第1617話 湧き水ならぬ湧き海
「海が出来つつある?」
「ですよー?」
「……どうしよう。先日、『この先、水中行動なんてする機会はないだろう』なんて言っちゃったばかりなんだけど」
「ですねー」
「あはは! フラグってやつだねお兄さん。フラグおーつ!」
「ここぞとばかりに僕を煽る悪いお口はこれかい? ん? ヨイヤミちゃん」
「あはははぁーっ! ふみゃー!」
「ふみゃぁ~?」
お屋敷でののんびりとした午後の休憩中。ハルに頬を引っ張られて猫のような声を上げるヨイヤミに、不思議そうに猫のメタが唱和する。
そんな平和な一幕はさておき、ゲームフィールドの監視を頼んでいた神々からの報告は、日常の穏やかさを保っていられるほど、落ち着いた内容ではなさそうだった。
「まいったね、どうも。最近は、自分で目玉を飛ばすのをサボりがちだったとはいえ。見逃すような物でもないよね? ということは……」
「ええ。急に出て来ましたね。予兆があったのかどうか、自分も見逃してしまっていたので。でも、さすがにそう大きな海ではないよハルさん」
「ですねー。私たちの、プールの方が貯蔵量は多いんですよー?」
「張り合っても仕方がないが……」
ただ、小規模な物とはいえ、明らかに異常な現象。これは、いかに外の環境が荒れているとはいえ起こりえる現象とは思えない。
アレキのゲームフィールドは内陸にあり、どう頑張っても海と繋がるはずがないからだ。
「地下から湧き出た、訳もないよね」
「ないですね。どう考えても、ない」
「ないですねー」
「にゃー」
「じゃあ、超能力だ!」
「だね。しかし、そんなに大規模な力がいきなり……?」
「敵も本気出してきたぞ!」
確かにヨイヤミの言うように、敵もいつまでもハルの国に遅れをとったままではいられないのだろうが、それでもいきなりが過ぎないだろうか?
本気を出したからといって、そう簡単に海を作られてはたまらない。
あの地で目覚める超能力というのは、そこまで凄まじいものなのか。
「アレキはなにか言ってた?」
「いえ、だんまりですね。お決まりの、『攻略情報はお答え出来ません』モードだよ」
「まったくー。これだからダメなんですよねー」
「……カナリーちゃん? これに関しては君、何も言う権利ないと思うよ?」
「ですかー」
「カナリーちゃんもそうだったんだ!」
「そうだよヨイヤミちゃん。それはそれは、酷いものだったんだから」
「ほえー! あとで詳しく、お話してして!」
「あんまりそういうこと吹きこんじゃダメなんですよー?」
珍しくバツの悪そうなカナリーであるが、隣のシャルトは珍しくその様子を煽ったり追撃したりすることはない。
これに関しては、大半の神が他人事ではないため、口を挟むと即座にいわゆる『ブーメラン』になってしまうからであった。
「まあ、とはいえいきなり、マップの大半が海中に沈んだという訳ではありません。範囲自体は、ごく狭いエリアでの出来事です。ただ、だからといって無視はできないね」
「だね。確認するけど、それは『海』で間違いないんだねシャルト?」
「ええ。『海』です。海水であり、塩分を含み、決して『大きな水溜り』じゃあなさそうだよハルさん」
「……水溜りだったら、これからの水不足を解消してくれそうで丁度いいんだけどね」
「しょっぱいのは飲めないね!」
「むしろ、敵ですよー?」
「ああ、僕らの水田には決して近づけたくない」
水だったら川の水でも海水でも何でもいい、という訳にはいかない。それどころか、『塩害』と専用の言葉で忌避される作物の大敵である。
今のところ、エリアはハルたちと離れているので当面は問題なく、海の面積も極小とのこと。
しかし、恐らくは今後、確実に様々な問題を引き起こすことになるのは確定といってよさそうだった。
「しかし、海を作り出す能力ねえ……」
「いきなり規模感ぶっ飛んできましたねー」
「あら、そうでしょうか? 規模の大きさについては、わたくしのゲームで予習済みでは?」
「アメジストちゃん!」
「ごきげんよう? 今日も元気いっぱいですわねヨイヤミちゃん。わたくしとっても嬉しいですわ」
「これも、アメジストちゃんのおかげ、なのかな? 半分!」
「そう言っていただけると、わたくし冥利に尽きるのですが……」
「なら変な日本語をヨイヤミちゃんに教えるのはやめろアメジスト……」
確かに、今のヨイヤミの立場を作る遠因になったのはこのゴスロリ姿の少女、アメジストであるといってもいいかも知れない。
彼女の運営する学園のゲーム、その発端となる最初のきっかけを作り出したのが、このヨイヤミだからだ。
しかし、それ故アメジストはヨイヤミに対し少々利用した引け目を持っているらしく、彼女にしては非常に珍しく、ほんの少しだけ殊勝な態度を見せていた。
「こほん。そんなわたくしのゲームでもおなじみなように、超能力の持つポテンシャルというものは、元々かなり高いものであるとご理解ください」
「でも、アメジストちゃんの世界には海が無かったよね? 船の国も海のマップじゃなくって、船ばっかりが連結していっぱい、いーっぱいある訳わからん国だったし! あはははは!」
「兵力を地上で衝突させることを前提としたゲームでしたからね」
「一方でこちらのゲームではー、特にそうした縛りはなさそうですかー」
「ですね。今のところ、NPCは戦力として役には立たなそうですし。けどまあ、どのみち人間ベースである以上、海とは相性悪いのが基本だろうけどね」
ハルたちの側にもマリンブルーという海の神様がいるが、彼女の国も、民も、別に海中にあり海中で生活している訳ではない。
ゲーム的には水中ダンジョンなどがあったりするが、それはプレイヤーという超生物だから適応できているだけである。
そんな中で、人類とは基本的に相容れなけれども、人類の文明には必要不可欠である海という存在。
そんな海を生み出す存在、それは果たして、どのような人物なのであろうか。
また、今後その者は、ハルと接触する事になるのだろうか?
