第1641話 深い睡眠に対する考察
夢の泡が下から上へと昇る理由。言われてみれば、深く考えたことのなかったハルだ。
泡なのだから、まあ、そういうものなのだろう。そのくらいに思っていた。
しかし、言われてみれば確かに納得する部分はある。
この世界の最上部が意識の覚醒した現実だとするならば、眠りに落ちて、徐々に浅い部分から深い部分へ、上から下へと深い眠りへと『沈んでゆく』のが、本来の在り方なのではなかろうか?
だというのに、あの泡、『夢の回廊』のスタート地点は下層から始まる。
これはなんとも、おかしな話だ。
「《こじ付けじゃないんすか? 夢の泡って、ミントちゃんの組んだシステムであってこの世界に最初からある現象って訳でもないんすよね? だったら、その挙動がたまたま、そんな風に見えるってだけじゃないんすか?》」
「《そうでもありませんわ? 別にあの挙動、ミントがそのように設定した訳ではありませんもの》」
「《そうなんすか?》」
「《ええ。そもそもミントは、『泡』が外部から見たらどう見えるか、それすら知り得ていなかった。その可能性が高いのですから》」
「まあ確かに。中から強引に、『泡』を破壊して出ない限り、あれは泡というよりはスペースの限定された『夢の檻』だ」
扱いとしては、ガザニアの創造した特殊空間に近いだろう。
限定的な狭小空間を、工夫を凝らして広大な世界に見せかける。
夢の回廊は古いゲームによく見られた、『ユーザーの視界のみを描画する』という手法にてそれを解決していた。改めて考えると哲学的だ。
ミントにとってはそんな『檻』の外の事などどうでもよく、むしろ外界と隔絶された空間であるほどいい。
そんな彼女の目的から考えても、目を覚ます為の機構などわざわざ設計する必要はない。永遠に目覚めない方が、都合が良いのだから。
だからこそ、この現象はエリクシルネットに元からある、ある種の物理法則。そう読み取ったアメジストの推測は正しそうだ。
当然、そんな見た目の挙動だけでなく、彼女は協力者としてミントから詳しいデータも受け取っている。ある程度は真面目に聞いても良いはずである。
「まあ、睡眠に関しては僕も、常々気になってはいた。生物の機能として睡眠は、なぜ存在するのか」
「《脳を休めるためじゃないんすか?》」
「《おや。エメにしては適当な発言ですわね? 脳の無い生物でも、眠りは必要なんですのよ?》」
「事実、僕は睡眠なしでも機能を維持出来ているしね」
「《ハル様を基準に語るのも、それはそれで間違いな気もするっすけどね。にししし!》」
「あまり人外扱いしないでもらいたい……」
「《そんなハル様は詳しく研究なさらなかったので?》」
「ああ、それに関しては、専門に研究してる人に任せようかと……」
「《ふにゃぁ~~?》」
「うんうん。メタちゃんだね」
「《にゃうにゃう!》」
人というか、神というか、猫であった。
猫のメタは物質生成や建築技術でお世話になっていることが多いが、その神としての探求テーマは実は『睡眠』。
最高に気持ちの良いお昼寝タイムを目指して、日夜寝たふりに励んでいるのである。
「《コスモスもー。コスモスもいるー》」
「そうだね。もう一人ねぼすけさんがいた」
「《こっちはダラけてるだけ、って感じもするっすけどねえ》」
「《そうですわね。最近は、復讐鬼としての側面ばかり見せているきがいたしますわ?》」
「《むぅ。失礼な。コスモスも、やるときはやるのです。最近は、ハル様の命令でお仕事がんばってるだけー》」
「まあ、しかし、エリクシルネットと睡眠が深く関わっているとしたら、君のその二つのテーマはここで、奇跡的に合流を果たすのかも知れないね?」
「《おお~~。これは、天が私に、モノリスぶっ壊せと告げている……》」
「うん。都合よく解釈するのやめようか?」
コスモスのモノリスへの復讐心はともかく、実際に直感でそこを結びつけていたということも、またあり得る話だ。
その直感が働くということは神様たちの存在もまた、などと考え始めるのは、さすがに妄想の域に足を突っ込みすぎているか。
あまり脱線しすぎるのも良くない。話を本筋に戻すとしよう。
「……とりあえず、なかなか面白そうな話だってことは分かったよ。もしアメジストの言う通りの話であるならば、このエリクシルネットにはモノリスに導かれて人々の意識が集まるのではなくて」
「《ええ。人の意識の主体はこちらで、むしろ意識はモノリスに導かれ、わたくしたちが現実と呼んでいる世界に顔を出しているにすぎない。そういう事かも知れませんわ?》」
◇
「《むぅ……、その世界こそが、意識の主体……?》」
「《つまりあれっすか? 生物は、『眠っている状態こそが本質』ってことっすか?》」
「《あり得る話ですわ。だからこそ、生命はこれだけの進化の過程で、睡眠などという一見無駄な時間を克服できなかった》」
「《おおー。よーするに起きてる時間なんてのは、嫌だけど、本当に嫌だけど仕方なく、こっちでのエネルギー確保のために動いてやってるだけ、なんだねぇ。わかる》」
「《分かってないでもっと働くっすよ怠け者!》」
「《なうー……》」
