第1464話 彼が死ぬのを見たのはだあれ
ハルはセフィと研究所スタッフの幻影を追い、『ケージ』エリアを抜けて研究所の内部を進む。
研究所の扉はどこも、エーテルを研究する施設に相応しく、気密のしっかりした扉が多く見られる造りをしているようだ。
「へえ、こんなになってたんだ。正直、いまいち記憶にない」
《だったらなんでこんな詳細に再現されてるんすかねえ》
《我々とのデータリンクが影響しているのでは? マゼンタなど、あの様子だと詳細なデータを残していそうですし》
《白銀の記憶に決まってるですジェードおじさん! 白銀が、マスターといちばんリンクしてますし、一番記憶も新鮮です!》
《おじさんではありませんよ》
《おねーちゃん。どうやらここには鍵がかかっているようですね。しかし、先ほどの通路にはこうした鍵はいっさいありませんでした。それはなぜでしょう?》
《よく聞いたです空木! それは、管理ユニットの子供たちを監禁してなんていませんよ、という、しょーもないアピールなのです!》
「実際は、鍵なんて必要ないからだ。本気で僕らを出したくないときは、あの『ケージ』の扉はあとほんの少し壁との密着度を上げるだけで、大気圧でロックされて子供の力なんかでは一切動かなくなる。そのために、冷蔵庫みたいな構造してるんだよ」
《ハル様。今の時代冷蔵庫の例えは通じないんじゃないでしょうか! さすがに構造まるきり違うっすよ!》
《ははは。この場に居るのは古い時代のものばかり。今は同窓会ネタに花を咲かせてもいいじゃありませんか》
《やはりジェードおじさんです!》
《ですね、おねーちゃん》
《おじさんではないです》
《しかし、気圧でロックとは考えましたね。それなら監査が入っても、『鍵なんか何処にもない』と言い逃れできます》
「まあ実際は、本当に鍵なんてしなくても脱走を企てる子なんて誰一人として居なかったんだけどね」
しかし管理者としては、いや、ややこしいが“この施設を管理する者”としては、そうした万一に際してのセーフティという物は過剰に用意しておきたいと考えることだろう。
ちなみに、言うまでもないが本来の目的は気圧ロックのためではなく、ナノマシンであるエーテルを空気中に散布して実験する関係上、それが漏れ出ないようにしたり、施設の一区画のみでテストしたりするためだ。
要はあの学園と同じである。内か外かの違いはあれど。
そう考えると、同じ者達が母体となって両施設を作り上げたということに実感が湧いてくるハルだった。
「気付くべきだったか。いや、研究所は完全に滅んだと思ってたしなあ」
《あっちだって、ハル様がひとり生き残ったとは夢にも思ってないようっすし、引き分けってことじゃないっすかね?》
「……まあお互いに、百年以上しぶとく残ってるのが自分以外に居るとは思わないか」
言い訳するようだが、加えて、今見えているような詳細な記憶がハルには残っていなかったということもある。かも知れない。
ハルの記憶にあるのは病院のことがほとんどで、その時にはもうこのような気密ブロックはほとんどが撤廃されていたはずだ。
そんな、この研究所の根幹に関わる内容をベラベラと口にしながら付いて歩いても、セフィはもちろん彼を連れ出した女性スタッフも特に気にすることはない。
本来ならこの態度以前に、いかに自由を許しているとはいえ用事のない管理ユニットが出歩いて実験に同行している時点で、異常事態であるはずだ。
会話は通じるもののそこに触れようとしないのは、NPCらしいというべきなのか、夢の中らしいというべきなのか。
「……着いたみたいだね」
そんな彼らの歩みも、とある部屋に到着しようやく止まる。
彼らに付いて歩いたことで、ここまで一切、無限回廊にまた取り込まれる事態は起こらなかった。
「とはいえ出口ではないから、状況はまるで変わっていないとも言えるんだけど」
「所長、連れてきました」
「ああ、ご苦労」
そんなハルのぼやきをやはり無視したまま、終点の実験室で、どうやらセフィを使った実験が始まるらしい。
彼ら研究員の取り囲む、部屋の中央に立つ筒に取り付けられたカプセル。そこには、なんだか見覚えのある物体が封入されていたのであった。
*
《おや。懐かしい。これは、僕が死んだ時の映像だね》
