第1468話 その透明な心は何を映すか
所長と高級スーツの男の後をついて、ハルは研究所内を進んでいく。
その先はなにやら、今まで以上に気密のための隔壁が厳重になっているエリアのようだった。
ハルも、このエリアには踏み込んだ記憶が無い。まあ、もともと当時の記憶などおぼろげで大して役には立たないのだが。
「エーテルを絶対に侵入させない、という強い意志を感じるね」
《そこは避難シェルターになってるです! 館内でバイオハザードが起こった場合、職員はそこに逃げ込むです!》
「なるほど」
つまり、ここだけは実験中も絶対にネットワークに繋がらない場所。管理ユニットであるハルたちにも、決してその存在を露呈させたくない物を隠すにはうってつけな場所という訳だ。
「あの子の容体は?」
「変わりない。良くもなっていなければ、特に悪化もしていない」
「だろうね」
「珍しいこともあるもんだ。お前が、特定個人の心配をするとはな」
「ああ心配さ。ここに移したことで良くなんてなられたら、ボクへの疑いの目がまた濃くなるだろ」
「…………」
根っからの人でなしか、それとも精一杯の照れ隠しか。あくまで姪個人の心配などしていないと彼は言う。
どうやら、ただの病気ではなく立場としては家の中で非常に微妙な扱いであるようで、その容体に関しては親族である彼にも疑いがかかっている。
家族なのに、などという一般的な倫理観が通用する家ではないだろう。邪魔になるなら、親戚縁者であろうと容赦なく害するだけの理由がある家だ。
「それにあの子にとっても、良くなんかならない方が幸せさ。あのカスみたいな家に舞い戻って、なんの良いことがある?」
「だからといって、こんな檻の中に幽閉しておくのが幸せとは思えないがな」
「おいおいおい。キミこそ何を常識的なことを言っているんだ? 放っておけば、喜んで塀の中に閉じこもってるような男のくせに」
「……私と彼女は違う」
「そうとも。そしてボクと彼女も違う。だがどうせ生きる世界は選べないんだ。それなら静かな方がマシさ」
「一理ある」
《なーに納得しちゃってんすかーハル様ー》
《流石は、この後ずっと静かな病室で暮らし続けたマスターです! 白銀も、鼻がたけーです!》
《……おねーちゃん? そこって、誇るとこなのですか?》
《マスターは上の方で、白銀は下の方で、ずっと静かに一緒だったです!》
《まあ、おねーちゃんがそれでいいなら、別に構わないですけど》
そう言いつつも、自身も境遇が似た空木もなんだか納得しているようだ。
……あまり良くない共感の仕方に思えるので、後でもう少し情操教育に気を配った方がいいかも知れない。
いや、ハルがこういうところで『一理ある』なんて言うから悪いのだが。
そんなハルたちの自虐ネタ混じりの会話をよそに、この地の有力者二人は目的の扉へ到着した。
そこも、名目上はロックなどされておらず、重要区画とは思えないほど、その扉はあっさりと開かれるのだった。
「やーあ透華。元気にしていたかい」
「……?」
「そうかそうか。元気そうでよかったよ」
部屋の中央にちょこんと座る少女。どうやら、複雑な家系図による『年上の姪』の登場する事態は免れて、普通の小さな女の子であるようだ。
おもちゃの敷き詰められたファンシーな部屋は、お決まりの隔離部屋を思わせる。
そんな可愛らしいおもちゃを、部屋の中心に積み上げて遊んでいる彼女は何を考えているのか? それはハルにも、読み取れない底の見えぬ深い瞳だ。
そんな瞳で、じっ、と見つめてくる少女から、ハルもまた目を離せなくなっていたのだった。
「……アイリ?」
《いえ、似てるけど違いますね。その方は、アイリちゃんじゃないっすよハル様》
