第1619話 大自然に泳ぐ大不自然
幸いというべきか、残念ながらというべきか、『海』の拡大は今のところ非常に緩やかに進行しているようだ。
敵もまだ己の能力に戸惑いを覚えている最中なのか、それとも国造りに海をどう活かせばいいか思い浮かばずにいるのか。
それは分からないが、野放図な拡大を見せてこないというのは、ハルたちにとっては有り難いのは間違いないだろう。
「さて。ではこの猶予期間に僕らが何をするかといえば」
「先制攻撃だ!」
「いいやソフィーちゃん。まあ、場合によってはそれもいいんだけど、今は仮想敵ではあっても敵ではない。先制攻撃は、しない」
「残念!」
「あははは! ソフィーお姉さん、今日も血の気が多ーい」
「うーん! じゃあ、対抗するための必殺技の修行かな!」
「まあ、修行してもらってもいいんだけどね。都合よく海に対抗する技が閃きそうかい?」
「まかせて! 私の<次元斬撃>を拡張して、海を真っ二つに割ってみせるから!」
「わーお。だいぶモゼいね。次元斬撃EXだ」
「もぜもぜしてきたよ!」
片や海を作り出す能力に対し、片や神話再現の必殺技。ずいぶんと、派手な戦いになってきたものである。
「……いや、もぜもぜしているとこ悪いが、割ってどうするのさ、って問題がある」
「たのしい!」
「たのしーねー」
「逆に言えば、楽しい以外の利点がないでしょ。その方向で修行しようとするのは、少し待つように」
「ぶーっ!」
「あはははは! そんなにやりたかったんだ。ぶぅぶぅ~♪」
何となく、本当にやってしまいそうな不安が出てしまうのがソフィーである。
まあ別に覚えてくれても構わないのだが、せっかく新たな能力に覚醒するならば、もっと実用的なスキルを身につけて欲しい、というのはハルの自分勝手であろうか?
「なら、どうしよっか? またルナちゃんがめちゃ地震起こして、災害訓練する? あっ、それとも今回は水の魔法にして、水難訓練にすればいい感じになるかな?」
「タイダルウェーブ! に、メイルシュトロ~ムっ!」
「さすがに今は田んぼとか色々増えたからね。考えなしには出来はしないさ。それは、今度じっくり計画を立ててからだね」
「うーん。難しいねぇー」
ハルたちの国も着々と全体が形になってきて、ルナたちが派手に暴れられるスペースも減ってきた。
ソフィーがやたらと好戦的なのも、そうした抑圧感情が溜まっているからというのもあるかも知れない。
そのガス抜きという訳でもないが、ハルはここで彼女と共に、新鮮なイベント展開を行う事を提案しようと思っているのであった。
「そこで今回は、敵情視察をしようと思っているんだ」
「おお! 敵地潜入! からの奇襲!」
「奇襲はしません」
「むー」
「てことはお兄さん、例の海に突撃するの?」
「突撃もしません。こっそりとね?」
「し~~っ」
「まあ、それも楽しそうだね! し~~っ!」
ヨイヤミとソフィーは、口に指を当てて二人で『しーっ』のポーズをし合って笑い合う。
よくアイリたちがやっているものが、ヨイヤミに伝染ったのだろう。なんとも微笑ましい。
ヨイヤミはこうして、日々周りの女の子たちの口癖や行動などを取り込んでコミュニティへの同一化を計ろうと努力している。
それはハルも良いことだと思うし、見ていてとても可愛いのだが、時おり妙な癖や言葉までもを取り込んでしまうのが困りものであった。
「じゃあ、さっそく行こう行こう!」
「うん! 善は急げ、兵は神速を貴ぶよ!」
「だから奇襲じゃありません。というか、ヨイヤミちゃんも行く気なの?」
「うん! こんな楽しいお話聞かされて、お留守番なんてやだやだ!」
「いや、あまり楽しい内容でもないと思うけどな……、まあいいか……」
完全な非戦闘員であるヨイヤミを伴って行くとなれば、そのぶんミッションの難度は増加する。
しかし、まあ特に問題はないだろう。もう一人の同行者が、圧倒的な戦闘力を持つソフィー。加えて、ヨイヤミ自身の能力は非常に隠密行動に向いている。
ハルはこれも彼女の情操教育の一環、と強引に納得し、ヨイヤミもまた敵地の偵察へと同行させることを決めた。甘やかしすぎだろうか?
