第1528話 鮮度こそ美味さという過激思想
まずは定番のお刺身から。ガラス張りの先に広がる海から、直接取ってきた魚がこの場で捌かれる。
どうやら生け簀となっている巨大水槽、ガラスのすぐ横の壁面には穴が開いているようで、従業員がそこから魔法を使って直接魚を引き寄せていた。
「へえ。面白い……」
「水がこぼれないのね?」
「水を通さないよう、魔法でフィルターを作ってるんですよー」
「すごいよね! 海の底から、魚釣りしているみたい! ぽてとも、出来るかなぁ……」
「やらせてもらえるように頼んでみれば?」
「だめだよ! ここはちゃんと、プロに任せないといけないんだ! お仕事のじゃましちゃ、いけないんだよ?」
「そかそか」
ユキの気軽な提案に、ぽてとの表情は真剣だ。鋭い視線にて、釣り上げられてくる魚たちを射貫いている。それだけ待ち遠しいのだろう、喉をごくりと鳴らしていた。
一方でそれら『食材』を準備するプロの方々は、ぽてとの真剣さに緊張ぎみ。間違っても下手な物は出せないと、こちらも違う意味でごくりと唾を飲み込んでいる。
彼らとしては求められれば、体験会のようにぽてと自身で生け簀から抜き取ってもらっても構わない様子。むしろそちらの方が、味に文句が出なくて安心できそうだ。
「……この水を通さない魔法でバリアを張れば、私らも水中で活動出来るんじゃない? そしたらぽてちゃん、水の中で釣りが出来るかもよ?」
「おお~~。たのしそうだね。でもそれは、“じゃどう”、じゃないかなぁ……」
「なーに。結果的に楽しいって言えるなら何だっていいのさ」
「とはいえ、ユキ? 私たちはそもそも、水中で自由に活動できるじゃない? わざわざそんなフィールドが必要なのかしら?」
「たしかに! 言われてみりゃそうだった!」
魚の『抜き取り用』の穴ひとつで、新たな遊び方を模索し始めるユキたちだった。
まあ必要性はさておき、発想としては面白い。水の中から行う釣り、下から上へと投げ込む針。この世界ならではの、特別な体験として売り出せるだろうか。
しかし、わざわざ水の中に入るのであれば、ぽてとは得意の高速『ねこかき』にて、どんな魚でも追いかけて『つかみどり』をしてしまう猛者である。その効率を上回れるかは微妙なところだった。
「あっ! やってきたよぉ……!」
そんなことを話しているうちに、最初に“釣り上げ”られたマグロのような巨大魚が締め終わり、刺身となってやってきた。
以前に、締めた直後よりも多少置いた後の方が良い等、そんなことを聞いたことがあった気もするハルであるが、目の前の刺身を見ればそんな情報は一瞬で脳内から消し取んでしまった。
照り返すような艶のあるその身は素晴らしく、輝きを放ってすら見えるのは幻覚だろうか?
水族館のように薄暗いこの水槽前の特別席。その雰囲気が天然の『ブース』となって、ハルたちの食欲をより増幅しているのかも知れない。自然、期待度が高まってゆく。
「それじゃあね、いただきます、しよう」
「うん。いただきます」「いただきまーす」
皆で手を合わせ、『いただきます』の合唱をする。それが終わるや否や、皆は我先にと刺身に向かって箸を伸ばした。当然、ハルも同様だ。
「……うわぁ。……美味しすぎる」
「うん! うまいね!」
「やりますねー、これはー」
「確かにね? ここまでのものは、なかなかお目に掛かれないわよ?」
「うん……、うん……、なかなか、いい感じだね今日は……!」
その予想以上の美味しさに、言葉をなくすレベル感動で感動しっぱなしのハルたちとはうってかわり、普段の様子から一転して真剣すぎる表情で刺身を噛みしめまさに『吟味』するぽてと。
そのぽてとから出た合格の言葉に、店のスタッフ一同も明らかにホッと安堵の息をついている様子だ。社長の試食かなにかだろうか?