*
「おっ、海ドラゴンか?」
「海を、生み出す! のですか!」
「アイリちゃん? ハルの趣味にそこまで付き合ってあげなくてもいいのよ?」
「いや僕も別にダジャレで言った訳じゃないんだけど……」
「で、海ドラゴンなんか?」
「ユキも引っ張るね。ドラゴンは出ないよ。今は、少なくとも」
「よし、今後出るフラグだな!」
「というより、もう出ているのです……!」
「でも確かに、夢の中のあの出来事を思い出しますねぇ。つい先日のことだったはずですが、もうなんだか、それこそ夢だったみたいで」
マイペースに語るイシスが、当時の光景を思い起こしているようだ。
こちらはエリクシルのゲームでの出来事。エリア一面が一夜にして海となりそれこそ今回の何倍もの規模の異変に飲まれた事件があった。
ハルたちは水中を戦艦で飛び、いや泳ぎ、その中に潜む水属性を司るドラゴンとの激闘を繰り広げた。
今回も、あの時のレベルまでその『海』が拡張することはあるのだろうか?
「懐かしいですねぇ」
「そちらとは、関係があるのかしら? まさかまた、エリクシルが?」
「ない、とは言えない。あの子が裏で糸を引いていない、とは断言できないからね?」
「クシるんは何て言ってるのさ? 今も密会してるんしょハル君?」
「密会言うな。堂々と会ってるわ。けどまあ、エリクシルが素直に教えてくれる訳もなく、関係があるのかないのか、それすら曖昧にはぐらかされるだけだよいつも」
「エリクシルさんらしいのです!」
「それは普通に考えれば、『関係ある』と言っているようなものだけれど、あの神様のことだものねぇ……」
「大変そうですねぇ」
「他人事みたいに言ってないで、イシスさんも関係あるかもよ?」
「ええぇ~~……」
「そうね? 元『龍脈の巫女』さん? あの時の海と関係あるとしたら、自動的にあなたも重要人物よ?」
「……私、今後はずっと、『ちょっと変な会社に勤めちゃっただけの普通の事務員』として、平和に過ごせると思ってたんですけどぉ」
「ご愁傷様ね? 手遅れよ」
「そんなぁ……」
まあ、ハルもイシスの平和は守る気ではいる。守りたくは、ある。
しかし、ある意味でハル以上の親和性を見せた龍脈を操るあの才能。あれが、今後は永久に無関係でいられる保証は、どうにも薄いように感じてならないハルだった。
「それで、その海ってどこなんです? さっそくプールで鍛えた水中殺法で、攻め込むんですか?」
「なんだかんだでやる気十分じゃないイシス。お腹周りは、もういいのかしら?」
「わ、私は前線には出ませんし……、出るなら、もうちょっとだけお時間を貰えればぁ……」
「諦めが早くなってきたな。いい傾向だぞイシすん」
「染まって、きたのです……、ハルさんに……!」
「うわぁ。我がことながらショックだぁ」
「好き放題いわないで? まあ、位置的にはこの離れたポイントで、大きさもまだこのくらいだから、そんなすぐに水中殺法が必要になることはなさそうだよ」
「なーんだ。まだ水たまりじゃないですか、これ。遠いですし、他のプレイヤー任せでも良さそじゃないですか? 案外、知らない間に終わってたりして」
「そうだといいけど、いや、それはそれで問題があるかも知れないけど」
位置的には、マップのずっと北側に、ぽつんと小さな青い点が見える程度だ、今は。
衝突するとしてもハルたちの前に、御兜天羽ら他プレイヤーとの接触を挟む可能性が高い。
しかしどう転ぶにしても、その影響はきっとゲームフィールド全域に及ぶだろう。ハルは今から、そう予見せざるを得ないのだった。