さて、今はただ大きな水溜りがあるだけのそんな敵地。なので大丈夫だとは思うが、ヨイヤミの教育に悪い何かが出てこない事を、祈るばかりのハルなのだった。
*
「とうちゃっく!」
「とうっ!」
「ここが海なんだねハルさん!」
「うん。そうなんだけど、あんまりはしゃがないようにねソフィーちゃん」
「しーっ、だよお姉さん!」
「うん! わかった!」
声を抑え気味にしても元気いっぱいのソフィーだが、幸い周囲には人影はない。
いや、幸いというよりも、この地の領主たるプレイヤーがログインしていない時間を、ハルは狙って侵入を試みた。
よって、多少騒ごうとも、当人にバレる可能性は低いのだ。
とはいえNPCと突然出くわさないとも限らないので、やはり油断は禁物なのだが。
「ここのひとは、いま寝てるんだよね?」
「お兄さーん。なーんで知ってるのかなぁ? ストーカーかなぁ?」
「ストーカーじゃありません。そっちもれっきとした、敵情視察の成果です」
「あははっ! 裁判所にもその言い訳が通じるといーね、お兄さんっ」
「ハルさんは捕まらないから、大丈夫だもんね!」
「ソフィーちゃん、捕まらなければ何してもいいというのは……、いや、まさに僕がやってるのはそうなんだけど……」
「そうそう。諦めが肝心だよ、お兄さん。私たちは結局、そういう存在としてしか生きられないんだもーん」
ヨイヤミの前であまり犯罪行為の肯定はどうなのか、という旨の苦言を呈そうと思うハルだが、結局どうしても自分の行いに返って来てしまうハルだった。
もしかしなくとも、彼女の教育に一番悪いのは自分なのでは? と薄々自覚するようになってきたハルである。
「……それはさておき」
「うんうん! 偵察だ!」
「いま、周囲には本当に誰の気配もないよお兄さん。忍び込むなら今のうちだね! あー、NPCの連中のことは、よく分からないけど」
「ありがとうヨイヤミちゃん。NPCはまあ、出会ったら即、領主に情報が伝わる訳じゃないから、最悪見られてもいいってことで」
最近は、どの勢力も住民の数を増やしていっているため、彼らが天然の監視カメラとして機能しているのが厄介なこのゲーム。
今ハルが語ったように、見られてもそれが即プレイヤーに伝わる事はないが、代わりに彼らの探知範囲は意外と広い。
通常の人間相手ならば決して見つからぬはずの状態であっても、ゲームシステムを通じて察知しているのか、驚くほど的確に存在を察知してくる。
おかげで最近は、目玉を飛ばすこともしにくくなっているハルだった。目玉もハルとして判定されてしまう。
「でも確かに、これは海だねぇハルお兄さん」
「脳がバグるね! 平地にいきなり、海が出てくるんだもん!」
「そうだね、しかも、対岸が見通せる」
「水溜りってとこだねー」
そんなNPCの目をかいくぐって、実際に『海』の波打ち際に降り立ったハルたち。
間近で見るとそれは確かに海としての空気感を放っており、全身にその存在の異質さと不可解さを叩きつけてくる。
無造作にぺろりとその水を舐めてしまったソフィーも、しっかりと塩辛さを感じたようで、この水が海水であることを追加で証明してくれた。
「かなり濃い青だねお兄さん」
「そうだね。面積の割に、深さはかなりのレベルにまで達しているみたいだ」
「やっぱり、これって地面が海水に変換された、ってことなのかな?」
「うん。そう考えるのが、しっくりきちゃうんだよね。困ったことに」
それだけ大規模な工事を行っているとすれば、確実にシャルトたち神様の監視網に引っかかるだろう。
事実、鉄鉱石等を求めて大規模な山の掘削に手をつけ始めた御兜天羽たちの情報は、しっかりとハルたちの元へと入って来ている。
「それよりハルさん! もっと気になる事があるよね!」
「ん? なんだろう? ああ、海水の成分は、今のとこ取り立てて語る内容もないかな」
「んー! そうじゃなくて、海ならお魚が泳いでないと! 魚が居ないか、気にならない!?」
「ああ、確かに……」
「こっからじゃ見えないね! さすがに超能力じゃ、魚までは生成できなかった、ってことかなー?」
「だね。生き物の生成は、翡翠任せだ。無理だったんだろう」
魔法もそうだが、この世界の不文律として生物の生成やコピーには何故か厳しい制限がかけられている。
まるで検閲をかけられているかのようなそんな仕様を作り出したのが、誰なのかは今のところ不明だ。そんな人物は、最初から居ないのかも知れない。
「確かめてくる!」
しかし、そんな魚の居ない『海』に納得できなかったのか、ソフィーはおもむろにその中へと飛び込み、すごいスピードで奥深くへと潜って行った。
そうして、しばらくするとまた猛スピードで浮上してくる。
「獲った! ハルさん、魚いたよ、魚!」
そんなソフィーの手の中には、なんときちんと存在したらしい魚が一匹、生きたまましっかりと握りしめられていた。まだぴちぴちと暴れ回っている。
……いや、これを果たして、『生きている』と評していいものか。
その魚の体表は、どうにも見覚えのある灰色一色で統一された構成をしている。
そう、それは見るからに、あの宇宙の戦いで出会った、灰色の疑似細胞で構成されたドラゴンの体表。それにそっくりなのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




