第1640話 夢の泡の消えた地
エリクシルネット。かつてハルたちには『夢の回廊』などと呼ばれていた、夢世界へと繋がる途上の空間。
しかし、新たに判明した情報から考えるに、どうやら階層的にはエリクシルネットの方が夢世界よりもより“奥”の存在であると見ていいようだ。
エリクシルネット側から見れば、夢世界もエーテルネットも、自身から派生した等価な存在なのかも知れなかった。
そんな、全ての根源たる力が渦巻く可能性のあるエリクシルネット。その内部へと、ハルは再び赴こうとしている。
「エメ、装置を借りるぞ。勝手に使うけどいいよね」
「《あれ? 夢にログインするんすか? 今日がエリクシルちゃんとの約束の日でしたっけ?》」
「いや、違うけど。すこしあっちで調査をしたい。なにかしら、情報が転がってるかも知れないからね」
「《またそんなー。ゲームのアイテムじゃないんすからー。……とも言えないんすよねえ。ぶっちゃけ、何が転がっててもおかしくはないっす。ですが、気を付けてくださいよハル様。拾ってきたのは事態を解決する『答え』じゃなくて、事態をさらにややこしくする新たな『問題』になるかも知れないんすから》」
「ありそうで嫌だなあ……」
まあそれも、ハルにとっては毎度のことではある。新たに増えた謎を努めて無視しながら、現状の謎の解決を図る。いつもの流れだ。
謎の総数は減らないどころか、むしろどんどん増えていくが、時に謎はそれそのものが手がかりともなる。
この世は全てが複雑に絡み合った、大きな大きなパズルの一部。無駄なピースは一つたりともなく、全てが手がかり。
……そう信じて、ハルは今回も新たな謎を拾ってくることになる。のかも知れない。
「まあ、じゃあとりあえず行ってくるよ。僕の仕事はいったん完全に停止するけど、多分大丈夫なはずだ。何か問題が出そうだったら連絡入れてくれ」
「《らじゃっす! 行ってらっしゃいっす、ハル様!》」
「《あっ、ハル様? エリクシルネットに潜るんでしたら、少々お待ちを》」
「ん? どうしたアメジスト。というか無事だったか」
「《だいじょぶー。これから、無事じゃなくなる》」
「《適当なこと言わないでくださいコスモスちゃん! ハル様ぁん、助けてくださいまし……》」
「いいから、さっさと要件を伝えろ」
「《あーん。……こほん。まあ、なにかといえばですね。手がかりになるかも知れない物に、わたくし心当たりがございます》」
「ほう。それは?」
「《それは何かといいますと、以前ミントちゃんが行っていた、夢に関わる研究ですわ》」
「ああ、そういえば、共犯者だったね」
「《正確には被害者同盟でしょうか》」
あの、夢世界に人々を誘う夢の回廊。あれは実はエリクシルの発明品ではない。
元はといえば、アメジストの協力のもとエリクシルネットを使ってミントの行っていた研究が、無断でエリクシルに流用されてしまったもの。
その本来の使用目的は恐らくは、夢の中に人間の精神を幽閉するという物騒極まりない事であるはずなので、実は正直『被害者』とも一口に言えなかったりする。
一応、ミントは適性を持つ希望者のみを対象にするというポリシーはあるため、無差別に行われたエリクシルのゲームよりは、被害規模の面ではマシといえるだろうか。
「ちなみにそのミント本人は今は?」
「《あちらには居ないでしょう。元々、ミントちゃんに渡したアクセスキーは限定的なものですし》」
「なるほど。その辺の事情も、ついでにアメジストに吐かせておくように」
「《はいっす! おまかせっす!》」
「《覚悟するんですよー? 厳しくいきますよー?》」
「《やぶへびっ!》」
「《かくごしろー》」
「《コスモスちゃん! あなたはミントの共犯者で、むしろわたくし側の立場でしょうに!》」
「《おおー。痛い所をつく。でも、それはそれ》」
まあ、ここで自ら助言を行ってくれたことを考慮し、多少手心を加えてやってもいいだろう。
ただ、それはあくまでハルの考えなので、カナリーたちがどう出るのかは、彼女らに任せるより他ないのであった。
ハルは、アメジストの助けを求める悲痛な叫びを無視しつつ、本来ハルには存在しない、『眠り』の先の世界へと落ちて行くのであった。
*
「よし、問題はなさそうだ。それで、どうするんだっけ?」
「《あれじゃないっすか? アメジストの潜んでいた隠れ家。とりあえずあそこに行けばいいのでは? 位置とか分かるっすかハル様? なんの目印もないっすけど、その空間って》」
「まあ、なぜか何となくね」
なんの目印も手がかりも無い、ただ漆黒の空間が無限に広がるエリクシルネット。その中で行う探し物は、本来ならば絶望的。
海に落とした小さな箱を、潜って探そうとしているようなものである。
しかし、何故かは分からないがハルには“なんとなく”その位置が分かる。
それも、この世界に居るエリクシルの加護だろうか? それとも、そのエリクシルが語ったモノリスの管理者であるというハルの性質ゆえだろうか?
