第1467話 知っていたけど知らない話
ハルがメンテナンス通路の扉を開けると、そこは何故か全く関係のない一室に繋がっていた。
夢らしい不条理なのでそれはいいとしよう。『ケージ』の並んだ廊下の、無限ループから抜け出せただけで御の字だ。
「しかし、何処だいここは。研究所らしからぬ、普通っぽい部屋だが」
《そこは所長室兼、応接室です! 外部の人間とやり取りする際に使うように、フツーの作りにしているです!》
「なるほど」
山中に建てられ外界との接続を断った、まさに『異界』ともいうべきこの研究所。
しかし、そんな陸の孤島たる研究所も、本当の意味で外部から独立したまま存在できる訳ではない。
方針を決める経営母体は国、そして力ある三つの旧家であり、それらは当然文明と共に都市の内部に存在した。
「あと単純に、この研究所だけでは必要な資材が賄えないしね。エーテル研究所ではあれど、まだまだ開発段階の当時では変換技術もまだまだ未熟だし」
《単純に、です! 人は食わねーと、生きてけねーですもんね! 食料を満載にしたトラックが、山奥に行ったり来たりです!》
《怪しすぎるね。農業と狩りでもしてれば良かったんじゃないかな?》
「研究員がかい? 非効率すぎるってセフィ」
とはいえ確かに、あまり人の出入りを多くしてはどこから秘密が漏れるか分からない。せっかくの陸の孤島も、その利点を失ってしまう。
まあ幸いというべきか、残念なことにというべきか、ハルたち管理ユニットの食事はそれこそ栄養スティックさえあれば事足りたので、あとは研究員たちがどれだけ我慢できるかにかかっているのだが。
「だがこんな山奥ではただでさえ気が滅入るというもの。食事くらいはせめて良い物を食べたいというのが人情だよね」
《ハル様がそんなことを語るようになったどころか、ご自身が主導して味の研究開発の最先端を行っていると知ったら、研究所の方々はどんなお顔をするんすかねえ。ちょっと、気になるところっすよ》
まあ、当時は考えもしなかったのではないだろうか。そんな展開はまさに夢にも。
ハルはそんな『山奥の』景色を窓から眺めつつ、ド田舎ですらない『秘境』にて働く研究員たちの心情に思いを馳せる。
彼らを人でなしのように思った時期もあったが、こうして同じ目線に立ってみると、その苦労も分かるような気になるというもの。
応接室のためか珍しく窓のある部屋だが、見えるのはただ鬱蒼と続く木々ばかりである。
「まあこうして窓も見つけたことだ。ここから外に、っと、おや?」
ハルが窓を開けて外へと脱出を試みようとその手をかけると、そのガラスへと映り込んだ室内の景色に急にピントが合わさった。
いつの間に現れたというのか? その窓に映った応接用の椅子には、先ほどまでは居なかった二人の男が座り、何食わぬ顔で会話を交わしはじめたのだ。
「相変わらず、『そんな物』ばかり食べているのかキミたちは。もっと食料品の申請もしたらどうだ? 士気に関わるだろう」
「日持ちもする。効率的だ。それに、士気というなら贅沢を忘れさせる事も重要だ。『これが普通』と感覚をマヒさせれば案外、人間は慣れる。だから、無駄にサービスをしないでもらいたい」
「しかしねぇ。それでブラックだなんだと突き上げを食らうのはボクなんだから」
「さっきの所長と、誰だ?」
ハルが振り返りその姿を確認すると、先ほど実験をしていた所長と、見知らぬ男が向かい合って応接ソファーに座っていた。出現した気配は一切なかった。
所長は客の前だというのに構わず固形の栄養食にかじりつくと、なんの感情もなくそれを咀嚼する。
この時間を使って食事を済ませてしまおうというのが、いかにも効率重視な人物であることを表しているようだった。
とはいえそれだけ、この相手が気安い間柄だという証拠でもあるのだろう。部下の前では見せていた威厳のようなものも今の所長からは感じない。
一方の上質なスーツに身を包んだ身なりの良い男も、この施設の責任者相手にへりくだる事はない。彼と同等、または立場が上の人物だと思われた。
《わかんねーです。話の流れから、外から来た奴だろうとは思うですが、記録にねーです!》
《つまり彼が、経営母体の一族。ということでしょうかマスター?》
《面白いことになってきたじゃないかハル。ちょっと聞いていこうよ、このまま》
「くそ、誰だか知らないが僕を窓から出させない気か? こんな、興味深い場面を再生して……」
無視して背後の窓から外に飛び出せば、とりあえず研究所内から脱出はできる。上階だがハルには何の問題もない。
