第1530話 人類を導く箱舟
モノリスを管理する三つの家の一つであり、研究所設立の大元にもなった力ある家のひとつ、匣船家。
御兜、織結に次ぐ今までハルとは関わってこなかった最後の一家が、ここにきて姿を現してきたことになる。
匣船家は立場や方針としてはモノリスの積極的活用をうたっており、封印の継続を是とする御兜とは対立する立場にある。
とはいえ、そこまで表立って対立しているという訳ではなく、彼らとしても現状における封印の重要性についてはよく理解しており、納得済みではあるようだ。
ただそんな中でも出来ることはあるはずだと、学園の地下にある状態での稼働実験をたびたび提案しているらしい。
かつてヨイヤミが盗み見た、別次元からのエネルギー抽出実験を提案していたという怪しい人物。これは、恐らくは学園を訪れたこの匣船家の人間であったのだろう。
「そんな彼らが、ついにこの異世界に辿り着いたと?」
「いや、どうかな? 異世界がどうこうというよりも、“僕がやっていること”だから調査をしている、というだけかも知れない」
「まーねー。ゲーマーが『異世界が実在する!』なんて力説しても、そんな偉い人が本気にするとは思えないもんねー」
「確かに。申し訳ないですが、『なにを妄言を』と、きっと思われてしまうのです……」
「夢見がちな、妄想ですよー?」
まあ、普通の人が聞いても、ゲーマーの妄想としか思われないだろう。残念ながら。
いかに証拠を揃え理路整然と語ったとしても、そんな細かい部分まで見てくれる人は多くない。
反応としてはイシスが夢世界の記憶についてパニックになり語ってしまった時と同じ。夢や妄想と取り合ってもらえないか、都市伝説や陰謀論か何かと思われて終わりだ。
「このゲーム、プレイ中は外と遮断されていて、外への情報持ち出しはしにくくなっているしね。そこも可哀そうだ」
「同情している場合かしら? しかし、相手がそんな立場だということは、『異世界がある』という事それ自体は、既に不思議ではない事実として受け入れている可能性もあるわよね?」
「ですねー。とはいえゲーマーの妄想に反応したのは、そこにハルさんの存在があったからでしょうけどー」
「まーハル君もさ、そう考えたら妄想が行くところまで行っちゃったヤベー奴だしね」
「僕は別にそんな妙なこと言ってないと思うんだけど……」
「いや、ゲームキャラであるアイリちゃんを嫁にして、その嫁のためにこのゲーム丸ごと買収してんじゃん。“はたから見れば”」
「そうでした……、はい……」
「やばいですよー? 『アイリは俺の嫁』ですよー?」
「ふおおおおおお……! あっ、改めて言われると、てれ、照れるのです……!」
「大々的に演出しましたからねー」
いやそういう意味ではカナリーも疑惑の一部に含まれていると思うのだが。本人は我関せずの構えを貫くようだ。
まあ、カナリーは最初から運営としての立場を崩していない。そこに関しては、実在の人物だったという判断をされてもおかしくはないか。
「……まあ後は、普通に夢世界で洩れたという線もあるか。時期的にもね」
「そうね? あちらでは、記憶が消えるのをいいことに、アイリちゃんたちの存在もかなりオープンにしていたものね?」
「そのおかげか、あっちで僕に関する生の声を結構収集もできた。アイリのことは、『実は運営側の配置した操作キャラだった』っていう噂が主流になっていたね」
意外なほど、『実は異世界』という声は聞こえてこなかった。
夢世界などという馬鹿げた存在を知ってなお、無意識に異世界の存在なんて無いと否定するフィルターが掛かっているのかも知れない。
「じゃあアイリちゃんはー、『好みの男を運営権限でゲーム内出会い行為に誘ったヤバい運営』ですねー」
「……あの! 恐れながらそれは、カナリー様なのです!」
「そうでしたー」
「まー話を戻すと、そーゆーハル君の行動や噂も、疑惑の一助になってるってこった」
「確かに。自業自得か」
それにもしかすると、夢世界からの記憶継承者がハルの知らない所で出ているのかも知れない。
後で、情報屋やヴァン、万丈達にも確認してみようとハルは思う。よもや彼ら自身ではないだろうが。
「つまり、予定通りでもあるのよね? そうして緩やかに、世間に情報が出回って行くのは? 放置しても構わないのかしら?」
「まあそうなんだけど……、相手が相手だからねえ……」
まいどお騒がせの研究所関連の相手なので警戒すべきという気持ちと、情報を秘密裏に管理するのが得意な彼らに任せるのは妥当という気持ちがせめぎ合うハルだ。
いきなり一般の人々に知られて混乱を生むよりも、力ある彼らに任せた方が上手く行くのかも知れない。
しかし、一方で彼らは、この情報をどう使うのか分かったものではない。危険があるのかも知れなかった。
