第1479話 親と教育と刷り込みと
ハルを連れて、縁側を下りて庭へと出て行く皇帝。それに続き、ハルもまた靴を再構築して外に出る。
そのまま彼は黙って先に先にと進んでいくと、庭の突き当り、塀に作られた裏口、勝手口の扉にたどり着いた。
「そこが出口?」
「正確に言うならば、ここでなくとも構わない。しかし、この扉が最もイメージがしやすい」
「……ふむ?」
「私が境界をこじ開けて入って来たのだから、出る際もそうすればいいと察して欲しかったものだがな」
「悪いね。どうやら君と僕とでは、この世界に対して見ている景色が違うみたいだ」
「そうらしいな」
と言いつつ、実は大体のことはハルにも分かっていた。もちろん、境界をこじ開ける方法などは分からないのだが。
それでも皇帝から情報を引き出すべく、あえて察しの悪い振りをしていたハルであった。
彼もそれを察していたかも知れないが、一秒でも早く自分の家から出て行って欲しいという思いのせいか渋々能力を明かしている。
ゲーム世界に引き続きこれ以上、自分のフィールドを荒らさないで欲しいという必死な思いが伝わって来るようだ。少々申し訳ない。
彼は扉に手を当てて、何やら精神を集中させている。能力の発動をしているのだろう。
次第にハルにも分かる変化が世界に表れ、扉が鈍く輝き、その輪郭を歪ませていった。
「……これでいい。さあ、さっさと出て行ってくれ。そして願わくば、二度と戻って来るな」
「つれないねえ。道に迷ったら、また戻って来てもいいかな」
「迷うな。いいから行け」
「はいはい」
心底うんざりといった様子で、ハルを追い出しにかかる皇帝。まあ、彼の立場ではそうもなろう。
ハルとしては少々親近感の湧いて来た頃だが、彼にとってはまだまだ憎むべき敵だろう。もちろんハルだって、多少打ち解けたとはいえ彼の暗躍を許すまではする気はない。
扉は歪んだまま開き始め、その先にはあの空間が広がっている。その先へと足を踏み出せば、再び狭間の世界へと戻れるのだろう。
「貴様は……」
「ん?」
ハルがそのまま扉をくぐり大人しく退散しようとすると、躊躇いがちながらも声が掛けられた。どうやら何か、言いたいことがあるらしい。
「貴様はこうしてこの世界に干渉するほどの力を持ちながら、何故あの女に大人しく従っているのだ」
「奥様、月乃さんのことかい?」
ハルの言葉に、彼は無言で小さく頷く。
確かに、彼らの中ではそういうことになっていたのだった。
かつてのユニットの情報をどうやってか手に入れた月乃が、現代にこのハルの形をとって遺伝子操作で再現した。それが彼らモノリス三家の推測。
だがこの空間を活用できるのであれば、自分と同様に月乃を出し抜く事だって出来るのではないか。彼はそう疑問視しているのだ。
「別に、僕は奥様のためにここに居る訳じゃないよ。これはあくまで、僕個人の意志でやっていること」
「だが、貴様をそう育てたのは奴だ。知らず知らずのうちに、お前は奴の思惑通りに動いている」
「まあ、そうかもね。天智さんにも似たようなこと言われたよ」
どうやら月乃は、彼らにだいぶ嫌われているようである。まあ無理もない。
とはいえハルとしては、そうした情報を裏で共有している御兜家や織結家の方が、現状ずっと警戒に値してしまうのだが。
「でもまあ、子が親に恩返しするのは、普通のことだしさ」
「洗脳されているという自覚がない訳でもあるまいに……」
判断の難しい話だ。それを言うならば、ごく普通の家庭で、ごく普通の常識を親から子へと教育することも洗脳と言えてしまうからだ。
確かにハルは、月乃の言うなれば非常に偏った教育を受けて育った。それは間違いない。
しかし自由を奪われていた訳でもなく、判断の主導権は常にハルにあった。その上でハルに意識誘導を行うことを、どう捉えるべきか?
