第1493話 不憫巫女の奮闘
地面の一切存在しない奈落の底へとそのまま落ちて行くイシスを、ハルは辛うじてつかまえ抱えて引っ張り上げる。
今この世界にログインしたら、ただ成すすべなく空の果てに吸い込まれて終わるか、世界樹の根に跳ね飛ばされて終わるかどちらかだ。
いや、非常にレアなケースとして、この虚無の球体の真上にログインした際、消滅して終わるという大当たりもあるか。
「ナイキャッチ! ハル君!」
「うおおお……死ぬかと思ったぁ……、何が起こってるんですコレ……?」
「今はアメジストが、絶賛世界樹の根を一か所に集めている最中さ」
「それはまた、大盛り上がりですねぇ」
大地の存在しなかったこの世界も今は、蠕動しのたうち回る巨大な根の集合が周囲を埋め尽くし、大地の代わりを成している。
とはいえ足場として使えるような状態ではなく、先ほども語ったように上に乗ろうものなら勢いよく跳ね飛ばされて終わりだろう。
「この世の終わりみたいな光景ですねぇ。ゲームならラストバトル直前でしょうか」
「ゲームだから、これからラストバトルですよイシスさん!」
「まじかぁ……」
「これからアメジストが完全体となった世界樹で、なんかしますよー?」
「まじかぁ」
とんでもない所に来てしまったと、口をぽかんと開けて呆然とするイシス。
ハルとしても、とんでもない場面で呼んでしまったと申し訳なく思う気持ちもあるが、その上で少し気になることがあった。
「ところで、何で来たのイシスさん?」
「酷い言われよう!?」
「いやすまない。ただ僕らとしても予想外の展開だったというか。もちろん、イシスさんが来てくれたことは嬉しいんだけどね」
元々、彼女の協力を得て龍脈をどうにかしたい、というのもプランの一つではあった。それが実行出来るならば、取れる選択肢が一つ増えるのは純粋に朗報だ。
しかしだ、ハルがアイリスに求めたのは龍脈エネルギーの増産である。イシスも一応無関係ではないが、ゲーム本編開催時の環境が整っていなければ彼女にその役目は務まらない。
「いやそれが、アイリスちゃんが『ハルさんが呼んでるから行けー』って」
「アイリス……」
「まあ確かに、イシスさんを呼びたかったのも事実ではあるわね?」
「悲しいすれ違いが、起きたのです!」
「じゃああれか。時間かかったのは、イシすんが寝るまでのタイムラグか」
「そうなんですよぉ。寝ろと言われてすぐ寝られれば、苦労はしませんからぁ……」
「どうしたんですー?」
「会社員時代に使ってた睡眠導入のシステムのお世話になりました」
「……あなた、今も会社員よ? たるんでいるのでなくって?」
「ひいっ! 社長、お許しを!」
「まあいいよ実際僕ら適当だし」
確かに、直前までのハルたちはイシスとの実験の途中であった。その続きをしたいとハルが求めたと思われても、仕方のないことか。
なにせアイリスには、こちらの状況が一切確認できないのだから。
ちなみに、神様たちが魔法でイシスを眠らせれば一発なのだが、彼女が日本人であることが災いしそれも出来なかったようだ。
元は日本人の守護のために作られた彼女らは、許可なくイシスの害になる可能性の高い行動は取りにくくなっていた。それもマイナスとして働いたようだ。
「まあ、来てしまったものは仕方ない。僕らを助けてくれイシスさん」
「む、無理ですよぉ! こんな世界の終わりみたいな状況を、どーしろって言うんですかぁ……」
「おお。弱っておろおろのイシすん、可愛いな……」
「つい、いじめたくなりますね!」
「いじめないでくださいよ! でも無理なものは本当に無理ですってばぁ」
「確かに、無茶振りが過ぎるわよハル?」
「そうだね。とはいえ難しい話じゃない。ただイシスさんには、前回の続きをしてもらえばそれでいいんだ」
「というと、龍脈のテストですね」
そう、イシスは前のログインにて龍脈から何かを感じ取れないかをテストしてもらっていた。
大きな成果が得られたとはいえないものの、微妙にではあるが龍脈から発せられるエネルギーを彼女は感じ取っていた。
スキルシステムが利用可能となった今、彼女の感覚にシステムが合わされば更にその先に進めるかも知れなかった。
「はい、イシスさんにも僕らと同じスキルセットを付与しておいたよ」
「あら。懐かしのメニュー画面」
「これを使って、うちらを助けるのだイシすん!」
「だから無茶言わないでくださいって。しかし、龍脈マップが視覚化できるのは非常に良いですね」
以前は、何かを感じた気がしたとはいえどそれは完全に不可視の物だった。イシスにとっては、『実は気のせいなのではないか』と不安が大きかったことだろう。
それが今は、メニューにしっかり龍脈が表示されている。感覚とそのマップ上の位置が一致すれば、己の才能について確信をもって受け入れることが出来るはずだ。
「しかも今回は、邪魔な根っこもない。それじゃあ、直接龍脈のある位置まで下りようか」
「……あのー? それって、下の方ってことですよね? あの今も根っこが元気に暴れている高度」
「大丈夫。根っこは背後の虚無を怖がって、こっちには来ないから」
「来なくても怖いですよ! 目線を合わせるの!」
