第1478話 謎空間にも居住権
青白い光が収まると、そこにはもう透華の姿は無かった。いや透華だけでなく、モノリスとそれの安置されていた地下室もまた消えてなくなり、元の日本家屋へとハルたちは戻って来ている。
どうやら、この地の記録はあそこまでで終了のようだ。
モノリスから漏れ出た強烈なエネルギーにあてられて能力が強制停止したのか、それとも透華がああしてモノリスにアクセスしたという事実こそが重要で、それを見せたかったのか。そこまでは、ハルにはまだ分からなかった。
「ここは、元の位置か? それともまた、別の記録の内部なのか……?」
共に事態を見守っていた皇帝も、やや遅れて周囲の事情を把握する。
彼もまた、あの場で何が起こったのか、まるきり理解できていないようなのだった。
「それを考えることに、意味なんてないよ。僕らは最初から彼女の作った記録の中だ。それが『どの記録か』なんて気にしても、そこに大差なんてないさ」
「分かったような口をきくな」
ただ皇帝もそんなハルの言葉に納得はしているらしく、それ以上の反論は返って来なかった。
「ただ、一つ気になる点があるとすれば。記録の上映が終了したというのに、この場がまだ存在しているって部分かな」
研究所の時は、記録の終了と共にあの世界そのものが消え去った。
一方こちらは、まだ空間の維持そのものは行われており、あの時のように暗黒の世界に投げ出されることもない。
これは、前回が特殊なだけだったか。それとも今回こそが特殊であるのか?
透華が死んだ際の前回が特殊と考えても納得が出来るし、皇帝が居る今回が特殊というのもまたしかり。
ハルとしては、皇帝の存在が影響しているという線の方がありそうだ、と推測を立てていた。
「一応、まだ何か残っていないか探してみるか」
「おい。だから勝手に歩き回るなと……」
「なんでさ? 君ん家って訳でもないんだろう?」
「それは……」
少々意地悪な言い方で、ハルは彼を詰める。何となくそうだと思ったが、やはり彼にとってここは『自分の家』という認識だ。
そんな家の中を踏み荒らされるのは気に入らないだろうが、彼としても気にはなっているようで、ハルと共に記録の見逃しがないかチェックして回っていた。
「んー、やっぱりもう何も起こらないようだね」
しかし透華の幻影が再び現れることはなく、屋敷の中は、しん、と静まり返るばかり。
これ以上、この地で記録の再現が行われることはないらしかった。
「満足したか? ならばもう帰れ」
「まあそう邪険にせずに。君と僕の仲じゃあないか」
「敵対関係でしかなかったと記憶しているが?」
「うん。そうなんだけどね。出かたが分からない……」
「貴様な……」
あの漆黒の世界に戻るならまだしも、こう確固たる空間が定義されてしまっていてはどうにもやりようがない。
入って来たはいいが、ここからどう出ればいいのか。皆目見当もつかないハルなのだった。
「かくなる上は、この空間それ自体を破壊して出るしか……」
「今すぐに死んでくれないか?」
「うーん辛辣。だがそうでもしないと、本当に出る方法がないんだよねえ」
嘘である。大嘘である。ハルは出ようと思えば、アイリたちとの魂の繋がりを通じていつでも帰ることは出来る。
だが良い機会なので、この際この彼、織結悟の裏の人格ともいえる皇帝について、もう少し探ってみようとハルは試みるのだった。
「君はここに住んでいるようだけど、かといってこの空間から出られないなんてことはないんだろう?」
「出られない。この場とあのゲームだけが、私の居場所だった。貴様が壊さなければな」
「それは失礼。だけど嘘だね。君は、条件はあるんだろうけど、表に出て現実に干渉すること事態はできるはずだ」
「…………」
なぜならモノリスの話になった際、彼は『私も触れたことがある』と語った。その『私』はきっと悟のことではなく、この彼自身の体験。その実感がこもっていた。
「だからこの世界からも、出ようと思えば出て行けるはずだ。その方法、教えてよ」
だが一方で、ここ以外の記録の世界を自由に渡り歩くことが可能な訳でもないはずだ。それが叶うなら、ハルを追い出さずとも自分が別の記録へと避難していけばいい。
だがそれをする気配はなく、なんとかハルを排除しようとする。その態度が答えであった。
きっと皇帝も、偶然この記録に迷い込んだというところだろう。
いや実際はそれも偶然ではなく、透華の親戚としての縁なのだろうけれど。
「……分かった。仕方がない。だが交換条件だ」
「そうこなくっちゃね」
このまま同居し、自分の安息の地をハルに荒らし回られてはたまらない。そう言わんばかりに妥協のため息をつき、自身の力について語る皇帝。
その情報の対価として、彼が要求するものは果たして何なのであろうか。ハルは、じっとその言葉を待つ。
◇
「貴様の持つ、モノリスに関する情報を明かせ。それを条件とする」
「なるほど」
やはりそう来たかと、内心でハルは手ごたえを実感する。ハルが先ほど『モノリスの本体』とほのめかした事が、やはり気になっていたようだ。