ごく普通の家庭であってもそれは変わらない。どうあがいても子にとって親は偏った常識を刷り込む洗脳者となる。いかに優しかろうと善意だろうと。
例えばハルの生まれた前時代で、今の“一般的な”教育を施したらそれは頭のおかしな洗脳でしかない。
そこまで極端でなくとも、親世代の常識と現代の常識は微妙に異なるものだ。かつて正しかった行動が、今も正しいとは限らない。
「とはいえ、忠告に感謝はしておくよ。僕も確かに、奥様に甘すぎるとは自分でも思っているし」
「思っていつつも行動に移せない事こそが、洗脳だとは思わないか?」
「まあねえ。ただ、『はいそうですか』と聞き入れるには、君らの信頼度が足りていない。怪しすぎるって、君らも」
「…………」
悪役から、『お前の親は悪役だ!』と言われても、『そりゃまあ貴方にとってはね……』としかならないのだ。
とはいえ、意見は聞き流さず心に留めておくべきだろう。彼らと同程度に、月乃も厄介な人物であることは変わりなく、またハルはそれを忘れがちなのだから。
「じゃあ、そういうことで。僕を“改心”させたいなら、次は僕の味方になってくれると嬉しい」
「いや、もう二度と顔を見せないでくれると助かる」
「つれないねえ」
そうして今度こそ彼はもう何も言わず、顔をしかめてハルを見送った。
ハルもまた、そんな彼を振り返ることはなく、一息に開いた門から外へと飛び出したのだった。
*
記録の世界を後にすると、そこはやはり元と同様の闇の中。エリクシルの待つ狭間の世界であった。
先ほどまでいた空間も、入る前と同様の立方体形状を維持している。
唯一、皇帝の開けた出口だけが歪んでひび割れのような亀裂を生じさせていたが、それもすぐに綺麗に閉じる。彼が門を閉めたのだろう。
そして、全てが元通りという訳ではない。以前とは異なり、気になる点が一つ。
「彼の開けた出口から、何か妙なラインが伸びている……?」
出口のあった部分から、緑色に輝く光のラインが不規則なカーブを描きつつ上方へと続いている。
それは明るい上方向までずっと続いてゆき、天の光の中へと吸い込まれるように消えて行く。まるで、その先の何処かと繋がっているかのようだ。
「んー、謎だ。謎だが、あれが皇帝の能力となにかしら関係があるのは間違いない。例えば、彼はあのラインの中を通ってこの世界を移動し、そこから外へは出られないとかね」
どうやらハルのように、自由にこの世界を泳ぎ回れないらしい皇帝。彼は、伸ばしたラインの中でしか活動できずその外も認識できない。そう考えれば辻褄が合う。
つまりはこれを辿れば、織結悟の秘密を確実に探れるのではないだろうか。
「……でもまあいいや。今はそれよりも、エリクシルだよね。選ぶなら可愛い女の子の方に決まっている」
別に性別で決めた訳ではないが、優先順位を間違えてはならない。
ただでさえ謎だらけのこの世界だ。未知の物を出会うたびに調べていては、いつまで経ってもエリクシルに会いに行けなさそうな気がしてきた。
「とはいえ、『こいつ』に入ってみたのは無駄じゃあなかった。きっと僕と引き合う、何らかの条件があったのだろう」
ハルの飛び込んだ立方体は、今度は浮力に逆らうように底の方へと沈んでいく。
透華の記録を見終えたことで、その役目を終えたのだろう。
ハルはそんな記録の保管庫たる立方体と、そこから伸びる光のラインに別れを告げて、自身もまたエリクシルの待つこの世界の底を目指す。
微妙に方向を変えて沈む匣を追うことなくそのまま下へ下へと進む。
すると次第に、世界は暗く濃く闇を深くして、己の輪郭すら曖昧になる漆黒の領域へと差し掛かってきた。
そんな中においても、目を凝らし神経を研ぎ澄ませてみると、以前もそうであったように複数の気配を周囲に感じる。
「今なら分かるね。きっとこの気配の中には、さっきの物と同じようなパッケージ化されて保存されている過去の記録があるんだろうさ」
それをこの空間に留めておくことが、透華の能力。更には、そんな記録や記憶に関係するこの世界にアクセスすることを可能とするのが、織結家の特性なのだろう。
そうなってくれば、この世界の正体もおのずと分かってくるような気がする。
肉体の垣根を超えて、全ての人々の記憶や意識が集う場所。以前神様たちが例えていた、『集合的無意識の海』というのもあながち間違いではないのではなかろうか?
