第1607話 来たる過酷な夏に備えるべし
ハルたちの調査は進まぬ間も時間は過ぎ、季節は巡る。
アレキにより守護を受けた北の大地の箱庭にも、既に初夏の兆しが感じられるようになってきた。
太陽は高く輝き大地を照り付けて、地面をじりじりと焼き付けるようになる。
そんな陽光をきらきらと照り返す、一面の穏やかな水面をたたえた水田地帯には、まだまだ小さな緑の稲が徐々にその背丈を伸ばしている。
そんな田畑に休みなく水を供給する、大型の堤防から流れ落ちる水の音。
その風情は、経験のないハルにも『日本人の原風景』を感じさせるには十分な景観を成していたのであった。
「うちの田舎っぽい! 田植えに駆り出された時の事を思い出すなぁー」
「そういえば前にも思ったのだけれど、ソフィーちゃんは田んぼに入っても平気だったのかしら? その、当時に」
「うん! 完全防水だったもんね! サイボーグパワーで、しゅばばばば! って高速田植え競争してたんだよ!」
「そ、そう……」
「まあ確かに隙間にドロが詰まったのを、あとでガシガシとるのが面倒だったかもなぁ」
最先端の機械化ボディは、確かにそうした過酷な環境にも対応しているとは思われるが、恐らく、いや確実に、メーカーに推奨される使い方ではないはずだ。
ソフィーの手足を製造し、貸し与えていたメーカーも、きっとそんな使い方をされているとは夢にも思うまい。
「……メーカーの人が知ったら、顔を青くしそうねぇ」
「大丈夫だよルナちゃん! 私たちの手足、壊してなんぼだったから! へーきへーき! 会社のひと、みんな変わってたし!」
「まあ、そもそも機械化剣術のスポンサーになろうなんて、元から酔狂な人たちなのも当然かしらね?」
「ああ、ちなみにねルナ。その会社だけど、御兜の系列会社だったみたいだね」
「そう。まあ、予想していたといえば、していたわ? 中身は大丈夫だったの?」
「そこはね。特に裏表ない、真面目に研究開発を行っている会社だよ」
「『そこは』という言い方が気になるけれど、まあいいわ?」
「私が手足生やしたのも、ちゃんとお祝いしてくれたし!」
「ソフィーちゃんも『生やした』なんて言い方は、いえ、事実でしょうけど」
「ずあっ! って生えてきたよ!」
「そんな一気には再生しません。したら僕も苦労しなかったんだから」
ちなみにハル本人は、やろうと思えば『ずあっ!』っと手足を再生できる。話がややこしくなるので、ここでは言わないが。
「まあしかし、確かにみんな良い人たちだったね。大口の仕事が、一つ無くなるに等しいのに」
「うんうん! けど、ちょっとズレてる人たちだったよねみんな! 引退してお嫁に行くから手足生やすんだー、みたいに誤解してたもん。引退しないのに」
「……そこは、ズレているのはソフィーちゃんの方なのではなくて? ……そこは引退するでしょう、普通」
「えーっ!」
まあ、機械の手足を止めて生身の身体を再生すると聞けば、普通は『普通の女の子に戻るのだろう』と考えるのが自然だ。
まさか、『更に強くなる為に』肉体再生を選んだとは、誰も夢にも思うまい。
とはいえさすがに、機械化剣術の試合にはレギュレーション違反、というより未満で出場できないが、今後も現役ばりばりで活躍していく気まんまんのソフィーであった。
「とはいえ内心は、どう思っているのでしょうね? 口に出して文句なんて、言う人はいないでしょう」
「まあ、人の体に戻ることを表立ってケチつけてきたら、社会的に相当ヤバい奴ではあるね」
「いや、みんな本当に良いひとなんだって! だよねハルさん!」
「そうだね。ソフィーちゃんと別れる寂しさはあれど、恨みつらみは特に感じなかった。ただまあ、今後の仕事の不安みたいなのは、少々漏れ出ていたのは仕方なかったかな」
「でしょうね。あまり、需要の見込める業界とも思えないわ?」
「そうだねぇ。でも、今も大きな事故とかでサイボーグする人は、一定数居るんじゃなかったっけ?」
「……『サイボーグする』、いえ、いいでしょう。確かにエーテル医療による再生も、限界はあるものね? 大規模になっていくと、かなり費用もかさむから」
理論上は生きてさえいれば、どんなケガでも治せてしまうのが現代のエーテル技術だ。
しかし、現実としてそれを可能とするのは今のところハルくらいのもの。もしくは、莫大な治療費を支払ってようやく可能になる。
それと比較すれば、機械で代用する方が案外安く済むので、そうした需要もこの先きちんと存在することだろう。
ただそれも、ハルの今後の行動次第ではどうなっていくか分からない。
本来、大手術となるはずのソフィーの再生を、あまりに簡単に完了してしまったハル。今後それが一般化したらと考えると、自社の産業の未来を斜陽と感じてしまう社員が出るのもおかしくはない。
「食品業界に加え、医療業界、と見せかけ機械産業にもハルは喧嘩を売っていくことになるのね?」
