第1634話 惑わしの森
この森の中の領地での戦いに、絶対の自信があることを窺えるサコンの態度。
しかし、その能力がどれだけ稀有で強力なものであろうと、決して動かぬ明確な弱点が存在する。
「彼はわざわざ眠気を押してまでログインしてきた。なら、それは完全フルオートでは発動されず、彼が直接コマンドを入れない限り、動作をしないということ」
「なるほど? つまり、どういうことですのハル様?」
分かっているだろうに、わざわざ意地悪な顔をして確認してくる性悪なアメジストだった。
「つまりだ、数時間おきに訪問しては逃げてを繰り返せば、勝負するまでもなく、彼の体調をボロボロに出来るということ!」
「素晴らしいですわ! ここに、『ピンポンダッシュ計画』と名付け、早速実行に移しましょう!」
「移すんじゃねぇガキか! 最悪条例で罰されるぞ!」
「安心して欲しい。この地域には迷惑防止条例は無いからさ」
「誰もわたくしたちのイタズラを、咎めることは出来ませんわ?」
ニヤニヤと、頭にくる笑みをわざとらしく浮かべて煽る二人であった。
妙なところで協調する二人である。ハルがアメジストを止めに回らないと、ただの悪ガキ二人になって手が付けられない。
「……いいぜ、根性比べ乗ってやらぁ。テメェらとオレ、どちらが長く起きていられるか、勝負!」
「あ、いえ、わたくし、そもそも寝ませんので」
「僕もだね」
「んなわけあるかァっ!! 人間が睡眠から、逃れられるわきゃ、ねーだろうが!」
本当である。残念ながら。しかも特別なことでなく、ハルたちの仲間の半数が当たり前に有している基本技能だ。
ただ、それを説明するのは少々面倒なので、別の理屈にて誤魔化すとしよう。
「……まあ仮に、僕らが寝たとしてもだ。こちらはそれを補う人数がいる」
「ですわね。一人ずつ、ローテーションでピンポンダッシュすることで、途切れることなくこの男の睡眠を邪魔できます。名付けて、『悪ガキレギオン』」
「うん。その同盟の名前だけで、参加を拒否するメンバーがいくらかいそうだね」
「マジでやめろ。互いに得がねぇ……」
確かに、睡眠を破壊されるサコンはもとより、そんなサコン一人に嫌がらせをするためだけに、ハルたちも人員を割くことになってしまう。
結果、一人負けならぬ二人負けになってしまい、その間に他のライバルたちが得をするだけになってしまうのだ。
ただ、彼がハルたちの木を本当に奪い去ったなら、そういう事態も起こり得ると、想像してもらうことは出来ただろう。
「いや、さすがに冗談だけどさ。ただ、君がどんな強力なスキルを持っていようが、そういう手もとれるってことだ」
「ソロは大変ですわよ? いろいろと。貴方に、その覚悟がありまして?」
「……確かにな。思ったより、頭の、ヤベェ奴らに手を出しちまったのかも知れねェ」
「聞こえてますわよ」
小声で『頭の』とつぶやく、失礼な男であった。
「だが、そうそう思い通りにいくかぁ? 悪ガキ共! 毎回ピンポンダッシュして、逃げ切れる事を、どうして前提にしてやがる!」
「それは、悪ガキですもの。全能感に、満ち溢れておりますわ?」
「はんっ! ならそんなクソガキの全能感、オレが否定してやる。大人の力をナメるなよ?」
おおよそ大人とは思えぬ宣言を言い放つと、サコンは大樹の上から、地上のハルたちに向けて指を突きつけポーズをとる。
どうやら、見逃してはくれないようだ。交渉の余地が全くないようには思えなかったが、それでもあくまで力を見せつけ、その後に交渉があっても優位に進めたい考えか。
妥当な戦略ではある。よほど手に入れた力に自信があるらしく、その力を知った相手は下手に出ざるを得ないという確信が見て取れた。
だが、逆にそれが破られたとき。その際は一転、交渉は一気に不利に傾くことも理解しているだろうか。
まあ、全能感に酔った悪ガキではないのだ。捕まった時のリスクも、きちんと考慮に入れていることだろう。
「発動しろ神樹。<惑わしの森>」
そうして、立ち並ぶ神樹の並木が一斉に怪しい光を放ったと思うと、周囲には一気に、謎の空間が展開されたのだった。
◇
木々の隙間から見上げる空は歪み、大気には怪しい色が付き始める。
エリア全体が毒々しく変質していくその様は、まるでゲームの特殊空間の演出だ。
この場も一応ゲーム内なので、特におかしな事ではないのだが、一応、ここは現実ベースの実在空間。
これが演出だけの無害な表現と、そう思い油断するのは危険だろう。
「……なんだいこれは?」
「さぁ? ナンだろーなぁ?」
「特に何かが変わった感じはしないが……、さて……?」
フィールドの変化を警戒するハルたちを、今度はサコンがニヤニヤと意地の悪い笑みで見ろしてくる。立場逆転ということか。
だが今のところそれほどの、『出せば勝ち』レベルの脅威とは思えなかった。
毒々しい空気をそのまま呼吸しているハルだが、特に見た目通りの猛毒だとか、そんな事もないようだ。
しかし一方でアメジストはそんなフィールド変化に対し、彼女にしては珍しく表情を硬くして周囲を睨みつけているのであった。
「どうかしたか、アメジスト?」
「……ええ。お気をつけくださいハル様。このフィールド、何か強力なジャミング効果を感じますわ? わたくし、力が上手く出せないような、そんな感覚がありますの」
「ほう。それは、その拘束とはまた別で?」
「拘束もあって、余計に、ですわね」
特に何も不調を感じていないハルとは逆に、アメジストはこの場の空気そのものに強い不快感を覚えているらしい。
なにか彼女の力を封じる、そんな特殊効果が発動しているのは確実なようだ。
その影響がハルには出ていないのは、ハルが神ではないためか、それとも、ハルは肉体を伴ってこの地に存在する事が理由だろうか?