「セフィ……、お前どうやってここに介入してきたんだよ……」
《えっ? いや寝てる君の体に向かってスピーカーから音声出してるだけだけど?》
「部外者が勝手に人の屋敷の中で音声出すんじゃありません。みんなびっくりするでしょ」
《いやいや。みんなって神ばっかりだし、今さら驚く人なんていないでしょ》
《い、いやぁ……、さすがにいきなりセフィ様との対面となると、わたしはビビっちゃうかなぁって……》
《ご無沙汰しております、セフィ様。日頃よりお世話に、》
《あーっ! だめですよ! このおうちには、原則男の子は立ち入り禁止です! マスターがいっつも女の子とえっちなことしてるです! 覗き見は即刻死刑です!》
《おねーちゃん。目上の方ではないのですか? あとそういうこと言うとマスターに後で叱られますよ》
《残念。もう死んでるから死刑にはできないよ。見ていてごらん? これから僕が死ぬとこ見れるよ》
「またそういう自虐ネタを……、僕の方が見たくないんだけど正直……」
《ハルは優しいねえ》
研究員が取り囲むサンプルは、例の黒い石。異世界からやってきたモノリスの破片。
この石にセフィがアクセスしたことで、彼の精神は異世界へと転移し、それ以来こちらへ帰ることはなくなった。
更には続いて、エーテルネット運用補助のAIたちも、呼応するように次々と消失。後のカナリーたち神様を生む原因となった。
《だが見ておいて損はない。当時、ここで何があったのか》
「つまりこれって君の記憶?」
《いいや? もしそうなら僕の姿がこうして見えているはずないさ。僕は君のように、常に自分を俯瞰して見るなんて器用な芸当は出来ないんだからね》
「……じゃあ何の記録なんだよこれは。僕だって、知らないはずだぞこんな場面」
当時はまだ、研究所内であっても全ての場所にエーテルが充填されていた訳ではない。
特にこうした実験をする際にはその区画は完全に隔離され、そうなると例えハルたちのような管理ユニットでも手出しはできない。
「僕がヨイヤミちゃんのような視界ジャック能力でも、実は当時持ってたとか?」
《なら、そんな便利な能力を今まで忘れてしまっていたハルは、とんだお間抜けさんだ》
「僕はマヌケではないので、逆説的にこれは僕の記憶じゃないってことだ」
《……クチ挟んでいいのかどうにも迷うっす~~》
《マスターは天才なのです! マスターの秘めたる力が、今覚醒したに決まってるです!》
《おねーちゃん。適当なこと言ってないで大人しくしておきましょう》
これがセフィの記憶であるなら、どうして混線したかの疑問はあれども納得はする。
しかし、セフィにもまたこの記憶の出どころに覚えはないらしい。普段は皆の前に顔を出さない彼が、こうして介入してきたことから事の異常さが良く分かるというもの。
となると本当に、ハルは何を見せられているのだろうか? 誰が、こんな場面を記憶していて、ハルの夢として再生しているというのか。
「……全て、僕が作り出したただの妄想という可能性」
《ないとはいえない。これは君の夢なんだろう? ならば研究所の情報も、この事故のことも、全て君の知識にある。それを無意識に組み合わせて、ただ『それっぽく』再現したシーンというだけさ》
《夢って何でもありっぽいすからね。ヨイヤミちゃんの遊園地だって、ハチャメチャさはともかく詳細に再現されてましたし。ハル様ともなれば確かに、薄れた記憶の継ぎ接ぎでも、再現映像作っちゃうくらい訳ないんじゃないっすか?》
《わかんねーです!》
《空木たちは、夢を見ることはありませんからね》
《この場の誰も、同意も否定もできませんねぇ》
ハルたちが首をひねる中でも、夢の中の再現は着々と進んでいく。
研究者たちは山で偶然確保したこの黒い石を、開発中のエーテルネットと管理者の力で解析を行おうとしているのだ。
「ナノマシンエーテル、充填率90%」
「そのまま飽和させろ」
「了解。99、100、104%で注入停止します」
空気中にまんべんなく散布して使うエーテルネットだが、この時はカプセルの中にだけエーテルを注入し、この実験室全体に充満はさせていないようだ。
まだまだ、体内に取り込んだ際の影響が完全には判明せず未知数だった段階。不用意に自分達も触れる大気に充満はさせないという慎重さがあった。