「いやそんなつもりはないけど……」
「まあ、ハルにその気がなくとも、シワ寄せを受ける人たちが出てくるのはさすがによく理解したでしょう」
「まあ、それは」
「実はそれで、御兜さんたちに目をつけられちゃったのかな! たいへんだ!」
「そうね? 彼らの“しのぎ”も、年々やりにくくなっているでしょうから。その肩身を更に狭くするハルは警戒対象だったでしょうね?」
「『しのぎ』呼ばわりやめようルナ?」
とはいえ、確かにそうしてハルが思うよりも早く、そして深刻に、ハルの行動は御兜家に注視されていたとしてもおかしくない。
特に彼らはハルの親代わりである月乃とは犬猿の仲。もともとハルのあずかり知らぬ事情により、警戒されていたので防ぎようなどなかったともいえる。
「そんな御兜家が参戦してしばらくたったけれど、そちらはどうなっているのかしら?」
「そうだね。今のとこ招待者であるソラや、ソウシ君らとは敵対することなくやっているようだ」
「ぎりがたい!」
「かもね。他の匣船家の面々とも、表向きは大きな衝突は起こしていない」
「表向きは?」
「うん。ただ最近は少しずつ国家間の小競り合いというか、土地や資源を巡っての小さな衝突が増えてきたように思う。全面戦争には、発展してないけど」
「たいへんだ!」
「そうだね。まあ、僕のせいなんだけど」
「使用可能なエリアが大幅に減少した状態でのスタートですものねぇ……」
ハルが南方面エリアを最初に大きく確保してしまったため、アレキたちの想定よりも早く衝突が始まってしまった可能性はある。
とはいえ、この流れはいずれは不可避なものであっただろう。そう考え、責任逃れをするハルだ。
「なんの資源を巡って衝突しているのかしら?」
「鉄だね。鉄鋼の豊富な鉱山を、どちらが利権を得るかでもめている。ちなみに僕も欲しい」
「話をややこしくするのはおやめなさいな……」
「横殴りだ! よこなぐり!」
「まあ、しないけどさ。特にそこで強硬な姿勢を見せているのが天羽くん、御兜家の側で、確実に鉄は確保しておきたいらしい」
「おお! こっちでも機械が大好きなのかな!? 鉄いっぱい掘って、ロボット軍団を作る気なんだ!」
「ロボット軍団かどうかは、分からないけど……」
「けれどその動きは、工業化を進めたいと思ってもいいのかも知れないわね?」
「うんうん! きっと、機械が売れなくなった地球の代わりに、こっちを機械の楽園にする気なんだよ!」
「無いとは言えない話だねえ」
今のところはまだ、大規模な工業化の予兆は見えていない。しかし、御兜天羽の行動からは、なんとなくそちらへ向かう意思を感じるハルである。
さて果たして、ソフィーの言うように本当に、この剣と魔法の世界で一大工業国家が誕生する事になるのだろうか?
今後も、彼らの動きには注目していきたいところである。
*
「さて、人のこともいいけど、僕らの方も自分の街を作っていかないと」
「田んぼは、ほとんど完成したってことでいいのかな!?」
「そうだね。そこそこ出来てきた。あとはやっぱり、そこに供給する水問題なんだけど……」
「環境の管理者であるアレキも仲間になったのだし、ある程度は私たちに融通をきかせられるのではなくて?」
「そうなんだけど、問題がない訳じゃない。どうやらやっぱり、水も<物質化>で作った物じゃあ駄目らしくて、自然にある物を活用しなくちゃいけないんだけど」
「お外にはいっぱいあったよね?」
「うん。“今は”ね。むしろありすぎて常時洪水になってるくらいだ。ただ、どうやらアレキや、他にもメタちゃんとか星の環境に詳しいひとたちに聞くと、その洪水状態も永遠には続かないらしい」
「季節によって、変わるということ?」
「うん。今後夏になってくるにつれ、今度は逆に旱魃化して乾き放題になるらしんだ。この周囲は」
「地獄かな!」
「人が住む環境ではないわねぇ……」
というより生物が住むにまったく適した環境ではない。
振れ幅が激しすぎて、どちらかの環境に適応した生命でももう一方に容赦なく駆逐される。
「そんな水不足の影響はこの中にも避けられない。流石のアレキとはいえ、無い水をどうにかする事は出来ないみたいだ」
「準備が甘いじゃん!」
「まあ、いきなりこんな水田を作るようなプレイヤーが出てくるとは想定していないのも無理のない話ってことで……」
だが、アレキを擁護したところで水が降って湧くことはない。そこは、手遅れになる前にハルたち自身で対応する必要があるようだった。
さて、とはいえいったいどうしたものか。アレキにさらに魔力を供給して、周囲の環境を更に平定してもらう、というのはさすがにやりすぎだろう。
となれば、今のうちに水を確保しておく他にない。果たして、あんな荒れ放題の世界の中で、そんな作業が可能だろうか?
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