「正直よく分からないが、分からない時は一旦退くか。別に、この場に用事がある訳でもないからね」
「ええ。ピンポンダッシュの真髄は、欲張らずにすぐダッシュすること。ピンポンの回数に固執するガキは、二流です」
「そんなプロ意識はいらん……」
ピンポンダッシュはともかく、もとより相手のフィールドで律儀に戦ってやる意味はない。
ここは仕切り直し、しっかりと能力を解析するのが最善。そう判断し躊躇なく<転移>で逃げようとした、その時だった。
「……おや?」
「どうされました?」
「……なんだか、妙だね?」
「ハル様もですか」
ハルの発動しようとした<転移>が、何故か不発に終わった。一切の、効果を発動した手ごたえを感じない。
これはハルが魔法を失敗したという線は考えられない。今までにそんな事は一切なく、また仕組み上、ミスする要素も存在しない。
技ごとに成功確率が存在しているゲームでもないのだ。ここぞという場面で、1%しかない失敗パターンを引くようなあるある話でもなし。
「気付いたようだな。最初、何も感じてない様子で焦らせんなっての。流石ハーレム野郎は鈍感だなァ?」
「酷い言いがかりだ」
「ということはやはり、この気持ちの悪いフィールド効果ですのね?」
「おおよ。フィールドスキル、<惑わしの森>。神樹が存在する環境下でのみ使用可能となる、特別スキルよ!」
「……そんな能力があれに?」
「さて? 中身は正直、ただの『パン生地』にしか見えませんでしたが」
パン生地などと言われてサコンが怪訝な顔をするが、説明している余裕はない。
何かハルたちの解析できない特殊な力を、あの大樹は隠し持っていたのか。
いや、今それを考えても答えは出ないだろう。神樹はただのフレーバーで、本質的な能力発動は全てサコンが行っているという可能性もあるのだから。
ハルはその謎の効果の秘密を探るべく、もう一度<転移>による脱出を試してみることにした。
しかし、当然のように二回目も不発。普段は省略している細かい手順までも丁寧に確認しつつ魔法発動を行ったが、全てのチェックが正常であるにも関わらず、まるで効果を表さない。
「……『脱出禁止』とか? 名前も迷いの森っぽいしね。ゲームかと」
「ゲームですわ? ピンポンダッシュを許さないスキルとは、やられましたね……」
「誰がんなスキル作るか! そんな、チャチな能力じゃねーぞ? 何やら脱出用のスキルを使おうとしていたようだが、残念だったな! ここでは、それに関わらずあらゆるスキルの発動が阻害される。ただし、オレ以外はなァ!」
「またスキル封じか」
「好きですわね、支配者は」
いつぞやの皇帝を思い出す。いや、あの時は自国民のスキルすら封じていたので、使い勝手はそれ以上か。
ハルは試しに、軽く炎でも出してみようと<火魔法>も試してみるが、やはり失敗。今度はスキルに頼らずに、手動で式を組んで魔法を使おうとするが、それでも何故か効果が出ることはない。
これは、どうやら名目上はスキル封じと語っているが、実際の効果は、それ以上の何かのようである。
「お前の体調不良もそれが原因か」
「ええ。口ぶりからするに、ハル様以外の全てのプレイヤーに、この効果は及んでいるようですわ」
「ああ。つか何でテメーは平気なんだ?」
神やプレイヤーの肉体を構成するのも、魔力であり言ってしまえば魔法の塊。
……これらの現象を総合して考えるに、このフィールドスキルの真実は。