「自分達の持っている石板を使わせてくれればいいものを。このカケラが偶然見つからなかったら、いつまで経っても調査が進まないところだった」
「まあまあ。天は我らに味方したってことですよ」
「そうだな。これでもし重大な発見があれば、御三家連中には知らせず私たちが出し抜いてやる」
「所長。問題発言ですよ」
「……そもそもこの都合のよさ、彼らによる采配としか思えませんよ?」
「だが奴らも本気で困惑していたのが妙だ。大事に大事にしまってある石板を、こんな風に砕いて渡す連中とも思えない」
「そうなんですか?」
「ああ。日々頬ずりして磨いているに決まっている。どの家が次に頬ずりするかの順番を、札束積み上げて競っているくらいだ」
「ははは」
「なんだその変態ども……」
《こんな会話してたっけなあ。僕も憶えてはいないね》
「じゃあやっぱり、僕の妄想? 嫌だよ僕? 自分がモノリス頬ずりジョークを空想するような人間だったなんて」
自分達の研究の大元となったモノリス。それと酷似した石が、自分達の元に都合よく転がり込んできた偶然を研究者たちは誰もが疑いの目で見ている。
それも当然だろう。そんな偶然、どんな天文学的確率で起こるというのか。
だが、実際は本当に御兜家他二家も知らぬ偶然。次元を超えて異世界から降ってきた物体だなどと、予想しろというのは酷というもの。
二つの世界の隠された事情を知るハルだからこそやっと、これが偶然でも奇跡でもなく、複雑な事情が絡み合った必然であったという事実にたどり着けているのだから。
《ほら、始まるみたいだよ》
「だから楽しそうに言うなと……」
そんな研究所の人間と、ハルたちが見守るなか、当時のセフィが部屋の中央に立つ柱のようなカプセルへと、スタッフに促されその手を差し込んでいく。
手の先だけがここまでに通ってきた扉と同様に密閉され、内部の空気を漏らさぬよう固くロックされた。
念を入れるように、研究員たちはガラス張りの隣のブースに退避して、この場にはハルとセフィ、そして物言わぬ黒い石だけが残された。
「ああ、いや、物言わないのは石だけじゃなくて、当時の僕らも同じことか」
《建前上人間扱いはされていたけど、彼らにとっては物と変わらなかったろうね》
《またこの人らはすぐにそういうことをー……》
自虐ネタが大好きな管理ユニットたちであった。
そんなセフィの手がエーテルに触れ、管理者としての能力を十全に発揮していく。
一瞬のうちに黒い石の解析結果が出るが、セフィは何も語らないために研究員達にそれが伝わることはない。
「どうだ?」
「お待ちください。今、彼の得ている情報をコンピュータ処理して表示しますので」
「支援AIの接続します」
「データの返りが遅いですね」
今でこそ、ほぼ全ての人間がエーテルネットに直接アクセスし、自分自身で空気中から内部の情報を直接読み取れるが、この時はまだその為のOSが整備されていない。
また彼らも安全のために別室退避しているので、セフィの読み取った情報を参照するには、まだ一度当時のコンピュータへとデータを移して、物理モニターに表示するという手順を踏んでいた段階だった。
……結果的に、その技術の未成熟さが彼らの命を救ったのかも知れない。
「エラーか?」
「いえ、エラーも出ていません」
「管理ユニットが情報共有に応じません」
「支援AIも沈黙」
「彼がAIを抑えこんでいると?」
「そんなことをする意志や理由があるものかね」
「『奴ら』の仕込みか?」
「ユニットのバイタルは?」
「正常です。脈拍、呼吸共に乱れなし」
《いいや。無駄だよ。もう彼の心はそこにはいない。まあ元から無表情だったからねえ、慣れないと、ちょっと分かりにくいか》
何も語らず沈黙するセフィの体。そこにはもう、彼の魂とでもいうべき意識は存在しない。
そして同時に、データ回収用にと彼の身体に送り込んだAIたちもまた、そのまま帰って来ることはなかったのだった。
これが、かつて研究所のある管理ユニットに起こった意識不明事件。そのあまりにもあっけない顛末ということらしかった。
《でもそれならばだ。もう意識のないこの僕を見ていたのは、いったい誰なんだろうね?》




