第1582話 水と酒と文化と宗教
ハルたちはそうして、職場となる農地と働き手の住む住居をバランスよく整備しながら、徐々に耕作地を広げていった。
ここでまた重要になるのは、働き手の家さえ作ればそれで済むという訳ではない事。
小規模な、家庭菜園じみたレベル感の農地ならばそれでもいいが、大規模農業を成立させるには全体を統率する者も要るだろう。
更には、小規模な自給自足生活を脱却した後の生活には、そうした労働者の娯楽になる施設であったり、統率者となる金持ちを満足させるための施設も必要だ。
そうなると、その施設で働くための住人が更に必要に、となってゆき、街は連鎖的に発展せざるを得なくなっていく。
「いきなり要求が増える……、まあ急激に人口を増やしたから当然ではあるが……」
「ずいぶんと贅沢なものです。しかし『飲食店が欲しい』というのは分かりますが、この時点で酒場を要求するとは、どういった了見なのでしょうか」
「まあそう言うなアルベルト。労働者の娯楽の定番といえば、やっぱりお酒なんだろうさ」
「ふみゃんごぉ」
「メタちゃんも酔っぱらいたいのかい?」
「んなー?」
「我々には、『酔う』という感覚は正直分かりませんね。しかし、酒などと言われても、そんなにすぐに出来るはずないだろうとしか……」
「まあ、その辺も、推定翡翠がやってくれるのかも知れない。ふむ? 天から酒が降って湧くなんて、まさに『神の所業』だね」
「実際は事前に在庫を用意しているだけなのでしょうがね」
「ふみゃうん……」
「奇跡の裏側なんてそんなものさ。それよりも、僕らにはまず決めなければならない事がある。そのお酒、何の種類にするかってことだ」
「あぁ、確かに……」
「みゃあ……」
一口に酒といっても、多種多様な種類に分かれる。そしてそれは、その土地の文化を色濃く反映する、いや文化そのものとなると断言しても過言ではない。いやさすがに過言か。
ともかく、土地によって酒の原料は様々で、国が違えば酒も違う。
日本酒の米、ワインの葡萄、なじみの薄いところでは蜂蜜を使ったミードなど。
今でこそどんな酒であろうが好きに飲み比べられる時代だが、遡ればかつては、土地が変われば酒も変わる、郷土の『色』とも呼べる存在であったのは否定のしようがないだろう。
「よって、ここから国の方向性を色づけていく以上、特産品は慎重に考えなければいけないはずだ」
「何だっていいのではないですか? アルコールが入っていれば」
「うみゃうん」
「酒好きに怒られろと思うと同時に、事実かも知れないと思ってしまう僕も存在する……」
「まあさすがに冗談です。秘書として執事として、またメイドとして、酒の知識もしっかりと持っておりますので」
「うーな?」
「まあ、僕らあんまり、お酒って飲まないしね」
お屋敷でハルたちが酒を嗜んでいる場面をあまり見た事がない、とでも言うようにメタに首をかしげられた。
実際、あまりそうした趣味のないハルたちだ。飲み物といえばお茶ばかり。
……深く考えたことはなかったが、これはハルたちがゲーマーだからだろうか? 現代のゲーマーは、自然と酒を避ける傾向がある。
これは、フルダイブが主流となった今、飲酒は体調不良アラートを著しく誘発しやすい、いわば『リアルデバフ』アイテムとなっている側面が大きい。
一分一秒でも長く、強制ログアウトを避け遊び続けることを命題としている廃人達は、そんな悪魔のアイテムになど手を出す訳にはいかないのである。
「……まあ、酒の高揚感をゲームで味わえばいいって考えている連中と、どっちが健康的なのかはこの際置いておくとして」
「確かに酒の原料は、一つに絞った方が賢明ですか。文化の方向性はともかく、今は、何でもかんでも酒にしている余裕などありませんし」
「にゃうにゃう!」
なにせ今後も広げていく領地に住む国民の腹を満たすだけでも一苦労なのだ。嗜好品に、そこまでの土地面積を割く余裕はない。
となると自然、一種類に原料は絞られ、種類を絞るのであれば、やはりどういった文化の方向性にしていくかを考えていくのが無難ではあった。
「効率からいえば、どんなお酒がいいんだろう?」
「んー、なう?」
「ハチミツという話が出ましたが、大規模農業には養蜂の併用が不可欠。その蜂を使ってハチミツを採ればいいのではないですか?」
「そんなに採れるかね、さすがに?」
「みゃっ! みゃっ!」
「どうしましたメタ? どうせハチミツを使うなら、お菓子に使うべき、ですか?」
「にゃうにゃう!」
「猫の発言ではないが、一理ある。カナリーちゃんもそう言う」
「……まあカナリーはともかく、ハル様たちの国ですし、お酒よりも菓子類を発展させるのが自然ではありますね」
「んなんな。んなうなう」
「効率を考えるなら、米がいいと? まあ、ハル様は日本人ですし。それも自然かと。稲作を中心とすれば、主食の事情も同時に解決できますね」
「……んー。しかし水田はなあ。別に、この土地でも作れるは作れるけれど、少々問題がね。特に、長期に渡り持続するとなると」
「水ですね」
「うん」
この土地、水が無い訳ではないが、水田となるととにかく水を消費する。それに耐えられるかというと、少し怪しい。
しかも、厄介なのが、その水源はこの箱庭、魔力範囲の外からやって来るということだ。
外は荒れ果てたまさに『未開の地』。そこから来る資源に頼りきりになるというのは、少々リスクが高すぎるように思う。
今はアレキが得意の環境操作で適切に濾過してくれているが、正直、外の物それそのものは水質もあまり良いとはいえない。
そう考えると、あまり川の水に依存せぬ農業の方が、土地の性質に合った特産という事が出来るのではないか?
