第1505話 甘い戦争のはじまり
甘い香りが空間いっぱいに立ち込めるイベントマップ。そこでは、甘さとは無縁のバレンタイン特別バトルがついに開催されようとしていた。
「《はいなはいな。皆様ご清聴くださいな。これより血でチョコを洗う緊急クッキングバトル、『決戦! スイーツ大戦争!』の、ルール説明を開始させていただきますぅ》」
《血栓!》
《血栓!》
《血で洗うな》
《チョコ洗った?》
《カカオ洗った?》
《砂糖洗った?》
《いつものやつね。待ってた》
《今回はやらないのかと思った》
《焦らしてくれるじゃねーの》
《決算でもあったか?》
《決算!》
《かと思ったらいきなりリアル連動イベントだし》
《先に言っといてよぉー!》
「《はいはいお静かに。まあお静かにならなくても、勝手に進めさせていただくんですがぁ》」
告知が遅すぎることに対して、不満の声も少なくない。そこは、ハルも申し訳なく思う。
とはいえ、最近は『このメーカーはいつも破天荒なことをする』と、半ば諦めをもって受け入れられてきてはいた。
「《参加者の皆様は当然チュートリアルを終えられているので、基本的なゲームルールの説明は不要、といきたいですがぁ。今日はリアル会場にルールを知らない方々もいらっしゃるでしょうから、我慢して聞いといてくらはい》」
《くらはい》
《くらはい》
《はーいっカゲツ先生ー》
《見られてるのか、緊張する》
《見せもんじゃねーぞ!》
《見せもんだぞ》
「《この放送を見て、ご自身も参加したいなぁ思う方がおりましたら、会場の特設ブースから飛び入り参加も受け付けておりますぅ》」
「そのせいで僕ら余計な仕事が増えたんだよねえ……」
原理上、エーテルネットさえ通じていれば日本中どこでも電脳空間にログインはできる。
しかし、現実問題、路上でいきなりログインされてはたまらない。歩いている人間が隣で突如気を失うのと変わらないのだから。
なので電脳ダイブする際は、四方が壁に囲まれた個室であることに加え、接続強度が一定以上という条件が法で定められている。
まあ自宅でやれということだ。他にも、前時代でいえば『ネットカフェ』のような、ログインスペースを貸し出すことで経営しているお店もある。
ハルたちは簡易的にそうしたブースを会場付近に構築し、かつ内部の通信強度を高く保つという仕事も、会場設営の際に追加で行っていた。地味に面倒だ。
《いま会場からインしてまーす》
《リアルイベントに居るのにログイン……?》
《筋金入りすぎんだろ!》
《なにしに外出したの?》
《ログインのお部屋とっても綺麗でした!》
《案内見たけどお姫様の部屋みたいだった》
《男はお断りってこと!?》
《男だってお姫様になってもいい》
《誰だってお姫様になれる権利がある》
《金かかってんなぁ……》
《通信クラス5だって》
《街んなかで!?》
ハルたちは最近は意識することがほぼなくなったが、エーテルネットも通信強度は一定ではない。
もちろん通常の生活をするうえでは困ることはほぼないが、『クラス1』や『クラス2』という最低ラインだと、接続できないゲームもあるくらいだ。
そこは医療用ポッドに入ってゲームをするといったやりすぎな裏技を駆使して培ったハルやユキの知見が、いかんなく生かされているのであった。
《通信事業にも乗り出せそうですなぁ》
《やめろ、奥様の回し者かカゲツお前。それだけは、僕がやっちゃ駄目だろ。さすがにそのくらいの分別はある……》
《今回は、はしゃいどりましたなぁ》
《つい楽しくなってしまった》
一夜にして、陽光に煌めくガラスのステージが街中の公園に出現したことは、そこそこの話題を集めてしまった。
コンセプトとしては、妖精たちの集落で開かれる秘密のお菓子パーティー。
小さなガラスの家が並ぶ街並みに、合成されたお菓子が並び参加者に振る舞われる。そこには既に大勢の人が押し寄せて来ていた。
イシスが止めなければ、仲間と秘密基地でも作るノリでもっと派手なセットを作り上げていたことだろう。彼女に感謝である。
《そちらの警備の方はだいじょーぶそうでしょうかぁ》
《問題ありません。私が、常に目を光らせておりますので》
《アルベルト一人では不安ですなぁ》
《ならば貴女も手伝いなさいカゲツ。ネット越しに、監視カメラの代わりくらいは務められるでしょう》
《まあ、メタちゃんもたくさん参加してくれてるし、騒動が起きそうな所にピンポイントで行けば間に合うでしょ》
《にゃうん!》
もちろん、今日は猫の姿で潜入中である。にゃーにゃー鳴くスタッフが人々と接触してはよろしくない。
《……ただ、一つ気を付けてよ。アルベルトも、メタちゃんも》
《うにゃ?》
《なにか、懸念点が?》
《ああ。ないとは思うが、二人の正体が、中身がロボットだと露呈しそうになったらすぐに逃げ出すように。何をおいてもだ。残った問題は僕が処理するから》
