第1620話 泳ぐかまぼこ
「あっ! これってあの時の『パン生地』だ!」
「そうだね。ああいや、別に本当にパン生地で出来てる訳じゃないけど……」
「つまり、泳ぐタイ焼きさんだね! あはははっ! おっかしー!」
「あんこが詰まってないか確かめよう!」
「おー!」
「ちょっとソフィーちゃん……?」
ハルが止めるよりも早く、ソフィーは捕らえた妙に白っぽい魚を己の刀で、慣れた手つきにて解体していってしまった。
ヨイヤミの手前止めた方がよかったかと思ったが、幸いというべきかその腹の中からは、餡子も内臓もこぼれ落ちてくることはなかったようだ。
「うわ、すり身魚!」
「かまぼこだ! かまぼこが泳いでた! あははは!」
その魚の中身はのっぺりとした灰色の断面が口を開けるのみで、おおよそ生物の体内とは思えない。
やはりこれは、あの宇宙で出会ったドラゴンと同じ、生物とは呼べぬ特殊な細胞の集合体。
魚のように見えるのは見た目だけで、実際のところはナノマシンを固めて作った動く模型、というのが一番近いのだろう。
「あっ。またパン生地に戻った。ドロドロだねー」
「生き腐れが激しいお魚さんだね!」
「捌かれて、『死んだ』扱いってことなのかな?」
ソフィーの手の中でぴちぴちと暴れていた魚だが、彼女に解体され魚は生物としての動きを止める。
その身は例の、『発酵したパン生地』のようにどろりと溶けて、ソフィーの手のひらをすり抜けると地面に落ち、そのまま『海』の奥へと流れて消えてしまったのだった。
「逃げられた!」
「しんだのに!」
「回収された、ってことなんだろう。実際あれは死んだ訳じゃなく、細胞一つ一つで活動可能だ。この海の中で、また新たな魚として構築し直されるんだろうさ」
「転生だ!」
「二周目だね!」
もしかすると、次の“生”は魚ではなく別の形に生まれ変わるのかも知れない。
仕組み的には極小の積み木遊びでもしているようなもの。どんな形や大きさだろうと、自由に組み換えが可能である。
「……しかし、翡翠め。どうしていきなり、こんな事を。いや、翡翠じゃない可能性もあるが」
「アレキくん以外の、あのアンテナUFOに潜伏してた神様だね!」
「そうだろうね」
「お魚が作りたかったのかなぁ~」
「作れないの、ハルさん?」
「いいや、そんなことはないよ。事実、マゼンタ君の『生体研究所』では魚類だってしっかり再現して、七色の国の環境再現に使っているし」
「空港の街で食べたお刺身にも、それが入ってるのお兄さん?」
「たぶんね」
今はマゼンタたちが放流した魚からはずいぶんと世代を重ね、どれが自然の物でどれが地球産の遺伝子か判別が付きにくくなっている。
しかし、少なくとも当時はそうして環境整備を行ったのだ。魚だけは翡翠に再現できない、などということもないだろう。
「……考えられるのは、翡翠はまだ淡水魚しか用意できていなかった、という可能性かな?」
「そっか! キャベツの育成不良問題とかあったもんねぇ。じゃあ、翡翠お姉さん、というか運営の人たちとしても、この『海』は想定外の能力だったんだ」
「おお! やっるー! お魚のストックが出来てなかったんだね! ということは、来るかな! 『想定外』宣言と、ロールバック!」
「来ないと思うよソフィーちゃん……」
「変なこと期待するんだねー。ソフィーお姉さんは」
まあ、一種の『お祭り』というやつだ。負の方向性ではあるが、盛り上がることは盛り上がる。
しかし、もし本当にこの『海』が運営の想定を上回った能力の発現であり、彼女らの対応が追い付いていない内情の表れが、この灰色の魚だというならば。これは、少々荒れるかも知れない。
運営も制御できぬ可能性のある能力という事になるため、この先この海を中心として、どんな奇天烈な事態が巻き起こるか予想もつかない。
そんな中でも、神様はきっと巻き戻し対応はおろか能力の禁止も行わないだろう。
むしろ『そんなに強力な能力なら歓迎』とか言いそうである。
七色の国の方ならばバランス調整は行っただろうけど、こちらは最初からバランスなど投げ捨てた、閉じたゲーム。
この魚は必ず強行するという意志の表れだと、そう感じられてならないハルだった。
「むぅっ! ハルお兄さん、何か感じるよ! 人の気配が出た!」
「ああ。ここの主がログインしてきたようだ。鉢合わせる前に、逃げるよ君たち」
「おーっ!」
「待ってハルさん! その前に、魚を一匹とっ捕まえて行こう! いいよね!?」
「そうだね……」
まあ、ハルとしても、生きた(?)サンプルがあるに越したことはない。ソフィーならば、捕獲して戻ってくるまでにそう時間もかけないはずだ。
ハルは、ハルの命令を駆け出す直前のポーズで『待て』している忠犬ソフィーに、サンプル奪取の指示を飛ばすのだった。
「よし、行ってこいソフィーちゃん」
「わんわん!」
弾丸のように一気に解き放たれ、水中に向け発射されていくソフィーの体。彼女はすぐに、その両手に抱えるほどの大きな魚を“二匹”、捕獲して戻ってくるのであった。
一匹捕まえて帰ると言いながら、いざ放ってみると一匹ではきかないのが彼女であった。
*
「ほぉー。これがその海の魚ですかー。食欲はそそりませんねー」