「しかも、こっちはデフォの城壁都市から見て上流側だ」
「良いではありませんか。他者からの影響を受けずに済んで」
「いや代わりにこっちが何かやったら文句つけられる立場だろ」
「うみゃあ……」
「水利権はいつだって争いの元だよ」
特に稲作は川をせき止め堤を作ることが前提のようなところがある。
下流の者はその影響をモロに受け、上流のそれに対する文句はいずれ武力に任せたダイナミックな抗議活動になることは目に見えていた。
……まあ、アルベルトの言う通り、そうしてあえて相手を挑発し、争いを誘発するという手段もないではない。
特に下流の街はソラたちがいずれ取り込もうと計画を立てている。仕掛けるための支援をする準備にもなるだろう。
まあ、そのソラたちにも文句を言われてしまう可能性だってあるのだが。
「まあ、結局は後だ後。後回しだね」
「にゃ~~?」
「ええ。今はそんな贅沢品などここの者には早いでしょう。そもそも文化というなら、禁酒の文化を流布したって良いのです」
「それはちょっと止めておこうかなあ……」
禁忌の設定に対しては、なんとなく抵抗のあるハルだった。
これは悪名高き禁酒法が頭をよぎることを差し引いても、あまり実行したいとは思わない。
それは、どうしても自然と宗教色の強くなりがちな選択であるからだ。
何かを禁止するということは、信仰心を高める大きな一要素。『禁忌』という言葉がそもそも、宗教観を想起しやすいはずだ。
出来れば今回は、宗教色の薄い国にしたいところだ。また『神国』になられても困る。
「まあ、すぐそこにソウシ君も居るし、食品メーカー役員となった彼に、後で知恵を貸してもらおうかな」
「それがよろしいかと。カゲツも、後で呼んでおきましょうか」
「……カゲツは、味が最優先で効率度外視しそうでなんかイヤ」
「なうー……」
「左様でございますか」
まあ今は、何であれ最低限の生存ラインを満たし、街が発展可能な食料を作れればいいだろう。
ハルは難しいことは考えずに、とりあえず次々と耕作地を手当たり次第に広げていく作業を続けるのであった。
*
「……ん?」
「どうなさいました、ハル様?」
「なんだが、今<転移>させられてきた野菜、生育具合が微妙な気がする」
「どれ、調べてみましょうか」
「ふみゃぁー?」
ハルが特に何も考えずにキャベツ畑を連打していた際、その現象は発生した。
畑が成立した証として送られてきたキャベツが、どうも少々未熟であるような気がしたのだ。
もちろん、このままでも食べるには問題ない。農作物に個体差は付きものだろう。
しかし、これらは翡翠による、神による工場生産。品質管理は徹底されており、そうそう大きなバラつきは出ないはずだった。出るとしたら、少なくとも次期の収穫以降だろう。
「ふむ、確かに。これはハル様の仰る通り、生育が一段階未熟な状態で<転移>してきたようですね」
「たまたまか?」
「んーみゃっ!」
「そうですねメタ。翡翠がたまたまのミスを許容するとは思えません。これには必ず、理由があるかと」
「その理由として考えられるものといえば……」
「はい。促成栽培の、在庫補充が間に合っていないのかと」
「にゃうにゃう!」
「さっきから何も考えずキャベツ連打しているからねえ」
およそ一般プレイヤーに不可能であろう速度で、ハルは次々と農地を広げて行った。
特に、初期からキャベツばかりが多く選ばれてきた関係上、この地に送られたキャベツの量はそこそこ大量。
つまり、翡翠によるキャベツ生産量の限界値が、透けて見えてきているということだ。
「これは、チャンスですよハル様! このままキャベツ連打することで、翡翠の生産工場に致命的なダメージを与えられることでしょう!」
「ふみゃっふっふ……」
「今こそ、更にキャベツ畑を量産し、この地をキャベツで埋め尽くし許容限界に苦しませてやりましょう!」
「まあ確かに、合法的手段で彼ら運営にダメージを与えられるチャンスだけど……」
まあ法などこの世界にはないのだが。だが、自分で決めたルールに縛られる神には、有効な攻撃手段であることは確かなのだった。
「……けど、やめておこう。このままでは、この国の文化が確実にキャベツに汚染されてしまう」
「ふむ。そうですね、本末転倒ではありますか」
「んみゃお」
「ただ、せっかくだから、もう少々キャベツで様子見てみるとしようかね」
「それがいいでしょう。敵施設の規模もこれで計れます」
せっかく訪れた嫌がらせの機会は、どうにも外すことの出来ない性格の悪いハルなのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




