第1535話 雪と共に、天より舞い降りる物
その後しばらくは、ハルは結局のんびりと過ごすことになった。
これは慌ただしかったここ最近の疲れを癒すためというのもあるが、それ以前に単純に匣船家に動きがみられないという事情も大きい。
きっと、まだ何も始まってはいないのだろう。
もちろん各々が水面下で思惑を張り巡らせているのは間違いないが、それは今までも、そしてこれからもきっと変わることはない。
全ての企みを先手を打って全て潰して回るなど、それこそ月乃の望むハルを頂点とした絶対管理社会。それはハルの望むところではない。
管理者としての一線を退き、今を生きる人々に世界を任せて行くというならば、今後はそうした関わりすぎも自重していった方が良いのであろう。
「……でもなあ。神様のやることだしなあ」
「また言っているのね、この人は……」
「しょくぎょーびょーだ。エメっちょを笑えんぞハル君」
「うんまあ。最近は自分でも時おり思うようにはなってる、それ……」
ハルたちは今、再びの観光モードにてのんびりと異世界の地で過ごすことにしている。
いや、正確にいうならば今は『地』ではなく空の上。
各国を巡るモノの戦艦に乗せてもらい、異世界の大地とそこに広がる国々を眺めつつ、優雅に空の旅の途中であった。
モノが専用の個室を用意してくれたため、今日は変装をすることなくユキ以外は肉体のまま羽を伸ばしているのだった。
「ああ~~、空の旅ってのもいいですねぇ~~。しかもVIP待遇。言うことありません」
「イシスさんはまた、だらけちゃって……」
「いいじゃないですかぁ。社長もこんな時はダラダラしましょーよー」
「しかも酔ってるわね、あなた……」
「社長も飲みましょうよぉー。美味しいれすよ、このお酒ー」
「飲まないわ。まず私たちはそんなにお酒って嗜まないし、そもそもこの後国のトップと会うのだから」
「うえぇ!? マジですか!? き、聞いてませんってぇ~!」
「あっ、イシすん急に正気に戻った」
「そりゃ酔いも醒めますよぉ……」
「別にイシスさんは無理に会わなくてもいいですよー?」
ハルたちを乗せ空をゆく船は今、気の早い花々が春の訪れを告げる暖かい土地を抜け、北方に位置するヴァーミリオン帝国の領土上空を飛んでいる。
徐々に雪化粧を濃くしていく白い大地からは、この地方の冬の厳しさが一目で伝わってくるようだ。
とはいえ、そんな大自然の厳しさもあたたかなこの部屋にまでは届かず、イシスなどは目をとろんとさせつつ、ただただその美しい銀の絶景を空からのんびりと楽しんでいた。
そんなほろ酔いイシスも一瞬で素面に戻るこの衝撃。
そのヴァーミリオン帝国の<王>であるクライス皇帝が今回この戦艦へと搭乗予定があり、ハルたちともそこで面会をすることが快諾されていたのであった。
「大丈夫だよイシスちゃん! いざとなったら、気合でアルコール分解しちゃえばいいんだから! 『はぁぁぁぁあっ!』、って!」
「いや、私はソフィーちゃんみたいに体内エーテルの操作が得意な訳じゃあ……」
「じゃあハルさんにやってもらおう! 大丈夫、私も最初は出来なくって、そうやって覚えたからね!」
「そうね? やってあげなさいなハル。それじゃあお客様? 服を全て脱いで、楽な姿勢で横になってくださいね?」
「怪しいお店すぎる……、脱ぐ意味とは……」
「肌の触れる面積が広い方が効率はいいのよ?」
「いやそもそも一切触れなくてもアシストは出来るから……」
「でも、私の時はいつもハダカだったよ!」
「そうなんですか!?」
「ほら見なさいな」
「ソフィーちゃん、爆弾投下しないの……、君の場合は再生治療の途中だったからでしょうに……」
からかうルナと、天然のソフィーに押されて、何もせずともすっかり酒の抜けてしまったらしいイシスであった。
「まあそもそも、会いたくなかったら別に会う必要ないさ。<転移>で帰ってもいいし、魔力体、ゲームキャラにログインしなおして会ってもそれでいい」
「いえ、<転移>はしませんよ。都合の良い時だけワープで帰宅するなんて、旅の醍醐味も何も無いじゃないですか」
「イシすん、変なところ真面目であった」
「ロマンチストなんですぅ」
まあ、ハルも気持ちは分からなくもない。ハルもせっかくの休暇だ、そうした効率を今日くらいは忘れて不自由さを楽しむのもいいだろう。
……まあ、ハルの場合は、そんなことを言いつつも今この瞬間も実はその家にも分身を置いているので、そもそも帰宅する必要すらないのだが。
そちらに意識を向けてみると、“そのハル”は今はヨイヤミにせがまれて一緒に庭で遊んでいる。
ちなみにヨイヤミだが、この小旅行にはあまり興味がないらしい。
ただこうして室内から景色を眺めるよりも、慣れた風景の庭を駆け回って体を動かすことを選択したようだ。彼女らしいといえる。
「はぁ、でもつまりは、その王様? 皇帝様? に会うと仮定しても、ハルさんに頼めばその直前になってからでもお酒を抜いてもらえるんですよね?」
「まあ、そうなるね?」