「十分に美味しいわよぽてとちゃん? 問題なんてどこにもないのでなくって?」
「そこで、満足しちゃだめなんだぁルナさん。やっぱりね? 海のお魚はね? 海で泳いでる物じゃないと、最高の味は食べられないんだ!」
「……我々も、出来る限り常に最高の状態に近づけるよう努力を重ねていますが、やはりこの国は、海のない内陸ですから」
「これほど大がかりな施設でも足りないものなのねぇ……」
スタッフたちも悔しそうだ。まあハルとしては十分すぎるというか、これ以上の物を求める必要はないようにも感じるが。やはりプロとしては妥協が出来ないのだろう。
ぽてとも、日々自ら釣りたての魚も食していることであろうし、鮮度に関しては誰よりも厳しいのは頷ける。
「まーまーぽてちゃん。そんな難しい顔しなくってさ、美味しい物食べてる時はもっと笑おうぜい。そーすりゃ、もっともっと美味しくなるんだから」
「!! そ、そうだね! ごめんね、ごめんね? ぽてと、大事なことを、忘れてたよ……」
「そじゃないだろー? ほーれ、あーん」
「うん! あーん。……おいしいよ!」
「そーだろそーだろ。ぶっちゃけカゲっちゃんのトコの手の込んだお料理より、断然上じゃね?」
「一言多いんだよなあユキは……」
とはいえ確かに、言ってしまえば『ただ魚を切っただけ』のこの料理が、どうしてこんなにも美味なのだろうか。
いや、もちろん釣り人飼育員含め職人たちの様々な技術の賜物であるのは理解している。
しかし、この臭みなど一切ない新鮮すぎる肉の旨み、舌の上でとろける脂、鼻に抜けて行く磯の香り。それだけで、もう他に手を加える必要など無いのではないか? そう錯覚してしまうのだ。
「あー、もうこれだけでいいんじゃないかな?」
「ふっふっふー。ユキさん、ユキさん。そう思う気持ちも、ぽてとも分かるよ……? でもね、まだまだこんなものじゃ、済まないんだ……!」
「な、なん、だと……?」
「そうですよー? こんなんじゃ、満足できませんよー?」
「カナリーが言うとただ『量が足りない』ようにしか聞こえないのは何故かしら……」
「どうぞたくさん、食べてください!」
「うん! たくさん食べよう! 店員さん……、『つなまよ』を、おねがいします……!」
ぽてとが、きりり、神妙な表情で、しかしその顔に似合わぬ注文をする。
店員も店員でうやうやしく注文を受け、『つなまよ』の準備に取り掛かった。
この高級店でわざわざそんなジャンクな、とハルたちとしては思うが、当のぽてととスタッフは真剣そのものだ。
どうやら皮からこそげとったネギトロ部分を使うようで、それを専用に調合したマヨネーズと慎重に混ぜ合わせている。
どうやら、美味しければジャンクっぽかろうが何だろうが、それこそが正義であるという信条の店らしい。
このあたりは、カゲツの理念に通じるものがあるように感じるハルだった。
「ぜっぴん……、なんだよ……?」
可愛くも重苦しく語るぽてとの雰囲気に、知らず皆で再び喉をごくりと鳴らすハルたち。
その贅沢すぎるツナマヨを一気に口の中に放り込むと、にじみ出る脂と油の濃厚さとコクの暴力、そしてそれを洗い流すかのような爽やかな酸味とスパイシーな刺激が、ハルたちの口の中を駆け巡っていったのだった。
「……あー、やっぱ調理は必要だわ」
「鮮やかな手のひら返しですねーユキさんー」
「そういうカナちゃんだってパクパク食べてんじゃん」
「これは食べなきゃ、失礼というものですよー? ご飯が欲しいですねー」
「だよね、だよね。すみません、ごはん、くださいな!」
「……マヨネーズと聞いて身構えてしまったけれど、これは相当に考えてスパイスも込みの配合が研究されているわね」
「はい! 皆、マヨネーズは大好きですから!」
神々が伝播させた文化の中にはマヨネーズも入っており、それはこの世界の中で、どうやら百年かけて研究と洗練を続けられてきたらしい。
アイリももちろん大好きであり、彼女はあまり洗練されすぎない日本的な物を好んでいた。トマトと合わせてサンドイッチにするのが好みである。
「ご飯はあるけど、お寿司は無いのな?」
「そうなんだぁ。こっちでは、やらないみたい」
「そりゃもったいない。よし、ソロもんでも連れてくるか!」
「ユキ、彼は寿司屋の息子だけれど、本人が寿司職人ではないよ……」
だがそうやって、今後そうした食文化の交流もあることだろう。その結果生まれるかも知れない新たな味と発想を、ハルは今からなんだか楽しみに思うのだった。
