第1645話 目には目を木には木を?
すっかり本格的な夏が始まり、貯水塔からの放水が始まった今、徐々に溜め込まれた水の水位が減り始めた。
それに伴って、そこにのんびりと浮かび生息している二匹の魚たちも、徐々に下へ下へとその生息地を追いやられていた。
このままでは、秋が来る頃には、完全に中身の水と共に排出されてしまってただの川魚と化してしまうかもしれないのだった。
「んー。別にいいんちゃうん? 特に害ないっしょ。この魚の伝説が地に落ちても」
「えーっ。そんなこと言わないでくださいよぉユキさん。せっかくこの子たち、ここまで立派に育ったんですから」
「しかしだイシすん。図体ばかり大きくなっても、こいつら特に、役に立ってないし」
「……うっ! で、でも、これから何か凄いかも知れないじゃないですか!」
「凄いって?」
「それはとにかく……、凄いんです……!」
「すごくすごいですー!」
とにかく凄いらしい。アイリからも応援の相槌が入るが、やはり具体的には何も分からなかった。
「まあ実際、僕としてもせっかくの手がかりになりそうなこの魚の伝説を失うのは惜しい。しかし、とはいえ公共事業を停止する程ではないのも確かだから、魚のためだけに放水は停止できないよ」
「いや別に、放水はやめなくていいんですよ。このお魚ちゃんだけ、専用に遊ばせておく水槽を、頂上部に用意してもらえれば」
「……ねぇイシすん。……今まで、たっぷりの水の中で自由に泳いでた魚が、人間の都合で狭い水槽に移されて、それは本当に幸せなのかな?」
「うっ……!」
「……いきなり暗いトーンで何を言っているのよユキ。幸せもなにも、この子らはロボットのような物なのでしょう?」
「まあねぇー」
「ああっ! 騙しましたね! いやちがうか。からかったんですね!」
「イシスさんは、とっても素直なのです!」
まあ、幸せ不幸せは別にしても、生育環境の条件によって、NPC間の噂にも影響が出るということも考えられた。
噂、伝説の発生条件として、高度の高いこの位置で生息しているという以外にも、この大量の貯水量の中で泳いでいるという事も条件となっていてもおかしくはないのだ。
「まあ、それとは全く別の話で、専用プールの増設は僕からも否定させてもらうんだけどね」
「ええー。なんでですかー。解決しそうじゃないですかぁ」
「いやだって、この塔、外の旱魃期が終わったら解体するもの」
「そっ、そんな…………」
「なんでそんなにショックを受けてるのかしら……、このイシスさんは……」
「だ、だってルナさん! 私のリゾート地が、解体されちゃうんですよ!? 地上を見下ろす、プール付きの優雅な屋上が!」
「あなたのでもなければ、リゾートでもないわよ……」
「それは、断固抗議せにゃならんな、イシすん!」
「君はどういう立場なんだユキ……」
「私は面白そうな方の味方だ!」
ゲーマーの鑑であった。いや、言いすぎか。誰もかれもがそんな迷惑プレイヤーではないはずだ。
「残しましょうよぉハルさん~~。きっと何かに、使えますってー」
「しかしねえ。この塔って存在するだけで、街の日照権を侵害してるし」
「それは、アレキくんの霧でなんとかなったじゃないですか!」
「それにさイシスさん。よく考えてみてほしい。今は良いが、この後夏が終わり、秋が来て、凍えるような冬になっても、イシスさんはここでバカンスするの?」
「…………」
「ね? どうだい?」
「……いりませんかね。やっぱ、下の住民の皆さんに迷惑かけるのは良くないですよね。よし、解体しましょう!」
「欲求に非常に素直! なのです!」
「この人は……」
「その手のひらの返し方! それでこそイシすんだ。私の見込んだ女よ!」
別にイシスも、しんしんと雪の降りしきる寒空の中でも、凍えながらやせ我慢して水着で下界を見下ろしたい趣味は持っていなかったようだ。
夏が過ぎた後の事を想像したら、途端にプールに対する欲求が薄れていったらしい。なんとか一安心である。
「しょうがないです。お魚ちゃんたちのことは、私がなんとかしてみせます! たぶん!」
「まあ、実際イシスさんはあの夢世界では『龍脈の巫女』と言われる程の才能を持っていた人だ。その力で何とかしちゃうことを、僕も期待しているしね。任せるよ」
「才能ゲーだもんね。才能ある人に任せるのがいちばん!」
「このゲームは、エリクシルネットに深い関わりがあるようですものね!」
「……いやぁ、未だにまるっきり自覚ないんですけどねぇ、それに関しては」
「ハルの見立てはだいたい正しいわ? 自信を持ちなさいな」
「そうしますかぁ。ここまでハルさんの言うとおりにしていれば、間違いは無かったですしねぇ」
「思考停止もそれはそれで困るんだが……」
まあ、やる気になってくれたなら、今はそれで良いとしよう。
そんな彼女の仕事がやりやすくなるように、せめてもの手伝いはすることにしたハル。確か、放水によって下がった水位で、プールサイドから水面の距離が遠くなったと嘆いていた。
その状態を解消するために、水面をきちんと揃えてやるとしようか。
「アルベルト、メタちゃん!」
「はっ!」
「にゃっ!」
「これからは放水に合わせて、塔の高さも合わせて下げて行くように。いつでも、プールサイドが水面と一致するようにね」
