第162話 護衛任務の大変さ
切り飛ばされたハルの腕が宙を舞う。刀を腕でガードし、その軌道をそらす事には成功したが、代償として腕を失った。
くるくると回転しながら放り上げられるハルの片腕に、正面に居るユキの顔がぎょっと強張る。特に問題は無いので、早く安心させてやらなければ。
「あはっ、やった! ……ってアンタなにその血ぃ! 何で血が出てるの!?」
「ん? ああ、そうだね。しまった。実は血じゃないから安心して欲しい」
「どう見ても血よね!?」
血である。どう見ても。だが、それを認める訳にはいかないだろう。ハルが肉体を持っている事が知れれば話がややこしくなる。
さてどうしたものか、と空中に踊る自分の腕を見ながら考えるハルに、妙案が思いつく。
傷口から吹き出す血液を、その内部に循環するナノマシンで操作し、じゅるり、と形作り操作する。まるで切断部から新しい血の腕が生えたように怪しく蠢くそれは、器用に切り飛ばされた腕をキャッチすると、するり、と元の位置へ腕を接合した。
飛び散った血しぶきを、磁力のように探知し引き寄せて回収するのも忘れない。
「ノーダメージ」
「嘘でしょ!? ……ホントにHP減ってないし! 分かった、回復したんでしょ、今の間に! こすいわね!」
「キミに突っ込みをやらせておくと安心出来るよね」
稀有な才能と言える。ハルの周囲の人材は突っ込み役が不足している。
それはともかく、ノーダメージなのは本当だ。人間としては少々危ないダメージが入ったが、プレイヤーとしてのHPには何ら損傷が無い。逆に、減らす方法をハルすら知らない。
スキルのコストとして使う以外に、HPが減少する事が無いハルだ。恐らくそういう意味でも、ハルのHPを減らせるセリスの<簒奪>は稀有な才能だ。
「ハル君、腕へーき?」
「だいじょぶ。元通りくっついた。服も」
「そっか。よかった」
「服に関してはもう突っ込まないわ……」
ハルの服は元々、半液状の物質だ。水をカップに注ぎなおすように、すぐに同じ形に繋ぎ直される。
ハルに決定打を与えたかと息巻いたセリスの一撃だったが、全て切られる前の状態まで巻き戻されてしまった。その不気味さに、押していたはずのセリスがたじろぐ。
「ハル君ハル君、私も遊んじゃっていーのかな?」
「いいよ。回避はしっかりね」
「はーい」
「ふんっ、取り巻きは引っ込んでなさいよ。今やあたしのステは神レベルで、うえぇえ!?」
口上中、うかつにも目を閉じて力に酔う彼女の顔面に、ユキの振りぬいた拳がクリーンヒットする。
十メートルは離れていたであろう距離を、ギャラリーを飛び越えてユキは一瞬で詰めて来た。
「神様を気取るには、ちょーっと反応鈍いかなぁ? ダメージ通っちゃうしねぇ」
「かすり傷じゃない! てかアンタ達、不意打ちばっかね!?」
「隙を作る方が悪い」
「悪いね」
「悪かったわね!」
対神戦の経験が豊富なユキさんの評論によれば、まだ神には届かないようだ。
超反応の権化であるセレステや、殴ってもまともに手ごたえが無いマゼンタとは、それは比べるのは酷というもの。
だが、ステータスが恐ろしく上昇しているのは確かなようだ。ユキの一撃をまともに食らったのに、あまりダメージが通っていない。
仕返しとばかりに刀と槍でユキに切りかかるが、踊るように全てを回避されてしまっている。
「ああ、うっとーしい! <ヘルフレイム>!」
「おおっと」
スピードで勝るはずの相手に当てられないのは、ハルの時の再現だ。キャラクターとしてのステータスは圧倒しているだろうが、経験はユキが圧倒的。レベルを全く上げずにラスボスを倒す事なども片手間でやってのける。ちょうどそんな気分だろう。
昨日今日と何度もそんな風に翻弄され、流石に頭に来たか、部屋一面を埋め尽くすほどの極大の炎でユキを焼き払う。
彼女、魔法はあまり鍛えていないようで、使ったのは中級の魔法のようだが、魔法威力の強化によって一般的なそれとは比較にならないほど効果は向上していた。
見物人の、セリスに吸い取られたプレイヤーは一掃されてしまった。
「びっくりした。ドレスのすそ、焦げるかと思った」
「私だけ働かないのも、なんですもの。淑女としてドレスは常に綺麗にね?」
「ありがとルナちー。あと、私、淑女むり」