しかし、それだけでどうにかなる保証もない。そのためにこの重要そうな話を無視するのは、二の足を踏んでしまうハルなのだった。
これが誰かの狙いというなら、まさに覿面の効果である。
「極限状態に押し込んで判断力を狂わせ、半ば洗脳状態にする、か。そんなことで効率があがるのかね。優秀な者にはいくらでも報酬を払い、モチベーションを上げてやった方がいいのでは?」
「報酬で満足されると、研究結果に満足しなくなる。こちらの事は、私に任せておいて欲しい。それに、人や物資の行き来が増えると、情報の漏洩が避けられない」
「そんな事こそ、ボクに任せてくれれば済むんだがね?」
「ということはやはり、彼が三家のうちどれかの一人ってことか」
《正確にはその先祖っすね》
《こんなに堂々と訪ねて来てるのに、マスターも知らねーし記録にねーです! こいつ、言うだけのことはあるってことですか!》
《それだけ、情報操作能力に長けているということですね。でも、結局こうして記録をされてしまっていますが……》
「謎は深まるばかりだね」
生鮮食品を運び込むために往来が増えると、そのぶん漏洩の危険が増すと語る所長。
それに対し、そんな事よりも物を与えて職員の満足度を満たし、やる気を上げることで研究効率アップをはかるべきだと語る出資者。
ただ所長の言い分では、死んだ目をしながら研究だけに向き合う方が、効率的であるらしい。
どちらが研究分野において有効な手段かは、正直ハルには分からない話であった。
《エメみてーなやつです!》
《ひ、ひどいっす! わ、わたしは、ハル様に褒めてもらわないと、少なくともやる気は出ないっす! まあ確かに? あんまりご褒美たくさん貰ったりしたら、何か悪いことをしているんじゃないかと不安になるとは思うっすけど……》
《重症です。だめですね、こいつは》
《ひーん! 空木ちゃんは今日もわたしに厳しいっす!》
《まあまあ、そんなことより、彼が情報漏洩をどのように防ぐ気なのか、そちらの方に私は興味がありますよ。我々やハル様といえども、完璧な情報封鎖は困難だというのに》
「とはいえ君らは異世界限定で完璧じゃないか」
しかしそれは、魔法があるからこその話。魔法の使い方によっては、人の口にだって戸が立てられる。
ただし日本ではそうもいかない。しかもこの映像の当時は、エーテルネットもまだ稼働前。
そんな状況下において、研究所がその機密をどのようにして守り抜いたのか。ハルとしても気になっていたところだ。
「……それよりお前のその『能力』で、言われたことに何でも従う完璧な研究マシーンを一ダースほど連れて来てくれ。そうすれば研究も捗る」
「ボクの力はそんなに万能なものじゃない。いいか? 確かに記憶を忘れさせるのは簡単だ。しかし、あらゆる記憶を失った者ってのはこちらの言うことなんか聞きやしないんだよ」
「『能力』と言ったね」
《確かに聞いたです!》
《これはつまり、超能力者ということですね、この人間は》
《そのようですね空木君。都合の悪い情報を見聞きした人間は、彼によって記憶を消され、結果として機密が世に出ることはない》
《つまり、当時の情報が不自然なほどに残っていないのは、関係者の記憶をこの方が片っ端から消して回ったってことっすね! これで繋がったっすよ! ……でも本当に出来るんすかあ? そんなこと?》
「さてね? ここでは、彼が力を使った場面が見れている訳じゃない。実際は、薬物か何かを使ったものだったっていう可能性だってまだある」
とはいえ、母体の三家は事実として超能力者を排出している家系なのは確かだ。そうした便利な能力者だって、居るのかも知れない。
事実として、研究所の記録は綺麗に消されて今日までほぼ残っていない。
ただそれも、例の大災害があったどさくさで他の色々な重要記録と同様に消失した、というだけの可能性だって普通にある。これだけで断定はできはしない。
「ともかく、今回の事故でせっかく実用段階にまでこぎつけた支援AIも喪失し、職員のメンタルもガタついている。このタイミングで、彼らに外を思い出させないでくれ。心を折られる者も出る」
「……わかったよ。キミのやり方に任せよう」
食事に関するハルのつぶやきに呼応するように始まった彼らの話は結局、そういう形で決着がついたらしい。残念ながら、研究所の食糧事情は改善しないようである。
そしてどうやらこの場面は、あのセフィの事故のすぐ後の段階の時系列であるようだ。
これは、多少なりともこのゲーム、先に進んだと考えていいのだろうか?