「承知いたしました。すぐに、作業に取り掛かりましょう!」
「にゃんにゃん♪ なうーん♪」
「えっ、えっ、今からですか? ていうか塔の方を下げるんですか?」
「どうせ解体するからね」
一気にやるよりも、日頃から徐々にやっておいた方が後々楽だ。ただでさえ、これだけ巨大な質量を備えた建造物なのである。
「にゃーんにゃにゃっにゃーん。にゃーんにゃっかにゃーん」
「うわ。足元がゴゴゴってる……」
歌うようなメタのリズムにあわせて、微振動と共に塔が沈降を始める。
実際は、地面に沈んでいるのではなく、建ちながらにして外壁の高さだけが縮んでいるという高等技術だ。
「……こうやって徐々に下に降りて行くんですかぁ。諸行無常ですねぇ」
「まーまー。きっと、毎日微妙に景色が変わって楽しいぜイシすん」
「確かに。そう考えると楽しそうですね」
「季節の変化を、高さでも感じられるのです!」
「ついでに、迫りくる締め切りもまた、肌で感じられるわね? 便利ねイシス?」
「そ、そう考えると、日々プレッシャーが……」
「終わりへのカウントダウンを、高さでも感じられるのです……!」
そんな感じで、魚の世話に関してはイシスに任せることにして、ハルは塔の頂上を後にする。
投げやりにも思えるが、ハルが思うに、魚が今の特殊性を持ったのも、そもそもがイシスの世話によるものではないかと考えていた。
彼女とエリクシルネットにおける何らかの親和性は、きっと今もまだ健在だ。ハルが下手に手を出すよりも、そんな見えざる才能持ちの彼女に任せた方が良いだろう。
少々意地悪だが、ルナの言うようにタイムリミットを意識させた方が結果が出やすい気もするので、水ではなく頂上を動かさせてもらう事とした。
さっそく何やら遊び道具、いや仕事道具を取り出すと、魚に色々アプローチをしだしたイシス。
そんな彼女を置いて、ハルたちはもう一方の可能性、国境沿いに植えた木へと向かい塔を降りて行くのであった。
*
「その件の樹木ですがハル様。何やら少々、取り巻く環境に変化があったようです」
「そうなのか、アルベルト? 頂上から眺めた限りは、大して成長してないように見えたが」
「ええ。物理的な変化ではありません。例の、NPCの間に流れる噂の部分でございます」
「ほう」
「うにゃっ!」
共に塔を降り国境近くへと歩むアルベルトが、そうした興味深い新情報を知らせてくれる。
彼は街全体の設計、都市計画の担当として、常に自ら国中を回り、市井に流れる噂もまたチェックしてくれていた。
「アレに関する噂、今までは特に無かったよな? いきなり生えてきたのか?」
「うにゃ~~?」
「ええ。今までは、領主たるハル様が直々に植えたとはいえ、ただの目立たぬ苗木でしたしね。しかし、それが急に、重要な意味を持った存在として語られ出しました。ちょうど、ハル様がサコン様との戦闘を終えご帰還された頃からです」
「……ほう。つまりは、僕個人の行動が、国家の戦争行動として捉えられてしまった訳か。下手なことできないねこりゃ」
「みゃぁ~~……」
まあ、国家の代表者なのだから当然といえば当然かも知れないが。
それでも、誰にも知られるはずのない独自行動が、いつの間にか周知の事実として扱われるというのはやりにくいものだ。
まあ、これもゲームなのだから当然なのかも知れないが。
プレイヤーの行動や方針は、何か特別に広報など打たずとも即座に的確に、国全体に伝わるものなのである。ゲーム的なお約束なのである。
「隠密行動できないのはなんだが、いちいち布告を出さなくていいのは楽か。それで、国民はなんて噂してるの?」
「ええ。それがどうやら、『森』の脅威がこの国へと迫る事態を抑えるため、領主さまは『特別な木』を国境に植え、それにより森から国を守ってくださるのだとか。そのような噂のようです」
「うにゃぁー?」
「……えっ。あの森って攻めてくんの?」
「どうやら、NPCはそう考え始めたようですね。そして、その脅威を防ぐ為に、ハル様は単身敵国へと向かわれたのだとか、そうした話にもなっているようです」
「英雄譚かよ……、独断での侵略行為を美談にしないで欲しいよね……」
「ふにゃっふっふっふ」
いよいよ下手なことは出来ないではないか。メタにも笑われてしまったハルである。
そうなると、やれ蛮族だ森賊だとハルたちに批判されているサコンも本国では、国の繁栄のために勇敢に戦う立派な族長として讃えられているのかも知れない。
まあ、歴史なんてそんなものである。結局主観によるところが大きい。
「しかし、『NPCがそう言っている』ってことは……」
「ええ。つまりは、『このゲームでは今そういう扱いになっている』ということ。そう考えられます」
「にゃっ!」
つまり内部では、もうあの『森』が更に外部へ向けてスピードを上げて増殖を進めることは、既に確定事項であるのかも知れない。
その増え続ける森に飲まれる事を防ぐ為に、有能な領主であるハルが、先手を打って特別な木を配置した、らしい。いやハルも知らないが。
「目には目を木には木を、ってかい? さて、そんな噂の木は、いったいどんな能力で僕らの国の守り神様になってくれるというんだろうね?」
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




