第1604話 例え何光年先に居ようとも
「《うおーいっ、足場がっ》」
「《どろどろのパン生地に戻っちゃった! ハルさん、これでおわり?》」
「いや、最後の重要なひと仕事が残ってる」
モンスターとしての形状を維持できず、ドロドロとした不定形の細胞の集合体へと戻った巨大なドラゴン。
それに組み付いて攻撃を加えていたユキとソフィーも、その『足場』そのものが形状を失い接合も解けたことで、バランスを崩してふらりと宇宙空間に投げ出されていた。
そんな戦闘面ではどう見ても完全なハルたちの勝利だが、アレキたちとの戦いという意味ではまだ続いている。
「こいつのパイロット、というか遠隔操縦者だね。そいつはまだ、“そこ”に居る」
「ですねー。こちらが一時的に制御を奪っただけで、まだ通信ラインは繋がってますー」
「……それじゃあ、気を抜くとまた、ドラゴンの形に組み上がって、元気に攻撃をしてくるということ?」
「ですよー?」
「《パンの形崩しても、もう一回こねちゃえばいいもんね!》」
「《失敗にめげないパン屋さんの鑑だねぇ》」
その操作命令を失った細胞の集合体だが、命令を送る操縦者との通信、それそのものが失われた訳ではない。
彼はまだ依然として、この『パン生地』に接続したままなのだという感触がある。
「では、その方は今後、隙を見てこのドラゴンさんを復活させようとしてくるのでしょうか!?」
「いいや。それはないと思うよアイリ。肉弾戦でも情報戦でも、僕らが圧倒したのは理解しているはずだ。仮に操作を取り返したとしても、すぐに同じ結果に逆戻りになることが分からない相手ではないだろう」
「ですねー。しかも今度は、こっちが準備万端取り囲んだ時点でのスタートですのでー。何かする余裕もなくぼっこぼこですよー?」
「へいへーい。きてみろきてみろー。しゅっしゅっ! しゅっ!」
調子に乗ったヨイヤミが、コックピット内でシャドーボクシングをして挑発している。
ハルは彼女の頭をぐりぐりと撫でるように窘めて、優しく座席へ戻してやった。
「でも、接続が途切れない限り油断は出来ないわね? そうやって、二十四時間私たちを引き付けておくのが狙い?」
「いや、その辺も収容してしまえば、大した労力はかからない。だから、狙いは他にあるはずだ」
「制圧の際にプログラム内容をそこそこ理解しましたがー、今後予想できる行動としては恐らくー、っと、来ましたねー」
「なっ、何が、来たのでしょうか!?」
「見ていれば分かりますよー?」
ハルもカナリー同様に、敵の行動が『来た』ことを感じ取る。
ネットワーク内に走る命令信号は、ハルたちに妨害されつつも細胞の塊へと届けられ、再び全体を活性化させていく。
しかしその行動は、ドラゴンの再構築でも、最初のような小型の個体への分裂でもない。それをハルたちが許さぬことは、よく理解しているだろう。
送られた命令は短く、ごく単純なもの。それ故に防ぐ間もなく、一瞬で『全身』へと回っていってしまうのだった。
「《おわっ! なんだ、再起動か!?》」
「《懲りないやつめ! またぶった斬ってあげる!》」
「落ち着いて二人とも。襲ってくることはないよ」
「《でもグネグネ蠢いてキモいが》」
「《斬っていい? キモいから!》」
「だから落ち着きなさい狂犬たち。ステイ! ハウス!」
「《わんわん!》」
「《がるるるる……!》」
怪しく脈動しはじめる群体に、攻撃したくてたまらない二人をハルはルシファーで片手ずつ掴んで引き離す。
ハルも、というよりもルシファー自身も通信は保ったまま離れ、遠巻きにその様子を見守っていった。
「これは、自爆でもするのかしら?」
「それは大丈夫ですー。でも発想は近いですねー。証拠隠滅ですよー?」
「つまり自壊は、するのでしょうか?」
「そうだねアイリ。相手は疑似生物、疑似細胞のようなものだから、自己消化、自己融解に近いかも知れない」
「《よくわかんない!》」
「《んー。つまりこのパン生地は、いま発酵してる最中ってこと?》」
「《おお! ユキちゃん頭いいね! 美味しいパンになるんだぞー》」
……まあ、食べる事はないが、その認識でもそう遠くはないだろう。
このままではハルたちにより兵器を鹵獲され、内部構造の解析、果てはそこから未知のエネルギーの謎にまで辿り着く事を、何より敵は怖れている。そのはずだ。
それ故、完全にハルの手に渡ってしまう前に、自壊させ構造解析を避けようというのだ。
「止めるかしら? 可能な限り、私も手伝うけれど」
「いいやルナ。やらせておこう。代わりに、こいつが完全崩壊するまでの時間を使って、操縦者だけは何としても捕らえる。そっちを手伝って」
「わかったわ?」
「わたくしのことも、お使いください!」
「ありがとうアイリ」
「わお。なんからぶらぶな感じだ。いいなー。楽しそう」
魂の絆ともいうべき彼女たちとの繋がりを通し、ハルとカナリーはその処理能力を増していく。