*
「状況は理解した。モノリスのカケラは封印しろ、この件については現時点で完全に凍結とする」
「おい……」
「封印だ。十分に成果は得られた」
「どこがだ! こちらは大事な管理ユニットを一体失い、大半のAIも謎に消し飛んだ! その原因を究明すべきじゃないのか!」
「アンタッチャブル。そう分かっただけで十分だろう。あとは封印して、終わりだ」
「…………どうやって? 研究中のネットワークは完全に無差別だ。山の中だろうが土の下だろうが、浸透して誰かが接続しないとも限らない」
「そこは問題ない」
高級スーツの男がそう言って、ポケットより何かを取り出す。
その中身が何なのか、ハルには聞かずとも予想はついた。例のブラックカードにも使われている、アンチエーテル塗料であろう。
「これは、モノリスの構造解析によって得られたデータから生まれた、エーテルを完全に通さない物質だ。これを解析し量産するんだ」
「……エーテル粒子もそのデータから生まれたのではなかったのか? 都合が良すぎるな」
「光を見出した物から、また影も見出すのは不自然じゃないだろう? 表裏一体、ということだよ」
《アンチエーテルは、御三家製だったです!》
《ますます謎です。そんな技術力があるならば、なぜわざわざ別組織として研究所など建てたのでしょう》
《なんらかの利権でしょうか》
《まーたジェードは厭らしい話をするっすねえ。もしかするとあれなんじゃないすか? モノリスっていうチートを使って新技術を見つけてくるのは上手いけど、チーターだから根本的な理解が出来てないとか、そういう事なんじゃないっすかね?》
「どちらもありそうな話だね」
特にスキルにも似た超能力は、その使い手にすら力の詳細な理屈は分からない。
ならば科学的にそれらを解明する機関が別に必要だった、という展開はそれなりにあり得る話ではないかと、ハルにも思えてきた。
とはいえ、ここで得られた新情報は、高級スーツの男が喪失した記録の重要人物である可能性くらい。
他は、だいたいが今までにハルたちが予測した通りの流れである。
「まあ、この新しい玩具があれば、職員たちのやる気も少しはマシになるだろう」
そう語りつつも、自分がいちばん興味津々そうな所長の言葉で、今後の方針も決まったようだ。
この場面の見どころもここまでだろうか。ハルがそう判断し、今度こそ窓に手をかけようとしたその時、またしてもセフィから待ったがかかる。この先、何かあるというのだろうか?
「ではそのように進めてくれ。……ああ、そういえば、姪は元気にしているかな?」
「ああ。体調は良好だ。会っていくか?」
「体調は問題ないのは元からだが……、これだから……」
「姪?」
《女の子供です! マスターたち以外に、そんなの居たっけです?》
《分かりませんよ白銀君。続柄と年齢は当てになりません。特に彼らのような特殊な家においては。場合によっては、年上の姪という可能性だって》
《何言ってんすかジェード》
《それはまた不思議な家系図だね》
確かに、なんとなく気になる話だ。どうにも流されている自覚はあるが、確かにこの『イベント』の行く末も見ておきたい。
ハルは窓から手を離し、大人達二人の後へと続くことにしたのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。「見い出す」「見出す」については、報告とは逆の見い出すに合わせて統一いたしましたが、問題がありましたらまたお知らせください。
追加の修正を行いました。表記を「見出す」に統一、ルビによる対応へと変更しました。