今は、上空から暴れ回る根を見下ろしている状況だ。そのため少し余裕というか、別世界の感覚がある。高台に避難している感じだろうか。
しかし高度を合わせ水平にそれを直視するとなると、一気に恐怖は現実味を帯びてくるだろう。
「イシス、大丈夫よ」
「ルナさん。いえ、社長……!」
「私も普通に怖いから。あなただけが変なわけじゃないわ? 安心なさいな」
「あっ、別に助けてくれる訳じゃないんですね」
ルナ以外は、なんだかんだで蛮勇な感性の持ち主ばかり。仲間を見つけたようで、ルナも嬉しそうである。
だが、そんなルナも別に止めてくれる訳ではない。イシスは腹を決めると、いや諦めの境地に達すると、おっかなびっくりと高度をさげてゆくのであった。
*
「うううぅ、この辺、ですよね。うおおお、目の前で暴れ狂う根が、根がっ!」
「大丈夫だよイシスさん。僕らのすぐ後ろは虚無空間だから」
「それも結構不安なんですけどぉ! ……いきなり成長して来たりしないですよねぇ」
「それは分からない。急に来るかも」
「のおおおおおお……」
ここは『そんなことはないよ』と優しく励ます場面なのだろうが、どうにもイシスはいじめたくなってしまうハルなのだった。
ただ、分からないのは事実ではある。ハルもそこは慎重に、境界面がすぐに判別できるよう色付きの霧を発生させて視覚的にも警戒を厳とした。
「それは?」
「<生命魔法>の毒霧」
「のおおお、いや、今更この程度は誤差ですかね」
「順調に麻痺して行っているようでなにより」
「目の前がこんな地獄みたいだとマヒりますって。それより、ここですよね」
「ああ。龍脈の位置は、別の色の毒霧で染めておこうか」
「せめてそこは回復にするとか優しさを見せましょうよぉハルさん~~! あっ、食らってる、ダメージ食らってる!」
「慣れだよイシスさん。慣れだ。もっと麻痺して」
「物理的に状態異常の麻痺しそうですよ……」
不憫可愛さを全開にして、おそるおそるイシスは龍脈の内側へと入る。今までは、こうして完全に内部に入ることはなかっただろう。
「どう? なにか分かる?」
「ん、んーっ、なんと、なく?」
「前回の実験と比べたらどう?」
「同じくらい、いえ、どちらかといえば今回の方が、より感じやすくなってる気もします」
「なるほど。やはり直は効くのか」
「怪しい言い方しないでくださいよぉ……」
以前と距離はほぼ変わらぬとはいえ、障害物だった世界樹の根が今は存在しない。
龍脈内部に直接その身を浸したイシスは、エネルギーを増産させずともその力を感じ取れているようだ。
「あっ、そうだハルさん。スキルを好きに覚えられるようになったんですよね」
「うん。まあ、僕が探して目的のスキルを逐一見つけ出す必要はあるんだけど」
「あれありますか? <鑑定>。あれと<龍脈接続>を併用すると、ってそもそも<龍脈接続>くださいよ!」
「それが見つかれば僕も苦労しない」
「なんで無いんですかぁ。じゃあ<鑑定>だけでも、あります……?」
「それはいける気がする。ああ、こっちでもいい? <天眼>。これならすぐ出せる」
「なーんで上位の方が早いんですかねぇ……」
それはハルにも分からない。スキルの扱いが特殊であることが、今回は有利に働いたのだろう。
イシスは<天眼>を使い、意識を感覚とメニューへ交互に行き来させながら、己の感覚を数値として一つずつ確かめていった。
「うん、うん。これたぶん、前と変わってません、いけそうですね。うん。あっ、<天眼>だと詳細な解説まで出るんですね。これ便利だな」
「どれどれ?」
「うわっ! ひっ、人のメニュー覗き込まないでくださいよハルさん! 自分で<天眼>使って見てください!」
「ああ、申し訳ない。配慮に欠けていたかな? しかし、設定資料を読み込む余裕は今はないからね」
「そうですね。すみません」
気になるのも事実だが、読み物に目を通している暇はない。そうしている間にもアメジストが、根っこの巻き取りを終了してしまうだろう。
「なんとかやってみせます。少し時間をください。寄り道はしませんから」
「オーケー。任せたよイシスさん」
「はい。任されました」
いつもは不安そうなイシスが『やれる』というのだ。それは、信頼して任せるべきなのだろう。彼女も優秀な事務員だった者だ。
その間にハルも自身の仕事を進めつつ、世界樹の様子へと目を向ける。
「……巨大化している。まあ、そりゃそうなるんだろうけど」
「伸びた根っこを引っこ抜いて一か所に纏めたら、まーそうなるよね。毛糸玉? みたいな?」
なるほどユキの例えは分かりやすい。糸を一か所にたぐり寄せるように、ひとかたまりにして世界樹は肥大化を繰り返す。
葉の付いた上部は変わらぬままでも、根は下へ下へと徐々に集まりその形を形成しつつあった。
「あれは、人型、なのかな?」
「きっと、巨大アメジスト様になるのです!」
「それはナルシストがすぎないかしら?」
「わからんぞ? ジスちゃん、ナルシーっぽいっていや、ぽいし。はっ! もしや本当に、巨大ロボ!? ジスちゃんロボだ!」
「悪趣味ですねー」
その姿がアメジストをかたどるか否かはさておき、恐らくは逆向きの塔のような人型が、そこに誕生しようとしているようだった。