ヨイヤミだけはその中には入っていないが、彼女の憑依能力は、この未知のネットの中においてもその先に居る神物をしっかりと浮かび上がらせて、ハルたちの道しるべとなってくれた。
そうして時間を掛ければかけるほど、補足されるリスクが高まることは敵も承知の上だろう。
しかし、その危険を冒してでも、証拠隠滅は成さねばならない。
ある意味、その実行者はハルたちの前に差し出された生贄か。チームの中での被害担当。とんだ貧乏くじを引いたものである。
「むーーーっ。っ! 見えた! ハルお兄さん、あっちだよあっち! その、なんか細くなって、先っちょが光ってる方!」
「わからん!」
「なーんでわかんないかなぁ。私の視覚も使っちゃいなよー」
「軽々しくそんなこと言わないのヨイヤミちゃん」
「ぶーー」
ヨイヤミの、分かるようで分からないアドバイスに導かれ、ハルは慣れないネットの道を進み、その奥へ奥へと潜っていく。
ヨイヤミには細い線が繋がっているイメージが見えるようだが、ハルにはまるで無限に広がる空間が全方位に広がっているようにしか感じられない。
まるで、周囲に広がるこの宇宙から、もう一つの宇宙へと入り込んだような気分である。
「うちゅうなら、星があるはずです! その星の輝きが、一番近いのが、きっと神々で……」
「そうね。私も何か、見覚えの、いえ、感じた覚えのある気がする輝きを感じるわ? きっと、そっちじゃないかしら?」
「ここは二人を信じようか」
「ですねー。きっと、会った事のある連中のどれかが、その先に居て、それを二人は感じ取っているのでしょー」
以前にもハルが世話になった事がある、神の巫女としてのアイリの直感。そして、生まれ持った才能により魔力を感じ取る力を持つルナの直感。
それらをハルとカナリーはその身に接続し、融け込ませ、己が力として取り入れ更に増幅していく。
そうして見えた宇宙に輝く一つの星。その星にハルは意識の手を伸ばし、そのまま力強く掴み取った。
本来ならばただ空を切るだけのはずのその手は、しかしこのネットの内部においては距離さえ超越する。
見えたということは、すでに捉えたのと同じこと。
そうしてハルは、敵が事後処理を終え逃げ出す前に、なんとか操縦者に接続を果たし、それを支配することには成功したのであった。
*
「あーあ。惜しかったなぁ。もーちょいで、自壊処理まで完了して接続切れたのに。でも残念だったなハル兄ちゃん。こいつは、もう全ての意味を消失させてると思うよ」
「みたいだね。最後に、他の接続者が仕事を完遂して去ったみたいだ」
「ヒデーとおもわねー? あいつら、オレを押し出して囮にしてさ、自分達はまんまと逃げやがってくそー」
「まあ、地上で僕と関わりがあったのが運の尽きだったかもね」
そうして母艦であるハルたちの船、『天之星』に帰還したハルたちは、その中で早速、接続し支配した神をこの場に呼び出した。
未知のネットワークの先に居た存在ではあるが、その相手は神、魔力的な存在であることには変わりない。
しっかりと通信が接続さえしてしまえば、両者の間で魔法による処理も成立し、ハルの強制支配もまた効果を発揮するのであった。
その姿の見えなかった相手は、おおかたの予想の通り、赤髪の少年アレキ。
半強制的に<転移>で呼び出された彼は、不貞腐れながらも、半ば諦めていたように自身の敗北を受け入れていた。
「貴方の他にも、あのドラゴンを操っていた神は誰かいたということなのかしら?」
「そうだぜー。最終的に責任取らされたのがオレってだけで、迎撃は全員でやってた。まあそのくらいは働けって話だよなぁ」
「全員、ということは、翡翠様だけではなく、他にもどなたかが……」
「さてねー。居るかもだし、居ないかもねー」
「なんですかー? ナマイキな捕虜ですねー。キリキリ吐かないと、ひどいんですよー?」
「おーこわっ。でも、何聞かれたって答えることはないぜカナリー。お前も分かってるだろ? オレはハル兄ちゃんの支配以外にも、あいつらとの契約でも縛られてんだからさ」
「……全員の同意がなければ、秘密は喋れないってことですかー」
「そーそー」
秘密を聞き出したければ、同盟の全員を支配しなくてはならず、せっかく捕らえたアレキだが、彼から聞き出せる情報はそう多くはないようだ。
しかし、はるばる遠く宇宙の辺境にまでやってきた成果としては、まずまずといったところ。
敵の拠点、隠れ家たる円盤施設自体は逃したが、戦力の一部であり、地上で行われているゲームでは最も直接的な仕事をしている、アレキをまずは引っ張り上げられた。
これにより今後、著しく都合の悪い展開となった際は、アレキに命じて強制終了、という方法で最悪の回避は出来るだろう。
とはいえ、全てが解決に向かう訳ではなく、むしろ謎は深まるばかり。
あのゲームとの今後の関わり方を考えると、また頭が痛くなってきそうなハルなのだった。