ただ、なんとなくそれだけに収まらないとも感じるハルだ。それだと、透華の能力に説明が付かないからである。
あの記録能力は明らかに、彼女の体験した範囲以上の完全記録を行っていた。個人の記憶が集うだけの世界では、収まりきらない。
「そうなると、あらゆる世界のあらゆる情報を余さず記録するとか? アカシックレコードってやつじゃないか、それじゃあ」
さすがにそこまで万能でもないように思う。しかし、何か近い性質を持っているのは確かなはずだ。
そんな世界の存在からヒントを得て、またその世界を通信手段として活用することで、エーテルネットワークは開発された。
それが現代では失われた、研究所発足の際にあったかつての経緯。
そうした、この中のどこかに記録されているかも知れない真実へと思いを馳せながらも、ハルは更に深く深く、全ての原因であるこの世界の底を目指す。
そうして辿り着いた海の底。深い闇を抜けた先には、一転し以前と同様の白く明るい地平が拡がっていた。
凹凸の存在しないそんな真っ白な床に、ハルは降り立ち足を踏みしめる。ここでは、浮力はなく体が浮き上がるようなこともない。
「エリクシル! 居る?」
「はい」
「うわ、びっくりした!」
「呼ばれたので、出てきたまでですが」
「うん。そうだね。僕が悪かった」
そんな白の地平にてハルがエリクシルを呼び出すと、彼女はまたなんの前触れもなくその姿を現した。
ワープエフェクトくらい出して欲しい、というのはゲーマーの思考すぎるだろうか。
まるでコマ送りにしたら突然そこに姿が出ていた、というくらいの現実感を感じない出現の仕方であった。
「ご用件をどうぞ、管理者様」
「ん、いや用件というほどのものはないというか、あれから君がどうしているかと思ってね。会いに来ただけさ」
「特に、我に変化はありませんが。そう作られてはいないので」
「そっか。でも寂しかったんじゃない? いきなり一人になって」
「我は元より一人ですが。何か問題が?」
「いや、うーん。平気ならそれはまあ良かったんだけど……」
ハルとしては、『感動の再会!』とまでは言わないまでも、そこそこ意を決して彼女に会いに来た。
だが当のエリクシルはといえば、特に普段と変わらぬ、まるで毎日顔を合わせているかのような対応だ。なんとも拍子抜け感は否めない。
ハルが彼女のゲームを崩壊に導いたことに対しても、恨み言のひとつもない。いや恨まれたい訳ではないが。
アイリを大人にしたようなその見た目の顔には、怒りも悲しみも、寂しさも存在せず、ただ無表情でハルの顔をじっと見つめているだけだった。
「……うーむ。さっきは奥様についての悪口を言われはしたが、あの人が居なかったら僕も今もこんなだったのだろうか」
「その可能性は高いでしょう。感謝しておいていいかと思います」
「いや君のことを言ってるんだけどね? まあ奥様には感謝するけど」
「では糾弾いたしましょうか。育児放棄の管理者様のせいで、我はこんなにグレてしまいました」
「だとしたら本当に申し訳ない。申し訳ないが、生み出した覚えがないので責任を求められても困るし特にグレてないよね君?」
「まあ、我の直接の親ともいえる存在は管理者様という訳でもないのですが」
「うん、案外愉快な性格はしてるよね君!」
ただ、この発言は少し気になる。ハルの組み上げたデータベース以外にも、彼女を生み出すきっかけになった存在があるのだろうか?
だとすればそれは、一体どんなものであるのだろうか。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