「ああ、当然だね。そんなわけがない。なにせ時代が違う……」
小さな彼女は日本人らしからぬ真っ白な髪を、床に長く垂らしながら座り込んでいる。
類似点といえばそれくらいで、よくよく観察してみれば骨格から違う赤の他人であるのは明白だった。
《やっぱマスターは、銀髪ロングが好みなのです! この姿になった白銀は、勝ち組です! 空木もおんなじにしてよかったです!》
《おねーちゃん。巻き込まないでください。いえ、その。マスターに好いていただけるなら、空木も嬉しいですが》
《あっ! 分かったです! マスターアイリに似ているそいつが成長して、エリクシルになったですね!》
「いやそれはどうだろう……、あれは多分君たちと同様に、アイリの方を参照した見た目だと思うけど……」
しかし、こうして意味深に登場されると、関係性を疑ってしまうのも無理ないというもの。
実際、ハルもセフィも知らぬこの記録映像、彼女の存在が何か関わっている可能性は非常に高いだろう。
「セフィ」
《いや、僕も知らないね。エーテルネットが繋がらない部屋にいるのだから、まあ当然》
やはり、セフィも透華と呼ばれた少女のことは何も知らないらしい。
一応、セフィは嘘をつくことが出来るのだが、ここで偽る理由も秘する理由も、今のところは思い当たらない。
ハルたちのそんな疑惑の目をよそに、彼女とそれを訪ねた大人二人は、構わずに会話を進めていく。
とはいっても、少女は一切語らず、叔父にあたるスーツの男が一方的に喋りかけているだけなのだが。
「相変わらず透華は無口だね」
「だが聞こえてはいる。理解もしている、はずだ」
「だが反応は示さない。それで、ボクが疑われているという訳だ。可愛い姪に、そんなことするはずないのにな?」
「どうだかな。だが、お前から離れても改善しないのは確かだ」
だからこそ、『良くなられたら困る』のだろう。様々な感情の乗ったあの言葉だが、事実として彼の立場を危うくするだろう事も本当だ。
彼が透華の全ての記憶を奪い、こうした状態に陥れている。そのような疑惑が上がったのも、彼の能力によるもの。
スーツの男は記憶の消去能力があり、その力によって相手の記憶を完全に奪えば、こうした無反応の廃人状態にしてしまえるのは自分で語っていたとおり。
跡目争いか遺産のためか、身内を手にかける事も平気でするだろう環境下では、当然そうした疑惑もかけられる。
「彼女の能力の方はどうかな?」
「我々では専門外だ。そもそも、能力が発動しているかどうかすら観測できないのだから。エーテルに繋いでも?」
「それはやめておこう。外から変化が見られないなら、それはそれで構わないさ。この子の力は、ただ記録を取るだけだからね。便利は便利だが、エーテルネットで世界中をくまなく監視できるようになれば、どのみち無くたって困らないものさ」
「ほう」
《どうやら、今ハルが見ている夢の提供者はこれでハッキリとしたようだね?》
「だね」
この再現映像、いや再現空間は、透華がその超能力により記録したデータが使われていると見ていいだろう。
家の者がどの程度把握しているかは分からないが、恐らくは、彼らが思っている以上に透華の能力は強力だったということだ。
エーテルネット管理者であるハルだからこそよく理解できるが、ここまでの力は現在のエーテル技術でも再現が難しい。いや不可能と言ってもいい。
そんな事を人間一人の力で可能にするなら、いくらでも有効活用の手段はあるだろう。
ただ、そんな透華の記録したデータが、なぜこうしてハルの夢として浮かび上がって来たかが不明のままだ。
実は本当に白銀の言うように、エリクシルと彼女は何らかの関係があるのだろうか?