《……ええ、もちろん細心の注意は払いますが、万に一つも、そのような可能性はございません》
《にゃっ!》
《そこは、ウチもそう思いますなぁ。見破れるのなんて、それこそハル様くらいでしょ》
《いや、そうでもない。もう一人、絶対に接触しちゃいけない人がいる。御兜天智さんだ》
《ああ……》
《にゃあ……》
《……いや、来ないと思いますがぁ?》
《うん。まあ、天智さんが直接来るなんてことないだろうけどね……》
だが、接触したら最後、彼の能力はアルベルトとメタの天敵のようなものだ。
機械を遠隔で自由に操る超能力。その前では、近づいただけで彼らの“中身”がバレかねない。
一応、友好的な相手ではあるが、依然油断できない存在でもあった。
まあ、あの良家の中の良家当主が、こんな俗っぽさの極みであるイベントに直接足を運ぶことなどないだろう。
そんな杞憂でしかない警戒を秘めつつも、今のところは大盛況で、内外のイベントは進行していくのであった。
◇
「《はてはてさてさて? 多少の特殊ルールはありつつも、今回のイベントもいつもと同じ。結局はおいしー食材を集めて、おいしーおりょーりを作るだけですぅ》」
《簡単に言うなよカゲっちゃん》
《その食材調達が戦争じゃん》
《今回もプレイヤーの血に彩られた食材が映えるぜ》
《この採取要素いる?》
《いる》
画面に表示されたのは、そこかしこから甘い匂いの漂うイベントマップの地図。
マップは複数に分かれた島の形をしており、各島ごとに採取できる素材の種類が異なっていた。
バレンタインらしく中央はチョコレートの島となり、他にもフルーツの島やバターなど油の島といった、およそスイーツに必要な大半の物が揃うようエリア分けされていた。
参加者のプレイヤーたちはそんな島々を駆け巡り、我先にと高級食材を奪い合う。
とはいえこのゲームは戦闘がメインのゲームではないので、バトルで力ずくの奪い合いといった要素はない。少なくとも今回は。
飛び入り参加者を既存プレイヤーが袋叩きにしたりせぬよう、プレイ経験で差の出にくい作りが心掛けられているようだった。
「《最高級の食材を集めて、至高の一品を作り上げるか、集めやすい素材を使って数を稼ぐか。そこは、各自の戦略によって自由に選んでくらはい》」
《まあそれでも基本は高級有利》
《一撃のポイントが重い》
《高級食材使えば、テキトーでも様になるし……》
《俺らのような料理音痴には優しい》
《君らなんでこのゲームやってるの?》
もちろん、料理が苦手な人でもこのゲームを楽しむ権利はある。
本人が不器用でも、体の動きをアシストする機能が調理手順をサポートしてくれた。この辺は、ハルの手掛けた既存の人気作品である通称『ニンスパ』からの流用となる。
「《最終的に、獲得ポイントの一番高い人が優勝ですぅ。優勝者ならびに上位入賞者には、今回も特設『ブース』が送られますので、ぜひぜひチャレンジですなぁ》」
今話に出た『ブース』というのは、このゲームの通常モードで経営する自分の店にはめ込むように設置できるユニット状の個室。
このブースを集めていくつも並べることが、お店の発展を加速させる近道となる。
こうしたイベントの景品では、記念に特別なブースが送られることが多かった。
「《更に今回は参加者全員に、バレンタイン記念ブースが送られますぅ。このイベント中は通常より高い効果を発揮しますので、ぜひぜひご活用くらはいな》」
《初心者救済》
《実質一択》
《どうせこれ使うんだし集めてる意味ないじゃん》
《意外と季節限ブースばかりが勝ってもいない》
《半々くらいかな》
《全力勝負はランク戦で好きなだけやればええ》
プレイヤーによって、純粋に『料理』で競いたい者もいれば、『ゲーム』として鍛え培った実績で有利になりたい者もいる。
両者のバランスをとらなければいけない、カゲツも大変そうである。
「《ではではではでは? さっそく実食、おりょーり開始! といきたいところですが、今回はもう一つ特別ルールと、それに伴った特別審査員をお招きしていますぅ》」
……さて、ついに来てしまったハルの怖れる時間が。いったい、どんなブーイングをもって主に男性陣に出迎えられることとなるのだろうか?
だが、今日のハルには秘策があった。犠牲者、もといデコイ、もといダメージを分散するための協力者が、共に来てくれているのだから。
「さて、出番らしいよソロモン君。今日は共に、死地を乗り切ろうじゃないか……」
「……チッ。……どうしてオレが」
「顔がいいから」
口は悪いし付き合いも悪いが、顔だけは絶世の美形男子のソロモン。
かつて、『フラワリングドリーム』にて開催されたカゲツキッチンでハルとも競い合ったことのある彼に、今日は生贄として参戦してもらっているのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。