第1627話 魚の木
ハルの解体した魚達は、そのつるりとした灰色の断面を崩すと、すぐにドロリと不定形の粘土のような姿へと形を変える。
ハルたちに『パン生地』と呼ばれているその状態は地面の上で寄り集まって、再び生物の姿をとって再生された。
「あっ。また魚だ」
「失敗かしらね?」
「ん、でも見てみなよルナちー。前回の状態とは、種類が違うぜ?」
「あら。本当ね。でも結局、そこに大きな意味はないわよね?」
「まあ、そうねー。どんな種類だろーと、ここで『びたんびたん』としてるだけだもんねぇ」
生まれ変わった魚は多少姿や大きさを変えて、『生地』の中から再生した。
それはまるで、纏めた生地を捏ねなおして、ちぎって再び成形しなおしたかのよう。
しかし、結局ここは丘の上。魚たちはびちびちと跳ね回るだけで、他には何も出来ることはないのであった。
「虚しいのうハル君。介錯してやれ」
「そうだね。まあ介錯しても結果は変わらない気もするけど……」
ハルがまた魚の身に刃を通すと、それらはまた一つのパン生地に戻る。
そしてまた一部をちぎって魚になって、また大地の上を跳ね回るのであった。
「これが無限に繰り返される?」
「無限ループだ。無限ループ」
「毎回微妙に種類が違うのは、仕様なのかしら?」
「《そっすね。こちらで試した時も、まったく同じ魚には変化しませんでした。それが仕様、と言っていいかと思うっすよルナ様。ただ、合計の体積は変化することないらしくって、魚の合計はいつも同じっす!》」
「ふーん?」
「これはどうすればいいと思うエメ?」
「《はてさて。わたしも別に、転生のパターンについてをそこまで詳しく調べた訳じゃないっすから。今はとりあえず、細胞単位での観察を行ってるっす。特にエネルギー源とか、そのへんっすね》」
「ああ、そっちは引き続き解析を進めて欲しい。体積が一切減らないのも、普通に考えておかしいからね」
「《らじゃっす!》」
その後もハルたちは、何度か魚を解体しては、その復活する様子を見守ってみた。
しかし魚は何度溶けても、同じ魚として生まれ変わる。その結果だけは、変わらなかった。
「一匹だけ残してみよう!」
「面白そうだね」
「生きている物も取り込まれるかしら? ……どうやら、生きているのは避けて、溶けた物だけで集まるようね?」
「地に落ちて死なぬ魚は、一粒のままである」
「なに言ってるのさユキ……」
「魚の単位は『粒』なのね……」
「あと、地に落ちて死んだ魚は別に元々増えないよ?」
ちなみに元ネタは魚ではなく『麦』である。一粒なのはそのせいだ。
「だからこうして、麦はパン生地にすればいいってことだ」
「時間差で潰しても同じだね?」
「《ならきちんと芽を出すように、地面に蒔いたらいいんじゃないっすかね?》」
「それいいねエメっちょ。死因が重要なのかもしれん。今までは斬殺しかされてなかったかんな」
「死因て」
「切られて死んだから魚、とかあるのかしら……」
「ほら、刺身的な?」
何か、再生する土地の環境以外にも、ハルたちの知らぬ隠れた条件が存在していそうだ。
もしかしたら、プレイヤーが手を下さず、自然と息を引き取るのを待つ必要がある、であったり。
しかし、そうした条件の追及をひたすら繰り返すのは、これ以上はよくないかも知れない。
ものが魚の形をしているだけに、心優しいルナがそれを“殺める”のを見ているのが、忍びないといった気持ちを抱き始めた気配をハルは感じた。
「よし、魚の種、まきまき完了!」
「ユキは容赦ないねえ」
「ん? なんでさ。ゲームと割り切ってれば、こんなんいつもの事だし」
「……私も、もう少し慣れた方がいいのかも知れないわね?」
「いーのいーの。こーゆーのは私らがやれば。ルナちーはそのままでいてくれい」
「そうね……? 私も、『魚の種』なんて概念をすらっと理解できるようにはなりたくないわ?」
「そっち!? それも別に、ふつうじゃん?」
「いや普通ではない」
蒔いたら何が出るというのだろうか。魚が生えてくるのだろうか。いや、ここは『魚の木』、だろうか?