真っ白な少女は、それに答えることはないのであった。
*
《ねえハル? 彼女、『エーテル過敏症』なんじゃない? いや、まだネットは未整備の時代だから、それは変か》
「うん。僕もそう感じているよセフィ。この、生活には支障がないけど自分の感情を表に出せない状態。エーテル過敏症の子供たちとそっくりだ」
《あの症状は、エーテルネットに親和性が高すぎるが故に発生するもの。しかし彼女は、以前も今もネットから隔離された環境にて生活しています。よって、その原因は何か別の物であると結論付けられますね》
《まーた回りくどいっすねえジェードは。別な何かなんて、この方の超能力に決まっているじゃないっすか。自然に考えれば、この記録能力の負荷が高すぎて、肉体の制御にリソースを割く余力がない、とかじゃないっすかね?》
その考えが妥当なところか。超能力にはまだまだ詳しくないハルだが、ヨイヤミの例を見れば分かるように、例えネットから切り離してもそれで改善する者ばかりとは限らない。
改善の目があるとすれば実はあえてエーテルネットに繋いだ環境に置き、管理者が適切に処置してやることなのだが、残念ながらここは隔離ブロック。ハルたち管理ユニットが、手出しできる環境にはなかっただろう。
「その記録だって、ボクら家族の協力がなければ透華の頭の中から取り出すことは出来はしない。本当に持っていたところで仕方のない、呪いのような力さ」
「そもそも、その記録とやらはどのように保存されている? 彼女の脳機能は正常そのもので、症状の原因も、そんな記録の兆候すら、発見されはしなかったのだが」
「記憶が脳に保存されているとは限らない。と言ってもキミら科学者は信じないかもね」
「にわかにはな」
「だが人の記憶を扱うボクらには何となくそれが分かる。なんというのだろうか。どこか別の空間、とでもいうような場所に、意識や記憶は流れ出ることがある」
現代ならば、その事を不思議がる者はほぼいないだろう。それは、エーテルネットそのものだからだ。
しかし当時は、一部の能力者しかその実感はなく、彼らのその経験を元にエーテルネットは構築されたということなのだろう。
「その空間に自由にアクセスする術を見つけることが、キミたちのお仕事だよ」
「努力はしよう」
「期待しているよ。もし完全解明されるようならば、この子の症状もきっと良くなることだろう」
「……現代とは、少々考え方が違ったのか? 基本理念としてはむしろ現代よりも進んでいる?」
《今は、エーテル通信が光速を上回る速度を出せる理由は『不明』のままっすよね? そんな中で、ハル様のような一部の者だけがその理屈にたどり着いて裏技的にその力の一端を使っている》
《むしろ、そこより一歩踏み込んだ真実に近づいているのかも知れません。我々では結局、エーテル通信の経由先がいったい何処なのか、不明なままなのですから》
異世界の存在を知るうちに、ハルはそのネットの『経由先』が異世界なのではないかと思うようになった。
だが未だその完全な証明には至っておらず、考察は仮説の域を出ない。
しかし口ぶりからするに、開発母体である者達にとって、その経由地は良く知る身近なものだった可能性もある。
だからこそ、織結のように原理不明の通信機を所持していたりするのだろう。
もう少し、この話をしてくれないものかと願うハルであったが、残念ながらその想いは過去の映像を塗り替えはしなかった。
彼らは透華との面会を切り上げ、情報の大放出サービスも終了してしまう。
親族との名残りを惜しむこともなく、二人は足早に入ってきた部屋の扉を再びくぐった。
《……追わないんすか?》
「ああ。何だか、この先も彼らを追う気にはなれなくてね」
《うーん。なんか、またポロっと重要情報喋ってくれるかも知んないすけどねえ。まあ、それよりも今は、その透華様のことの方が重要っすか! ハル様的にはヤロー二人よりも、美少女優先なのは当然っすよね! にししし!》
「白銀、空木」
《はいです!》
《はい。ぱんちします》
《いひはっ!? まだハル様はなにも指示してないっすー!!》
皆まで言わずとも通じる優秀な子供たちで非常にありがたい。
そんなエメは彼女らに任せて、ハルは残された透華の瞳をじっと見つめる。
今は彼らを追うよりも、彼女のことについてもう少し調べた方がいいのではないかと、直感が告げていた。
この夢の中心は、確実にこの少女の存在であるのだから。
《アクセスしてみるかいハル?》
「……そうだね。もしエーテル過敏症と同様の症状なら、僕に何とか出来るかも知れないし」
これは過去の再現。彼女の症状を改善しても、現実が変わることはない。
しかし、それでも何かしらの情報を、彼女から得ることは出来るかも知れないのだった。