今のところ、それもまた謎のままの問題の一つ。しかし今は、とりあえず便利なので使っておこうという行き当たりばったりなハルだった。
「夢の泡は、もう見えないね。エリクシルはもちろん、ミントも結局はその研究を実行に移すことはなかったって訳か」
そんな暗黒の支配するこの世界にも、以前はそれでも少しは風景に変化が存在した。
それが、夢世界への回廊たる『夢の泡』。夢世界へログインする最中の人間が収容されたその泡が、次々と下から浮かび上がっては、殺風景なこの世界に彩りを与えてくれていた。
それが存在しない今、それこそどちらが上で下なのか、それすら分からなくなりそうだ。
「ミントは、あの泡の中に人間を永遠に閉じ込める計画でも立ててたのかなあ……」
応える者の居ないつぶやきを一人こぼしながら、ハルは虚空の闇を一人泳ぎ続ける。
あの泡は目的上あってはならない存在ではあるが、ただ一つその見た目の面だけでいえば、この世界において必要な存在といえる。
まあ、常に浮上を続ける以上目印にはならないのだが、少なくとも『自分の他に何かが居る』という安心感は得ることが出来るというもの。
「そういえばミントも、そんな事を言ってたっけ」
ミントの目指す神としての目的、その計画の根底には、他ならぬハルと、そしてもう一人の管理ユニットであるセフィの存在があった。
根本的に『人類』という枠から外れてしまった、生物として孤独な存在。それが今のハルたち二人。そう表現することも、まあ可能だ。
そんな絶対の孤独を解消するべく、『同種』の存在を生み出そうというのがミントの目的だ。
そこで何故、精神の幽閉になど行きつくかといえば、それはセフィの在り方があってのことだろう。
既に肉体が消失し、意識だけが独立した存在であるセフィ。それと同条件の存在を作ることで、彼の再現をしようというのだ。
なお、当のセフィ本人はといえば、まるで寂しさなどは感じている様子はない。悲しいことである。
「おっと、見えてきたね?」
そんなミントの悲しき独り相撲に思いを馳せながらハルが潜行を続けていると、予想の通りのポイントに、アメジストの隠れ家は確かに存在した。
ハルはその内部へ侵入すると、少女趣味な彼女の部屋を見渡して軽く嘆息。
それこそアメジストはこの部屋で、ずっとハルたちから身を隠していて寂しくはなかったのだろうか?
まあ、彼女のことだ。そんな事を問うたところで、不思議な顔をして首をかしげるだけなのは目に見えている。
「……アメジスト、着いたぞ? 生きてる? 結局ここで何するんだ?」
「《あ~~、生きていますわ~~。とりあえず、少々お待ちをー……、わたくしが操作しますのでー……》」
「どういう状態なんだか……」
なんというのか、彼女にしてはめずらしく『心ここにあらず』といったダルそうな返答だ。
人間でいうと『寝ぼけている』だとか、お風呂で『のぼせている』といった時の反応という感じだろうか。
そんなアメジストによるハルを通した操作により、何やら部屋の内部が動き出した雰囲気が察せられた。
「《……こほん。ミントちゃんの研究データの一部を、わたくしも受け取っております。結局わたくしは使いませんでしたが、それを解析することで、何か分かるかも知れないでしょう》」
「なるほど? しかし、お前はどうしてミントに協力を? 独占情報であるエリクシルネットへのアクセスを許可する事は、お前の居場所を知られるリスクもあっただろう」
「《そっすね? 別にアメジストは、精神の幽閉には興味があるとも思えませんし》」
「《無いですわ。わたくし、人間がどうなろうと興味がありませんので、逆にわざわざ閉じ込めたりもいたしません。ただ、幽閉場所としてではなく、単純に『夢』に興味があったのです》」
「へえ。なんでさ?」
「《夢を通して、人の意識はこのエリクシルネットへと沈んでゆく。その理屈や経路を探ることで、人の意識というものに対し、何らかの答えが得られる可能性がある。そう、わたくしは考えましたの》」
「《なるほどっすねー》」
「確かに、一足早くこの空間の存在に辿り着いていたお前なら、意識についてそうやって違った視点を持つことも出来た、って訳か」
そこで、ミントの目的を利用して、彼女の計画に協力した。いやむしろミントに協力をさせた。
結果、更にこの世界に通じているエリクシルに横からかすめ取られる事にはなったが、なかなかアメジストらしい、意地の悪い作戦だといえるだろう。
「《それで、なんか分かったんすか? 結局くたびれもうけっすか?》」
「《いえ。一応、仮説は立っています。まあ、仮説というより妄想に近いですが。あの夢の泡ですが、何故か『下』から生まれて、最後には『上』に登って消えますわよね? そこからわたくしは、意識はここに集まるのではなく、本来ここから生まれたものではないかと、そう考えましたの》」




