第1476話 彼女の家か彼女の檻か
「私を追ってきたか、ご苦労なことだな。なるほど、己の敵となった者は決して許さない。その苛烈な特性もまた、持ち合わせているという訳か」
「あ、いや偶然。ここに来たのは本当にたまたまで、君が居るなんて思ってもみなかった」
「…………」
「…………」
「信じられるか」
「だよね」
見た目は現実の織結悟と同じ、精悍さを感じるスマートな中年。だがその内面は、目覚めている時の彼とは少々違っているようだ。
こちらの彼の思考は現実に反映されることはなく、ハルですらその存在を読み取れない。
二重人格か、あるいは別の人物が憑りついているかのようなそんな状況。それが織結悟の行動を追う上で非常に話をややこしくしていた。
そんな彼の精神が普段は、あのゲーム世界で『皇帝』として活動している時以外はどうしているのかハルも気になっていたが、こんな所に潜んでいたとは、実に驚きである。
「んんー。じゃあつまり、君は普段からここに?」
「…………」
「情報は渡さないか。まあ当然かね」
だが彼の態度は、ハルの質問に肯定をもって答えている。ここが、彼の『家』なのだろう。
そんな歴史ある日本家屋の中に、ハルはずかずかと踏み込んでいく。悪いとは思うが、ここまで来て回れ右して帰る訳にもいくまい。
「人の家に、勝手に上がり込まないでくれないか?」
「とはいっても、君自身の家という訳でもないんだろう? 君もまた、不法滞在していると見た」
「……いいや。『私の家』で間違いない。この家は織結家の持ち物だ。いや、持ち物だった。それは事実だ」
「正直だね。ということはやっぱり、過去の記録か」
「……知っていたのか」
「まあ、この前にも似たような再現に入り込んでね……」
研究所のことを明かしはしないが、ある程度話しておいた方が会話はスムーズだろう。
敵対してはいたが、今は彼も重要な情報源には違いない。出来るならば、知っていることを吐き出させたいハルだった。
だがひとまず、この地を探索することで得られる何かがないか調査する事が先決だろう。
ハルは不法侵入感に少しだけ心を痛めつつも、だが、ずかずかと人の記録の中へと土足で踏み込んでいく。
……まあ土足でというのは比喩であり、実際は装備変更をするようにこの体の構造を少々改変し、靴は消去してあるが。
「時代はやっぱり、百年二百年前の光景?」
「…………」
「当たりか。そこは同じみたいだね」
「やりづらい男だな」
「こうした力から逃れるために、君のような能力があるんだろう?」
だがせっかくのその能力も、こうして精神世界で直接ハルと対面してしまっては形無しだ。
あくまで表からの読心を防ぐための隔離であって、こちらの彼が完璧なポーカーフェイスを決め込める力まで持っている訳ではない。
家の奥へと入り込むハルを監視するように、皇帝もまた渋々後をついてくる。
内部には他に誰かが居ることはなく、ひっそりと薄暗く静まり返っていた。外からの夏の日差しと時折響く虫の声が、日本人に根付く根源的な懐かしさを演出していた。
そんな無人の家をハルが調査していくと、ふと奥の方から人の声がかすかに届く。
それは扉に遮られてくぐもってはいるが、複数の男女が会話する声であるとハルには理解できた。
「他にも居住者が?」
「いや……、そんな者は知らない……、こんなことは、今までなかった……」
「ふーん。つまり僕の影響ってことだ」
その場で考え込むハルを押しのけて、皇帝は速足でその声のする部屋へと向かい扉を開く。
そこには立ったまま議論を続ける大人の男女と、その奥で我関せずと座り込んでいる幼い少女、透華の姿が出現していたのであった。
「……また君かあ。だけどまあ、そうだよね」
一人納得するハルの声は耳に入らなかったようで、皇帝はその男女へと詰め寄り問いただす。
しかし彼らは、皇帝の事は一瞥したのみで取り合わず、再び自分達の会話に戻っていった。
「何なのだ、この者らは」
「この人たちも、過去の記録だよ。だからあまり、会話は成立しない。君の元には出てこなかったのかい?」
「……ああ」
「それは平和で結構」
もちろん、出て来てくれた方が情報源としてはありがたいが、ここに居住し滞在するとなれば、安息を妨げられてたまらないだろう。
まあ、静かすぎる無人の家屋も、それはそれで寂しくなるかも知れないが。
ハルとしては最初に見たのが研究所のあの期間だったので、あまり繰り返し見たい印象がないのであった。
「ですからそんな得体の知れぬ研究所になど預けるのは反対です。お嫁に出してしまえばいいではないですか。女としての機能は正常でしょう」
「そうは言うけどねぇキミ。失敗作としての遺伝子を残す必要などあるか?」
「それに、得体が知れないなんて言うものじゃありませんよ。当家の出資している立派な組織です。失敗とはいえ貴重な力だ。研究の役に立ってもらいましょうよ」
「ですが我が家単体のプロジェクトではありません。もしそれで他の二家に、この子の力が渡ったらどうするのですか」
「そうやっていがみ合っていては研究も進みませんよお母さん」
「うーむ聞くに堪えない。やっぱり君一人の時は出て来なくてよかったね」
「この程度、よくある話だ」
それはそれで、業の深い家である。皇帝は本当に気にしていなさそうだ。実際によくあるのは事実なのだろう。
