第1509話 甘くも苦い、男達の試練
アイリのチョコチーズケーキの審査が終わり、ハルたちはブースから外に出る。
ハルは審査員席に戻り、アイリはその前に立って最終結果発表を待つのみだ。
ハル自身のどうしても入ってしまう贔屓目を抜きにしても、なかなかいい結果が出たのではなかろうか。点数にも期待が持てる。
「帰っていいか?」
「だめ。僕もやったんだから」
「チッ……」
ハルとアイリのいちゃいちゃを見せつけられて、『次は自分がアレをやるのか』と戦々恐々なソロモンだった。
もちろん逃げることは許されない。ハルが許さない。
「《ほいでは採点の方に移りましょー。最終結果はぁ? じゃじゃん! こちらになっとりますぅ》」
「むむっ!」
「ふむ? 暫定一位はまあ当然として。これは高いのかな?」
「さほど、高くはありません! 低いと言うほどでもないのですが、優勝を狙えるラインかというと……」
「そうなのか。美味しかったのに、厳しいんだね」
「《先ほどの『ブース』効果も含めた総合評価はかなりのものでしたがぁ、ブース無しのプレーンなジャッジとなると、やはり辛めに判定せざるを得ませんなぁ。そこが響いた形ですぅ》」
「お前、自分のゲームのコンセプト全否定じゃないか」
「《そう言わりますがぁハル様、今回は、リアル連動イベントですのでぇ……》」
リアルには『ブース』は無い、ということだ。五感を使い味覚を最大限に引き上げる処理が、現実の会場では味わえない。
なので今回は純粋に、料理単品での味の評価に絞った、カゲツによるごまかし無しの判定を入れざるを得なかったとのこと。
「《コンセプトは素敵ですし、チーズケーキ部分は絶品でしたぁ。しかしやはり、チョコレート部分が足を引っ張ってしまった感は否めません~》」
「あのチープさが、むしろ逆にチーズケーキの素晴らしさを引き立てていたようにも感じたけど?」
「《それも否定はしませんわぁ。ただ、本気でその効果を狙うとなると、どーしてもお皿を分けなければなりませんー。ひと皿目で期待度を落とし、本命のふた皿目でこう、『ぐぁっ!』っといくんですなぁ》」
「なるほど?」
どうやらそうした効果を狙いメニューを組む料理人も、中にはもともと存在していたようだった。
「《それが同じ一品に集約していると、どーしてもおくちの中で『ぶり返し』が来てしまいますぅ。チーズの風味を味わってる最中に、思い出したかのよーにチープなチョコが邪魔をするんですぅ》」
「僕は、そこまで気にならなかったけどね」
「むむむむむ……、時おりパリパリ感を楽しむためにも、別々にするという選択はありません……」
「《チョコも更に拘れば良かったですなぁ》」
「そう簡単にはいかないかもな。食感を追及すれば、味は犠牲になりがちだ」
「はい。お手伝いくださったプロの方も、同じようにおっしゃっていました」
あちらを立てればこちらが立たず。そうそう上手くはいかないようだ。カゲツの提示した改善点も、意外と料理に詳しいソロモンによって否定されてしまう。
「ただ、逆にいえばアイリの料理はひとまずはこれが完成系になる、ということでもあるね」
ならば未完成品を観客の皆様にお出しするという精神的に残念な気分にもならず、堂々と提供ができるという訳だ。
「この食感と素敵な風味は、是非ともリアル現地の人たちにも味わってもらいたいかな」
「《はいな。それに関しては、異論はありませんなぁ。ん~~、それではではでは、レプリケートぉ、オン!》」
カゲツの手によって巨大な『承認』ボタンが押し込まれ、アイリのお菓子がデータとなりほどけて空へと登ってゆく。
そうして現実へと届けられたそのデータの光は、リアル会場に並んだ合成マシンのガラス装飾を輝かせる。
会場各所のモニターには、視覚効果つきでアイリのケーキがいたるところで表示され、新たに生成可能となったことを来場者にこれでもかと告知していた。
皆は、待ってましたとばかりに装置へと殺到し、その“出来たて”のチョコチーズケーキを頬張ってゆく。
《美味しい~~っ!》
《甘酸っぱくて、それでいてほろ苦くて、素敵!》
《パリっとした食感が癖になる!》
《チョコもぜんぜん気にならないよカゲっちゃん》
《むしろこのチープさがいい!》
《慣れ親しんだ味が安心する》
《安物? 安物で結構!》
《特設ブースで彼氏と食べまーす》
《作った女の子が可愛いと思いました》
「おい最後……」
「《そんな感じで会場からの生の声もお届けしましたぁ。いやぁ、『チープさこそが良い』というのは、盲点だったかも知れませんなぁ》」
「誰もが高級品ばかりを望んでいるという訳ではないということだ。勉強になったようだな」
「《はいな。そうした環境ごとで好まれる味覚の違いというのも、今後の研究課題とさせていただきますぅ》」
「チッ。嫌味も通じんか」
それこそがブース効果の目指す、真の目的。そう言わんばかりにカゲツはソロモンの嫌味をむしろ素直に受け入れる。
味覚というものは個人ごと、育った環境ごとに思った以上に個人意識に大きく左右される。絶対の『正解』というものはない。
どうしても平均化された『絶対値』の追及しかできない今の自分を、カゲツもなんとか脱却しようとしているのだろう。
「《はてさて、好評でしたらそれは素直にいいことですぅ。会場では更に、そんな味を更に高めてくれるブースがあっちにも、あるんでしたなハル様?》」
