第1544話 異世界より異世界へようこそ
ハルの操る偵察マスコットの『ゾッくん』が、転送先の空間をふわふわと飛び回り調査を進めて行く。
そこは穏やかな風が吹き抜ける草原で、暖かな春の日差しと周囲に咲く花や色づいた草木が、まだ寒さの厳しいヴァーミリオンとはまるで別の場所だということを示していた。
というよりも、植生は日本のそれにほぼ等しいように思える。風に舞って踊る見慣れた花びらの出どころを目で追ってみれば、立派な桜の樹が満開の花を散らしている。
ときおりこの異世界特有の植物なども混じっているが、よほど草花に詳しい者でなければ気が付かないだろう。
その草原の真ん中には草花を切り取る一本の線が通っている。
簡素な街道が整備されたその様は、ファンタジーゲームにありがちなフィールドの『道』。
多少なりともゲームに触れたことのある者であれば、それを見ただけで『その道に沿って進めばいい』ということを直感的に理解が出来る優れものだ。
「しかも、おあつらえ向きに『街』まである。もし彼らがゲームを一切しない堅物揃いでも、人工物が見えれば無意識にそちらに進むだろうね」
「実際、そっち行ってるみたいですねー」
問題のプレイヤー集団、匣船家の指示を受けてこの極秘任務についた者達の姿は、すぐに見つかった。
彼らは『道』と『街』に誘導されるようにして、街道に沿ってそちらの方向へとゆっくりと移動を始めている。
ただ、足取りはさほど軽くはなく、状況に対する困惑がやや強いようにハルは推測した。
彼らもまた何が起きているか理解しておらず、現状に戸惑い何をしたら良いのか計りかねているのだろう。何の説明も受けていないと見た。
「……彼らの仕事は、『本日決まった時間にログインする』ことのみ。そう考えていいだろう」
「捨て駒ですわ。哀れですわ」
「まあー、情報漏洩の危険性を考えればー、そうなるのもやむなしといったトコですかー」
「とりあえず進んではいるが、どのタイミングで切り上げればいいか、迷いが大きいみたいだ」
「そもそも、帰れればいいですわね? この保証外の空間から」
「アメジストがそれ言う?」
学園の生徒たちを、ログアウトボタンの無い違法空間に送り込んでおいてどの口が言っているのだろうか。
ただ、この世界は今のところ危険は見られず、平和な空気が漂っている。
それゆえ彼らも、すぐさま帰還することは選択せず、もう少し調査を勧めることを選んだのであろう。
「そもそも、ここは何処だい? あんな城壁に囲まれた街、七つの国以外でこの星にあった?」
「《ない、ねハル。最近はここから、ぼくも各地をずっと見てるけど。今ハルが見ている街や城はおろか、その桜の咲いた草原がそもそも、何処にもない、よ》」
「ふむ……? 地表ではない……?」
「《そうとも限らないさハル。もしかすると我々のするように、境界面の景色を偽装するシールドを展開しているのかも知れない》」
「そうだね。確かにそれなら、宇宙から見ただけじゃ気付けないか」
セレステの言う事は納得のいく話だろう。他の神様だって馬鹿正直に、こちらの情報を筒抜けにしているとは限らない。特にこっそり何かを計画している者は。
ただそうなると、土地の特定が少々面倒だ。まあ、アレキの魔力が存在することは確定しているので、そこから探るのが早いだろうか。
「《それか、あとは地下かもねぇー。どーせ風景を偽装するなら、そっちのが楽だしさ》」
「《確かにそうですね。自分らの目をごまかすよりも、内部の人間を誤魔化す方が楽そうです。それにアレキの能力を考えれば、地下でも地上と変わらぬ気候を再現だって出来そうだしね》」
「出来るの、シャルト?」
「《ええ。問題ないでしょうハルさん。というか、ぶっちゃけ地表でやるより安定してて楽かもよ?》」
「確かに……」
自転が荒れている関係で、風も気温も荒れ放題だ。それを考えると、そうした荒れた気候に振り回されない地下の方が、箱庭を作るには向いているか。
ついでにバレにくい。地下の可能性も、考慮しておこうと思うハルだ。
しかしそうなると、いよいよ最近は地下が多すぎるように思う。皆どれだけ好きなのだろうか、地下。
……いや、まだ別に決まった訳ではないのだが。
「ひとまず、彼らに接近してみようか。ここじゃ会話も聞き取れない」
「気をつけないとダメなんですよー? モンスターと間違われて、討伐されてしまうんですからー」
「こんなに可愛らしいゾッくんと戦おうなんて、野蛮ですわ?」
「まあゲームなんてそんなもんだし。それに、仮に戦いになったとて、初心者ごときにゾッくんは負けんが」
「《謎に張り合うなよなぁハルさんー。いや、むしろモンスターのふりして殲滅しちゃった方がいいのかな? 後々のことを考えると》」
「うーん……」
マゼンタの言う事も一理あるが、とはいえ気が引ける。彼らは何も知らない初心者なのだ。ただの初心者狩りになってしまう。
それに、彼らの目的を探るという点においても、このまま泳がせておくに越したことはない、といった事情もあった。
ハルは決して彼らに気付かれぬよう慎重に、その距離を詰めて後をつけて行くのであった。
◇
「《……これって、どこまでが仕事なんです? あの街みたいのに行く必要が?》」
「《さーてねっ? もう言われた内容はこなしてるんで、仕事は終わっているともいえる》」