セリス同様に魔法は苦手とするユキの代わりに、ルナが魔法で防壁を張ってユキを守る。
ルナも普段から地道にスキルを鍛えており、またこのイベントにより強化された力によってセリスの魔法を防ぎきった。力任せの未熟な魔法よりも、鍛えたそちらに軍配が挙がったようだ。
「……そう、まだ足りないんだ。吸い取って、強くなったのに、取り巻きにすら届かないんだ」
「届かないねぇ。このまま格闘家と魔法使いのコンビで攻略しちゃろう。あ、ハル君は勇者やる? 『神剣』持って」
「それも良いけど……」
それも良いのだが、彼女の様子には注意が必要そうだ。必勝の策と疑わなかった<簒奪>による自身の超強化。それでも翻弄されてしまった事に、精神的な負荷が高まっている。
プライドを守る為に、後には引けない状態だ。
「……届かないなら、もっと吸わなくっちゃ。おかわりも、来た事だしね!」
そう叫ぶと、セリスはハルを、対峙していたユキをも無視して、玉座の間の出口へと駆ける。
そこには先ほどユキによって倒されたプレイヤー達、まだセリスによって<簒奪>されていない者がちょうど戻って来た所だった。
彼らから力を奪い取る気だ。
ハルは、それは見逃す。彼らも放送は見ていただろう。ここに戻ってくると言う事は、その展開も覚悟、……いや期待していただろう者達だからだ。
もう少し甘い展開を期待していたのだろうが、今の彼女にはその余裕は無い。次々と強引に力を吸われて行く。世の中ままならないものだ。諦めて欲しい。
「セリス、そこまでだよ。そこで満足して戻ってくるんだ」
「……足りないわ、きっと。これでもまだ、アンタを倒すには足りないんでしょ?」
「足りなかったら、もう今回はそこまでだよ。届かなかったと潔く認めなよ」
「嫌よ! 嫌……、あたしが勝つの。あたしが一番なんだから、アンタにも勝たないといけないの」
どうやら少々、精神変調をきたしているようだ。魔法などで急激な強化を受けると、それに釣られて精神も急激に高揚する事がある。ハルも覚えがあった。
それが悪い方へ影響しているようだ。<簒奪>を繰り返して、現状の自分に慣れる間も無く強化が重ねられているせいか。
性格の変性。ユキのような例は極端だが、誰にでも起こりえる事象だ。セリスの場合は攻撃的であるようで、それが普通のユーザーに向かないようにしなければならない。
「そうだ! アンタの代わりに、あたしが魔王様やってあげる。いいわよね? 町を襲う役が不在だもの」
「だめ。魔王は僕、城下は平和、キミは勇者。せっかく考えてくれたルールだけどね。町を荒らす存在は不要だよ」
少し、やっかいなことだ、これは。彼女が平和を脅かす魔王の役になってしまった場合、止める手段があまり無い。
ハルが彼女を倒す事は出来る。だがそれでは何も解決はしない。セリスは何事も無く紫チームの本拠地に復活し、そこで<簒奪>の限りを尽くすだろう。わざわざ送り届けてしまうだけだ。
ハルが、死なない程度にセリスと戦い続けるのも骨が折れる。何しろ終了までまだ数時間あり、その間ずっと彼女を封じていなければいけない。
皆がハルに協力的だった事が、裏目に出てしまった部分になる。
「カナリーちゃん。彼女を捕まえられる?」
「うーん。私、すばしっこいのを追いかけるのは苦手でー」
「ぽやぽやさんだもんねえ」
カナリーにも頼れないようだ。撃破して良いならば彼女の神剣で真っ二つなのだが。
微妙な表情変化でカナリーが何かを伝えたがっているのを読むに、恐らくは運営としてユーザーを拘束出来ないといった制限があるのだろう。
今回は活躍させてあげられないらしい。
「ふふん、ご愁傷様。じゃあ、あたしは行くから!」
「行かせないよ」
出口に向かって駆け出そうとするセリスの進路を塞ぐように、ハルは一足飛びで回り込み立ちはだかる。
神剣を構えて道を阻むハルの姿に、セリスの笑みが深くなった。
「……やっとその気になったんだ。なぁんだ、最初からこうしてれば良かった」
「そうさせない為に、まともに相手はしなかったんだけどね」
更に言うなら、トラップを使い強化を促したのも、その利便性をどんどん高めていったのもその為でもある。
効率が良い方法があるなら、批判の大きい<簒奪>よりもまずはそちらを選ぶだろう。少々流れが早すぎて最後までは持たなかったが。