◇
「うーん。お上品ですてきなパスタ。でも、何か足りない気がする……」
「ぽてとさんは、厳しいのです!」
「きっとね、きっとね? ぽてとがね、こういう高そうなお料理、慣れてないからなんだぁ……」
「気にするなぽてちゃん。高そうならウマい訳じゃない。自分の舌を信じるのじゃ!」
「うん! じゃあ、同じエビを使って、『えびてん』にしてくださいな! 貝は、『じかびやき』!」
「海老も丸焼きでよくないですかー?」
「それも、そそられるけど、今はがまん……」
「今日は海老天の、日なのですね!」
豪快な料理ばかりではなく、この店は高級店らしい見た目に相応しい洗練された料理もきちんと出している。
そのうちの一つ、海老と貝を使った透き通ったスープのパスタをハルたちは頂いていたが、ぽてと社長のお口には合わなかったらしい。店員が戦々恐々としていた。少々可哀そうであった。
ちなみに美味しくないのかといえばそんなことはなく、見た目通りに高級で洗練された味わいと、やはり実に計算されつくした調味料の配分は申し分ない。
カゲツのゲームに持っていけば、表彰台に上がることだって十分にあるはずだ。
「まあ確かに、このすっきりとした味わいに仕上げるために、エビのエキスみたいなのが多少抜けてしまっているのかもね。ぽてとちゃんとしては、それが許せないのかも知れない」
「そうねぇ。私はかなり高く評価しているけれど。やはり素材の鮮度ひとつで、ここまで変わると思い知らされるわ?」
「……ふふふ。わたくし、気付いてしまったのです! 実はぽてとさん、セロリが苦手なのですね!」
「!! ぽ、ぽてとは、好き嫌いなんてしない良い子だし……!」
「人によって好みが違うのは当然だよぽてとちゃん。僕の味覚と、ぽてとちゃんの味覚は実は全くの別物だ」
カゲツのゲームでも、そこはかなり苦労しているようだ。
万人に評価される絶対の最高傑作を求めるカゲツだが、人間の仕様上そんなものは存在しないともいえた。
ぽてともどうやら、パスタに使われていたセロリの匂いが苦手であったようである。
……ちなみにハルと女の子たちは、やろうと思えば互いの味覚を共有できる。
同様にカゲツのゲームでも、『他人の感じる美味しさ』をブースを使ってダウンロードすることが可能だ。
その力を使うことで、果たして人類にとっての味の最適解を、カゲツは見つけ出すことが出来るのだろうか?
「やはり直火焼きが、ごくじょう……!」
「もう料理人のひと要らんのでは?」
「そ、そんなことないよ! ぽてとじゃ天ぷらは、こんなに上手に揚げられないもん!」
「ユキさん、あまりぽてとさんを、いじめてはいけないのです!」
ハルはそんな事を考えつつ、目の前で美味しい食事を楽しみつつはしゃぐ可愛い女の子たちに目を細める。
……今は自分も、見た目の上ではその『可愛い女の子』に化けているという事実からは全力で目を逸らそう。
「なに考えてるんですかー?」
「ん? ああいや、全ての人の意識が集まるエリクシルネットには、そうした個人の好みを超越した人類にとっての味覚の答えみたいなものがあるのかな、って」
「また妙なこと考えてますねー? こういう時は、美味しい物ひたすらお口に放り込んで、馬鹿になるのが礼儀ですよー?」
「そ、そうなのかな……」
……こうやって答えの出ない問いに思いを馳せつつ、黄昏れるのも悪くないと思うハルなのだが。
だがまあ確かに、今はそうして一人で気取っているのは勿体ないかも知れない。
「見てくださいハルさん! この海老天、おくちに、入りきりません……!」
「それは本当に天ぷらにするべき海老なのか……?」
そんな風にわいわいと、ハルたちは今日という休暇の日をぽてとを交えて美味しい物をたらふく食べながら、楽しく過ごしていくのであった。
難しいことは、また後で考えれば確かにそれでいいだろう。
その後も次々と出てくる料理に舌鼓を打ち、建設現場にて稼いだお金はもうすっかりと使い切って、ハルたちは楽しい休日を過ごしていった。
なお会計時になって、先ほどの給金のみではまるで足りない事実が発覚する。高級店、恐るべしであった。
もちろんしっかりと支払ったが、ぽてとが共に居なければあり得ざる資金を持つスパイ容疑で通報されていたかも知れない。
相変わらず、一般の常識というものには疎いハルなのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