「《……『仕事』の内容を口にするな。ログを取られると分からないか》」
「《つってもさぁ。ここに来てからこのかた、ゲームメニューは機能してないぜ? ほれ? 既に例のハル君側からの追跡も途絶えてる、って考えるのが妥当よ?》」
「《だからといって確証はない。うかつな行動に走るな》」
「《偉っそうだなぁ。どこの家のモンよ、あんた?》」
「おお、険悪。仲間意識低いんだ」
「彼らはメニューが使えないんですの?」
「まあ、そうだろうね。実際、ログも途絶えてるよアメジスト。この軽そうなお兄さんの推測は正しいよ」
「とはいえこうしてハルさんに盗み聞きされているのも事実なのでー、こっちのムスっとした人の方が正解なんですがー」
この地に転送が行われた瞬間に、ハルたちによるログイン追跡はぷっつりと途絶えた。
この者達の意識は今アレキか、その協力者の手によってこの地に繋ぎ留められているのだと思われる。
とはいえ彼らのキャラクターボディはそのままであり、であるならば追跡は問題なく出来るはずなのだが、そこには謎の力が働いているようだ。
「むー。ということは、このこんにゃろー共は、貴重なプレイヤーの身体を横取りしたってことですねー?」
「《ああ。許せないよねカナリー。あれ一体作るのに、どれだけ魔力使ってると思ってんのさ。ボクの技術の集大成をー!》」
「《……マゼンタたちがそうして何でもかんでも盛り込もうとして、膨れ上がったコストを今の水準まで押さえたのが自分です。ホント勘弁しろよなぁ》」
まあ、ユーザーが何気なく使っているあって当然のプレイヤーキャラにも、裏側ではこうして涙なしには語れぬ苦労があるのであった。
ただ、そんな神々の労力の結晶たるプレイヤーのボディが、こうも簡単にこちらの制御を離れるとも考えにくい。
たとえ惑星の裏側に飛ばされたところで、問題なくリンクを保っているはずなのだ。
「……実は別の星、とか?」
「《距離の問題じゃないよハルさん。別の惑星だろうがまた別の異世界だろうが、は、ちょっと言いすぎか》」
「でも本当に問題はないはずなんですよねー。これはきっと、改造されたに違いありませんー。あの一瞬でー」
「『そんなことが可能なのか?』というお顔をなさってますねハル様。ええ、可能なのです。このわたくしの、スキルシステムがあれば!」
「得意げに言ってるんじゃないよアメジスト。悪用されちゃってるじゃないか」
「そういう見かたも出来るかも知れません」
「《スキルシステムだけは、ある種外付けの別系統制御装置ですからね。使用料もかさむし、良いことなしだよ……》」
そんな、ある種の脆弱性ともいえるスキルシステムに外部から干渉することにより、転送用のゲートを作り上げ、更には一瞬でプレイヤーの身体構造をも書き換えたということなのだろうか?
少々欲張りすぎな結果に感じるハルだ。さすがにそこまで、都合がよくいくだろうか。
「《確かに、スキルシステムは場合によっては、スキルを使用するのに都合の良い構造にキャラクターを書き換える許可が与えられているね。しかしだ、さすがにそれを使ったところで一瞬で制御を奪えるとは思えない》」
「ええ。わたくしも同感ですわセレステ。ですが、一瞬の間リンクを遮断するくらいは出来るでしょう」
「《ふむ? あとは転送先で手作業で何かされたと》」
推測は立てられるが、まだまだ謎な部分は多い。そこは、これからの調査で明らかとなるだろう。
ハルはそれを見極めるためにも、多少険悪なムードを漂わせつつ口数少なく進む一行を尾行し、次の展開を見守っていった。
城壁に囲まれた街の入り口へと辿り着いた彼らは、その門をくぐるとそこで待ち受けていた制服らしき姿の女性と接触する。
礼儀正しく礼をする彼女は、どうやら彼らを待ち受けていたらしい。ハルとしても否応なしに、期待が高まる。
「《貴女は?》」
「《案内の者です。どうぞ、こちらへ》」
「《あっ、会話通じた》」
「《当然だろ。何言ってんの?》」
「カナリーちゃんたち。知ってる人?」
「知らないですー、こんな奴ー」
「きっと誰かの操作しているNPCといったところでしょう。見たところ、吹けば飛ぶような脆い構造。神の本体ではあり得ませんわ」
確かに、そこに存在するだけである種の威圧感を発さずにはいられない神の本体とは存在感が異なると、ハルもそう感じる。
今はゾッくん越しの観察ではあるが、ゾッくんもそこそこ優秀な解析機構を搭載している。そこから放たれる<神眼>の力は伊達ではない。
そんなゾッくんに、案内人の女性は一瞬だけ視線を送り、目を合わせた。さすがに彼女には存在はバレている。
「……というか、アレキは何故僕を排除しない? それどころか、侵食や干渉してくる気配すらないんだが」
「さー?」
「何か目的があって、誘いこんでいるのでしょうか? そうとしか思えませんが」
「《そりゃ、アメジストならねー。ただボクやアレキみたいのだと、『単に業務時間外だから』、ってだけの理由もあり得るよー》」
「おサボりさんですわねぇ……」
「転送が完了した時点で、アレキの仕事は終わりだってこと?」
「《そういう可能性もあるってこと》」
だとすると、いわゆる『主犯格』はまた別に存在することになり、目的は更に読めなくなる。
さて、案内人までつけて形の上ではゲーム仕立てにしてきたこの世界。いったい彼らを何に導こうとしているのだろうか?