「はぁ~、なーんだっ。じゃあビックリしすぎて損しましたねぇ。怖がらせないでくださいよぉハルさん~」
「いや別に脅かしたつもりはないし、何の損もしてないと思うんだが……」
「いーえ損してます。せっかくのお酒が抜けちゃったんですから、これは損失以外の何ものでもありません!」
「そうか。なるほど? じゃあそんなイシスさんにはこれ以上損をしてほしくなんかないね」
「そだねー。イシすんの利益を最大限考慮して、ここは皇帝との対談も、イシすんだけべろんべろんに酔っぱらった状態で出席ってことで」
「息ぴったりでここぞとばかりイジメないでくださいよぉ!」
「急に弱点露出するからだよイシスちゃん!」
そうしてなんとも騒がしく、ハルたちの空の旅は進んでいく。なお恥ずかしさを隠すためか、イシスの酒量はその後次々と加速していったのは皆がうっすらと予感した通りだった。
……あまり酔いが深まると、体内のアルコールを抜いたところで逆に反動ダメージのように後遺症が残るのだが、まあ、言わないでおくのが吉なのだろう。
*
「皆さま! 材料を、仕入れてきたのです!」
「おー、アイリちゃんお帰りー」
「ただいまです!」
小さな体でかご一杯の荷物を抱えて登場したアイリの、持ってきたそれらは食材の数々。
メイドさんたちと共に、食事の材料を調達すると息まいて部屋を出たアイリが、そのクエストを無事に達成させて戻ってきた。
この戦艦はいま、各地の特産物の数々を乗せて飛び回る空飛ぶ移動販売。
その中における食材調達は、この異世界で今最も多種多様な品揃えを誇る食の最先端マーケットであるといって構わない。
そんな中でアイリが何を選んで持ち帰ってきたのか、みな、興味を引き立てられ自然と彼女の周囲へと寄って行った。
「よくぞ任務を果たしましたねー。さあー、食べましょうー。おなかすきましたよー?」
「お待ちなさいなカナリー。食材にそのままかぶりつくつもり?」
「まーいくつかは、そのまま食べれそうなモンあるけどね。チーズとか」
「チーズですかぁ! おつまみに良さげですねぇ」
「完全によっぱらいさんだね!」
取り出される食材の数々は、どうやら乳製品が多いようだった。牛乳にチーズ、バターに小麦粉、そして卵。カナリーのためのお菓子の材料かと思いきや、そうではないらしい。
それはひときわ大きな包みから取り出された、真っ赤な肉塊、その異質な食材が物語っている。
「アイリ、このお肉は?」
「はい! このヴァーミリオンの土地で狩られた、巨獣の、お肉なのです……! 今日はせっかくなので、この地域で愛されるお料理に、挑戦してみようかと」
「旅らしくっていいですねぇ」
ヴァーミリオンの人々が、長く厳しい冬を乗り切るための貴重なタンパク源。まさしく彼らの生命線たる巨獣の肉。
その巨獣というのは実は、この地の守護神であるマゼンタが『生体研究所』にて生み出した、まさに『神からの贈り物』なのであった。
本来急激な気候変動により絶滅したはずのそれを、マゼンタたちが遺伝子操作で生み出しなおし、定期的に『配布』している。
もしかすると、その作業はこの間会った翡翠なども手伝ってくれているのかも知れない。
「なるほどねえ。このお肉があるからこそ、この厳しい環境でも人々は冬を越していけたって訳だ」
「……いつのまにか、雪が舞っているわね?」
「私がどした?」
「ユキではないわ? 踊ってくれるのかしら?」
「まぁ出来なかないけど……」
壁一面の巨大な窓から見える外界の景色には、いつの間にか真っ白な雪に装飾されていた。
もう季節の上では春だというのに、珍しくもないというのだから過酷さが良く分かる。
「まずは温まりましょう! ……寒くは、ないですけど! この牛乳を温めて、しかもなんと、チョコレートを、入れてしまうのです!」
「うちの国ではあまりやりませんよねー。そういえばー」
「きっとカナリーちゃんが、『チョコはお菓子に使うべき』って法律を作ったに違いないよね!」
「むぅー。さすがにそこまではしませんよー。同意しかありませんけどー」
あたたかなホットチョコレートを頂きながら、風花舞う白の大地を皆で眺める。
確かに地球では、こうした空からの遊覧飛行など現代では望めないだろう。不可能という程ではないにせよ。
そんなヴァーミリオンの郷土料理を、アイリはメイドさんと共に作り始める。
どうやらたっぷりのバターを溶かしたところに牛乳を注ぎ、それに肉を入れて煮詰める料理のようだった。
「ふふふ……、そしてなんと、トドメにチーズも、入れちゃいます……!」
「か、カロリーの凶器……、私は、ちょっと遠慮を……」
「なにを言っているのイシス。そんなにお酒を飲んでいる人が」
トロトロにとろけるような巨獣の肉を、やはりトロトロに煮詰まった牛乳のスープと共に頂く。
この暖かさとカロリーが、この雪の大地での生活を乗り切らせてくれる。
ハルたちはそんな彼らの文化と歴史を感じながら、徐々にこの国の空港へと近づく空の旅を、その後も満喫したのであった。