「うん。ガラスの家が個室の飲食スペースにもなっていてね。その内部の壁に、素敵な映像を投射して楽しめるようになっているよ」
「《それは凄いですなぁ》」
「……残念ながらただの映像だから、こっちのように五感を刺激して味を高める効果はないけどね」
「《それでも、雰囲気を盛り上げることは出来るでしょー。カップルの皆さまはぜひぜひ活用して、『しっと勢力』のやる気を奮い立たせてあげましょー》」
「おい」
「おい……」
無責任なことを言わないで欲しい。その結果、被害を被るのはハルとソロモンの二人なのだ。
だがカゲツとしては、アイリが『すいーと勢力』の一番槍になり、そちらが先行したために対立候補を煽りたいらしい。なので追加で、とんでもないことを言い出した。
「《こちらでも、もっと見せつけてあげる必要がありますかなぁ。では、ファーストアタックボーナスとゆーことで、彼女にはなにか追加で審査員さんにごほうびのおねだりを出来ることにしましょーか》」
「!! なんと!!」
「カゲツお前ねえ……」
ハルが司会のカゲツのやりたい放題に物申す前に、だが既にアイリは動いていた。
どこから取り出したかホイップクリームの袋を手に取ると、むんず、と自分の頬に対して絞り出したのだ。
「これが、やりたいです!」
「これは……」
「《つまりアレですなぁ。『顔にクリームが付いているよ』、というやつですぅ。素晴らしい準備の良さ。惚れ惚れしますぅ》」
「接触は禁止じゃなかったのか……?」
「《審査員から触れる場合は良しとしますぅ》」
「いや駄目だろ」
相手がセクハラで訴えてきたらどうするというのか。
だが合意があるので問題ないと押し切られ、ハルは逃げることが出来ないようだ。
……まあ仕方がない。相手はアイリなので、このくらい別にやってあげてもいいだろう。
衆人環視ではあるがハルは覚悟を決めて、アイリの元に歩み寄ってその背に合わせて跪くようにかがみこんだ。
「《顔にクリームが付いているよ。ほら、取ってあげるからじっとして? ……はい、綺麗になった》」
……なぜ都合よくセリフに音響効果がついているのだろうか?
音だけではない。周囲はピンクの光源で照らし上げられ、ハート型の粒子効果が次々と浮かび上がる。やりたい放題であった。
仕上げにハルが掬い取ったクリームをぺろりと舐めると、なぜかその表情がどアップになって各種モニターに表示される。本当にやりたい放題であった。
「ふお、ふおっ、ふおおおおおおおおっ!! ふわぅっ!!」
そんな無意味にブース効果で増幅されたシチュエーションにアイリも何時も以上に大興奮。
ひととおりジタバタと暴れたかと思うと、一目散に審査台を駆け下りて走り去って行った。
限界だったのだろう。ハルも限界である。許されるなら走り去りたい。
「……やるのか? オレも、アレを?」
「アレかどうかは分からないが。やれ。僕もやったんだ」
「嫉妬勢。構わない。全力でやれ」
「確かにそっちの方がマシかもね……」
これならばゲテモノ料理を食わされる方がマシ、とばかりに謎に『しっと勢力』を応援し始めるハルとソロモン。
イベントの展開はそうして、徐々に混沌の様相を呈してきたのであった。その名を持つカオスに場を捌いて欲しいくらいである。
*
「《このチョコレート、お前の唇のように、甘く、とろける味わいだ。このままお前も、いただきたい》……これでいいのか?」
「はいっ! はいっ! ありがとうございます!! ごちそうさまです!!」
「食ったのはオレだが……」
何故かそういう決まりでもあるかのように、揃って壇上から駆け下りて行く女性たち。
今はソロモンが、指定のセリフを言いながら試食するといった罰ゲーム、もとい入賞者へのご褒美を終えたところだ。
嫉妬を焚きつけるはずの演出は何故か、ご褒美目当ての女性たちを焚きつけることになってしまい、むしろ『すいーと勢力』のポイントをガンガン加速させている。
いやまあ『何故か』もなにも、考えれば当然だと思うのだが。カゲツには、まだ少し難しかっただろうか。
「……いや、甘やかしてはいけない。カゲツには後で、おしおきだ」
「うんとキツいのを据えてやれ……」
むしろ本来の罰ゲームを待ち焦がれる男二人は、そんな女の子たちの熱量に押されて早くも満身創痍ぎみ。
イベントとしても、このまま一方の独走となっては面白くない。そろそろ、変わり種の望まれる頃である。
「待たせたなハル君!」
そんなハルたちの前に、男らしく皿を抱えた長身が影を落としてきた。ユキである。彼女はこちらでもいつもの姿で参加中。
《ユキちゃんだ》
《彼女もハルさんに?》
《おっ、ついに告るか》
《最強ゲーマーカップル誕生!?》
《家でやれ》
《別ゲーでやれ》
《マイルームでやれ》
《いややるな!》
「安心したまえ君たち。私が持ってきたのは、ハル君もビビりちらかすだろうゲテモノ料理よ……!」
「おお!」
「ふぅ……」
「……なーんでそこでホッとするかねぇ?」
まさに舞い降りた救世主。二人は女神の到来を祝福するかのように、途端に晴れた顔になる。
だがしかし、こちらもこちらで油断は出来ない。
果たして、ユキが自慢するほどの爆弾料理。中身はいったい何が仕込まれているというのだろうか?