納得できなくもない。そんな理屈であった。
肉体とは実は、意識が物質の世界で活動を行うための、ただの端末。その端末を維持するために、せっせと働いて、食べて、そして束の間の安息に落ちる。
まあ、何でわざわざ、そんな制限を負ってまで不便なキャラクターへとログインしているのか。その説明付けは特に出来ないのだが。
「……しかしアメジスト。その理屈には穴があるよ。それこそ、僕らの存在そのものだ」
「《理解しておりますわ。わたくしたちは、生まれてこのかた眠ったことがございません。だからこそメタちゃんも、それを追い求めてやまないのでしょう》」
「《にゃーご》」
「《わたしらは生き物じゃないんじゃないんすかね?》」
「なんて退廃的な結論出すんだいエメ……」
「《はめつしゅぎめー!》」
「《コスモスちゃんが言うっすか!?》」
「まあ、今さらそんな事を言っても仕方ないし、悲しいだけだ。僕らはちゃんと自分の意志を持って活動している。これが前提ね」
「《それこそ、『世界』のルールがそれを証明していますわ?》」
そう、いつぞやに自らの自由意志を否定する空木へとハルが行った証明法だ。
魔法の根源的なルールでは、<物質化>を使っての生命の複製はすることは出来ない。コピーしようとすると、それは<転移>に置換されてしまう。
ハルが最初この世界に転移することになったのは、まさにそのルールの暴発からだ。
この基本法則を定めたのは神々ではない。それ以前の魔法を作った異世界人でもない。
例の『世界への呼びかけ』で呼びかけた先の、『世界』が定めた絶対のルールであった。
これがあることで、意識の無限増殖は禁止され、コスモスの計画もまた未然に防がれた。
そしてまたこのルールがあることで、逆説的に複製できない存在は生命であるという証明にもなるのであった。
「……なるほど。過去の異世界人でもないなら、誰が何の為に、そんなルールを制定したのかと気になっていたが」
「《確かに、“意識そのもの”がルール制定したと思えば、納得っすね。意識がその世界から『浮上』するっていうなら、もしコピペ爆撃なんかしたらそっち側が大変なことになっちまうっす。それを防ぐ為の、フェイルセーフって訳っすか》」
「そういうことだね」
どうにもルールの決め方が、『大自然の法則』というには人間的だと思った。それこそ『意識』をもって決めた法則だというなら、納得というもの。
無理矢理ゲームに例えるなら、同一IDで無限にログインできないような、システムの設計であり規約の制定といったところか。
「まあ、ここまで全部妄想にすぎないんだけどね?」
「《んー。けど、最初の目的の補強にはなった。ハル様は、『世界への呼びかけ』先がエリクシルネットではないかと疑って、そっちにいった!》」
「《うにゃっ! みゃうみゃう!》」
「《そっすね!》」
「まあ、確かに。この妄想が合っているとするなら、そっちの妄想にも説明がつくか」
逆にいえば、今ある材料だけで全ての事象を無理矢理に説明付けようとしている。そうともいえる。
本当は宇宙はもっと複雑怪奇で、まだまだハルたちの知らない法則や世界が裏に眠っているかも知れない。いや、その可能性の方が非常に高かった。
ただ、気味の悪いほどしっくりと、往年の謎に説明が通ってしまう仮説なのも事実。
果たしてこれは、妄想なのか。それとも偶然パズルのピースががっちり嵌まった状態なのか?
「これを確かめるには、さて、どうしたらいいのかな?」
「《やはりここは、当初の予定の通りにエリクシルちゃんとの接触でしょう。悔しいですが、この世界についての知見は、わたくしよりも彼女の方がずっと上ですわ?》」
「《アメジスト、夢世界ではスキルシステムを利用されっぱなしだったっすもんね。うひひ》」
「《うるさいですわよエメ。ですがそれを逆手にとって、最後は一泡吹かせてやったので、セーフです》」
「いや一泡吹かされたというか泡を食わされたのは僕らなんだけど……?」
「《ん。お仕置きする! そういえば、おしおきの最中だった!》」
「《だからコスモスちゃんが言わないでくださいまし! あなたも大差ないのでは!?》」
問題児ばかりであった。まあ今回はそんなコスモスに任せ、アメジスト自身の解析に合わせて、彼女の隠れ家からサルベージしたデータも詳しく調べてもらおう。
そこから、今回の疑問に対する答えが、何か見つかるかも知れない。
そうしてハルはその後も多少の時間をかけて、かつての彼女がずっと暮らしていた室内から、くまなく必要そうなデータを回収し起きている彼女らへと送信する。
無理矢理に繋いでいるために、通信強度は驚くほど低く、非常に時間が掛かった。
まあそれでも、かつてのエリクシルの送った、短すぎるメッセージよりはマシな効率だが。
「《あっ、ハル様。そこの戸棚を開けると、わたくしの可愛い下着のコレクションが回収できますわ? いかがでしょう》」
「いらんわ」
そうして用事を終えたハルは、改めてこの世界の底に待つ、エリクシルの元を目指すのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