最初のハルの目論見では、決戦に挑んで来るのは終了の一時間程度前、二十三時頃と予定していた。それならば今の展開になっても、時間切れまでいくらもない。
「それもご愁傷さ、まっ!」
セリスが切り込んでくるのを神剣で受け止める。異常な速さだが、止めて良いならば対処はたやすい。
セリス自身、その自分のスピードに付いて行けずに振り回されている部分もある。
未だハルを倒すには及ばないが、ハルと切り結べている事に気を良くしたのか、そのまましばらくセリスは打ち込み続ける。
ハルの方も反撃に切り返すが、大雑把な攻撃と違って防御は洗練されているようで、きちんと神剣を受け止めていた。
「やれるじゃない、あたし!」
「いいや、ご愁傷様だ。体の強化に武器が追いついてない」
槍の柄で神剣を受けようとした所を、ばっさりとハルは切断する。この槍も度重なる強化により魔道具化しているが、流石に神剣を受け止めるまでには及ばない。
ハルに比肩するまでに強化されたセリスだが、それは<簒奪>によって得たもの。武器にまでは強化は及んでいなかった。
彼女の武器に施された魔道具化は、持ち主の魔力の出力によって切れ味が増すというもの。刃先以外の部分で受けるには適さない。
「ちぃっ……」
片手落ちとなり、刀だけを構える彼女の表情が硬くなる。劣勢を意識すると、今のままでは勝てないという思考がまた浮上してきたのだろう。ハルを突破しようと、切り込みつつ突進してくる。
通すわけにはいかない。神剣に魔力を乗せると、その勢いをそのまま受け止め、押し返すように逆にハルから切り込んでいく。
しばらくはハルの斬撃を自らの刀で捌いていたセリスだったが、ふと、体の力を抜いたかと思うと、にやりと口元を歪めた。
非常に分かりやすい。このままハルの剣を受けるつもりだ。ここでハルに殺されれば、復活によって難なく離脱出来る。
「それに引っかかる僕じゃないよ」
「あいったぁ! 乙女に容赦ないわねアンタ!」
「乙女に容赦してたら首を取られる世界にずっと居たからね」
「私かな? 私か」
「ユキ以外に誰がいるのさ」
わざわざ隙を作ってくれたのだ、ありがたく足だけ切り落とす。
文字通り、膝から崩れ落ちると、セリスはそのまま鼻を地面にぶつける。……確かに、乙女を相手にこれは申し訳なかった。
すぐに彼女は足を再生する。回復薬を惜しまないのは、最初の方から同じだ。HPの総量が増えた今でもその際の反応が大差ない事を見るに、相当大量に抱えているらしい。
最初に彼女に力を譲渡した仲間も、そういった方面で優秀なプレイヤーのようだ。
「回復薬切れも難しそうだね」
「ふっふーん。驚いた? 優秀なブレーンが居るの。……あっ、今のナシ」
「キミは優秀じゃなさそうだよね」
「やかましい! 足を切り続けても無駄よ、いくらでも再生できるわ」
「……足が無かったとしても、<飛行>で逃げれば良いのではないでしょうか?」
「あっ!」
「キミは優秀じゃなさ」
「二度もゆうなぁ!」
ずっと大人しく観戦していたアイリの素朴な疑問に、今気が付いたとでもいうように反応する。
アイリのこれはわざとだ。ハルの意を汲んだアシスト。精神が繋がっている故に、表面上何のサインも送らずに連携を取ってくれる頼れる妻だ。
言われたままに<飛行>で逃げようとするが、彼女はそういった非現実的な行動には慣れ親しんでいない。地に足の着かない行動は、どうしても不慣れによるもたつきがある。
飛び上がろうとするたびに、二度三度と剣の腹で叩き落される。
「この作業をあと数時間もか。気が重くなるね」
「苦行」
「見ているのも気が滅入るわ……」
「がんばりましょう!」
「させないっての! すぐ抜け出してやるんだから!」
がばりと起き上がりセリスが吼える。なかなかの強敵に育ち、それなりに楽しいのだが、行動方針が少し問題だ。ハルに向かって来るならば良いが、攻撃対象は他プレイヤー。
要は、救出ミッションだ。古今東西、どのゲームでも救出が目的となると難易度が上がる。プレイヤーに向かって来てくれればいいのに、と誰もが思うだろう。
今は抑えられているが、宣言通り数時間ずっとこれ、という訳にはいかないだろう。何とかして、ハルが倒す以外での彼女の打倒方法を作り出さなければならなかった。