そんな馬鹿なやり取りを楽しみつつ、ハルたちは次の魚の再生を待つ。さて、その結果やいかに。
◇
「魚の木だ……」
「魚の木ね……?」
「うわぁ。本当に生えるとはねぇ」
「ユキは、自分でやっておいて……」
ハルたちが魚を“埋葬”した結果、土の下から姿を現したのは、本当に『魚の木』であった。
……いや、ただの木だ。魚とは一切関係のない、普通の植物である。そのはずである。
相変わらず灰色をした木肌の小さな樹木が、魚を埋めた地面から知れっと芽を出して、これから更に育ってゆこうと枝を伸ばし始めた。そんなところのようだった。
「これが成長すると、枝に魚が生るんだねぇ」
「生る訳ないでしょう……、生らないわよね……?」
「ない、と信じたいね」
「便利でよくない?」
どうだろうか。まあ、常に新鮮な魚が生っていてくれるのなら便利かも知れないが、熟すと腐敗してきたり、地面に落ちた魚の身(実)が異臭を放つような木であったら、ちょっと遠慮したいハルだった。
「《いやこれは、なんとも面白い結果っすね。流石はユキさんっす》」
「やれって言ったのはお前だろうエメ。人に責任を押し付けるな」
「こーなるって予想してたん?」
「《いえ、条件を大きく変えてみてはどうかと思っただけでして。いきなり当たりを引いたのは、ただの偶然っすね》」
「当たりか? ハズレじゃないか、これは?」
「《ハル様は動物がよかったっすか?》」
「……いや、というより、植物に嫌な思い出しかない」
「あはは。世界樹だねぇ」
「これもまた、あり得ない程に巨大化するのかしら?」
「勘弁してくれ……、そしてリンゴなんて実らせないでくれ……」
まあ今回は、ゲームの仕様上あの甘ったるいジュースを無限に飲み続けるハメにはならなそうだが。
しかし、まだ触手を伸ばして最終的に敵対してくる可能性はゼロではない。油断は、出来ない。
「しかし、なぜ地面の下ならオーケーなのかしら?」
「《そこはなんとも言えないっすね。もしかしたら再生後、即座に圧死し続けたことで、それこそ無限ループ防止のための制御が働いて、魚であることを強制終了させられた、とか。もしくは単純に、即死によるエラー判定が一定数重なったら、種族を変更する設定だった、とかっすかね》」
「回数不足か。確かに」
「ありそうって言ってたしねハル君」
そのあたりの実験は、あの塔の上の魚で試そうと思っていた事だった。計らずも、ここである種の成功を迎えてしまうこととなったが。
「しかし、どうするのかしら、この木。このまま、ここに置いて行く?」
「それもね」
「そだね。それもどーかね」
「《いちおう、そこにはなーんにも無いですし、誰もまだ手を付けてないっすけど。だからこそ、何かの拍子に他のプレイヤーにでも目をつけられたら面倒かもっすね。わたしとしては、持って帰ることを推奨するっす》」
「持って帰った結果、カゲツにでも目をつけられたら……?」
「トラウマになりすぎっしょハル君」
「その時は、カゲツの体をあなたがお料理してやる、くらいの気概でいなさいな。いつまでも気圧されていてどうするの?」
「いやお料理はしないけど、まあ、その通りだね」
世界樹化に対する懸念はなにもカゲツのみにあらず、アメジストという不安要素もあるが、そちらもまあ、今はハルの支配下にある。過剰な心配は不要だろう。
ハルは地面から小さな木を引き抜き、根を傷つけないよう慎重に持ち上げる。もし地面の中で千切れて、細胞を残してしまったりしたら大変だ。
それが『種』として残り、次に来た時にしれっと勢力を広げているかも知れない。
引き抜いた木は根の先に至るまで灰色をしており、元はあの魚たちと同様に、謎の疑似細胞から作られている事をはっきりと示していた。
「……こうして見ると、魚よりも奇妙に見えるわね?」
「そーかな? 枯れ木だと思えば、こんなもんじゃん?」
「枯れ木というより、燃え尽きて灰になってる色だね」
「でも生きてんでしょ?」
「うん。植物だから、分かりにくいけどね」
「《そっすね。しっかり活動してるっす。しかしその細胞、動物細胞だけじゃなく植物細胞もいけるんすね。いやまあ、便宜的に細胞と言ってるだけで、実際にはどっちの細胞とも似ても似つかぬ物なんすけど》」
「ナノマシンの集合体のようなものだからね」
「体積、ってかその細胞数は同じなん?」
「《同じっすね! だから、あんまりでっかい樹にはなれなかったんすねえ》」
そんな、まだ苗木の大きさの樹木を持って、ハルたちは街の方へと戻ることにした。
可能な限り、すぐに目に留まる近場に植えておくのがいいだろう。
「どこに移植しましょうか? やっぱり、またあの塔の上?」
「んー、そりゃ良くないかもよルナちー。あそこはほら、もう伝承が生まれちゃってるし。二つおんなじトコは、よくないよくない」
「そうね? イシスさんの休憩所に、これ以上アイテムを追加するのも良くなさそうですし?」
「イシすん。すまん……」
「国の中央、これからお城を建設する予定地に植えればいいのでなくって?」
「また本拠地に変な樹が出来るのかね? まあ、今度は僕の家って訳じゃないしいいか……」
そんな、最終的に何処に植えるかはまだ決まらないまま、ひとまずは初期地点にまで、ハルたちは灰色の樹木を持ち帰ったのであった。




