところ、確たる証拠はない。しかし、まるきりの手がかりゼロの状態であった先ほどよりも、よっぽどやりやすくなったのは確実だろう。
「では、内部にエーテルを浸透させての操作をすることにより、新たな展開の可能性を探る、というのがここからの方針となるのですね、ハル様」
「ああ、そのつもりだアルベルト。協力してくれ」
「はっ! お任せを!」
「うにゃん!」
「うん。そうだね。メタちゃんも手伝ってね」
「なうなう♪」
「……しかし、なにをするというのかしら? さっきのように、ひたすらこの木を躍らせるの?」
「うちらもその周りでダンスでもするかね? 大きくなーれ、大きくなーれ、ってさ」
「楽しそうなのです!」
「……くだらん。俺は帰らせてもらうぞ。勝手にするがいい」
「おや? 逃げるのかいソウシ君。まあ、それもいいか。いやそもそも、森はこの国に来る前に、ソウシ君の国が防波堤になるし、よく考えたら僕らは何もしなくってもいいのか」
「脅す気かお前ぇ! 自分の蒔いた種だ、きちんと自分で刈り取るんだよ!」
そうやってソウシをからかいつつ、ハルたちはこの光明をどう生かすか、真面目に考えて行くのであった。