あちらからそれを条件として提示してきてくれたのは、手間がなくて済んだといったところか。
「例の研究所が、モノリスの欠片のような物体を発見したのは知ってる? 僕はそれを、とある場所から発見した」
モノリス封印の経緯、事故の経緯が彼らの家にどの程度伝わっているかは定かではないが、少なくともあの欠片の封印場所については完全に忘れ去られたと見ていいだろう。
この情報にどこまで彼が価値を見い出すかは分からないが、ハルとしてもこの情報は渡してしまって問題はない。
彼がこれについて知ったところで、もうあの場所には何もないのだから。
ハルはそのことについて、いくつか事実を伏せながらも一通りは皇帝へと語っていった。
「……ちなみに、今その石は?」
「“そこにはもう無い”よ」
「当然貴様が回収したか。ということは、あの女の手の中にあると見ていいな」
「さてね?」
彼の言う『あの女』は月乃のことと思って構わないだろう。彼らの中でハルは、月乃が現代に再現した管理ユニットにして彼女の手先。当然、そういった思考になるだろう。
実際はまるで月乃は関わりなく、絶対に手の届かぬ異世界に欠片は存在するのだが、それを言う必要はない。
黙って勘違いさせておいて、面倒な対処は全て月乃へと丸投げさせてもらうとしよう。
いつも振り回されてばかりなのだ。たまには、ハルも彼女を利用させてもらってもいいだろう。
「こんなところかな? さて、次は君の番だよ」
「……今の話で、実質私は何の利も得ていない気がするが?」
「だったら君も、僕にとって何の利益も無さそうな情報だけを渡せばいい。ただし、この空間を脱出するヒントだけは貰わないことには帰れないが」
「事実上の脅迫か」
この『帰れない』、文字通りの意味として受け取ってくれたようだ。ハルとしては『帰る気がない』という意味で語っているあたり、実に性格の悪いことである。
「君はそもそも、どうやってここに?」
「…………私の力は、奴の、織結悟の精神の一部を特殊な空間に送り込み退避させるものだ。その空間が、織結透華が記録を保存するための空間と同一だったのだろう」
「なるほど。血統による特殊な超能力って感じか。その空間の存在を知っていたからこそ、君らの先祖はあの研究を開始したんだったよね」
「貴様本当に、何処まで知っている」
「さてね?」
これは別に小馬鹿にしている訳ではない。ハルも自分が、どの程度真実へと近づいているのかまるで実感がないのだ。
ほとんど真相に近づいているのかも知れないし、本当はまるで分かっていないのかも知れない。
だからこそこうして、何とか彼から手がかりを引き出そうとしている。
「チンケな能力でしかないが、それでも空間に対しての干渉力は多少備えていたらしい。偶然見つけたこの空間をこじ開けて、いや待て。貴様もここに入り込めたということは、出ていくことだって出来るはずだ」
「いや残念ながら、僕はこじ開ける必要なく入って来れた。なので逆に出ていく方法も分からない」
「なんと無計画な……」
呆れられてしまった。ハルもそう思う。だが、あの状況では、このいかにも怪しげな空間を調べないなどという選択肢は存在しなかっただろう。
自分を負かしたライバルに対する評価がみるみる下がっていく様子を感じつつ、ハルは自分と彼の違いを分析する。
恐らく皇帝は、ハルのようにあの世界を五感をもって自由に泳ぎ回ることは出来ないと推測される。
きっともっと手探りで、視界を全て塞がれた、いや感覚その物が存在しないのではなかろうか?
だが、それでも他の人間が誰一人知らない世界へとアクセスできる力はそれだけで大きなアドバンテージとなる。
その優位をなんとか生かすべく、彼は学園内で秘密裏にさまざまな装置を開発してきた。そういうことなのだろう。
「ん? ということは、君が協力者を使って街中にばら撒いていた謎の装置は、何かしらこの世界にアクセスするような機能をもっているということに?」
「そこまで答える必要はないはずだ」
「それもそうだね」
だが、答えたも同然。きっと現実空間におけるアクセス位置も、何らかの意味を持つのだろう。
「この情報で理解できたか?」
「いやごめん。ぜんっぜん分からない」
「…………」
また呆れられてしまった。だが仕方がないではないだろうか、ハルはその能力は持っていないのだ。
彼にとっては、この場所に来れたのだから分かっていて当然と感じているのかも知れないが、ハルには彼の常識などまるで分からない。
皇帝側もそんなハルの様子を察し、このままでは自分の秘密を全て吸い尽くされてしまうと感じたのだろう。
頭痛を堪えるように頭を抱え、ハルに背を向けて何処かへと向かい歩き出す。
「ついてこい。出来るかは分からないが、私が境界面を開いてやる」
「そりゃまた御親切に」
結局、自分の能力を見せることになっても、一刻も早く自分の家からハルを追い出したい。そうした結論へと彼は至ったようだった。