「まあ、接触してみるしかないのかねえ……」
結局、放置するという選択肢はないのだろう。
ハルはこちらからも相手に探りをかけてゆくべく、今度は日本へとその身を飛ばしたのだった。
*
「ハルお兄さんは、その匣船の人達のことは知ってるの?」
「ああ、一応知っているよヨイヤミちゃん。以前彼らの存在を知った折に、一通りね。家宅捜索をした」
「不法侵入じゃなくて?」
「そうともいう」
「あはははっ。それじゃあ、先にスパイ行為した悪い人はお兄さんだ。なーんにも今回のこと非難できないね!」
「そうともいう」
日本は今は昼間を少し回った頃。そんな白昼堂々に、ハルはヨイヤミを伴い再び学園に不法侵入をしていた。
そう、ハルに匣船家を責める権利など一切ない。スパイ行為と侵入工作は、ハルこそ特技とする事なのだから。
とはいえ今は、特に身を潜め息を殺す必要などない。学園はいま長期休暇の真っ最中であり、校内に人の姿はまばら。
加えていつものようにヨイヤミを伴って歩くハルは、彼女を病棟へと連れて来たのだというおなじみの言い訳がきくのであった。
「もうすぐ新学期だねぇお兄さん。今年は、どんな連中がぞろぞろ群れを成して入って来るんだろ」
「言い方よ。しかし、新入生を楽しみにしてたのかいヨイヤミちゃんは」
「うん! 家では甘やかされて育ったボンボンの連中が、この監獄のような学園に幽閉されて泣きわめく姿は胸がすっとする思いだよねぇ。それに自分はこの世の頂点だと思ってた悪ガキが、序列社会の厳しさを叩き込まれるトコとかも!」
「良い趣味をしている……」
病棟から動けなかったヨイヤミは、その超能力を使って学園内でのそうした出来事を覗き見て無聊を慰めていた。
まあ、そんな彼女の求める多少趣味の悪い出来事を含め、もうじき新学期の学園には新たな出会いや出来事が多くあることだろう。その事を思うと、ハルも心なしかその桜の季節が楽しみに思えてくる。
……いや、決して趣味の悪い覗き見に来たいと思っている訳ではない。
「アメジストちゃんのゲームも、新フェーズだね」
「……あいつ。仲間になったからって遠慮なく規模を拡大しようとしてるんだよね。敵対してた時の方が大人しいとか、おかしいと思わないかい?」
「あははっ。捕まらないように、押さえてたんだねー」
ただ、今日の目的は、そんな学生たちのここでの活動でもアメジストへの抜き打ち検査でもなく、この地の地下に用がある。
ヨイヤミと共にいるのも、見咎められた際の言い訳だけではなく、彼女の力で見たという光景を検証するためだ。
二人は研究棟に作られた秘密のエレベーターに乗り、この棟内に居る研究員達もほぼ誰も知らない秘密の空間を目指す。
地下にはモノリスを収める空洞が広がっており、この学園は、その上に蓋をする形で建設された。
順序はこの地下が先であり、学園はいわばそれを隠す為の壮大すぎる言い訳だ。
「この人たち隠すの本当に得意だよねぇ。異世界の活動資金も、そのスキルを活かして隠したのかな?」
「そうなのかもね。実際は、それこそ複数のユニークスキルを複合して隠したらしくてね。秘密を知らない人が偶然掘り当てちゃうってことはないように考えられてたね」
「へぇ~~。やっぱりここの人たちの入れ知恵だ」
そうかも知れない。ちなみに話に出た通り、ハルは既に彼らの活動資金の隠し場所も特定してしまっている。
ぽてとやユキは宝探しを楽しみにしていたようだが、残念ながら全容の解明の方が優先された。
そんな秘密の多すぎる三つの旧家が全力で作ったこの地下施設。ハルは、まだその全てを自分の目で確かめた訳ではない。
御兜天智に案内されて、モノリスの鎮座する大広間には足を踏み入れたハルだが、それだけがこの場所の全てという事はなかった。
ただ当時はアメジストのせいでこの学園内で魔力は使えず、得意のエーテルもここには存在しない。
それゆえ調査は後回しになっていたのだが、今はそのアメジストも完全にハルの支配下に入っている。もう何を憚ることもないだろう。
「そんな隠すの大好きな人達の作った隠し通路が、ここにはまだあるらしい。今日はそこを、探検しようか」
「うおーっ! 楽しみ! お兄さん、もうどこに通路があるか分かってるのかな? 私見つけたい!」
「いや。僕としてもこれからさ。一応、モノリスがあるからね。万一にも、魔力が触れるような事がないようにしないといけないから、慎重にだね」
「よーしっ、先に見つけるぞー」
そんな風にまるで緊張感なく、二人の探検隊は狭いエレベーターを下り更に狭い地下通路を進んで行った。
目には目を、スパイにはスパイを。果たして、匣船家に関する重要情報は何かこの場から出てくるのであろうか?