まあ、だからこそゲーム内では帝国がああした振る舞いを見せたのだと言われてしまえば納得するしかないのだが。
どうやら記録の者達は、透華の扱いをどうするのかについて話し合っているようだ。
よりにもよって当人の前で議論をしているが、透華本人はまるで気にする素振りを見せない。
そんな情緒の欠落したように見える彼女だからこそ、家の者からは『失敗作』の烙印を押されているのだった。
「しかし真実は、これが彼女の真の力だ。見誤ったね彼らは。こんな稀有な力、むしろ能力としては完成形だろうに」
「……この空間は、この子の力によって生み出されたと?」
「ああ。君の力じゃないのならね」
「…………」
この場に皇帝の姿があったことで、ひょっとしたら彼の能力によるものかとも思ったハルだが、どうやらその可能性もこれで無くなった。
織結悟の持つ超能力は、恐らくはこの別人格とでもいうべき皇帝に関わる何かなのだろう。
あのゲームの影響により自我が分裂した結果の『皇帝』かとも考えたが、この空間に居たことから考えても織結家特有の超能力が影響しているに違いない。
そんな悟と透華の共通点。それを探ることで、この記録の世界の謎も何かしら見えてくるかも知れないのだった。
◇
しばらく議論の行く末を見守っていたハルたちだが、そんな中で記録の中の透華が唐突に立ち上がった。
かと思えばヒートアップする大人達を尻目に、てこてこ、と足元をすり抜けて部屋を出て行ってしまう。
「あっ、おい! 何処に行く!」
「放っておきなさい。何処にも行けやしませんよ。あんなでも織結の女です、そのくらいは理解しているでしょう」
なかなか複雑そうな感情を覗かせてそう語る彼女ら大人の会話をそこに置いたまま、ハルもまたその場を後にし透華を追う。
皇帝はなんだか話の続きが気になっていたようだが、ハルを自由にさせたくない気持ちが上回ったか、また嫌々ながらも後に続いた。
「……最後まで聞かなくて構わないのか?」
「ああ、うん。言ったでしょ? 『聞くに堪えない』って。それに、話の結論はもう分かっている。透華は結局、研究所に行くことになるんだ」
「お前はいったい、何を知っている」
「さてね。君の事教えてくれたら、話すことを考えてもいいよ?」
その言葉には答えず口をつぐむだけの彼に苦笑しハルは透華の後を追う。
女性が語っていたように、彼女は家から出ることなく、ハルが最初にこの世界へと入って来た時の縁側にやって来ただけだった。
夏の日差しから逃げるように、屋根の影を見つけてまた座り込む。
「……この子のことは知ってる? 織結透華。君の遠い親戚らしいんだけど」
「知らないな。いや正確には、名前は知る機会はあったが、それだけだ。記録は抹消されている。その末路も、知れようというもの」
「ふーん。抹消されているのに、名前は知っていると。なるほどなるほど。どうやら、記録の世界に人物は出て来ずとも、当時の情報にアクセスすることは可能だった訳か」
「……どうやら喋りすぎたようだ」
大きく表情の動かぬ彼だが、どうやら思ったよりも現状に衝撃を受けているらしい。動揺からか、ハルに推理の材料を与えてしまっていた。
現代では徹底的に消し去られた透華の情報を持っているということは、この世界で何らかの記録を垣間見たのだろう。
そして、得たのはきっと透華の情報だけではない。大災害を経て断絶した、あるいは封印された当時の研究記録。それを掘り起こした結果が、彼の作った謎の装置の数々と考えると、一応の辻褄が合う。
彼がいつからここに“住んで”いるのかは定かではないが、織結の能力によって、彼は誰にも知られずこの場所へとアクセスする権利を得た。
「んー。この子もそうだけど、君もどうやってここまで来てるんだろうね。当時の君たちは、アレを通じてどこかしらの別次元に続く扉を見つけたという話だったけど、それがこの世界ってことなのかな?」
「ずいぶんと、余計な知識をつけたらしい。過去の亡霊めが、まったく忌々しい」
「まあまあ。過去の亡霊なら、過去の知識を求めたっていいじゃあないか」
「ふざけるな。今はもう、貴様のような存在が生まれてきていい時代ではない。亡霊は亡霊らしく、記録の底でじっとしていろ」
「それは本当にそうだね」
「……??」
ハルのことを、月乃がこの時代で覇権を取るために現代に再現した管理ユニットと思っている彼らだ。ハルが同意する理由が分からないだろう。
ただそれが分からないことが、彼が真にハルの正体に察しがついていない証拠でもある。
どうやら皇帝は今この時代の人間であり、この時代に生きる者としての野望を抱いている。
ハルは、もしかしたら彼も自分と同様に、いやセフィと同様に精神体だけになって今にまで生き延びた当時の人物かとも思ったが、その線は薄そうだ。
では彼の力はいったい何なのかという疑問はまた出てくるが、それは今考えなくてもいいだろう。
「とりあえず、なぜこのタイミングの透華が再現されたかを見て行かないと。さっきの大人たちの会話を聞かせる為とは、あまり思えないしね」
そして、どうしてこの空間がハルに反応し浮上して来たか。出来ればそこも探りたい。
何かしらきっとハルたちに、ハルたち自身も知らぬ理由が隠されているのだろうから。