「色が薄くて、まるで深海魚、ですね!」
「アイリちゃんは深海魚も知ってるんですねー」
「はい! ゲームで、見ました!」
敵地から帰還し、霧に隠れた溜め池の塔のプールに魚を放したハルたち。
二匹はその中を悠々と、まるで普通の魚のように泳いでみせている。
今のところ、捕獲されたからといって以前のように『自爆』する様子は見られない。とりあえずは、魚のふりを続ける気であるようだった。
「しかしハルさん、このお魚は、海のお魚です。この“ぷーる”は淡水ですが、いいのでしょうか?」
「いいんだよアイリ。そもそもこいつら、淡水だろうが海水だろうが、それで影響が出るはずがない。自慢のナノマシンボディで適応して耐えてろ」
「ハルさんが珍しく乱暴で投げやりですー」
「でも確かに、『釣りゲー』の生け簀は、海のお魚だろうが川のお魚だろうが、遠慮なく一緒に突っ込みますものね!」
そんな感じである。結局、これは生物ではなくゲームで獲得したアイテムのようなもの。扱いも雑になろうというものだ。
「……ただまあ、こいつらはある意味『デミ生物』といった感じに、生態を模倣して活動している可能性もある。その場合、淡水に浸けたら弱る反応を見せかねないか?」
「その時は塩でも撒いておきましょー。しゅばっ、しゅばー、って」
完成した溜め池は、既に天からの注水も停止している。岩と泥水が降って来ないぶん、落ち着いた環境ではあるだろう。
まあ、少々高度が高いかも知れないが、大した影響は出るまい。
ハルたちはそんな塔の頂上に立ち、のんびりと泳ぐ魚を見下ろす。
背を向けて逆を向いてみれば、見下ろす地上には徐々に人間の営みが発展を進める様子が俯瞰して見て取れた。
そこにはハルたちの国以外にも、地図上に大きな面積を誇る国が徐々に増えてきつつある。
「陣取りゲームもここからが本番、って感じしますねー」
「そうだね。それに加えてあの『海』と『魚』。どうなることやらだ」
「意外とー、周辺の国にぼっこぼこにされて海も魚も消えちゃったりしてー」
「まああり得る。突出した技術力を手に入れても、それが脅威と思われたら袋叩きなんてザラだし」
「拍子抜けではありますが、それが平和なのかも知れませんね……」
確かに。その展開が一番丸く収まるルートなのかも知れない。
心のどこかで、その展開を少し『残念』だとか『勿体ない』と感じてしまっているハルは、少々ゲーマー目線すぎるのだろうか?
とはいえ、ハルもまたプレイヤーたちの超能力に可能性を見出している一人でもある。
暴れすぎは当然阻止しなければならないが、一方で危なそうだからとすぐに蓋をしてしまうのも、それはそれで違うのではないか、という面倒な感性を持っているのがハルなのだった。
「しかし、このお魚さん、“うちゅう”では取れなかった、翡翠様たちの兵器、ドラゴンのサンプルの解析が出来るのではないでしょうか!」
「うん。それはもちろん、詳細に調べていくつもりだよ。ただ」
「ただ、何か、問題があるのですね?」
「ですねー。既に分かっている結論から言いますとー、こいつらは『あのドラゴンにはなれません』ー」
「むむむ!?」
「組成が根本的な部分で、異なっているって感じられる。不都合なデータがオミットされているのか、いわゆる民間版なのか」
「魚からドラゴンへと辿ることは、不可能にされているのですね……」
「うん。そもそもこいつらには、例の体全体を使ってのネットワーク構築がされていない。そういう意味では、民間版というよりオフライン版なのか……」
「恐らくは既に仕込まれたプログラムに従って行動を続ける、言うなればNPCのような存在ですかねー」
「肉体を持った、NPCさんという感じですね!」
肝心の肉体を得ているのが、人間型ではなく魚というのがなんとも気の抜けた話であるが。
ただ、あの決戦兵器のドラゴンまでは辿れずとも、翡翠たちの技術をある程度は解析できるのは間違いない。
この機会に、この細胞に似た有機物ナノマシンについては探れるだけ探らせてもらうのは当然のこと。
とはいえ相手も、それは承知の上であろう。『ここまでなら見せていい』と判断したから、こうして魚を放つことを決めたはずだ。
まさか、海に送る魚が間に合わないことを、そんなに焦った結果、などということはあるまい。
「しかし、こうして見ると、池に泳ぐ鯉のようでなんだか愛着がわく気もしますね!」
「まあ、このまま大人しくしてるならペットにしても構わないけど……」
「どうせ食べられませんしねー。捌いたらすぐ溶けちゃうんでしょうー? それこそ、本当にタイ焼きにでも化けませんかねー。そうすれば有用な存在ですのにー」
「君はなんでも食べようとしないのカナリーちゃん……」
「しかし、鯉として愛でるには、少々色が地味なのです……」
「確かに」
別にこの個体はそのままでも構わないが、あの海に生息する魚も、灰色の体表のままで通す気だろうか?
それは、少々手抜きが過ぎるとハルとしては思うのだが。
そんな事を考えていると、プールの中を泳ぐ魚の体表が、なんだか少しだけ変化を起こし始めたような、そんな錯覚を覚えるハルなのだった。




